・ 随分前に入試広報室長と副室長が外部機関の研修会に参加したいと言ってきたので、了承して参加させた。題目は「学校経営なんとか」というものだったような記憶がある。「ウーン、この学校の私のやり方が学校経営そのものなのに・・・」と思ったが、確かに「他所を見なければ分からない」こともあるので了承したのだ。
・ 人間と言うものは悲しいもので「身近にあるものは時として見えなくなる」ものである。他所から自分たちを眺めて初めて「身近の本物がある」ことが理解出来るのである。この二人が帰ってきて「どうだったか?」と聞くと「何時も理事長がおっしゃっていることと同じでした。」と答えたのを今でも忘れない。
・ 「経営」と言う言葉は今やあたり一面に「氾濫」していると言っても過言ではないくらいに人の口端に上る。ジュンク堂でもどこでも本屋さんの書棚には「経営と言う言葉の付いた書物」の如何に多いことか。従って世の中には経営評論家と称する人も当然多い。
・ 経営とは木村流で定義すれば以下の通りになる。「トップがビジョンを定め、組織を整えて組織の構成員に説明責任を果たし、目的を違うことなく、目標を達成するように、組織を遣って持続的に間断なく事を行い、大切なことはトップ自ら責任を明確にすると同時に構成員に対して結果に対する適切な評価・処遇を行う」ことである。
・ 3月31日で理事長・校長として丸々4年間が来る。この4年間、私がやってきたことは「浪速高等学校・中学校という組織体の経営」であった。校長兼務であったから「校務運営」の責任も果たしてきた積りである。
・ この「理事長・校長兼務」という職位が本校ではまったく初めてのもので「絶対的権限」を有する。これは学校の教職員にはいささか難しいだろうが企業で言うところの「取締役会の代表取締役」と「執行役員社長」を兼務しているのである。この考えが理解できる教職員は偉い。何故なら勉強しているからだ。
・ 平成14年頃から「民間人校長論議」が盛んになり、実は私も大阪府最初の民間人校長として府立高校の校長となって赴任したのだが、結局「公務員の校長は経営者足り得なかった」。
・ 公立学校の経営者とは結局知事であり、独立委員会の教育委員会が実態であり、校長は「校務の責任者」でしかなかった。責任者と経営者は異なる。従って民間人校長の当てはめ用件としては「民間企業での管理職経験」までがせいぜいであり、当然限界はあったし、それは「現状の仕組み」からすればどうしようもないことなのである。
・ 従って幾ら言葉で「学校社会にも経営の視点を」などと叫んでみても実践論としては経営などの言葉を使うことさえ、慮るような限界はあるのである。幾ら校長が「この学校を経営し・・・」なんて言っても、それは「嘘、まやかし」に過ぎない。「この学校の運営と致しましては・・・」というのなら分かる。
・ その理由はいろいろあるがまず「校長には人事権がない」。最近では校長の人事要望に対して幾分配慮されるようになったとは言え、今でも「意見具申権」しかない。校長が「一応教育委員会には物申しました。・・・」では迫力も影響も何にも無いだろう。公立の教職員はこのことを皆知っている。
・ 次に「予算編成権」がない。学校単位に「今年の予算は幾ら幾らで・・・」と教育委員会から示されるが、校長自らが「絵を描いて予算化する」などは出来ない。「当初予算」を知事部局から示され、それで課長、部長折衝と重ねても特定の学校に思い切った予算化などは難しい話だ。
・ それは「1年度の単年度予算」だからである。「税収を原資」としている行政体であるから複数年度にまたがる予算などは極めてしんどい。来年度の収入見込みなど簡単には立たないからである。私はこの「単年度予算が公立学校の中長期的戦略作りへの困難さ」をもたらせていると思っている。
・ 経営論で言えば経営者と部門長では全く視点や拠点が異なるのであり、まして一般の教職員とは全然異なる。校長は全体を統括する部門長ではあるが結局前述したように経営者足り得ないのである。
・ しからば私立高校はどうかという議論であるが、これは公立高校とは根本的に異なる。「経営権の独立」で教育委員会などないから、それぞれの私立高校の理事会・評議員会の決定が優先される。
・ そして私立高校において最も重要な職位は「理事長の職位」である。私立の理事長とは教育委員会の教育委員長と教育長の両方の権限を有した絶対的なポジションである。勿論、「出来る理事長」でなければならない。
・ 残念ながら浪速には今まで少なくとも、「経営者は居なかった」と言える。居ても組合などの様々な力学要因が働いて「経営の力を発揮できなかった」のである。府内にも100近い私立高校があるが、しっかりとした経営をしている私立高校と学校経営よりトップが「ワイン通」の学校などはのっとられたり、組合との軋轢で勢力を落としている学校など様々である。
・ 一般的に理事会組織が強いところか、理事長と校長が兼務の学校には経営推進力の高いところが多いと思っている。共通して言えることは労働組合と「対峙」して「訴訟など」の抗争になっている学校は徐々に体力を落としているのではないか。学校の「経営の力」が問題なのである。
・ 経営の要諦は「人事・組織」「会計・財務」「戦略・マーケッティング」の3つである。これをバランスよく展開することが重要で私はこの3部門にこの学校としては「革新的なやり口を導入」してこの4年間を過ごした。
・ そして、人事組織制度を改め、会計財務に厳しい目を注ぎ、徹底して広報力を高めて「生徒数の増」を図り、「人件費比率を適正規模」に収めて「誰の目にも分かるアウトプット」を出してきた。これが「経営結果」である。
・ 民間企業でも株価と経常利益とか目に見える経営結果が問われる。利益を出さない経営者は責任を取って退場である。売り上げを伸ばしコストダウンを図って利益を出し、その「成果を従業員や株主に配当することが経営者の責任」である。
・ 学校も全く同じことである。「良い教育を展開」し、「生徒増を図り」、中長期的な視点で「教育環境を常に高める努力」を行い、「教職員が矜持を持って働ける」ような学校文化を継続的に構築することが経営である。
・ 自分でも驚くがこの4年間で実に様々なアウトプットを出してきた。その投資総額は「浪速武道館」を入れて10億円を超える。感無量である。生徒が歓声を上げてこれらの施設設備で頑張っている姿を見ると「良かった」とつくづく思うのだ。
・ 私はキャッチコピーとして19年度「浪速が変わる、浪速で変わる」、20年度「浪速改革はまだ続きます」21年度「新生浪速の第2章」、22年度が「教育トライアングルの完成」で4年が経過し、目標全てを実現してきた。
・ 単に共学にしたからここまでになったのではない。この4年間、私のビジョンの下、教職員が「小異を捨てて大同につき」、意思結集を図って血と汗の努力で一致協力して頑張ってくれたからこそ今の浪速がある。
・ 組合との軋轢など全くなかった。組合はどちらかというと先陣を切って理事長方針に賛同してくれ先頭切って「仕事をしてくれた」。これだけは間違いない。私は今思うのである。「強将の下弱卒なし」とは不遜で言えないが、少なくとも「一将功なって万骨枯れる」ではいけないことは深く自戒している。
・ 弱い60歳を遥かに超えた。現役残り少なくなって今更金や名誉などは不要である。私を信じて付いてきてくれた教職員が可愛いのである。「いとおしい」のである。とにかく20代、30代の若い先生方が21世紀を力強く本校を基盤にして生きて行って欲しいから、最後の力を振り絞って未だ先頭に立って頑張っているのである。
・ 多くの若い先生方が本校に職を求めて今やその数も半数を占めるようになったが、殆どの人はこの4年間の歴史を知らない。「今日の浪速の過ぎし日々に何があったか」、それを伝えていくのも我々の責任である。