2011年3月26日土曜日

23年3月26日(土)教師が保護者を訴える第2弾

・ 新聞記事は大震災に関るものが当然のことながら、紙面の大多数を占めているが、その中で今朝の産経新聞に見逃すわけには行かない記事が出ていた。「快刀乱麻」というコラムで教育評論家の石井昌浩氏が「教師が保護者を訴えた意味」と題して投稿されている。
・ この石井氏は東京都の職員からスタートし、都立教育研究所次長、国立市の教育長などを暦任した教育行政を主たる専門とした教育行政マンで「学校が泣いている」「丸投げされる学校」など著書もある。「右派の論客」とも称して良い人物である。
・ 特に「学校が泣いている」の著作は現役の国立市の教育長時代に出した本で当時相当騒動になった。「国立(くにたち)の教育を守る市民連絡会」と称する団体が石井氏の行為は現役の教育長として国立の教育を貶める「信用失墜行為」として教育委員長に陳情したりして当時話題になった人物である。

・ 教育評論家として時々「光る意見を投げかけている」人であるが、今回の記事内容には納得しがたい点がある。これは今年1月18日にこのブログにおいても私自身も詳細論じたものであるが,突如としてこの記事が産経に出てきた。
・ 単なる想像であるが、私の意見に真っ向勝負をかけてきた感じがする。タイミング外れという気がするが見過ごす訳には行かず、再度私の論点を述べてみたい。事件は昨年9月のことだった。石井氏は校長経験など現場実践の経験など無いのではないか。
・ 埼玉県行田市立小学校の女性教師が度重なるクレームで不眠症になったなどの理由で担任する3年の両親を相手に慰謝料500万円を求めて提訴した。理由は「不眠症」になったからと言う。
・ この記事に対して私は教師が自分のクラスの生徒の親を提訴するなど「前代未聞」のことであるとこの教諭と校長を厳しくブログで断罪した。4枚も書いているから相当力を入れて書いていたことが分かる。
・ 石井氏はあれこれ書いているが「教師のこの行為を是として、よくやった」と言わんばかりに論陣を張っているのである。少なくともそのように私には思える。産経がこのような内容を掲載することにも驚いたが、石井氏がこの教師の行動を正当化する論拠が余りにも空疎でまさしく「絵空事」と思えて再度反論を展開したい。
・ 氏が今まで展開してきた教育界の話と大きく色合いが違う。私はそこが理解できないのである。「教師が保護者を訴えた意味」と記事の見出しにあるように氏は今回のことを「緊急避難」としている。とんでもない話だ。まず反論として緊急避難で教師が保護者を訴えてはなるまい。生徒に緊急避難はあっても教師に緊急避難などあるのか。

・ “教師は子どもや親からの攻撃にじっと耐え続け、専門職としての誇りを剥ぎ取られている。わが子のことしか見ることの出来なくなった親の身勝手な要求は常識というブレーキの壊れた親の問題行動によって学校の教育機能が破壊され始めていると言っていい”とまで氏は書いている。破壊などされていない。
・ “親の間には教師に何を言っても許されると錯覚する風潮が広まっている。一部の親は公立学校の教師をなめきっているのだ。”ともある。“自らの思いを絶対視して理不尽な要求を突きつける親たちに教師は心身ともに疲れ果ておびえている”との文言も有る。おびえてなんかいない。
・ そして最後は「もうそろそろ公立学校の教師をやみくもに非難し追い込むのは止めようではないか“で終わり「教師が親を訴えるのは前代未聞」とか「訴えるべき相手は上司としてサポートしなかった校長や市教委」との意見は「お門違いの考え方だ」と批判しているのである
。やみくもに非難なんかしていない。
・ 今まで氏の論点は「行き過ぎた子ども中心主義からの脱却」であった。これが全ての教育問題の根底にあるとの視点で子どもや保護者との関係の実態を見つめて舌鋒鋭く教育界の現状を攻め立てた人である。氏の言う「行き過ぎた子ども中心主義からの脱却」については私自身も賛同する部分はあるが、今まで氏の主張の根底にあるものとこの記事は大いなる乖離がある。

・ まずこのような教師は極めて稀有な例であることを押さえねばならない。戦前戦後教師が保護者を訴訟するなど我が国では初めてのことである。この教師が「一般的な教師ではない」ことも押さえておかねばならない。また学校にクレームをつける保護者はいるがそんなに多くいるわけではない。居ても比率の問題であり、公立の保護者の多くがこのようなタイプばかりではない。

・ 「保護者は無茶苦茶を言っている」と言うのは何時も学校や教師の側の視線からであり当の保護者からすれば「至極まともに物申している」のである。「身勝手な要求」と切り捨てては先には進まない。それぞれの人生があって様々な保護者がいるのである。様々な生徒がいるように色々な考え方をした保護者がいる。それを受け入れるのが学校である。
・ この事件の発端はこの女児と他の児童とのいさかいを仲裁した際、この児童の母親から「相手が悪いのにうちの娘に謝らせようとした」と教師にクレームを付けたささいなことから事件は拡大していった。ニッチもサッチモ行かなくなって当然保護者は市の教育委員会や文科省に口頭や文書で訴えたり、女児の背中に触れただけで警察に暴行容疑で訴えたという。
・ 保護者の怒りの程度が良く分かる。私は言う。「初動の段階で糸がもつれた」のである。ここまで事態が来てしまうと解決には容易ではないがそれでもまだ解決できる話であった。3ヶ月ですぐ訴訟はない。大体保護者はすぐ教育委員会に行くものである。何処へでも行かせばよいではないか。

・ 一般的に言って保護者とは自分の子どもには「絶対愛」であり、時に客観性を失うものである。親とはそういうものではないのか。子どもを守るのは自分しかいないと思い込んでいるのである。

・ 6月に事件があって、そして9月に提訴だから新幹線みたいに早い話である。余りにも訴訟までが短い。保護者からの訴訟ならまだ理解できる部分はあるが、それが教諭の訴えというから、これはおかしいと感じるのは、それは国民の一般的な感情だと私は思う。この事件を報じた週刊誌などの論調もそうであたように思う。

・ この間1ヶ月の夏休みもある。話し合う時間はたっぷりあったはずである。ところが教員は一切話し合いに応じなかったという。そしてこの教諭は一連の保護者の行為で不眠症に陥り教員生活の継続に重大な支障を生じさせられたと主張し、500万円要求し、辞めるどころか未だに教員を続け担任も継続中だという。

・ 不眠症だというが今日の社会に生きている人間は大なり小なりこのようないさかいや争いの中で生きており、誰もがストレスの中で生きている。しかし不眠症になったからと言って自分の生徒の親をたった3ヶ月間で訴えるだろうか。

・ この学校の校長もおかしい。文書で市教委に対して「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないように教諭が代表して訴訟をしていると受け止めている」と出しているから「背景は明白」である。この校長も全くどうしようもない。

・ 大体マスコミが遣うモンスターペアレンツなどの言葉は学校の管理職が公文書で使う言葉ではない。個別の事案をさも全体に拡大する意図が見えているのである。だから話し合いにも応じず「訴訟が最初からの道」ではなかったかと疑念を抱かれるのである。この保護者は「人身御供」となったのである。

・ 両親は「学校は実態を調べないで自分たちをモンスターに仕立て上げた」と朝日新聞の記者に話しているとの事だがその通りであろう。いじめ事件などでもテレビ出てくる管理職の常套語は「いじめの兆候は無かった」と言い、しばらくして「やはりありました」と謝罪するテレビ画面をどれほど我々は見せられて来ただろうか。

・ 学校と言うのは「調査する」という行為に極めてセンシティブである。それは行き過ぎた「人権第一主義」みたいなものがあるからである。その証拠に該当する教諭はまったく取材に応じず、教頭が「教諭と保護者のそれぞれの人権を尊重しているのでコメント出来ない」と最も一部の教員が得意になって使う金科玉条たる人権という言葉を持ち出してきている。
・ 自分の問題解決能力のなさと人間としての未熟さを世間に恥をさらしたようなものである。しかしこの教諭は1991年に教員になったというから20年のベテランである。経験不足の教諭とは全く言えない。だから私は背景に何かあるのではないかと思うのである。

・ 「日本女子大の坂田教授は「児童本人のことを考えれば訴訟は避けるべき」と延べ、更に「芽が小さいうちにトラブルに気づくこと」と言われている。至極もっともで誰が考えてもこのように思うのではないか。これが普通の常識ある対応である。

・ 教頭の言にあるように「教員の人権・・・」とか言うが基本的に教職にある身にとって人権などあるのかというのが私の素朴な疑問である。今回の東北関東大震災でも献身的に我が身はくたくたになっても生徒を守っている教師の話に私は涙する。これでこそ本物の教師である。

・ 火に取り囲まれた保護者との関係から自分だけ先に「訴訟と言う道」に逃げて生徒のことを考えない教師など教師ではない。あくまで「教師とはまず第一に生徒を守る」ものではないのか。この生徒は不登校などこれから辛いことになることを心配する。まず自分の人権を言う前に子どものことを考えて欲しいと言いたい。

・ ところが不可思議なのは教員ほど「人権、人権」と叫ぶ職業人はいないのである。教師とは大体弱い、脆いものである。生徒には厳しく言えても外圧には弱い。社会の荒波から学校という塀の中で閉じ込められて生きている人々である。

・ そこへ持ってきて高給が保証され身分も安定し社会から「先生、先生」と尊敬を受ける人々である。このような職業は今の時代、学校の教員以外にはなかろう。ここが最も陥りやすいこの職業人にとっての鬼門である。

・ 良いフォローの時には強いが脇腹を刺されると一挙に壊れてしまう職業人だと校長8年間の経験で分かった。だから教員に心の病が多いのはそのようなことなのである。この教師もこの保護者で自尊心をずたずたにされたのだろう。クレームで心の病になるのではなくてこの職業の持つ業みたいなものが原因である。

・ 教師はもっと「耐え忍ぶ」ということを勉強し身に付けなければならない。息の抜き方、ストレスの発散方法など人間の幅を広げていかないといけない。「人間の幅が極めて狭い」からこのように直ぐ3ヶ月程度で訴訟などに出る行為をする。自分を守っているのだろうがそれは守っていることにはなっていない。自滅への道である。

・ 自分の生徒とその保護者は絶対であると「覚悟」がいる。「自分の人権を言う前に」徹底してやるべきことをせよ。クレームもあるがその対応も高い給料の内と心得たらどうか。自分に厳しい保護者もいれば自分の味方の保護者もいる筈である。
・ 世の中に畏怖し尊敬するものがないから教員は誇りを通りこして傲岸不遜、うぬぼれ人間になり、しこうして勉強しない。謙虚でないのである。だから教員の常識が時に社会の非常識だということに気が付かない。分かってきても「学校のことを知らない人」の言葉に耳を貸そうとはしないのである。