2011年4月9日土曜日

23年4月9日(土)勤務開始時刻




・ 東日本大震災義援金募金について昨日の結果の報告を受けた。予想通り芳しくなかった。その理由として春季例祭・始業式当日であったことと放課後には雨が降っていて動員できなかったことが考えられる。

・ 先生方も始業式と言うことで募金しようにもそのタイミングがなかったとも考えられる。そこで高校教頭、自治会担当教諭とも相談し11日(月)に「ファイナルの募金活動をする」ことを決めた。

・ 6日の入学式においては生徒数784名に1,2倍の保護者として総計1724名が対象で募金総額がX円だった。それに対して8日の始業式には中学2,3年生と高校2,3年生、教職員139名を考えると母集団は1400名となる。

・ これを昨日の募金総額Y円で割ると一人当たりの数値が出てくる。Y÷Xは28.3%となった。8日は6日に比べて3割にも満たなかったのである。これは異常に少ない数値で看過できないと私は判断した。

・ 確かに始業式には保護者はいないし、又入学式で喜ばれている新入学生の保護者とは「財布の紐の緩み方」も違うだろうから同じには行かない。しかしそれでも少なかった。これではいけない。

・ 今朝になって数人の教員に聞いてきると「募金をしていない先生」が結構多かったのである。朝忙しかったのであろう。従ってファイナルチャレンジをすることとしたのである。募金のゲームをしているのではないことくらいは分かっている。

・ しかしだ。今日本全国といわず世界から義援金や救援物資が被災地に向けられているのだ。教師を生業(なりわい)としている人々に募金の機会を設けることは私の責任と考えた。金額の多寡ではない。「教師としての矜持」を一生懸命声を張り上げている生徒の前で示して欲しいのである。

・ 昨日高校教頭に指示していた朝の勤務開始時刻の遅い教員のリストが出てきた。本校は全教職員にパソコンを渡しており校内のイントラネットで「誰が何時勤務開始したか」がすぐ判明できるようになっている。

・ 8時25分始まりが就業規則だから20分前には当日の仕事の準備に入るよう正門をくぐって欲しいと目安を立ててそれで全勤務日数で8時5分以降に勤務開始とした数が50%を超えている教員を調査したら何と19名も居るのである。ひどいのになると5分前というのもあった。

・ 私はそれらの教員を部屋に来てもらって「注意を喚起」した。後5分程度早く学校に来られないのかとも申し上げたのである。私は社会の一般常識は勤務開始前30分だが本校では20分と幾分緩和する。従って8時5分となるのである。

・ 時間にルーズな人間と思い上がった人間と二つのタイプがある。問題なのは後者の方である。自分は分掌業務や多聞講習、部活などで何時も頑張っているから朝は「朝は遅く来ても良いんだ」と思っている輩である。トンでもない話だ。

・ 仕事の能力と就業規則に準じることとは別物のである。勤務開始時刻とは100%状態で突入する時刻のことと言い、授業の3こま目から本番です」では世の中は通らない。朝早い授業を受ける生徒が迷惑である。

・ こういうところにだらしない教員の「生態を見る」ことが出来るのである。言う私も辛いが今言っておかないと「凛とした職場風土」は出来ない。時間にだらしない職場は荒れていく。私はそれを知っているだけに許せないことがあるのである。

・ 今年着任した某常勤講師の小論文を転記しよう。かれは浪速高校の印象を下記のように述べている。参考までに転載したい。

特に印象に残っているもの上位3件

・1月6日 浪速始動開始

 新年の業務スタートにあたって伝えられた「業務への姿勢」、「教職員に送りたい木村語録の一部」を拝見させていただいた際に、私はこの学校の「生徒たちのために一丸となって取り組もうとする姿勢」を感じました。

・1月29日 連日の国旗国歌問題について

 私は、自分たちの世代の多くは、直接「国旗」「国歌」に嫌悪感を抱いたりはしていないと感じています。ただ、自分が生徒だった頃に、小学校や中学校の先生方の対応や問題  意識を目の当たりにして、国旗国歌問題に関して敬遠している面は否めません。自分の中のこのような意識を再認識できたことが印象に残っています。

・3月8日 義理と人情

 自分の中の「義理人情」「恩義に感じる」「恥」などの概念がまさに薄れていっているのを感じてしまいました。自分は世代として教えてもらう機会が少なかったことと、最後に書かれている教員社会に染まりつつあることが、ともに危機感を覚えました。

1月6日 浪速始動開始 について

 校長が何を考え、何を教職員に期待しているのかということを伝える。これでもか、これでもかとその意思・意向を公(ネット上)にも示す。まずこのことにとても驚きました。これまでの私の勤務地では、トップが何を考えているのか不明瞭だったり、具体的な指針が示されず理念だけを仰々しく宣言し、教職員の動きがばらばらであったりと、今にして思えば組織として行き当たりばったりの状態でした。頭がしっかりと命令をしなければと手足は、どう動いてよいかわからず怪我をするのは明白なのですが、それができない学校現場は多いと思います。大学卒業当時、教育という重大な使命を請け負った組織が、こんなにもずさんなものだとは思いもしませんでした。また、公に発信することで一貫性が見えている点も、本来組織として当たり前だと思うのですが、外面と内面が異なる職場を  経験した自分には新鮮で、この4月から浪速高等学校で働かせてもらえることに、様々な経験をさせてもらえることに感謝すると共に、期待に胸を膨らませています。

 「教職員に送りたい木村語録の一部」では、常々自分が感じていて自分の信念と同じで納得する部分と、自分に足りないものに気付き改善しなければならないと思った部分があります。
自分の父も教員であったせいか、母にはよく「教師の常識は、社会の非常識」と言い聞かされていまして、この世界で仕事をすることになったときにも念押しのように言われました。「あなたはそうならないでね。」という助言としてだと思います。実際に教育現場へ出て大いに実感しました。立派な社会人とはとても言いがたい先生が、いったいどれほど多くおられるのか、そして、立派な社会人である先生が本当に少なく感じます(今まで経験した職場に限った話なのかもしれませんが)。その点、「少なくとも本校の教師に限ってはそのようなことは言われたくないのです。」と記事にあり、はじめて社会の常識を学べる機会を与えていただけるのだと感じ、こういう機会はこの学校のみならず、教育界全体にあって欲しいと思いました。

 社会人として最低限必要な条件「挨拶のできることと礼節がわかっている」という記事には、ギクリとしました。挨拶に関しては両親の教えをベースに部活動で徹底的に叩き込まれその大切さは身にしみています。ただ、礼節がわかっているか、と問われたときに、自分は自信を持って肯定できませんでした。自分はまだまだ世間知らずで失礼な事が多々あるように感じます。「上司への年賀状の出し方、年賀状の意味」この記事を機会に色々と調べることになり、勉強になりました。

 若い世代の教員には「自分の仕事があるという幸せ」が本当の意味でわかっていないと思う、との記事の「若い世代の教員」という箇所には多少の疑問が湧きました。当時の   浪速にいた若い世代の教員に限定するなら、その先生方を知らない私は何もわからないので、疑問は解消されるのですが、浪速に限定しない若い世代の教員が「わかっていない」とするなら疑問が残ります。「仕事があるという喜びは人間としての存在意義の根底」とおっしゃるのはまったくそのとおりだと感じますし、講師ゆえの考えなのかもしれませんが、講師採用の決定通知をいただいたときに「次の1年も先生ができる・仕事ができる」と大いに感謝し、安堵しました。若い世代の教員でもこの幸せをかみ締め信念を持って仕事に取り組んでいる人はいるだろうし、逆にベテランの世代の教員のすべての人が「仕事のできる幸せ」をわかっているとも思いません。世代の問題ではないと思うのです。

 「大切なことは校長は何を考え、何を教職員に期待しているのかということを伝えなければならないのです。」これは自分のような社会を知らない人間にとって非常にわかりやすく、浪速は本当に仕事に取り組みやすいだろうと感じました。しかし、これが組織の本来あるべき姿であると思いますし、「校長の中には自分の言葉で語ることをしない人が多い」この今の教育界の現状が恐ろしくもあります。