2011年3月21日月曜日

23年3月21日(月)その1:地震の怖さを知る

・ 20日(日)朝8時30分に出発して16時30分には難波に到着した。鹿嶋からの脱出でもなければ避難という訳でもない。当初計画通りの行動である。学校というものは1年でこの年度末3月が最も忙しい時期であり、組織のトップとしてこれ以上学校を留守にするわけにはいかないからだ。

・ 自宅の内部の片付け、屋根瓦や壁などの補修を出入りの工事業者に依頼して大体鹿嶋での作業は終わった。余震の続く鹿嶋に居ても仕方が無い。壁にかけていた額縁など全部外し、食器棚の両開きドアには紐をかけて開いて中のものが落ちないようにして万全の措置をとった。

・ 帰りの東名高速は全く渋滞などなくて車も少なかった。マルゼン石油のタンクローリーが北部に向かって走っていた。後述するがガソリンにまったく心配がなかったから安心して運転に集中できた。今回の往復1600キロの運転は「虎の子のガソリン」をたっぷりとトランクに有していたからである。
・ 遂に恐れていたことが表に出てきた。必ず来ると思っていたがやっぱり来たという感じだ。福島県の原乳と茨城県のほうれん草に千葉県のシュンギクなど放射性物質の汚染があったというニュースである。今朝は出荷停止となっている。全然健康被害には関係ないレベルであるが「風評」というのは怖い。
・ 発ガンリスクというが喫煙の方が何倍もリスクは高いが人々はこれらの産地の食べ物を敬遠する。今後海産物などにも伝播していくのかもしれない。「福島原発はこれで万事休す」となった。「復活など有り得ない話」だ。政府筋も「廃炉」を匂わせていたが、当たり前である。


・ 昔から「地震・雷・火事・親父」と言う言葉があって、これは「怖いものの順」なのだが、本当に地震は怖い。齢を60歳を越えて怖いものなど無いと嘯いていたが、地震は怖い。毎日マグニチュード3-4程度の余震が何十回も続いて、そのたびに「びくッ」とする。まず下から「ヅン」と突き上げられその後「ギシギシ」横揺れするのだ。

・ 福島原発の事故のニュースを聞いてまず私は思った。これはまずいことになったと。鹿嶋市は首都圏の東外れ、海沿いの田舎町なのだが福島県から比較的近いので原発が最悪の場合、どうしようかと思ってしまうのだ。学校の校長であり私が今「死の灰」を浴びるわけには行かないからだ。

・ しかしそれにしてもテレビ報道の原発の説明や解析は一体どういうことか。多くの日本人は今や「原発の構造」など完全に頭に入ったのではないか。次から次と大学の専門家という先生が出てきて解析するが正直何を言いたいのかさっぱり分からない。

・ 知人の女性なども、このテレビの報道を聞いて「あの人たちの言っていることさっぱり分からない。聞きたいことはまだ逃げなくて良いのかどうかだけ知りたいの」と怒っていたがその気持ちは分かる。


・ 読売新聞は「東日本大地震」と書き、NHKテレビでは「東北・関東大地震」と述べているが正式にはまだ決まっていないのだろ?被害の大きさからテレビや新聞報道では東北の被害状況と福島原子力発電所のニュースばかりであるが関東地方の被害も結構大きいものがある。
・ 茨城県の湾岸部も津波の被害が相当あったが東北のそれに比べて小さいものだからマスコミも報道しない。それを茨城県の人々は内心では面白くないと思っている。救援物資などまったくこの地には来ない。しかしそれは被害状況が全然違うのだから仕方がないのではないかと思う。

・ 特に私の住んでいる鹿嶋地方は「人のいない町」のような状況に陥っている。人通りがない。人々は外に出ていないのである。余震もあって出ることが出来ないのであるがもう一つは車にガソリンがないのである。学校もお店も完全に休業である。

・ 私の勤務した住友金属鹿島製鉄所は地震の影響による操業休止中である。私がかって工場長を務めた中枢の生産現場が深刻な設備損傷を受けている。24時間稼動の製鉄所が止まるなど超非常事態なのである。気になって仕方がない。被災した自分の家をほったらかして復旧災害に昔の仲間は当たっているのだろう。

・ 1昨日など全国版のNHKニュースで「計画停電で真っ暗になった町:鹿嶋」と紹介されたものだから鹿嶋の住民が面白くないと感じるのも理解できないわけではない。茨城県の橋本知事は大阪の橋下知事と1字が異なるが、橋下知事に比べて温厚な人である。

・ この知事が珍しく怒って「被災地まで停電にするのは何ごとか」と政府に申し入れをした。そのおかげでテレビに出演出来て、たった一日で鹿島茨城地方を含め被災地は停電対象から外れたのである。これはささやかな鹿嶋市の貢献であった。しかし避難所にいる人々を追い討ちするように停電にしてしまうなんて普通は考えない話だ。


・ しかし今回の大震災の特徴は建物の倒壊は少なくて「津波被害」が甚大であったこと、三陸から鹿島灘まで400キロに及ぶ海岸部に壊滅的な被害を出し、それが放射線事故を呼ぶ原発被害とそれに伴う電力不足から「計画停電」をもたらした。

・ そして物流問題から来る「物品不足」である。「風評」も伴い次から次と「被害の連鎖」である。この風評をもたらしたのが「福島第一原発」である。福島には品物は入っていかないのだそうだ。「被爆」が怖いのである。南部のいわき市や茨城北部にも物品輸送の車両が入って来ないから当然「品不足」になる。「放射線が怖い」とう訳である。

・ 最大の問題はガソリンである。今や車は無用の長物であり、何処にも出かけることが出来ない。関西の人々は暖かい土地柄だから案外ご存知ないのかも知れないが、関東や東北の人々にとって「灯油」は必需品なのである。この灯油もまったくないのだ。
・ まさに地獄絵を見るような東北地方の被害状況である。運よく被災としては規模は小さく東北の人々と同一には論じられないが、同じ被災者として私はあの人々の気持の幾ばくかは理解できる。まず「絶望」である。先行きへの不安から元気など出てこないのだ。東北の人々に「希望を有して貰う」具体的支援が必要である。言葉はもう良い。