2011年7月30日土曜日

23年7月30日(土)球界も学歴社会?




・ 身長190センチの巨体から繰り出す速球がトレードマークだった「伊良部秀雄」さんが死去した。新聞各紙やテレビが詳細報道している。今や無名の元プロ野球の投手にここまで記事を書かせるのは伊良部さんの力だと思う。それくらい話題豊富な人だった。
・ ロッテ時代にこれも今や「過去の人」になっている状態の「清原和博」さんとの速球勝負は私も目にしたことがある。今でも語り草になっている。憧れていた大リーグのマウンドにも名門ヤンキースのユニフォームを着て立った。

・ その素晴らしい球暦を残した伊良部さんがロスアンゼルス郊外の高級住宅街の自宅で自死したとの報道であった。このニュースを最初に聞いた時は死亡の原因は書いていなかったが、とっさに私は病気による急死か自殺かな思った。しかし今朝の記事では自殺の可能性が高いとあった。

・ 日経の記事には球界の「しのぶ声」として楽天の「星野監督」と前述した清原和博氏がコメントを寄せている。私はこの内容に注目した。まず星野監督は「・・・本当は繊細な奴で野球の話をしたら止まらなかった。指導者をやりたかったんだな。・・・」とあった。
・ 一方清原さんは「たくさんしのぎあいをしてきました。だからすごくつらいです。悲しいです。苦しいです。悲しすぎます」と記事にあった。特に星野監督の言葉の中の指導者云々に私は捕らえられた。

・ このコメントは日本球界では伊良部さんのような個性派は排除され、決して野球のコーチや監督などにはなれないということの裏返しのコメントではないか。私はこのように思った。

・ 清原さんのコメントで言えば彼独特の「感情一直線」のコメントで私は其処に清原さんも日本球界から新たなる席を用意されない悲しみを訴えているような気がするのである。辛い、悲しいと言う言葉は自分自身への言葉としてもとらえられるのである。

・ 最近清原さんが母校のPL学園のある富田林市を野球部の旧友と学校や恩師、昔の行きつけの店とか散策するテレビ番組があってたまたま私はそれを見ていた。番組の最後の方で清原さんは旧友に向かって「見とれ、ワイはこのままでは終わらへん。皆見とれや、今に復帰してやる」に近いような決意を語っていたがその時の顔は鬼気迫るものがあったように感じた。

・ 然し清原さんの野球界への復帰は難しいのではないか。その昔私はブログで清原さんが出版した「男道」という自伝本みたいなものについて言及したが、私はこの本を読んで「ああ、これで清原は野球界では死んだな」と思ったものだった。

・ あれほど球界の盟主たる巨人の批判をして野球界に復帰できるほど日本の社会は甘くは無いのである。ここに清原さんの限界を見たような気がしたのである。伊良部さんも清原さんも現役時代はトラブルメーカーであった。

・ 少なくとも優等生ではなかった。伊良部さんは覚醒剤や酒を巡るトラブルもあったし球団首脳部との軋轢は当時有名であった。清原さんも女性問題など常に周辺は騒がれていた。しかしそれでも実力から多くのファンを魅了した。

・ 恵まれた身体と類稀な才能に恵まれ一流の成績を残しているにも関らず日本球界は彼らの才能をコーチや監督として現役選手に活かそうとはせずに完全に放置したままであった。そして伊良部さんは42歳であの世に旅立って行った。
・ これと同じように私は近鉄時代の「野茂英雄投手」のことも思い出す。この大阪生まれの大投手を日本球界は同じように活かそうとはしていない。今日の大リーグでの日本人選手の活躍など日本の野球をグローバル化した最大の功労者でもこのさまである。

・ 野茂投手も球団首脳部と大きな軋轢を残して海を渡っていった。更にもう一つ典型的な例を上げよう。「江夏豊」さんである。この天才が成し遂げたあの「オーススター連続9三振」で有名な大投手である。しかし現役引退後は球界の指導者と言う舞台に立てていないのである。

・ 最近自身が経営する会社の倒産で4億円もの負債を背負った元阪神タイガースの主砲だった「掛布雅之」さんも現役引退後の処遇はかなえられたものではなかった。このような例はまだまだ幾らでもある。

・ 私が言いたいのは「名選手必ずしも良い指導者たらず」ということではない。そんなことは当たり前である。立派な領主や経営者の2代目が「ぼんくら」であるとかは古来から人間社会の常であった。

・ 私が言いたいのは直球流に表現すれば「ここに上げている人物はすべて高卒」だと言うことである。「エー、実力勝負のプロ野球の世界に学歴が関係あるの?」と指摘されそうだが私の見方は関係有ると断言したい。

・ 現役時代は中学卒だろうが高卒だろうが関係ない。腕一本の勝負の世界である。ところがだ。現役を引退したらもう腕一本とは言えずにマネージメント、指導技術、後輩から慕われるなどの人間性、何よりそのチームを率いていくだけの能力識見など「トタールとしての人間性が要求されてくる」のではないか。

・ 従って中卒だから駄目、高卒だから駄目とは言わないが、プロ野球チームも一つの会社組織であり、その重要な部門の責任者となるとやはり結果として「学歴がものを言う」ようなことになっているというのが私の視点である。

・ 学歴と言うより学歴に裏づけされた「人間の成長」「人間の味わい」「人間としての蓄積」みたいなものだろうか。勿論中卒、高卒でも立派な方は多くられるがプロ野球と言う実力勝負の世界だけに現役を引退した後には大学卒という学歴が大きくのしかかっていると私は思うのだが、この見方は間違っているだろうか。

・ 今や殆どの選手が大学野球で活躍した選手である。勿論並外れた才能で高校卒業と同時にプロに進み素晴らしい成績を上げている「楽天の田中投手」など多くいる。一方田中と同年齢で早稲田大学に進学し今年鳴り物入りで入団した「日本ハムの斉藤選手」もいる。

・ この二人が現役を引退した時に日本プロ球界はどのような処遇をするのであろうか。私には見えるような気がする。斉藤は指導者の道が用意されるのではないか。果たして楽天のマー君はどうなっているのだろう。

・ 教育界というところは「大学卒ばかりの人間集団の組織」である。学校の先生と言うのは学歴は大学卒ということの認識しかないのではないか。大学卒ばかりで組織を構成するような組織は学校以外には無い、珍しいものである。

・ 日本の企業、それも大、中,小、小売業も様々な学歴の集団である。今騒がれている相撲界もそうだ。サッカーもなでしこジャパンもそうである。教育界のみが大学卒の集団であるだけに私は伊良部さんの死去のニュースを聞いて複雑なものを感じたのである。

2011年7月29日金曜日

7月29日(金)50歳代の教員





・ 写真は今朝の朝刊に出ている記事である。「教員3人に一人が50歳以上」「ベテランの経験伝承課題」「いびつな構成、どう対応」とかの見出しだ。これは2010年の文科省の「学校教員統計調査」で判明したものである。
・ 要は学校の教員の3人に1人が50歳代ということで「危機感みたいな」論調の記事なのである。平均年齢も過去最高とかで「中学校が44,2歳、高校は45,8歳、小学校は44,4歳」だという。

・ しかし私に言わせれば「それがどうした!」と言いたい気もする。60歳定年の教育公務員で50歳台といえば「働き盛り」である。知識も経験もあり、定年までの最後の10年間をお世話になった教育界に「最後の恩返し」と頑張って貰わねばならない年齢だ。

・ それが記事に拠れば「今までは30代―40代が中心だった仕事を50代もやらざるを得ない」とか「部活動や生徒指導が特にきつい」とか「50代は生徒の父親より年上になってしまう」とか言っているがトンでもない話だ。

・ 「授業研究、新人教育をリードする中堅が少なく苦労している学校が多い」とか書いているがこの50代と言うのは授業研究とか新人教育など全くせずに好き勝手に生きてきた連中だという声もある。

・ 大体別の会議室では定年延長などを叫ぶなら50代はまだ発展途上だと何でも率先して校務分掌や生徒指導などせよと言いたい。しんどかろうともそれを口に出して言うなって。それを言っちゃ、おしまいよ。

・ 都合が悪くなると「50にもなれば体力が持たない」とか言うが体力がないなら辞表を出して毎日庭の草むしりでもしたらどうだ。ゴルフとかパチンコとか遊ぶことは大事にするくせに学校の業務はしんどいとは何事か。

・ 又ベテランの経験伝承が課題と言うがまったく見当違いだ。50代の経験が学校を悪くしたという声もある。そのような経験を伝承したら大問題である。そういうものはビニールに包んで淀川に沈めて欲しい。

・ 職員会議の合意を隠れ蓑にして「しんどいことは嫌だ」と学校の進化を阻害してきたのも50代の連中だ。彼らが「抵抗勢力」であったし「守旧派」だった。若い先生の意欲を阻害し成長の芽を潰したのもベテランと言われる連中だ。
・ 良く伝承、伝承というが大体何を伝承しようというのか。ムードに流されずじっくりと考えてみよ。ベテランが新人に伝承する物って一体何なの?という疑問が出てくる筈だ。教育は製造業(メーカー)ではないのだから「熟練した秘蔵の腕」などは無い。

・ 校長の指示を受けて「学習指導要領」に準じて適切な「指導計画」が出来ていれば基本的に務まる筈である。そのために「国家試験の資格」を有しているのであろう。教え方が上手いとか上手くないとか言うけれどもそれは聞きたくない話だ。

・ 教え方が上手いと言う前提で我々は雇用しているのだし、それは当に「自己研修」「自己努力」「自己開発」の範疇であって人知れず努力して貰わねばならない。ペーパードライバーだろうが、運転は下手ですと言って開き直られて、そして運転して事故をしたらその人の責任だ。当たり前の話である。教員も全く同じことだ。

・ とにかく教科を教えるという線までは新人だろうが50歳代だろうが「給料の範囲内」だからやって貰わないとそれは給料泥棒となる。課題はこの最低基準線から「後どれだけ上積みできるか」かどうかが「評価のポイント」だ。

・ 上積みとは、分かり易く言えば「生徒の為にどれだけ自分の時間を犠牲にしているか」だと私は思っている。良い悪いを言っているのではない。生徒の現状と希望に応じてどれほど「生徒との関りの時間」を使っているかということだ。

・ 若い教員は私生活がないほど学習指導や部活指導にのめりこんでいる。これも時にいささか「やり過ぎ」と思うときもあるが生徒一緒に汗を流して頑張ってくれている姿を映画のワンシーンみたいに遠くから眺めてみると「教師の真骨頂、ここにあり」という気がしてくる。私はそういう教員がいとおしくなってくる。

・ ところが50歳代の教員の中には「腰が痛い」「しんどい」とか言って休日、日曜日は「静養の日」と言って学校に出てきた験しはない。自宅で静養でもしているのかと思えば案外、これが外で好きなことをやっているのである。

・ 要は教師と言う仕事に「倦んできている」のだと思う。飽きてきており情熱が湧いて来ないのだと思う。従ってまず「時間休」を容易に取得する。どうも見ていたら学校には居たくないと言わんばかりである。

・ 私は公立教員にも50歳代の何処かの分岐点で「教員生活の複線化」を用意すべきだと考える。例えば55歳で道が分かれるのだ。「フルタイム教員とハーフタイム教員」だ。名前などはどうでも良いが要は55歳で分掌や部活指導などから解放してあげる職位を用意してあげるのである。

・ フルタイムは若い者に負けず全てをこなす、こなしたい教員の道として処遇を今以上に改善しなければならない。その財源の原資はハーフタイム教員のものを持ってくれば良い。ハーフタイム教員は基本的に「授業のみ」だから非常勤講師的扱いとなるが身分は公務員でも良い。朝遅く来ようが授業が終わればすぐ帰って「パチンコ」に行っても良いではないか。

・ 実は本校では既にこの考えを取り入れて3年が経った。大きな効果を生み教員の「新陳代謝」が大幅に進んだ。65歳定年であるが60歳で「選択定年制度」を制度設計した。フルタイムとハーフタイムの分岐点である。

・ 又「理事長審議事項」として55歳からも「準ハーフタイム」制度を運用している。これはお体の無理が利かなくなった先生への温かい処遇であり、一旦退職はして貰うがすぐ「嘱託教員」として再雇用するのである。

・ 年間給与は下がるが時間は自由であり、また特別措置として「職員会議への参加」「部活指導」「遠征等の出張手当支給」など様々な特典を用意している。今年の4月からはベテラン50歳代の教員が二人もこの道を選択し、今まで以上に明るいお顔で頑張ってくれている。

・ 50やそこらでしんどいとか言うならそれは肉体ではなくて精神ではないのか。私立も公立も学校改革が進み、自分の座っている席の「すわり心地が良くない」のである。今まで自分が好きなようにしてきた職場環境が様変わりしつつある動きについていけないのである。

・ 今日私は高校1年生の英数国の特別講習の激励に行って来た。3人の講師と1人の付き添い教員は「元気一杯、充実感に溢れて」生徒の為に頑張ってくれていた。朝は7時から夜は24時まで二泊三日の学習合宿である。生易しい仕事ではない。

・ 多聞はそれなりの技量と人格を有した教員を私は当てはめている。年齢ではない。やる気と努力だ。これは生徒も教師も同じことである。本校は専任教諭60名の内50歳代は8名であるから公立とは違って3人に1人ではなくて7人に1人だ。

・ 平均年齢にしても高校の平均年齢は37歳だから公立に比べて9歳も若い。こういう職場だからベテランが何を言おうと簡単には意見など通らないだろう。若者の目がベテランの動きを凝視しているからである。

・ 今年は入ってきた18名の常勤講師の先生は「本当に働き易い職場」だと言ってくれている。それは同世代の意欲に燃えた若い教員集団が刺激を与えていることは間違いない。人は年齢ではない、精神の持ちようと誰かの詩人が詠ったがその通りである。

2011年7月28日木曜日

23年7月28日(木)神社奉仕









・ 今朝出勤して直ぐに私は次のようなメールを全教職員に発信した。
 “前略 昨日自宅に帰宅したら某常勤講師の恐らく母君だと思うが季節のご挨拶の品物が届いていた。全く見知らぬお名前で当方は怪訝に思うと同時に大変困惑した。送られた場所とその姓から想像したが本校の常勤講師であることは間違いなかろう。ご本人が母親の名前を使って送ったものかどうか知らないがこういうことを絶対にしてはならない。「本校では教職員間の付け届けなどは絶対禁止事項」としている。即刻ヤマト運輸に「受領辞退」で送り先に返送する手続きを取った。今後こう言うことのないように。又「保護者からのいわゆる中元等の類も受領禁止」である。送られてきたものは「受領辞退」か、事務室に持参して返送の手続きを取ること。上記について管理職は徹底のこと。”
・ 上記メールを読んだのであろうが、私の想像した通り一人の常勤講師が部屋に入ってきて恐縮していた。私はやんわりと指導したのである。「本校はそういう学校ではない」と。一般教員や常勤講師が上司即ち管理職や学年主任、類コース長などに季節の贈り物をするような学校になったらその学校は「お仕舞い」だ。そういう時代ではない。
・ お母上も息子がお世話になっている学校と言うことでこのようなことをされたのであろうが、どちらかと言えば当方がしなければならないくらいのものだ。親族縁者ならいざ知らず息子の勤務先の幹部に物を贈る必要はまったく無い。

・ 時々このようなことがある。数ヶ月前にも専任に採用した教員の母親からさもくれてやろうと言わんばかりの品物が届いたことがあった。あの時は「憤激」したものだった。「なめるな」と言いたいところもある。

・ 去年か一昨年大分県で起きた事件はまさしくこの構図である。教育委員会の幹部に付け届けをして採用してもらったり管理職にしてもらったりするような「民度」の低いのが案外学校社会なのだ。本校は絶対にこのような学校にはしない。


・ 部室周りの工事が順調に進められている。公的な検査は昨日の時点で終了した。後はこまごまとした周辺工事である。今日は「階の木」が植樹された。そして「さざれ石」が正式に設置された。土間のレンガの埋め込みも今日からスタートした。想定を超えたスピードである。

・ 8月22日に理事長完成検査と決めているが早めても良いかもしれない。又隣地は墓地なのでこの際私は「遮蔽の壁」を設置した。武道館や部室周辺に来た人の目にお墓が目に入るのもどうかなと思ったのである。それにいくらかでも学校の騒音を消したいと考えたからである。

・ 又今まで校庭のあちこちにあった「記念碑」の類も一同に集めて設置した。これで諸先輩が残された碑も息を吹き返したことになる。喜んでいただけるのではないか。それぞれの時代、時代の思い出が詰まったものだから処分と言うわけには行かない。

・ 中でも第七代校長の平石芳太郎先生を顕彰する記念碑は未来永劫大切にしなければならない。大変立派な校長先生で私は別格と思っている。この先生の事は別途「本校の歴史」で詳細記録に留めたいと思っている。


・ 午後から私は「神社奉仕」で頑張っている生徒の激励に出かけた。場所は阿倍野区にある「阿部王子神社」である。生徒25名と教諭1名が本日奉仕してくれている。この神社はかっては安部王子神社と言い熊野神社の分霊者である九十九王子の一つである。

・ しかし陸渡御は今や「自動車行列」となっており、神輿の移動は車を使い、お旅所で下ろして今度は本校の生徒が担ぐのである。ここのまま行くと何十年後には神輿を担ぐ若者も今以上に少なくなるから、このような日本の伝統行事が生き延びて行くのか、いささか気になっている。
・ 私は生徒に「お昼は食べたか」などと聞きながら生徒の顔を注意深く観察した。今日は暑い日であったが25名の生徒は皆元気で安心したのである。とにかく「神幸順路」の地域がとても広くてこの神社のご奉仕は重労働であることは間違いない。

・ 私はかねてから存じ上げている宮司にご挨拶し、生徒に頑張るように激励した。お祭りの関係の皆様から「今年の生徒さんは素直だし良く働いてくれる」とお褒めの言葉を頂いた。こういうのは本当に嬉しいものだ。



・ お茶室洗心亭に伊勢修養学舎で内宮さんから求めてきた掛け軸の「天照大御神」のお軸をかけた。琵琶棚の小さな「さざれ石」と共に本校のアイデンティティを示すこの軸は未来永劫この部屋を息吹かせてくれるはずだ。

・ 当初考えも及びつかなかったが禊ぎの途中で「そうだ。天照大神様の掛け軸だ」と思ったのである。杉の板戸には「古事記の世界」が彩色豊かに描かれている。もう一つの板戸には「大祓詞」が墨痕鮮やかに書かれている。

・ 隣の大広間では雅楽の音色が鳴り響く。当に洗心亭は完成されたものになった。「古事記」「大祓詞」「天照大御神」「さざれ石」4点セットの完成なのである。私は10月29日(土)「お茶室開き」を行う。大阪中のお茶人をご招待して「一大茶会」を催すのだ。秋も忙しくなってくる。頑張らねばならない。


・ 大変お世話になっている大阪天満宮の神職のお方の父君が亡くなられ先ほどお通夜から帰ってきた。正式には「通夜蔡」という。神社神道の学校に勤務して以来このような神式の祭事が極めて多くなった。色々と勉強になる。


2011年7月27日水曜日

23年7月27日(水)天神祭














・ 「伊勢修養学舎」が終わっても公私の境目のない用事がある。結構学校関係者には公私の境目のはっきりしない仕事は多い。特に管理職となれば尚更である。例えば25日の天神祭である。
・ 日本三大祭りとして知られるこのお祭りは本校の名誉理事長である寺井宮司がご奉仕されている大阪天満宮のお祭りである。本校は神社神道の学校であり、実質的な経営母体は大阪府神社庁でありその丁長が大阪天満宮宮司である。
・ 従って極端に言えばこの天神祭は本校とも密接な関係のある夏祭りである。その証拠には延べ100人の男子高校生が神社奉仕としてお祭りに参加している。具体的に言えば「神輿」を担ぐのである。陸渡御、船渡御の神殿の最も近いところに居るのは本校の生徒である。

・ この1000余年の伝統を誇る日本屈指の夏の祭典である「天神祭」に私も教職員をつれて参加した。本校の名誉理事長である大阪天満宮の宮司から「船渡御」に参加するための招待状が8枚も送られて来たので、私は丁度伊勢に行く前だったが急遽参加者を決めた。これは公的業務であろうか、私的なものであろうか。

・ 大阪天満宮が創建された翌々年の天暦5年(951年)に始まったこの祭りは今や大阪と言うより日本を代表する夏祭りであるが24日が宵宮祭で25日が本宮祭という。特に25日の夕方から始まる「船渡御」は祭りのクライマックスで夜空に光る花火と共に大川の周辺を明るく浮かび上がらせる。
・ しかし案外大阪に住んでいてもこのお船に乗って船渡御に参加した経験を有した人は少ない。これ位このチケットはプレミヤものなのである。教職員は伊勢修養学舎があったりクラブの合宿や練習試合などあってメンバーは結局都合のついた女性教諭7名と男子職員1名の8名で特別船に乗船した。

・ 船と言っても屋形船で脚の伸ばせる掘りごたつ形式となっておりエアコン、マイクなどが完備され天満宮の神職が一名ついて何かと説明をしてくれる。飲み物と食事つきで弁当は一流料亭のものであり、確かに美味であった。

・ メンバーすべて初めての経験と言う教員を選んだが、全員が「浴衣姿」であった、中にはこの日の為にわざわざ購入した人もいた。私はこのようにして「神社神道の学校の教職員として自覚と決意」を高めて欲しいと思っていたが、どうやらその目的は達した模様であった。皆さん大変喜んでくれて良かったと思う。


・ 昨日建設工事中のカフェテラスとクラブ部室の大阪市建築検査と消防検査が無事に終了した。指摘事項は全くなくこれで公的には検査終了である。今後は植木の植栽とか周辺のこまごました調整工事がある。

・ 今日は理事長職務代理の南坊城先生が学校にお越しになり工事現場を親しくご視察頂いた。宮司は「階の木」が枯れそうだと心配されていたが傍に居た植木屋さんは「新芽が出てきていますよ」とさらりと言っていた。

・ しかし見事な出来栄えである。だれもこれを生徒の使うクラブの部室とかお茶を飲んだりするカフェテリアだとは思うまい。ちょっと豪華過ぎた感じだ。しかしこれで良い。競争激しい生徒獲得競争にある。「教育環境の整備は私学経営者の覚悟と決意」を見せ付けるものでなければならない。

・ 公立は今年の入試結果から進学実績上位校の定員を増やし、今年定員割れした学校の定員を下げると言う。もう何でも有りで公立の生き残りをかけて勝負に出てきた感じだ。定員と言う「伝家の宝刀」を振りかざして公立:私立の割合をキープしたいのだろう。

・ しかしこれは如何なものか。こういうことをすれば「市場競争にならない」。何時までも公立の定員と言う臨界数値を振りかざせば、公立の定員割れと言うのはなくなる訳がない。なんてことはない。私立の上位層をかっさらって取ろう、私立も少しは教育進度の遅い生徒の面倒を見てねということではないのか。

・ まあしかし今更言っても始まらない。与えられた土俵で頑張るしかない。泣く子と権限を有した者には勝てないのだ。私は今朝の管理職朝会で指示した。来年度入試から思い切って「奨学金支給制度」を拡充することにした。私学が最後に出来うる「勝負手」である。


・ 又昨夕は八尾のプリズムホールに出かけた。「第50回大阪府吹奏楽コンクール地区大会」に本校が出場するからである。今まで何かとかちあっていて応援に行けなかったが今回は時間が取れたから是非にと思って急行したのである。

・ この会場は昔本当に良く行ったものだった。5年ぶりに見る会場だった。残念ながら結果は銅賞に終わったが私の見る目、大変良い出来であったと思う。着任時ほぼ壊滅状態だった吹奏楽部を特別支援クラブとして認定し私は毎年300万円づつ支援し4年間で1200万円以上の楽器を取り揃えた。

・ このような姿勢が生徒にも伝わり今では50人近い部員数を誇る。昨日も舞台に立ったのは44名だから生徒数は多い。今日の結果を見て来年もホルンなど補強するかなとも思ったりした。

・ 多くの保護者から深々とお礼を言われた。中にはある生徒の祖父の方が「校長先生,良い楽器を与えて貰って孫は片時も離しません」とまで言われたのである。私は「生徒の為に」やっている限りこれらの保護者は永遠に浪速の味方だと痛感した。

・ 「多聞尚学館」「堺ふくろうスタジアム」「浪速武道館」「クラブハウス」等々とにかく教育環境の整備に力を注いできた。その結果生徒数も増えてきた。勿論根底には「浪速教職員の面倒見の良さ」があることは誰でも知っている。

・ しかし案外私学の経営者には「教育はソフトウエア」だと割り切っている人も居るかも知れないが私の考えは違う。教育環境の整備向上は私学経営者の覚悟と決意なのである。この「理事長の覚悟と決意を見れば学校の教師は頑張ってくれる」。

・ 今日から大型クラブの更衣室、保健室、校務員室、門衛室、清掃クリーン班の休憩室の「移設工事が本格化」した。こうすることで「新校舎の種地」がようやく確保できる。着任した平成19年1月9日全教職員に着任挨拶をして以来足掛け5年でここまで来た。「やっとこさ」である。

・ この時に私は19ページにも及ぶ「所信表明」を行ったがそのときに「新校舎建設宣言」をした時のことを今でも思い出す。「シラーッ」として誰一人本気にはしていなかった。しかし今、目の前にはこれが現実のものとして現れて来つつあるのである。

・ しかし感慨に耽っている余裕はない。これからが「胸突き八丁」である。授業をしながら既存の建物を壊し、整地し、新校舎建設に取り掛かる手順だ。「迷路」をかいくぐって進めねばならない。

・ まず旧校舎の解体工事の段取りが9月以降に始まる。8月24日の理事会で討議確認することになろう。まだ楽隠居をしている暇は無い。登山で言えば二合目くらいだろう。これからが本当の勝負である。私も頑張るから教職員も頑張って欲しい。

2011年7月25日月曜日

23年7月25日(月)伊勢五日目「高校が終わって中学が始まった」








中学1年生伊勢HR合宿始まる


中学生お母さん手作りの愛情弁当

・ 第3班の最終日であった。私は禊に参加して連続4回の新記録としたかったが、それを諦め,「女生徒の内宮参拝を先導」することにした。初めての経験であった。今まで学校の管理職が女生徒の参拝に付き合うことはなかったように思う。
・ 何時も外部指導者である女性神職の方にお任せしていたが一回くらいはと思って先導することを決めたのである。一昨日の2班の皇學館大學での祭式講習も後で講評すると生徒は喜んでくれていた。生徒もやりがいがあるだろう。

・ 素晴らしい内宮参拝であった。神宮会館を出発して帰ってくるまで誰一人口をあけない。黙々と粛々と進めるのである。男子とえらい違いだ。人数の少なさもあろうが女生徒の方が覚悟が出来ていると思った。宇治橋から遠く男子の禊の風景がかすかに見えたが誰も見ようとはしない。

・ 早朝の内宮参拝を終え、神宮会館に戻ってきて女生徒は約1時間「大祓詞」の奉唱と書写である。これを大切にして欲しいと思う。昔ある方が神社で若い人が大祓詞を知っていたので「何処で覚えたのですか」と聞いたそうだ。その子は「浪速高校で学びました」と答え、その人は感心したと私に言ってくれた。

・ 仏教の「般若心経」に相当するものかも知れない。まだ深い意味は分からなくとも高校生のときに伊勢神宮の側で「拝詞」を書写した思い出だけでも素晴らしい。奉唱も大変良かった。声に出して読んでいくことは頭に残る。何回も何回も読んでいくとおぼろげながら意味は分かってくる。


・ 23年度浪速高校1年生対象の「第58回伊勢修養学舎」が終了した。丁度今日の0時でアナログ電波が終了したという。アナログ放送は58年の歴史で終わったというが、この数値は伊勢修養学舎の58回目と一致する。

・ 58年前、伊勢修養学舎が始まった年にテレビアナログ放送が始まった。アナログ放送は終わったが学舎は終わるわけには行かない。前にも書いたが伊勢修養学舎が終わる時は本校が終わる時だ。その覚悟で本校の教職員は更に立派なものにして欲しい。

・ 台風6号の影響で第一班は中止となったが2,3班はトラブルなく予定通り無事に終了した。私は初めて4連泊で神宮会館に宿泊して学舎に対応した。3連続で禊に参加したのは私にとって新記録であった。初めて女生徒の内宮参拝も先導した。
・ しかし来年は大変だ。今年の一班分が追加になる。今年と同じくらいに入学生となると高校だけで900名の高校生を4班に分けて連れてくることになる。これに中学生が120名加わるから10日間程度に1000名の生徒だから来年が何か怖い感じである。
・ 2班で間に休みを入れるか連続でやるか検討を早め早く神宮会館を相談して宿泊を予約せねばならない。本当に恨めしい台風だった。しかし今年も無事に終わることが出来て「ほっと」一息である。


・ 3班と入れ替わりに浪速中学校の1年生が神宮会館に到着した。彼らの場合は「伊勢修養学舎」とは言わない。「中学1年生伊勢HR合宿」という。従って禊とか祭式講習とかはない。基本的に「学習合宿」である。


・ 本当は止めてもという考えもあったが「旧制中学以来続いている伊勢参拝」である。私の時代に止めるわけにもいかないし、何より早い段階での神社神道の学校の生徒としての心構えなど教育効果もある。

・ 中学一年生だから余り厳しいスケジュールは無理である。従って変化に富んだプランを入れている。例えば「映画鑑賞」をして「感想文」を書かせる。又2日目には「鳥羽水族館」の見学を入れているのだ。

・ 伊勢でやる意味はやはり「内宮参拝」をさせたいからであり、2日目に7時起床で「早朝参拝」だ。中学生なりに何かを感じてくれる。そして浪速高校に進学すれば本格的な「伊勢修養学舎」が」待っていると言う寸法である。

・ 後の時間は勉強に次ぐ勉強で2泊3日の予定を消化し最終日の夕方5時頃に学校に到着する。このような面倒見の良いところが私立中学の良いところだと思うが、本校は中でも徹底していると自負している。付き添い教員は団長が中学の教頭で他に7名の教諭に看護士が一名付く。

・ 私は3班の高校生を見送って、たった一人神宮会館に居残りになった。誰も周辺に居なくなったのである。しかしすぐに騒がしい中学生が到着だ。早速開講式での挨拶となる。何時も接している中学教頭に任せば良いと言う考えもあるがやはり開講式は校長でと思うのである。

・ 生徒から見れば校長だろうと教頭だろうと余り関係ないのではないかと思う。彼らにとって注目すべきはやはり担任の先生なのである。高校と違って中学と成るとそのようである。まして理事長など何の事か全く知らない。

・ 挨拶が済めば持参した昼食をとって、すぐに授業の開始となる。私は何時も感じるのだが「お母さん手作りの愛情弁当」を見るとこの子たちを預かっている責任を感じる。昼食後は早速授業開始である。

・ 4クラスだから英国数理社を上手く回転して講義を進めていく。大きな特徴は学校と違って一こま50分を60分としていることである。これは生徒にはしんどいだろうが、これも訓練である。

・ 生徒が弁当を食べ始めたら私は神宮会館差し回しの車で宇治山田駅に急行し大阪難波行きの特急電車に飛び乗った。夕方大阪で用事があるから今日も忙しい。しかし充実した4泊5日であった。帰るときに神宮会館に「さざれ石」があることに気付いた。

・ 来年のことをいうと鬼が笑うと言うが私は来年も元気で参加したいものだ。よく頑張ってくれた高校教頭、学年主任、そして神道科の先生方に感謝いたしたい。又付き添ってくれた教職員にも無事に終わったお礼を言いたい。さて問題は来年度の学年主任をどなたにお願いするかである。帰りの電車の中で色々と考えたのである。

・ 今回分かったことは今日的子どもにとってある面必要なことは、言い方を変えれば学校として生徒に与えるべきものは教育のみではなくて「鍛錬の機会」であるとの結論に達した。

・ 学校として教育は当たり前であるが、今不足しているものは「訓練、鍛錬」であり、「我慢する、耐える」という場面である。そういう意味で本校の伊勢修養学舎これ以上ない機会であると私は自信を持っていうことが出来る。


2011年7月24日日曜日

23年7月24日(日)伊勢四日目「第3班順調」









・ 第二班が予定を順調に終えて大阪に帰り、第3班の到着だ。閉講式は教頭先生の締めくくりとして貰った。生徒に教頭の顔と肉声を覚えて貰わないといけない。教頭、1学年主任、神道科の二人の先生はずっと引き続いて伊勢滞在である。
・ 1年に一回のことゆえ諦めてくれているのだろうがそれにしても大変だと思う。よくやってくれており私は感謝し、評価している。私の初めての伊勢での連続滞在だ。大阪での急ぐ仕事が無かったから、助かった。行ったり来たりでは疲れる。

・ 第三班は二班に比べ幾分生徒数は少ない。とは言っても211名だから大部隊であることは間違いない。女生徒は最も少なく44名である。従って神職女性講師の先生は2名大阪に戻られ5名で対応して頂く。

・ 付き添いの教員は12名であるが内一人の女性教諭は居残りって対応して頂ける。まだ本校ではそれほど経験深い女性教諭ではないが、それでも生徒指導が出来る先生は少ないからどうしても貴重な存在である。

・ 長い間男子校だったからまだ女生徒指導のノウハウと言うかコツなど正直自信がないところがある。だからどうしても男性教諭は女性教諭に頼るところがあるのだ。その上女性の専任教諭が少ないから出来る女の先生にはますます負担がかかる。

・ この先生には男子生徒も怖がっており、先生というのはこうでなければならない。生徒になめられるようでは駄目だ。生徒に媚を売って教員をやっても長続きはしまい。先生は先生だから時には大声で怒鳴って言うことを聞かさねばならない。それが教師だ。


・ しかし神宮会館も久しぶりに忙しいのだろう。全館満室だから「笑いが止まらない」のではないか。部屋数は44室、和室がそのうち40部屋というから一部屋に4名から6名泊めて満員だ。2泊3日で7月19日から27日まで都合800名近いから推して知るべきである。
・ 神宮会館の料理は「まあ、こんなものだろう」というところだ。朝はおかずが箱入りになっておりこれに味噌汁が付く。夜は品数は増えて、一昨日は「伊勢ウドン」が小丼で出ていた。しかし三食200人分だから作る準備も大変だと思う。贅沢は言ってはおれない。

・ 今回の大震災でお客さんは減少したと事務局長さんは言っておられた。しかし昨日の土曜日や日曜日の今朝などは多くの参拝客を見かける。ここ数年の特徴とかで昨年だけで880万人の参拝客があったというからこれは一種のブームである。

・ 「お伊勢参り」は江戸時代にも盛んであったがこのような混迷の時代だけに多くの人々は心の癒しなどを求めて参拝に来られるのであろうか。目立つのは若い女性で「パワースポット」だという。

・ 私は今回内宮さんの社務所横で一本の「掛け軸」を購入した。「天照大神」と書かれた絹本のお軸である。これを浪速武道館のお茶室「洗心亭」の床の間に飾る。武道館の完成した年の伊勢修養学舎で求めた掛け軸だ。長い間の記念になるだろう。

・ 今朝も私は3班に同行して「禊」をした。しかし驚くのは昨夜以来この三班は素晴らしい。先生の言うことを良く聞き、行動もすばやい。昨夜の禊の練習でも大きな声で取り組んでいた。道彦の先生が驚いていたくらいだった。
・ 今朝の禊本番も立派であった。だから時間が余るくらいであった。粛々と境内を歩くと多くの参拝客が「まぶしそう」に我々を観察している。珍しいことは珍しい光景に違いない。多くの人がカメラでパチリだ。禊の時も写真を撮られているが、もう気にも留めない。
 ・ 本校専属の写真館の社長さんは何と51回目の禊だという。51年連続ですぞ。父君に連れられて学生服を着ていた時代から禊の写真を撮ってこられた人だ。これだけでも他の人は何も言えないだろう。

・ 今は跡取りの息子さんと一緒に別格扱いで本校は面倒を見て貰ってくれている。有り難いことだ。今新しい卒業アルバムを設計中であるが何とか学年と相談して良いものをs作って欲しい。しかしこの社長さん、カメラを構えてからの時間が長い。プロだから慎重を期しているのだろうが、もう少し早くシャッターを押して欲しい。

・ 神宮会館に戻って朝食、そして9時出発して「神楽殿」に赴く。神宮に神楽を奉納するのだ。まさにこれ以上はないという「本格的神楽の鑑賞」とも言える。問題は絶対的に正座が必要でこれだけは私も生徒も大変であった。
・ 神楽の後は代表的な「別宮」を参拝する。別宮というのは内宮外空に続く重要なお宮であり別格という意味である。神宮には125もの神社がある。それをすべて参拝するのは無理なので中でも有名な別宮を選んで参拝する。

・ 「風日祈宮」「荒祭宮」を巡拝する。そして神道科の教諭が途中の建物の特徴などを説明していく。皇学館大学卒だし、家が神社だから「お手のもの」なのである。外部の参拝者が足を止めて説明を聞いていることもある。
・ その後は「宇治橋を背にクラス単位での記念撮影」である。この写真は卒業アルバムの載せることになる。旧制浪速中学校以来継続している無くてはならない一枚の写真である。要は高校1年生時の一枚のクラス写真となるのだ。ちなみに高2は修学旅行時の写真とし高校3年では卒業前に最後の一枚をクラスで撮る。


・ 又神宮会館に戻って小休憩後昼食だ。そして午後の部は男子は別宮「伊雑宮」、女子は例の皇學館大學での祭式教室である。男子は帰ってから「大祓詞」の言葉を書写である。真剣に書写しこれを大切に保管しておきなさいと言うのだが果たして。

・ 夕食は18時20分から19時20分で、16時30分からが入浴休憩だから本当に忙しい。遠足とかではないのだ。まさに「修養学舎」なのである。夕食後も修養は続く。夕食が済んだ後20分後には講堂に集めクラスホームルームと学年ホームルームがある。

・ そしてようやく21時30分でその日の予定は完了だ。22時就寝で教員が各部屋を巡回して電気を消しているか。おしゃべりしたり騒いでいないかなどチェックが入る。このように本校の伊勢修養学舎は徹底している。

・ 昔は名をなした先輩などをお呼びして「先輩は語る」などのプログラムもあったが私は取りやめた。現代を生きる若者に「昔の思い出話」を聞かせても、効果はない。それよりも「知らないこと、体験していないこと」をさせ、「駄目なことは駄目」と徹底的にきつく指導する事のほうが教育的効果は高いと考えているからだ。

・ 2泊3日の予定も着任時1泊2日に短縮するような考えもあったがそれも止めた。本校のアイデンティティを知らしめるこの学舎を自ら薄めるようなことはしないと私は平成19年初めての修養学舎に参加して強く決意したのだ。

・ 伊勢修養学舎を終えた生徒は「一皮むけた」状態になって、「顔つき」が少し変わってくる。「中学生気分とおさらば」である。「よし、これで浪高生になったね」と私は生徒に言ってあげる。しかし日曜日となると凄い人出である。おかげ横丁は歩くにも困難なくらいの人ごみであった。