2011年3月31日木曜日

23年3月31日(木)一人の男が本校を去った

 ・ 年度末である。平成22年度が今日で終わった。書きたいことは山ほどある。熟慮したがやはり今日のブログは「この事」から逃げる訳にはいかないと思って書くこととした。今日が「歴史の節目」になると思ったからだ。明日以降はすべてを「昔のこと」として「忘却の彼方」に押しやろう。

・ 今日一人の「男」が本校を定年退職して去っていった。最後の職位は事務長であった。午後12時30分、私を車を用意して正門から送り出した。「一つの転換期を迎えた」という気がした。私は離任前の5分間、彼を私の部屋に呼び、「最後の言い聞かせ」をした。その内容は書くまい。
・ タクシーの行き先は北部にある某私立女子高である。この学校の「理事長付き非常勤顧問」として本校を離任して直ぐ新しい仕事先に向かったのである。私は後姿を見て「良かったなー、Iさん」とつくづく思ったのである。


・ 私は部屋に戻り、先方のN理事長・校長先生に「今離任してそちらに向かっています。くれぐれも宜しくお願いします。・・・」と連絡したのである。しかしこの理事長のおかげで私は「一人の男の人生の最後の飾りつけ」が出来た喜びを感じた。
・ この理事長に対して私はご恩を忘れることは出来ない。実は昨年11月から私はこのI事務長の次の仕事を探し始めた。有力候補となる関係先もあって、そことまとまる直前まで行ったのであるが最後にこの話は破談になった。そして手を差し伸べてくれたのがこの女子高だったのである。
・ 私が今回の震災で実家に帰っている時にお互いの「阿吽の呼吸」で電話会談で今回の話をまとめ、私の業務再開の22日に本校にご来校頂いて勤務条件など取り決め、そして直ちに本人に申し渡したのである。
・ I事務長のその時の喜ぶ顔は今でも思い出す。彼は65歳であったがとにかく「金は要らないから仕事がしたい」とまで言っていたのである。このような男は定年退職だからと言って、家で孫の世話など出来ないのである。それを私は分かっていた。


・ このIという職員は本校での勤務期間は今日で17年と2ヶ月になる。65歳定年制度の本校にしては勤続期間が長くないのは銀行からの出向社員で再出発したからである。生まれは群馬県、北関東人である。河内長野市ご出身の奥様とご縁があり、47歳での出向と同時に河内長野に「終の棲家」を定められた。

・ 47歳で銀行から私立学校に出向を命じられた、その時の気持ちは同じ民間企業出身の私には痛いほど分かる。爾来「関東の土は二度と踏まず」を男の意地として河内長野に居住している。趣味は殆どなく、週末に家庭菜園と言っていたが間違いなく「暇つぶし」であろう。

・ とにかく「仕事大好き人間」である。それも「仕事が出来る男」である。愛煙家を通り越した「タバコ食い」で酒は熱燗の日本酒だけ、つまみは不要で「イカの塩辛」さえあれば一升は軽くいける口である。
・ 私は彼との4年間、本当に酷い目にあった。朝会ではお互いの距離は80センチだから時に熟柿臭い酒の臭いと口から吐き出すタバコの臭いに閉口したものだった。何回となく注意した。その後朝会の前には「お口クチュクチュ」してくるようになった。

・ 性格は「攻撃的」を超えて「好戦的」である。「人を怒らせる天才」とまで言う人が居た。ただ仕事は速くとにかく「エクセルを使った資料のまとめは天才的」であった。ただ部下からは好きな仕事には没頭するがそうでもないものには冷淡だったと何回も私は聞かされた。しかし多く居る部下も彼の「仕事力」には適わないから何も言えなかったのであった。

・ 「関西人は関東弁をしゃべる人間がどちらかと言うと好きではない」からと言うわけではないのだが、北関東の言葉を話す、その彼が私が着任する数年前に組合に所属する教員の一部の連中と「大きな諍い」を起こした。
・ 理事会を揺るがすような大事件になって彼は当時のだらしない理事長、校長から切られて管理職から蹴落とされ、悲憤の内に毎日を過ごしている時に私は着任した。そして「浪速高校某重大事件」のことを私は詳細知ったのである。
・ 理事会の長い資料を読み、「職員会議でのまさに糾弾会」のような状況時のテープ起こしの会話録も読み返した。詳しくは書かないがIさんにも非はあったのだろうが「同じ組織内であってはならないような光景」がそこにはあった
・ 私は悲憤慷慨した。これは組合教員の「経済闘争」ではなくて「人民裁判」であった。理事長も校長も誰一人Iさんを守らず「血祭り」にしたのである。この事件以来浪速は「凋落の階段」を転げ落ちて行ったと私は思う。私は決意した。もう一度彼を「男にする」と。
・そして4年、遂に定年退職の日を彼は晴れ晴れと迎えた。昔彼を攻め立てた強烈な組合教員も昨年早期退職をして去っていった。今や組合に属する教員の数も減ったように思える。増長し、傲慢にノリを超えて思うがままに学校を牛耳っていた特定の勢力に属する教員と昔のこと知っている人も少なくなった。これでこの話は封印である。


・ 着任して1年間徹底的に私はIさんを鍛えた。鍛えた言うものではなかったろう。「叱責」なんて生易しいものではなかった。最初は「暗いイメージ」で私の「品定め」をしているようであった。ただ彼は「改革マインド」は失っていなかった。
・ これだったら「再起できる」と私は確信した。このような人物は「仕事の力で参った」と言わせなければならない。幾ら口で美味い事を言っても駄目である。私は彼と仕事の上でも勝負をしたのである。彼はとことん私に従って付いてきてくれた。
・ そして遂にIさんは言った。「全く理事長には適いません。」と。仕事は出来るが「雑なところ」が目立った。仕事では私の相手ではなかった。資料作りでも「てにおは」をいうように何回も書き直させた。そして1年後に私は彼を管理職に登用し事務長に発令したのである。
・ 彼は再起した。見事に復活したのである。Iさんの口癖は「私は理事長を徹底的に守り抜きます」と言うものであった。その度に私は言ったものだった。「俺なんかどうでも良いから自分を守れ」と。「脇を締めよ」と。

・ それから事務長としての3年間は「見事な仕事っプリ」であった。人間的にも優しくなっていったような気がする。理事長の思いを実現するべく時に「影武者」として、歴史に記録する「祐筆」として素晴らしい成果を残してくれて本日浪速を去ったのである。
・ 11時30分からの最後の職員会議で彼は言った。過去の事件に触れて「私にも未熟なところがあって・・・」と立派な物言いであった。そして本日を迎える昨夜のことを話してくれたのである。


・ 今日の為に奥様がスーツを新調してくれ、お嬢様と奥様が昨晩「整髪」してくれたというのである。そして私が時々「自戒することに気づく」ために私がプレゼントした「赤のネクタイ」をしていた。そしてさっぱりと颯爽と短く挨拶をして部屋を去って行った。
・ 29日の理事会では「事務長退官記念講演」と称して私は彼の為に時間をとったのだ   が実にさわやかに時間を余して終わった。如何に「心の安定」が保たれていたか分かる。「プロの仕事師の去り際」だったような気がする。
・ 彼が理事会で一度こみ上げてきて声にならなかった時があった。あれは何時の理事会だったろうか。「今、このようにして理事長から事務長を拝命し、仕事をさせて貰って・・・」といったきりに声にならないである。辛かった昔を思い出し感無量だったのだろう。この時は私も涙した。

・ その晩に管理職による送別会を難波で実施した。私は寺井名誉理事長と南坊城理事長代理にも是非出席してやって欲しいとお願いした。お二人ともお忙しいのに喜んで出席してくれた。その時に印象深い光景があったのでこれを記録してIさんへの惜別の言葉のまとめにしよう。

・ Iさんの定年退職はすでに分かりきったことだったから私はこの仕事師の後任は慎重に探した。まず校内に当てはめても良いかなと思う人材も居たが、それはあれやこれやで取り止め、大阪府の人事部門にもお願いに行ったりした。

・ 結局某銀行から57歳の支店長経験もあるHさんを後任の事務長候補として1年前に出向で来て貰った。その彼は本日午前中銀行に戻って頭取から退職辞令と感謝状を受け取りに行って帰ってきた。明日正式に本校の職員となって事務長に就任する。お顔は晴れ晴れとしていた。
・ このHさんはI事務長の下で業務の勉強と引継ぎをかねて1年を過ごしたのだが「途中で辞めよう」とまで思うくらいの厳しいそして時に「意地悪な、嫌がらせ」みたいに思えるような仕打ちに「切れる寸前」だったのである。
・ とにかくI事務長流の指導に「ほとほと嫌気がしていた」のである。このことは私にも直接言いに来て私は知っている。その度に私は「後少しで君の天下が来るではないか」と慰留というか慰めたものだった。これが送別会での話題になったのである。
・ I事務長さんは私の後任だから「鍛えた積り」と言い、「Hさんにはもう少し発展性が欲しい」と軽く言ってのけた。そこから話は弾んだのである。今年78歳になる名誉理事長は「そんなことは当たり前で、見て自分で工夫して仕事は覚えるものだ。厳しいのは当然」と、何を甘いことを言っているのだという感じでとさらりと言ってのけたのである。
・ 私は良くぞ言って下さったと思った。私やIさんが企業で育った時代は上司先輩から「時にはこいつの腹を刺してやろうか」と思えるくらい厳しい指導の中で育ってきた。私も若い時には「やっとられるか」と叫んで仕事を投げ出して家に帰ったことがある。

・ そのようにして成長してきた。そして今日がある。男の仕事と成長とはそういうものだと身に染み付いているのだが、このHさんは世代の違いか7歳も8歳も離れると大きな文化の違いとなるのである。
・ 彼は明日以降今までの銀行時代と違い一挙に年収が200万円も上がるのである。私がそのようにして過日の理事会で決定した。「金を稼ぐ」ということは「我慢する」、こういうことだと私は教えた。最後には「世代の違い」といっていたが世代の違いではない。私に言わせれば「考え方が甘い」のである。

・ 私は今寂しい。同世代の何か戦友を失ったような気がするのだ。しかしそうは言ってはおられない。さあ、平成成19年4月にスタートした第二の創業の初動期間の4年が本日で終わった。「新しい学校の誕生期」である。明日から次のステージに移る。「発展期」であろう。I事務長が去って遂に私は本校の最年長者となった。最も「年寄り」と私はなったのである。

・ 私は今日の職員会議で言明した。次のリーダーに「たいまつを引き継ぐ」まで私も頑張る。教職員一致協力してお互い助け合いながら頑張って行かねばならない。自分の職場を守れ。「敵を間違ってはならない」。同じ仲間である。仲良くしなければならないと。内輪で喧嘩していたらこの厳しい生き残り競争に勝てないと私は声を張り上げたのである。



2011年3月30日水曜日

23年3月30日(水)教育トライアングルの完成

 ・ 3月26日(土)の毎日新聞は「おおさか 学びやの宝」という欄に「浪速武道館 今月完成 雅楽用和室も」の見出しで写真入り6段の結構大きな扱いで記事にしてくれていた。嬉しい限りだ。署名入りの記事で記者さんは「矢島弓枝」さんとあった。
・ 弓枝さんだから弓道部の写真かと思ったら雅楽を取り上げてくれていた。しかも記事の内容が完全無欠で、美しい日本語で極めて好意的に全てを書いてくれているのが素晴らしい。
・ この記者さんならインタビューを受けても良いなと思ったくらいだ。特に生徒の声が2名も登場しているのも有難い。当に「浪速武道館は浪速の学び舎の宝」である。是非今後とも中身を高めて行きたいと思っている。


・ 又本日本校のメインバンクである㈱りそな銀行の岩田社長様から「お祝い」として直径50センチもある大きな「電波時計が三つ」も届けられた。わざわざそれぞれの時計に「錬武館」「尚武館」「玄武館」と書かれている。まだ用意していなかったからこれは大いに助かる。
・ 持参して下さった営業部長は私のブログの読者で「遂に新校舎ですね」と言われた。昨日のブログ「新校舎建設宣言」を読まれているのだ。私は返したのである。「お金貸してね」と。ご返事は「明日にでも全額を」と言ってくださった。

・ 本校も苦しい時機はあったが全員で心を一つにすることで希望は実現する。東北関東大震災で被災された方々には本当に心からお見舞い申し上げる。具体的には新年度が始まってから私は「義援金の募金活動」の最前線に立つ。今は言葉よりも生活再建資金である。

・ 本校でもそうだった。我慢と努力で何時かは「希望の陽は昇る」ことは間違いない。
「多聞尚学館」「ふくろうスタジアム」そして今回の「浪速武道館」と「トライアングル」が完成した。私はまだ余韻に浸っている。しかしそれも明日までだ。新年度からは「新校舎建設」という「一大仕事」が待っている。この新校舎こそ浪速の将来にとって「希望の陽」だ。
・ 今多聞尚学館では3泊4日の予定で高校1年生と2年生の合計120人が「英語特訓」に取り組んでいる。それで1昨日「激励」に出かけた。暫くぶりの多聞であった。どうも私は多聞尚学館に行くのが好きみたいである。なにしろ環境が良い。山々の緑が目に優しい。


・ 今年も現在実施中のトップクラスの英語講座で多聞の企画はすべて終了する。今年も多聞をよく使った。普通このような「箱物」は開館した当初は皆が物珍しいから使用するが一巡すると見向きもしなくなると言われているが本校の多聞尚学館だけはそんなことはない。
・ 実は昨年度すなわち22年3月29日のブログにおいてもこの多聞の利用状況について書いている。あれから丁度今日で1年だから同じように利用状況を纏めてみると:

       企画数  延べ生徒利用数   延べ教員動員数    利用宿泊数

  H22   52      5129         228         112日

  H21   56      3685         200

・ 以上のように昨年度よりも大幅に伸びている。「パンパン状態」である。嬉しい限りだ。これで多聞尚学館は大丈夫である。近い将来「男子宿舎」を新築してやりたいと思ってはいるが、順番がある。もう少し現状で我慢して欲しい。
・ 又この1年、「事故は一切無く」「インフルエンザも発生せず」「食中毒もなく」「地元からの苦情も無く」パーフェクトに来ることが出来た。これは「引率の教員の指導や生徒の自覚」もあったと思うが紛うことなく「この施設の素晴らしさ」を証明しているのだと思う。
・ それくらい多聞尚学館は本校の生徒と教員に「衝撃的メリット」をもたらしたものである。それは「何時でも好きなように使える施設」という「有難味」ではないか。「我々はこのような施設がある」という「誇り」ではないのか。

・ 多聞は単に外部宿泊機関に支払う金銭の合理化が目的ではない。確かに1泊で3食付けば民間の宿泊設備では最低でも1.2万円程度は必要だから、この1年で1億円以上の保護者からの金銭外部流失を抑えることが出来た。これは極めて大きな効果である。
・ しかしメリットは金銭ではなくて「多聞で真剣に学習するという意識」が生徒に植えついたことである。芽生えたことである。これが「財産」となった。「多聞は学習する場所」という意識が生徒に根付いたことが大きいし嬉しい。

・ 遠足や仲間との旅行感覚ではなくて多聞では「朝早くから夜遅くまで勉強する」という「浪速高校の文化」が出来上がったことが大きい。このことを私は当初の目的としたが見事に出来上がったと思う。
・ これはまず休日をつぶして頑張ってくれている引率の先生方の涙ぐましい努力があった。これらの先生方に「多聞講習特別加算」として講師料を支給した。成果も見えてきたので来年度から正式に幾分かを受益者負担で保護者にお願いしたいと考えている。


・ ふくろうスタジアムの活用状況も素晴らしい。昨年6月19日に竣工式を行ってから丁度8ヶ月である。暦日数は274日に対して延べ277日生徒はこの球場を使っている。実際は試験前試験期間中など部活動禁止の期間があるから「大賑わい」の状態である。


・ 硬式野球、ラグビー、サッカーが御三家で次に軟式野球、アメフト、中学サッカー、中学軟式野球と続く。又外部への「貸し出し」もあった。とにかくこのように有効に利用されていることが嬉しい。私は8ヶ月前の開場式における突然の生徒による「胴上げ」を思い出して喜んでいる。

・ 新設なった武道館も既に100%の活用状況だ。会う生徒は皆私に対して「最敬礼の雰囲気」で迎えてくれる。余程嬉しかったのだろう。私学が生きていくにはまず圧倒的に「教育環境の整備」が必要である。「差別化」である。


・ 校外学習宿泊施設「多聞尚学館」、校外多目的グラウンド「浪速ふくろうスタジアム」、校内文武両道の拠点「浪速武道館」は本校にとって「未来を約束する教育施設トライアングル」である。都合10億円ほどかかったがわずか4年で「よくやった」と思う。

2011年3月29日火曜日

23年3月29日(火)新校舎建設宣言

本校は正式に本日「浪速高校の新校舎を建設する」ことを理事会・評議員会で満場一致で確認した。3月29日はそういう意味で記念の日となった。東北関東大震災があった年の年度末に決定を見た。何か複雑な思いがする。

・ 本日は理事会・評議員会の日であり、会場は新設なった「浪速武道館」を使った。まず内覧としてそれぞれの武道館を観て頂き会議場に移動した。「和室:洗心亭」である。まず錬武館(柔道空手道)、尚武館(剣道)、玄武館(弓道)を内覧した後和室大広間の「洗心亭」に移って座卓の前に座った理事会であった。
・ まず冒頭今回の大震災に対して黙祷を捧げ、会議に入ったのである。1年度の終わりの理事会であり、「23年度予算案が承認」された。多くの重要な案件が上程されたがなんと言っても本日の議事録記載で重要なことは「新校舎建設へGo!」の承認がなされたことである。
・ 私の考えていた予定よりも1年前倒しとなる。本年度の入学者数が決定した後、「今の浪速の体力」からすれば十分対応できると熟慮した上での提案であった。幸いにも各理事や評議員の先生にはすべて賛同して頂いた。
・ この4年間ブログ「校長日記」「新校長日記」それに現在の「校長の視点論点」で幾度となく論じてきた「新校舎建設が遂に具体化に向けて動き出した」のである。「遂にここまで来たか」と言う思いで一杯だ。
・ 今回の東北関東大地震があったから急いだと言うわけではないが敢えて異議は唱えない。元々上町台地の断層帯にある学校であり、「南海地震」「東南海地震」の危険性は何回も論じられてきた地域に本校は存在する。

・ 私の願いはマグニチュード8や9で「倒壊しない強固な建物」を持ちたいということである。特に学校の建物はそうでなければならない。被害があったときに本校は近隣の皆様の大阪市指定避難場所になっており、それだけに「びくともしない校舎」が欲しいのである。

・ 建物さえ残ればいざと言う時、「学校教育は再開できる」。このことが極めて重要である。災害が発生しても子どもたちを学校に呼び集め、教育を再開することは被災された地域や当事者にどれほど「明るい希望の灯」をともすことができようか。

・ 本校は私立高校である。建物に大きな損傷を受けて生徒を収納することが出来ないとなったら「一巻のお仕舞い」である。行政などに支援を頼んだとしても急に「空いている学校や教室」など手に入る訳がない。そのようにリスク管理を考えておかねばならない。

・ 今若い教職員が本校の未来を信じて頑張ってくれている。この人たちの生活の基盤は「校舎」である。何時も私は職員会議で言っていることは「校舎さえあればどうにでもなる。なんとでもなる。」である。ようやく私の4年越しの思いが実現するレールを敷設できた。

・ 概略スケジュールとしては23年中に基本設計を終え、建設に当たって頂ける「ゼネコン」さんを決定する。そして24年度早い段階で工事に着手し出来れば25年度中に全てを完成させる。25年度中だから平成26年3月31日までとなるが早ければ早いほど良い。
・ 基本的に全ての高校の建物を撤去しその跡地に新校舎を建設する。中学校はまだ新しいので心配は無い。ただ「授業しながらの建設工事」だから「工事の方法や順序には工夫」が要るだろう。
・ 問題はボリュームのある高校校舎なのである。建物ゾーンはAゾーン、Bゾーン、Cゾーンと3区分する。Aゾーンは東側に位置し低層建物で一階に管理棟と校舎教室群である。4階建てを考えている。これに伴って新しく既存の東門を拡張し第二正門とする。
・ Bゾーンは現在の南館と同じく現在のテニスコートを横切った「高層建物」だ。8階程度のものになろう。勿論Aゾーン帯とこのBゾーン帯は「L字型」で繋がっている。
・ Cゾーン帯は現在の新館に繋がるもので地平面にテニスコートを3面どうしても取りたい。そして階上が「緩やかな階段方式の講堂」である。果たして何名収容できる規模となるのか。そして屋上に「プール」を設置する。

・ このCゾーン帯の建築物は中学校のある新館や体育館そして武道館と一直線で動線が繋がる。Cゾーンについてはプールを地上に持ってくる案もある。そうすれば「冬場は囲いをしてピロティ」になる。

・ 中庭は極力大きいスペースを残して「学院神社のお社」を大きなものに更新する。本校の「鎮守の杜」である。中庭には大型バスが入れるスペースとしたい。いずれにしてもこの中庭は本校の心臓部であり極めて重要な場所と位置づける。集会や浪速祭のメイン会場でもある。

・ 現在の正門から真正面に新南館すなわちBゾーン帯の高層建物の端には「塔」が必要である。ここに「時計台」が来る。シンボルタワーだから設計者の腕の見せ所である。勿論Bゾーンの建物にはエレベーターホールは東西で2箇所は必要だ。
・ あれこれ考えていると興奮してくる。ようやくここまで来ることが出来た。まず新年度になったら直ぐに旧剣道場と柔道場の直心館の解体工事に入る。そのためには東側の塀に大きな開口部が必要である。工事用車両の出入り口であり、ここはそのまま新校舎建設の資材搬入や工事車輌の専用門である。
・ 腕の優れた設計士を探している。本校の教員の思いを大切にしてくださり図面化してくれる設計者である。コンセプト図面まで纏めて「ワールドテンダー」にかける設計ドキュメントまで作成をお願いしたい。
・ 人材の整備も図った。まず事務室の職員を事務長代理に昇格させて「特命事項」として理事長補佐として学校法人を代表して新校舎建設を担当して貰う。又外部から委託契約してその道のプロをインナーコンサルタントとして採用する考えも決めた。

・  大切なことは校舎を使う教員の意向である。私や理事が教室を使うわけではない。教員の気持ちを優先してやりたいと思っている。このために7名の教員を新校舎建設チーム員として発令し4月1日に結団式を行う。言ってみれば「7人の侍」である。勿論二人の女侍が入っている。

・ 「機能的で美しい、IT武装された21世紀型のシティスクール」というのが今から4年前に着任した時に全教職員に示した私のビジョンだった。4年経ってようやくこの目標が真正面に座って来たのである。私はもう暫くは頑張らないといけない。

2011年3月28日月曜日

23年3月28日(月)「経営とは」

・ 随分前に入試広報室長と副室長が外部機関の研修会に参加したいと言ってきたので、了承して参加させた。題目は「学校経営なんとか」というものだったような記憶がある。「ウーン、この学校の私のやり方が学校経営そのものなのに・・・」と思ったが、確かに「他所を見なければ分からない」こともあるので了承したのだ。

・ 人間と言うものは悲しいもので「身近にあるものは時として見えなくなる」ものである。他所から自分たちを眺めて初めて「身近の本物がある」ことが理解出来るのである。この二人が帰ってきて「どうだったか?」と聞くと「何時も理事長がおっしゃっていることと同じでした。」と答えたのを今でも忘れない。
・ 「経営」と言う言葉は今やあたり一面に「氾濫」していると言っても過言ではないくらいに人の口端に上る。ジュンク堂でもどこでも本屋さんの書棚には「経営と言う言葉の付いた書物」の如何に多いことか。従って世の中には経営評論家と称する人も当然多い。

・ 経営とは木村流で定義すれば以下の通りになる。「トップがビジョンを定め、組織を整えて組織の構成員に説明責任を果たし、目的を違うことなく、目標を達成するように、組織を遣って持続的に間断なく事を行い、大切なことはトップ自ら責任を明確にすると同時に構成員に対して結果に対する適切な評価・処遇を行う」ことである。

・ 3月31日で理事長・校長として丸々4年間が来る。この4年間、私がやってきたことは「浪速高等学校・中学校という組織体の経営」であった。校長兼務であったから「校務運営」の責任も果たしてきた積りである。

・ この「理事長・校長兼務」という職位が本校ではまったく初めてのもので「絶対的権限」を有する。これは学校の教職員にはいささか難しいだろうが企業で言うところの「取締役会の代表取締役」と「執行役員社長」を兼務しているのである。この考えが理解できる教職員は偉い。何故なら勉強しているからだ。

・ 平成14年頃から「民間人校長論議」が盛んになり、実は私も大阪府最初の民間人校長として府立高校の校長となって赴任したのだが、結局「公務員の校長は経営者足り得なかった」。
・ 公立学校の経営者とは結局知事であり、独立委員会の教育委員会が実態であり、校長は「校務の責任者」でしかなかった。責任者と経営者は異なる。従って民間人校長の当てはめ用件としては「民間企業での管理職経験」までがせいぜいであり、当然限界はあったし、それは「現状の仕組み」からすればどうしようもないことなのである。
・ 従って幾ら言葉で「学校社会にも経営の視点を」などと叫んでみても実践論としては経営などの言葉を使うことさえ、慮るような限界はあるのである。幾ら校長が「この学校を経営し・・・」なんて言っても、それは「嘘、まやかし」に過ぎない。「この学校の運営と致しましては・・・」というのなら分かる。

・ その理由はいろいろあるがまず「校長には人事権がない」。最近では校長の人事要望に対して幾分配慮されるようになったとは言え、今でも「意見具申権」しかない。校長が「一応教育委員会には物申しました。・・・」では迫力も影響も何にも無いだろう。公立の教職員はこのことを皆知っている。
・ 次に「予算編成権」がない。学校単位に「今年の予算は幾ら幾らで・・・」と教育委員会から示されるが、校長自らが「絵を描いて予算化する」などは出来ない。「当初予算」を知事部局から示され、それで課長、部長折衝と重ねても特定の学校に思い切った予算化などは難しい話だ。
・ それは「1年度の単年度予算」だからである。「税収を原資」としている行政体であるから複数年度にまたがる予算などは極めてしんどい。来年度の収入見込みなど簡単には立たないからである。私はこの「単年度予算が公立学校の中長期的戦略作りへの困難さ」をもたらせていると思っている。

・ 経営論で言えば経営者と部門長では全く視点や拠点が異なるのであり、まして一般の教職員とは全然異なる。校長は全体を統括する部門長ではあるが結局前述したように経営者足り得ないのである。
・ しからば私立高校はどうかという議論であるが、これは公立高校とは根本的に異なる。「経営権の独立」で教育委員会などないから、それぞれの私立高校の理事会・評議員会の決定が優先される。
・ そして私立高校において最も重要な職位は「理事長の職位」である。私立の理事長とは教育委員会の教育委員長と教育長の両方の権限を有した絶対的なポジションである。勿論、「出来る理事長」でなければならない。
・ 残念ながら浪速には今まで少なくとも、「経営者は居なかった」と言える。居ても組合などの様々な力学要因が働いて「経営の力を発揮できなかった」のである。府内にも100近い私立高校があるが、しっかりとした経営をしている私立高校と学校経営よりトップが「ワイン通」の学校などはのっとられたり、組合との軋轢で勢力を落としている学校など様々である。
・ 一般的に理事会組織が強いところか、理事長と校長が兼務の学校には経営推進力の高いところが多いと思っている。共通して言えることは労働組合と「対峙」して「訴訟など」の抗争になっている学校は徐々に体力を落としているのではないか。学校の「経営の力」が問題なのである。

・ 経営の要諦は「人事・組織」「会計・財務」「戦略・マーケッティング」の3つである。これをバランスよく展開することが重要で私はこの3部門にこの学校としては「革新的なやり口を導入」してこの4年間を過ごした。
・ そして、人事組織制度を改め、会計財務に厳しい目を注ぎ、徹底して広報力を高めて「生徒数の増」を図り、「人件費比率を適正規模」に収めて「誰の目にも分かるアウトプット」を出してきた。これが「経営結果」である。
・ 民間企業でも株価と経常利益とか目に見える経営結果が問われる。利益を出さない経営者は責任を取って退場である。売り上げを伸ばしコストダウンを図って利益を出し、その「成果を従業員や株主に配当することが経営者の責任」である。

・ 学校も全く同じことである。「良い教育を展開」し、「生徒増を図り」、中長期的な視点で「教育環境を常に高める努力」を行い、「教職員が矜持を持って働ける」ような学校文化を継続的に構築することが経営である。

・ 自分でも驚くがこの4年間で実に様々なアウトプットを出してきた。その投資総額は「浪速武道館」を入れて10億円を超える。感無量である。生徒が歓声を上げてこれらの施設設備で頑張っている姿を見ると「良かった」とつくづく思うのだ。

・ 私はキャッチコピーとして19年度「浪速が変わる、浪速で変わる」、20年度「浪速改革はまだ続きます」21年度「新生浪速の第2章」、22年度が「教育トライアングルの完成」で4年が経過し、目標全てを実現してきた。

・ 単に共学にしたからここまでになったのではない。この4年間、私のビジョンの下、教職員が「小異を捨てて大同につき」、意思結集を図って血と汗の努力で一致協力して頑張ってくれたからこそ今の浪速がある。

・ 組合との軋轢など全くなかった。組合はどちらかというと先陣を切って理事長方針に賛同してくれ先頭切って「仕事をしてくれた」。これだけは間違いない。私は今思うのである。「強将の下弱卒なし」とは不遜で言えないが、少なくとも「一将功なって万骨枯れる」ではいけないことは深く自戒している。

・ 弱い60歳を遥かに超えた。現役残り少なくなって今更金や名誉などは不要である。私を信じて付いてきてくれた教職員が可愛いのである。「いとおしい」のである。とにかく20代、30代の若い先生方が21世紀を力強く本校を基盤にして生きて行って欲しいから、最後の力を振り絞って未だ先頭に立って頑張っているのである。

・ 多くの若い先生方が本校に職を求めて今やその数も半数を占めるようになったが、殆どの人はこの4年間の歴史を知らない。「今日の浪速の過ぎし日々に何があったか」、それを伝えていくのも我々の責任である。










2011年3月26日土曜日

23年3月26日(土)教師が保護者を訴える第2弾

・ 新聞記事は大震災に関るものが当然のことながら、紙面の大多数を占めているが、その中で今朝の産経新聞に見逃すわけには行かない記事が出ていた。「快刀乱麻」というコラムで教育評論家の石井昌浩氏が「教師が保護者を訴えた意味」と題して投稿されている。
・ この石井氏は東京都の職員からスタートし、都立教育研究所次長、国立市の教育長などを暦任した教育行政を主たる専門とした教育行政マンで「学校が泣いている」「丸投げされる学校」など著書もある。「右派の論客」とも称して良い人物である。
・ 特に「学校が泣いている」の著作は現役の国立市の教育長時代に出した本で当時相当騒動になった。「国立(くにたち)の教育を守る市民連絡会」と称する団体が石井氏の行為は現役の教育長として国立の教育を貶める「信用失墜行為」として教育委員長に陳情したりして当時話題になった人物である。

・ 教育評論家として時々「光る意見を投げかけている」人であるが、今回の記事内容には納得しがたい点がある。これは今年1月18日にこのブログにおいても私自身も詳細論じたものであるが,突如としてこの記事が産経に出てきた。
・ 単なる想像であるが、私の意見に真っ向勝負をかけてきた感じがする。タイミング外れという気がするが見過ごす訳には行かず、再度私の論点を述べてみたい。事件は昨年9月のことだった。石井氏は校長経験など現場実践の経験など無いのではないか。
・ 埼玉県行田市立小学校の女性教師が度重なるクレームで不眠症になったなどの理由で担任する3年の両親を相手に慰謝料500万円を求めて提訴した。理由は「不眠症」になったからと言う。
・ この記事に対して私は教師が自分のクラスの生徒の親を提訴するなど「前代未聞」のことであるとこの教諭と校長を厳しくブログで断罪した。4枚も書いているから相当力を入れて書いていたことが分かる。
・ 石井氏はあれこれ書いているが「教師のこの行為を是として、よくやった」と言わんばかりに論陣を張っているのである。少なくともそのように私には思える。産経がこのような内容を掲載することにも驚いたが、石井氏がこの教師の行動を正当化する論拠が余りにも空疎でまさしく「絵空事」と思えて再度反論を展開したい。
・ 氏が今まで展開してきた教育界の話と大きく色合いが違う。私はそこが理解できないのである。「教師が保護者を訴えた意味」と記事の見出しにあるように氏は今回のことを「緊急避難」としている。とんでもない話だ。まず反論として緊急避難で教師が保護者を訴えてはなるまい。生徒に緊急避難はあっても教師に緊急避難などあるのか。

・ “教師は子どもや親からの攻撃にじっと耐え続け、専門職としての誇りを剥ぎ取られている。わが子のことしか見ることの出来なくなった親の身勝手な要求は常識というブレーキの壊れた親の問題行動によって学校の教育機能が破壊され始めていると言っていい”とまで氏は書いている。破壊などされていない。
・ “親の間には教師に何を言っても許されると錯覚する風潮が広まっている。一部の親は公立学校の教師をなめきっているのだ。”ともある。“自らの思いを絶対視して理不尽な要求を突きつける親たちに教師は心身ともに疲れ果ておびえている”との文言も有る。おびえてなんかいない。
・ そして最後は「もうそろそろ公立学校の教師をやみくもに非難し追い込むのは止めようではないか“で終わり「教師が親を訴えるのは前代未聞」とか「訴えるべき相手は上司としてサポートしなかった校長や市教委」との意見は「お門違いの考え方だ」と批判しているのである
。やみくもに非難なんかしていない。
・ 今まで氏の論点は「行き過ぎた子ども中心主義からの脱却」であった。これが全ての教育問題の根底にあるとの視点で子どもや保護者との関係の実態を見つめて舌鋒鋭く教育界の現状を攻め立てた人である。氏の言う「行き過ぎた子ども中心主義からの脱却」については私自身も賛同する部分はあるが、今まで氏の主張の根底にあるものとこの記事は大いなる乖離がある。

・ まずこのような教師は極めて稀有な例であることを押さえねばならない。戦前戦後教師が保護者を訴訟するなど我が国では初めてのことである。この教師が「一般的な教師ではない」ことも押さえておかねばならない。また学校にクレームをつける保護者はいるがそんなに多くいるわけではない。居ても比率の問題であり、公立の保護者の多くがこのようなタイプばかりではない。

・ 「保護者は無茶苦茶を言っている」と言うのは何時も学校や教師の側の視線からであり当の保護者からすれば「至極まともに物申している」のである。「身勝手な要求」と切り捨てては先には進まない。それぞれの人生があって様々な保護者がいるのである。様々な生徒がいるように色々な考え方をした保護者がいる。それを受け入れるのが学校である。
・ この事件の発端はこの女児と他の児童とのいさかいを仲裁した際、この児童の母親から「相手が悪いのにうちの娘に謝らせようとした」と教師にクレームを付けたささいなことから事件は拡大していった。ニッチもサッチモ行かなくなって当然保護者は市の教育委員会や文科省に口頭や文書で訴えたり、女児の背中に触れただけで警察に暴行容疑で訴えたという。
・ 保護者の怒りの程度が良く分かる。私は言う。「初動の段階で糸がもつれた」のである。ここまで事態が来てしまうと解決には容易ではないがそれでもまだ解決できる話であった。3ヶ月ですぐ訴訟はない。大体保護者はすぐ教育委員会に行くものである。何処へでも行かせばよいではないか。

・ 一般的に言って保護者とは自分の子どもには「絶対愛」であり、時に客観性を失うものである。親とはそういうものではないのか。子どもを守るのは自分しかいないと思い込んでいるのである。

・ 6月に事件があって、そして9月に提訴だから新幹線みたいに早い話である。余りにも訴訟までが短い。保護者からの訴訟ならまだ理解できる部分はあるが、それが教諭の訴えというから、これはおかしいと感じるのは、それは国民の一般的な感情だと私は思う。この事件を報じた週刊誌などの論調もそうであたように思う。

・ この間1ヶ月の夏休みもある。話し合う時間はたっぷりあったはずである。ところが教員は一切話し合いに応じなかったという。そしてこの教諭は一連の保護者の行為で不眠症に陥り教員生活の継続に重大な支障を生じさせられたと主張し、500万円要求し、辞めるどころか未だに教員を続け担任も継続中だという。

・ 不眠症だというが今日の社会に生きている人間は大なり小なりこのようないさかいや争いの中で生きており、誰もがストレスの中で生きている。しかし不眠症になったからと言って自分の生徒の親をたった3ヶ月間で訴えるだろうか。

・ この学校の校長もおかしい。文書で市教委に対して「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないように教諭が代表して訴訟をしていると受け止めている」と出しているから「背景は明白」である。この校長も全くどうしようもない。

・ 大体マスコミが遣うモンスターペアレンツなどの言葉は学校の管理職が公文書で使う言葉ではない。個別の事案をさも全体に拡大する意図が見えているのである。だから話し合いにも応じず「訴訟が最初からの道」ではなかったかと疑念を抱かれるのである。この保護者は「人身御供」となったのである。

・ 両親は「学校は実態を調べないで自分たちをモンスターに仕立て上げた」と朝日新聞の記者に話しているとの事だがその通りであろう。いじめ事件などでもテレビ出てくる管理職の常套語は「いじめの兆候は無かった」と言い、しばらくして「やはりありました」と謝罪するテレビ画面をどれほど我々は見せられて来ただろうか。

・ 学校と言うのは「調査する」という行為に極めてセンシティブである。それは行き過ぎた「人権第一主義」みたいなものがあるからである。その証拠に該当する教諭はまったく取材に応じず、教頭が「教諭と保護者のそれぞれの人権を尊重しているのでコメント出来ない」と最も一部の教員が得意になって使う金科玉条たる人権という言葉を持ち出してきている。
・ 自分の問題解決能力のなさと人間としての未熟さを世間に恥をさらしたようなものである。しかしこの教諭は1991年に教員になったというから20年のベテランである。経験不足の教諭とは全く言えない。だから私は背景に何かあるのではないかと思うのである。

・ 「日本女子大の坂田教授は「児童本人のことを考えれば訴訟は避けるべき」と延べ、更に「芽が小さいうちにトラブルに気づくこと」と言われている。至極もっともで誰が考えてもこのように思うのではないか。これが普通の常識ある対応である。

・ 教頭の言にあるように「教員の人権・・・」とか言うが基本的に教職にある身にとって人権などあるのかというのが私の素朴な疑問である。今回の東北関東大震災でも献身的に我が身はくたくたになっても生徒を守っている教師の話に私は涙する。これでこそ本物の教師である。

・ 火に取り囲まれた保護者との関係から自分だけ先に「訴訟と言う道」に逃げて生徒のことを考えない教師など教師ではない。あくまで「教師とはまず第一に生徒を守る」ものではないのか。この生徒は不登校などこれから辛いことになることを心配する。まず自分の人権を言う前に子どものことを考えて欲しいと言いたい。

・ ところが不可思議なのは教員ほど「人権、人権」と叫ぶ職業人はいないのである。教師とは大体弱い、脆いものである。生徒には厳しく言えても外圧には弱い。社会の荒波から学校という塀の中で閉じ込められて生きている人々である。

・ そこへ持ってきて高給が保証され身分も安定し社会から「先生、先生」と尊敬を受ける人々である。このような職業は今の時代、学校の教員以外にはなかろう。ここが最も陥りやすいこの職業人にとっての鬼門である。

・ 良いフォローの時には強いが脇腹を刺されると一挙に壊れてしまう職業人だと校長8年間の経験で分かった。だから教員に心の病が多いのはそのようなことなのである。この教師もこの保護者で自尊心をずたずたにされたのだろう。クレームで心の病になるのではなくてこの職業の持つ業みたいなものが原因である。

・ 教師はもっと「耐え忍ぶ」ということを勉強し身に付けなければならない。息の抜き方、ストレスの発散方法など人間の幅を広げていかないといけない。「人間の幅が極めて狭い」からこのように直ぐ3ヶ月程度で訴訟などに出る行為をする。自分を守っているのだろうがそれは守っていることにはなっていない。自滅への道である。

・ 自分の生徒とその保護者は絶対であると「覚悟」がいる。「自分の人権を言う前に」徹底してやるべきことをせよ。クレームもあるがその対応も高い給料の内と心得たらどうか。自分に厳しい保護者もいれば自分の味方の保護者もいる筈である。
・ 世の中に畏怖し尊敬するものがないから教員は誇りを通りこして傲岸不遜、うぬぼれ人間になり、しこうして勉強しない。謙虚でないのである。だから教員の常識が時に社会の非常識だということに気が付かない。分かってきても「学校のことを知らない人」の言葉に耳を貸そうとはしないのである。

2011年3月25日金曜日

23年3月25日(金)併願戻り、一夜明けて

・ 朝からじわじわと嬉しさと言うより「安堵の気持ち」が湧いてくる。そして今年は「幸せ」を感じる。東北地方の被災された方々に申し訳ないが浪速の我々は今、幸せである。その分4月になったら「義援金」で頑張りたいと思う。今朝の新聞各紙は公立高校の2次募集を記事にしていた。71校が募集するという。異常に多い数値である。

・ 私学にとって併願合格者は元々公立志向の強い生徒だから後期試験に不合格だった生徒は公立の第二次募集に走るのではないかという思いは当然ある。確かにそのようなことが昨日の朝の時点では電話問い合わせで数件あったのも事実である。

・ 制服採寸して、もし公立の2次募集に合格したら「制服代は誰が支払うのですか」と言う意味不明の電話もあったという。しかし一方では不合格になった生徒の保護者は「第二次募集には走らないと思う。意地でも良い私学に入れて公立合格者に負けないように頑張らせようとするのが親の気持ちだ」と指摘する人もいたのである。

・ 結果的に本校の数値は想定以上の戻りになって入学希望者が膨れ上がっている。これは公立2次募集に走らなかった生徒である。併願先の浪速高校に戻って来てくれたのである。有難いことであった。

・ ここに詳細な入試広報室の分析データがあるが、冷静に観察してみると「傾向は変わっていない」。専願は授業料無償化拡大で約倍増したが「併願戻りは固定化された公立併願先とその高校の倍率に左右されるだけ」で戻り率は結果数値の意味しかないのである。

・ 私は今更ながら学校社会の「保守性」というか「伝統」というか「価値観」というか「固定化した神話世界」は簡単には打ち崩せないことを改めて思い知ったのである。「学校のアイデンティティ」を変えて行くには相当の汗と血を流さねばならないことを思い知った。しかし徐々に変わりつつあることも同時に実感している。間違いなく「浪速は成長している」。

・ いずれにしても「今年は終わった」。今日からは「来年度の準備作業」となる。その前に私から全教職員に「確定クラス数」を発表するのが本校の「慣わし」となっており9時に「職員会議」が職員室で行われた。


・ 私は先生方に「慰労の言葉」と「感謝の意」を捧げ、「高校新1年生は16クラスで構成」する旨の発表をしたのである。生徒総数は676名だから単純計算で一クラス42名となり極めて上手く纏まった編成とすることが出来た。この辺にも私のツキが見て取れる。そして本日最終的に新1年生の担任の先生を正式に発表した。

・ 併願合格者は「物品販売」に登校してくる。「教科書」「かばん」「靴」「運動靴」「辞書」などである。勿論学校が販売するのではなくて出入りの業者さんが本校に出向いてきて販売をされるのである。本校は場所を貸すだけである。

・ 午前が併願合格者で午後からは専願合格者である。心配していた制服もお店の努力で何とか間に合うらしい。私は生徒の顔を観察したが一晩明けてどの顔もさっぱりしていた。入学式では十分激励してやりたいと思った。


・ そしてこの日、「教科主任会議」「学年別新担任会議」「教科会議」「新科類別担任会議」「担任以外の分担会議」が次々と開かれる。これは中々上手いやり方で「一日で来年度の新体制を決めてしまう」という極めて「効率的な方法」である。
・ 言い方を変えれば学校の「縦串し、横串しを通す作業」である。従って本日は4月から新しく勤務される常勤講師の先生方も登校され、自分の所属学年、分掌などが決定される。加えて「部活動顧問」についてもご意向を確認しながら決めていくのである。
・ しかしここで気をつけなければならないことは「教員が教員の手でやると」そこには「生徒への視点が失われる危険性がある」ということである。特に「持ち時間や学年渡り」などは気をつけておかないと行けない。・ 即ち「教員負荷均等論」が出てきてとんでもない「教科時間割分担表」などが出て来たりするからだ。とにかく教員は「持ち時間平等論」に異常にこだわるところがあるから要注意である。しかしもう浪速ではその心配もない。

・ 私は今日みたいな日は特段の用なしの日で別の仕事をすることになる。教員の邪魔をしたくないのである。従って自分でなければ出来ない仕事に集中した。即ち29日の理事会資料を完成させた。
・ 「教員が出来ない仕事が自分の仕事」である。「教員では決められない仕事が私の仕事」である。「校長の仕事は物事を決めること」である。理事長・校長と教職員の仕事は根本的に異なる。異なるから良いのである。この単純な理屈が分からない勢力が時に存在するから学校は「ややこしくなる」。しかし4年経ってこのような教員は本校にはいなくなった。

・ 特に私立学校教員は「教育公務員」ではないから余計に「経営側の権限と教員の権利を峻別」しておかねばならない。この点を混同すると自分たちが経営者と思って誤解する羽目になるのである。

・ 私学経営者の3つの権限は「教育目的設定権」「人事権」「施設設備管理権」だと思う。特に私学は「建学の精神」があり、100年も前の精神が生き続けているのである。それを後から入ってきた人間が「あれこれ」言っても「意味の無い」ことなのである。嫌なら去るだけの話である。

・ 入試広報室の派遣の女性職員を4月1日から本校直採用の常勤職員としたい旨、本人に面談して意向を確認しその場で決定した。極めて能力の高い人で責任感も高く、良い人材を確保できたと大変喜んでいる。この職員も今後は賞与一時金が支給されるし昇給もあるから生活基盤の安定に役立つのではないか。このような決定は当然だが人事権を有している理事長しか出来ないことなのである。

2011年3月24日木曜日

23年3月24日(木)併願戻り確認の日

・ 「朝曇り」で天気の気配は出勤時にはすでにおかしく、肌寒い日となった。今日は「公立高校合格発表日で併願戻りが確定する日」であった。今年はどういう訳か結果が気になって仕方がなかったのである。まあ例年心配で同じ事を言っているのだが。
・ 昨年は「公立高校の授業料無償化と府立高校の定員増」の影響が心配であった。今年は「私立高校授業料無償化拡大」の影響で全般的には「私学へのフォローの風」となっているが、事態は「本校ではどの程度のフォローの風か」という個別の話になってきている。

・ この期に及んで「総論」などどうでも良い訳で「各論」がどうかということである。管理職朝会が9時35分に終了した。時計を見上げて後25分で公立高校は合格者の番号を各校で掲示するから「今、その準備中だな」と昔の経験で光景を想像した。

・ 私は29日の理事会の資料を作成している。昨年は31日に理事会があったから今日の併願戻りの数値が確定してから1週間は余裕があったのだが今年は時間的余裕が無いから些か忙しいのである。

・ 23年度の生徒数が決まらないと「23年度の当初予算」が作成できないのである。又この入学者数は経営計画に直撃するから本校のように「新校舎建設を計画」しているものにとっては今日は極めて「神経質な日」なのである。

・ 数値は決まらないが黙って何もしない訳にも行かないから私は架空の数値を入れて実は資料を仮に完成しつつある。こういう場合実にパソコンと言う武器は便利この上ない。後で「修正」したり「上書き」したりはいとも簡単だからである。

・ 元も資料作りは全く苦にならないし、どちらかと言えば資料作りに「快感を感じる」方であり、あれこれ纏めながらこの1年間の整理は自分の頭のリフレッシュにも繋がる。とにかく資料で大切なことは「この資料は何を言いたいか」が明確であることが絶対条件である。

・ 資料を作るのが「下手な人」ははっきり言って「頭の中が整理できていない人」と思う。又抽象的なことをいくら書いても意味はない。「具体的」に、そのためには「数値の裏付け」がないような資料は観る気にもならない。

・ 12時昼食。長い間ご指導頂いた入試広報室の顧問先生が今年でお別れになるので「お別れの挨拶」に来られた。元堺市の中学校の有力な校長先生でどれほど本校のために貢献して頂いたことか。
・ 先生は私との4年間が「貴重な経験であり、躍動感があって大変面白かった」と言って頂いた。私は嬉しかった。先生には今後ともご支援いただきたいと入試広報担当の教頭を呼んで「説明会などでは助けていただくように」指示したのである。
・ 男らしい先生で社会との繋がりを持ちたいので何かあれば仕事をしたいと言われ、その場合でも「他の私立高校での勤務はしません」ときっぱり言われた。これでこそ「義に生きる」男の面目躍如たるものがある。

・ 昨年も入試広報室からベテランの先生が現役を去られた。この先生は本校OBで浪速の教師、実に人生の48年を浪速と共に歩んでこられた先生なのだが、」このようにして「世代交代」が進んでいくのだと思う。又私も意図してそれを図っているのだ。そうしなければ若い人々にチャンスが回って来ないからである。
・ その先生が最後に言われたことを思い出した。「中学校に配転になってから教師とは一体何かというものを学んだ」といわれるのである。大変立派な3人の先生の傍に居て、これらの先生のおかげで「自分は教師に初めてなれた」ような気がすると言われるのである。素晴しい。
・ そして次の先生のお言葉が圧巻であった。「教師というには40歳を過ぎて初めて自分は先生かどうか言える」のであって40前の教員はまだまだ「学校の先生」と言うにはおこがましい」と言われるのである。
・ そしてM先生は「教師は良い教師によって学び育つ」と言われた。この二つの言葉は特に若い教員が「かみ締める言葉」だと思う。40前はひよこ、良い教師の恩師を持てと言われるのである。言い方に「迫力があった」。

・ 初の併願戻りの生徒が事務の受付に来られた時間は11時34分だったと事務の女性職員が言う。少し「出足が遅い」のではないかと当初は心配した。しかも今年の特徴は極めて摩訶不思議な現象が起きている。
・ 府立の発表の後入試広報室や事務室に電話が多いのである。内容はほぼ同じで「入学金を29日まで待っていただけないか」というものであった。これは府立高校で失敗し公立の2次募集に馳せ参じるためである。
・ しかしこれを認めれば公立私立の入試システムは根底から崩れるのではないか。何のための併願システムかという根本問題になってくる。一段、二段とレベルの低い公立へと、実際これは定員割れしている学校も多くそこへ願書を出すと言うことは私学併願合格をないがしろにするものである。

・ 入試広報室の方針確認に対して私は明確に「15時までに入学金をお支払いくださるか、あくまで公立狙いならそちらを優先させてください」とお答えするようにきっぱりと指示したのである。
・ 来る当ての無い受験生を29日まで待つことは諸準備の関係で待てないし、15時まで入学金を納めて頂く保護者にも公平性を欠く。これは出来ない相談である。しかしこれは全く今までに本校では経験したことのない現象で私は当惑したのである。

・ 14時25分、入試広報室長が「600名を超えました」と報告に来てくれた。まだ15名程度並んでおられるのでまだ伸びると思います」と言う。私は一つの節目である600名を超えて一安心したのである。分水嶺は600と考えていたからである。


・ しかし又14時40分には620名を超え、まだ並んでおられるのを数えればひょっとしたら630名を超えると思います」と言い直しに来てくれた。私は「ウーン」と言う感じでこの620名と言う数値を受け止めたのである。
・ 実は619名で「平成23年度期首の総生徒数は中学校を入れて2001名」となり遂に2000名を超えたのである。私は感慨に浸ったのである。遂に2000名の生徒数を数えるマンモス校になったかと。同時に「責任感で身が引き締まる」のを禁じえなかった。
・ ところが何とそれでも受け付けに来る生徒の数は増える一方で遂に用意した資料が足りなくなり関係の教職員総出でコピーに入るなどしているのである、数値は遂に670名を超えて信じられないくらいの数に膨れ上がっていったのである。
・ 15時過ぎ締め切った。最終数値は676名であった。すごい数値である。「今年も勝負に勝った」と思う。何の勝負かといえば「自分の行ってきた経営結果」についてである。「併願戻り数は182名で専願と合わせて戻り率は9.6%」となった。

・ 過去経験したことのいない巨大な数値で管理職会議を行い、クラス数は16クラス、新たに担任を1名指名し、教室も一クラス余分に手配が要る事を確認したのである。不足する英語教員は兼ねてより目を付けていた人を急遽夕方に面接して採用を検討することとした。

・ 体育館では「併願点呼」が静々と行われており、新学年主任が緊張感を持ってリードしていた。説明している声は幾分震えているような感じであった。「それで良い」。少し緊張感を持ってやるほうが良いと私は満足した。
・ しかし私学は不安もあるが面白いし、チャレンジグだ。努力すれば結果がすぐ出てくる。震災で幾分疲れていたが元気が戻ってきた。私は70歳まで第一線で頑張る積りだ。この素晴らしい教職員を大切にして共にやって行きたいと強く思った。
・ 少なくとも「新校舎建設」は私の手で図面を描かなければならない。早速16時過ぎに設備担当を呼んで「檄を飛ばした」のである。「急ぐぞ!!」と。明日よりそのための理事会提案資料の作成である。忙しいことを快感に感じるのでればその人は輝いていると思う。今日の教職員は光輝いて見えた。本当に良く頑張ってくれた。