2011年4月21日木曜日
23年4月21日(木)大震災を考える
・ どうもいけない。始業式が終わってから調子が悪い。体というより精神的なものだ。1月からこっち、気の使う毎日でようやく新年度が無事に立ち上がったら私は「だらける」。「くだくだ」になる感じだ。毎年同じことの繰り返しであることを自身が知っているが、どうにもならない。今年もそうだ。でも頑張っている。
・ 茨城南部の鹿嶋市というところに居を持つ私も被災者の一人であるが被災の程度は小さくはなかった。でも住む家があり電気が来て、濁ってはいるが井戸の用意もあるから当面の生活には支障は無いが、今年はこちらの分が余分だ。
・ 人間というのは「他との比較において自己のポジションを知る」のであるが、我が家の被災状況は岩手、盛岡、福島の人々の比ではない。何か申し訳ない複雑な思いがする。しかし一方では我が身の幸運を喜んでいるのである。だからこのように悠長にしておられるのだが、連休には帰って「余震の続く」中での後片付けが必要である。
・ 内心では帰省の時にこの日本歴史に大きな爪あとを残した東北3県の海側をちょっとでもこの目で確認し、目に焼き付け、そしてささやかでも「ボランティア支援活動」の真似事でもしたい気持ちである。
・ しかし私には守るべき学校があり、その責任者としてやるべきことも多くあるから現地に出向くことは出来ない。4月に入学してきた中学、高校の1年生の面倒を見なければならない、最も重要な時期が5月末までである。
・ 被災地に行っても結局は「結果的な冷やかし」となることを恐れている。「頑張ろう東北、頑張ろう日本」とメディアは、そして有名人が盛んに言っているのは「まあ、反対ではない」が個人的には好きではない。
・ テレビがボツボツ報道し始めた「震災の蔭にある美談」とか「感動物語」ももういいわ。それに予想していた通り「過度の自粛は結局東北の人のためにならない」とか言い始めているが、これも自分勝手な言い草のように聞こえる。
・ 東北の人々は避難した体育館でテレビは無くプライバシーもなく社会と隔離されて耐え忍んでいるのだから自粛もくそもない。結局人間社会はこういうものなのだろう。それぞれがそれぞれの立場で「生きていくのに一生懸命」だからである。
・ だから私は今浪速高校として出来ることは「連帯の気持ち」を具体的に表すために「義援金を出す」事だと思ったのである。「頑張ろう」と言う代わりに、例え金額は少なくとも被災地に「お金を送りたい」と思ったのである。
・ 形の変わった「自己満足」と言われても良い。もしそういうことを言ってきた人に「だったら貴方はどうするの」と言い返すのだ。私は教職員に向かって「今回、義援金を出さなかった人は南海地震で家が倒壊して他府県から義援金が送られてきても1円たりとも受けとるな」とまで言ったのである。少し言い過ぎだった。
・ しかし私に出来ることはそれしかなかった。だから「しゃかりき」になって義援金の募集活動を行った。先頭に立って募金活動の仕掛けをしたのである。後は淡々と日常の生活に戻るしかない。自粛もなにもない。「自然体」でいくしかないし「言葉は不要」だ。
・ そして「深く、深く今後の日本の事を考える」のである。今我々日本人は今後のことをじっくりと考えねばならない時期に来たと思っている。今こそ自分たちの国をどうするのか、具体的にどう進めるのか考え、行動することが必要だ.
・ 本校では数次に亘る活動で「義援金が多く集まっている」のでその内の一部を拠出することとした。義援金の目安は平成22年5月1日現在の在籍生徒数に250円をかけたものというので本校の場合497750円となる。
・ 府内私立学校全体の目安は2696万円と計算しているが本校は直近の4月6日の入学式後の生徒数で計算した。すなわち2057名にかけたのである。従って金額は514240円とした。どの学校も今年は入学者数が多かったので事務局の予想を上回るのではないか。
・ まだ本校には沢山の義援金が残っているのでこれらは次のタイミングを見て本校の生徒、教職員、保護者、同窓会の温かいお気持ちを被災された人々にお届けしたいと思っている。私の気持ちとしては日本赤十字社と神社本庁を通じて被災された「東北地方の神社」にお届けできないか、その方法を探っている段階である。
・ それにしても私は今回の大震災から改めて思う事が多い。新聞でもテレビでも雑誌でも多くの人々が「意見や感想」「所感」を述べられているが多くは目の前の災害復旧、復興の事が当然として多い。
・ しかし私が考えるのは前述したようにもっと大きく日本全体をどのように捉えて今後の「国作り」を進めていくのかということだ。間違いなくこの「国難」の状況はいずれ日本人であるから克服していくことは間違いない。その後の話だ。今までの日本では亡くなられた方々に申し訳ないではないか。
・ 東京大学の御厨貴教授は先の世界大戦に敗戦して国土を失った今日までを「戦後」としていたが今後は「震後」という造語をされて警鐘を鳴らしておられたが、全くその通りであると思うと同時に「震後」という言葉に些か感心した。
・ それにしても発生から1ヶ月が過ぎても行方不明者の捜索が進まず、瓦礫の撤去も進んでいない現状を見るに付け、この国の中央政府の体たらくにあきれるばかりである。腹が立つ。特に福島第一原発事故と後処理については世界にも衝撃と大迷惑を与えた。
・ 私は今でも3月11日の記者会見で東京電力の幹部が「想定外」と言う言葉を使った時のテレビの映像を覚えている。原子力保安院もそうだった。次から次とテレビにでて解説する原子力を専門とする大学教授もあの映像があるにもかかわらず「大丈夫、安全です」と言っていたのを忘れない。
・ 確かに原子炉の耐震性はそれなりに考慮されていたのは分かったが「津波」に対する警告は無視されていたことが事故後徐々に明るみになってきた。全く不十分な対策しか取られていなかったのである。
・ その次がいけない。発電所の非常用炉心冷却装置が働かないと言う超緊急事態にも関らず東京電力の対応は後手後手に回り被害を拡大した。大体想定外というが想定していなかっただけの話だろう。これは「人災」である。地震と言う自然災害に人災が加わった未曾有の激甚災害に原子力関係者が総出で仕立て上げたのである。
・ 全ては「歴史に学んで来なかった報い」ではないか。住民には全く罪科はない。日本の指導層、特に中央政府と原子力保安院、東京電力、関係した大学教授どもの「でたらめさ」が完全な形で明確になった。
・ この地域は日本歴史上3度も大きな地震と津波に襲われているのである。全ては歴史に刻まれた事実である。彼らはこの事実を無視したか過小評価した設計しかしなかったのである。それが想定外という言葉になって現れたのである。
・ 明治三陸地震は今から115年前というからそれほど昔ではない。岩手県の釜石市沖合い200キロを震源とする地震でM8.0から8.5という巨大地震であったが地震後の津波が本州観測史上最高の高さである38.2メートルを記録したとある。死傷者は2万人を超えて甚大な被害を出している。これは詳細なデータが残っているから誰でも分かる話である。何故参考にしなかったのか。
・ 更に今回の大震災関連の新聞記事を注意深く読んでいると今から1100年前に「貞観地震」というものもこの地方の先祖は受けているのだ。この869年、貞観11年に発生した貞観地震は今回の東日本大震災と酷似しているといわれている。
・ この時代は空海、最澄らが中国から持ち帰った仏教文化が花開き、「安全神話」が広がっていたと言う。油断をついて大地震に襲われ京の中央政治でも政変が起きてその後藤原時代へ突入した。しっかりと書かれた歴史書が残っている。都会的な貴族文化の中で暮らしていた人々の安全意識を一蹴したとある。
・ 大震災の翌年すなわち貞観12年若き菅原道真が「高等文官試験」において出された問題が「震災を論ぜよ」というものだったと記録にあるように如何に中央政府を震感させたか分かる。まったく今と同じではないか。
・ 人間の思い上がった増長がこのような歴史の傷跡が残る地域に安全神話をばら撒いて現代の科学技術の最先端を行くものとして「幸せを導く安全、絶対安全な原発」と言って発電所を持って来たのである。それも口の重たい純真素朴な人々の住む場所にである。そして発電された電力は遠く電線で東京に運ばれていくのだ。
・ 第一「原発は安全、安心」と声高に言うところが「原発は危険なもの」だということの裏返しではないのか。最低限でも非常用発電機は高台に設置しておかねばならなかった。これさえやっていなかったのだからどう考えてもおかしい。