2011年4月14日木曜日

23年4月14日(木)23年度本格的に始動「校長の説明責任」


1年生学年委員長を任命

・ 新入生にとっては初めての「朝礼」であった。本日は中学生は対象外で高校生だけの朝礼である。入学式から丁度1週間で大体様子が分かってきはじめた頃である。しかし1700名の高校生集団は一見の価値がある。

・ 今年の1年生は中々分別と言うかおとなしいと言うか朝並ぶ時にも私語が少ないような気がする。私は先の義援金募金活動について生徒達に礼を言ってその労をねぎらった後に数点の注意を喚起した。それは駅から学校までの「登校時のマナー」についてである。

・ 1700名の集団がクラブの朝錬の生徒を除いて朝の8時10分頃から25分頃に「塊」となって阪和線我孫子駅、南海高野線「我孫子前駅」、そして地下鉄御堂筋線「我孫子」から次々と正門を目指してくる。中には自転車通学の生徒もいる。

・ 3方面から正門目指して歩いてくる様は相当な迫力がある。しかし道路は占有され、一般道路はまるで浪速専用道路となって、一般のお方の通行の妨げになったりするのである。肩が当たったり、又自転車に接触したりしないほうがおかしいくらいである。私は本日生徒に対して通行時のマナーについて詳しく過去の事例を挙げて注意を喚起した。

・ 朝10時、入試広報室員に集まってもらって昨年度の理事長としての総括を説明し今年に期待する点を述べた。今入試広報室メンバーは強力な布陣であり極めて頼もしいが先行きは楽観とは出来ない。去年と同じでは駄目だと述べ、新たな切り口で今年も頑張って欲しいとお願いしたのである。

・ 11時出入りの物品調達会社の会長さんが来られ24日に予定している玄武館道場開きについての引出物の最終確認を行った。結論は「文字入りの文鎮」としたのである。これは3月13日の浪速武道館の竣工祭が学校法人として行われたが弓道部と保護者会が主体で「道場開き」を行うためのものである。
・ 正式に「弓馬術礼法小笠原流古式」にのっとって行われるもので「誕生蟇目の儀」(たんじょうひきめのぎ)と言うらしい。世の弓道場はすべてこのようにして道場開きが行われるらしい。
・ 従って玄武館も後で後悔しないように手を抜かず世間一般がするようにしなさいと私が水を向けたものである。「祝射」「答射」とあって中々威厳あるものとなっている。射場の天井には地鎮祭の御札が納められており極めて神社神道の精神に近い弓道だけに学校法人としても応援してやらねば困るだろうと思っているのである。
・ 錬武館の空手道部も尚武館の剣道部もそれぞれ必要な形作りがあれば「したら良い」と私は言っている。「杮落とし」は大震災で自粛したが、個別にやるのは構わないと申しているのである。

・ 随分先のことになるが舞と筝曲の「縁の会」と言う団体が12月頃に山本能楽堂で計画している「地唄舞」の発表会に本校の雅楽部に出演して頂けないかとの話が出てきてその責任者が本日学校に見えられた。
・ お話は大変嬉しいのであるが高校生のクラブ活動でそれも有料の発表会に出演することは果たしてどうなのかという問題も感じる。又その会は入場料が必要である。昨年浪速吹奏楽部の一部が浪速スイングガールスとしてジャズの大会に出演した前例もあるがこれは府の補助金を得た青少年育成という大義名分があったのである。
・ 私はどうしようかと悩んでいる。もしこれが無料で本校の浪速武道館を使ってくれるのであれば二つ返事でOKするのであるがとにかく悩ましい。

・ 本日は新年度になって初めての本格的な職員会議の日であった。4月1日にも概要を急いで説明したが本日改めて「改定新経営計画」について説明した。これは極めて重要なものであるから私は徹底して教職員に説明責任を果たしたのである。
・ 合わせて新年度にあたり業務遂行において「留意すべき点」について言及したのである。仕事の成果は勿論重要であるが、組織であり「業務遂行のスタイル」が組織人として時には重要であるとも言える。
・ 幾ら能力が高くても業務を遂行する態度が集団の中で目立って劣っていればそれは問題であるとの認識から私は数点について先生方に考えて欲しい旨申し上げたのである。


教職員各位                       平成23.4.14(木)

       平成23年度業務執行にあたって教職員に期待する事項

                            理事長・校長 木村 智彦

1 期待する業務遂行姿勢について・・・その考えの底流にあるもの

* 立派な教師とは立派な社会人から生まれると信じている。社会人として駄目でも教員としては立派というのは120%有り得ない話である。まず学校の先生である前に立派な社会人であることが必要である。

* 社会人としてまず必要なことは「仕事を持ち仕事が出来る」ことだと思う。仕事の対価が報酬であり、それで生計を営む訳である。プロの職業人とはそういうものである。以上は当たり前のことで論を待たない。

* しかし社会人としてより重要なことは「礼節が分かっている」ことである。「マナー」と言っても良い。これは業種を問わない。まず全てはここから出発する。人間の魅力はその人間のマナーから来る品格からにじみ出るものであることは間違いない。品格ある教員によって品格ある教育はなされ、それが品格ある学校へと繋がる。

* 教師であることとは単なる肩書きであり、有している資格だけの意味である。世の中に一見教師風、教育評論家は山ほど存在しているが果たして「本物の教師」は何名いるのか。特に今日では誰でもが教師足りうる時代である。自らに恥ずかしくない教師像を追い求めて欲しい。教師にこそ「高い志」が求められる。

* その為にはまず「謙虚さ」が必要であるし、一生涯勉強し続けないといけない。案外と先生といわれる人の中には教養が深くないし知識経験が少ない人を見かける。それは勉強しないし学習しないからである。これでは立派な教師とはなりえない。単なる教員すなわち教える人の員数でしかない。

* 明るくあること。又生涯身だしなみには気をつけること。そして何事にも感謝を表さねばならない。感謝の表現があるところにはどんな境遇でも陽が射し機会が回ってくる。厳しくされたら期待されていると思った方が良い。期待していない人間には人は厳しくしないものです。まだ成長すると思えばこそ厳しい指導があるものだ。

* 何事も自分でやろうとしなければならない。特に教職員においては部下に仕事を回すということはその業務形態から考えて有り得ない話である。教師とは生涯自分自身を鍛え続け、自ら手を下して率先してやらなければならない業務形態の中で生きていくものである。分掌の長とは円弧の中心にいる人のことを言う。

* 出来ないと諦め自身を袋小路に追い込み、自滅することは結局大いなる損失であり、誰も評価しない。困った時は素直にギブアップのシグナルを親しい友人や管理職に伝えねばならない。人の能力にはそれぞれ特徴があり誰もが同じようなアウトプットとなることは無いのである。評価は他人がするのである。

* 若い世代の教員には「自分の仕事があるという幸せ」を感じて欲しい。人間にとって生涯を通じての仕事があることほど幸せはないのである。仕事があるという喜びは人間としての全ての存在意義の根底である。自分の仕事を大切にして欲しい。そして仕事を通じて自己実現を図って欲しい。仕事のストレスは仕事を通じて以外に解決の方法は無いと思う。「我慢と忍耐」が人間を大きく成長させる。

2. 出勤時間について

* 8時25分始業ということは8時25分から100%状態で本来業務に入るということである。服を着替え、今日の時程を再確認し、教材の準備や用意もある。上司同僚への確認事項や時間割変更があるかどうかをチェックする必要もある。それに昨夜自分が帰宅後に受信されたメールの確認もある。そのように考えたら遅くても8時10分には席についておくことが勤労人として常識だと思う。勤務にルーズな組織はすでに腐敗している。

3. 組織を円滑に回転させる要諦とは:

* 人間関係論的には   3K:「言葉使い」「気配り」「心配り」、
  組織論的には     ホウレンソウ:「報告」「連絡」「相談」