・ 歴史的起源は明らかでないが平安時代には貴族の子女の「遊びごと」としてあったそうだが江戸時代に本格的になったと物の本にはある。「人形遊び」と節句が結びついて「雛遊び・・・雛祭り」と発展したと言う説には肯ける。
・ 昔和歌山県の加太に近い場所に住んでいたことがあり近くに「淡島神社」という由緒ある神社があったがここに行くと納められている人形の数と様々な顔にまず驚く。何か「不気味な感じ」さえするのである。ここの雛流しは有名であるが早速夕方のテレビで放映していた。


・ 最近女性の強さと言うかしたたかさというか大きさと言うか、女性の持つ「底知れぬパワー」みたいなものを感じる。年を取ってくるとますますその思いを強くする。もう男性は金輪際女性には適わないのではないかとさえ思う。何を今頃になって言う、そんなことは分かりきった話だと言われそうだが・・・。
・ 2月28日のブログで「男と女の脳の違い」について言及したが「脳みそ」だけではなくて、心臓も女性は二つあるのではないかとさえ思ってしまう場面に多々出くわす。過日着物を着て難波を歩いていたら知らない中年の女性二人に呼び止められた。
・ 「おっちゃん、着物似合うやん」と言って着物を指で触るのである。そしてもう一人の人に「あんた見てみ、これ大島やで」とか何とか、突然のことでびっくりしたのである。しかし大阪のおばちゃんはすごい。
・ しかし学校社会で女性を語る場合は気をつけなければならない。平成14年4月府立高校に着任した時分には幾分ジェンダーフリーという運動も下火になっていたとは言え、まだ教育界ではこの思想と言うか運動は残っており民間人校長として府教委の指導を受けたことを今でも覚えている。実はひな祭りとジェンダーフリーとは関連があるのである。
・ ジェンダーとは社会的性別のことであるが固定的な観念や役割からの解放(フリー)を目指す運動としてジェンダーフリーと言う思想(?)にとらわれたいわゆる「フェミニズム達の運動でこれが教育界にも霧雨のように降りかかっていたのである。
・ 運動の本質は「らしさの研究」でまさに「男らしさ」「女らしさ」であり、このような「性の差」が差別の根本原因と言う論の主軸はまさに「女性学」の哲学的基礎となったボーボーワールの「人は女に生まれるのでない、女になるのだ」の標語であった。
・ 私は学校においては「男らしさ、女らしさ」という言葉は使わないほうが良いと教えられた。正直民間会社から教育界に転じて様々なことを知るにつけ、驚いたことは多くあったがこのジェンダーフリーと言うのもその一つだった。
・ 学校界のジェンダーフリーは一言で言えば「男女混合」である。男子生徒は男子生徒、女子生徒は女子生徒と分けてはいけないというのである。まず取り入れられたのは生徒名簿の混合である。
・ 「生徒名列」とか本校では「名箋」と言うのだが、生徒名簿は男女混合にしなければならない。男女を別々にして男子を先に読み上げ女子を後にするのは良くないのだというのである。これが「男女混合名簿」である。
・ 着任した府立高校は特に進んでおり沖縄から帰ってくる修学旅行の寝台列車で男女混合にしたという事件があって、さすがに私は息巻いたがこれは担当教諭のミスと言うことで事なきを得た記憶がある。これくらい男女混合と言うことに学校界は拘るのである。
・ 確かに悪いことではない。男女含めて五十音順に整理して読み上げたりすることは今日的ではあるが一方では体育科は自分たちで男女別々の名箋を作ってやっている。それは特別な場合を除いて男女別々の教科指導だからである。「なんてことはない」のである。意地の悪い御仁となるとそれなら男女同じ競技をせよとなりかねないのである。
・ 兼ねてより日教組は「男子生徒と女生徒の役割分担を固定化しないジェンダーフリー概念を教育現場に」との主張を行ってきた。女性の社会進出が進むにつれてこの勢いはますます強くなり「男女共同参画社会基本法」の制定で一つの「教育運動」となったのである。
・ 当時の資料などを見ると笑ってしまうのだが「クラス名簿を男女混合にする」「運動会の競技を男女混合にする」などはまだ良いとしても「靴箱やロッカーの男女混合」「修学旅行の夜行寝台の男女混合」など信じられない動きなども出てきた。
・ 女生徒のブルーマーの廃止、男子生徒の短パン廃止をして男女兼用のハーフパンツとし小学校ではランドセルの色は女児は赤やえんじから男女兼用の青や緑紫などにする動きも出てきた。
・ 極めつけは思春期以降の生徒にとってはジェンダーフリーと性教育は密接不可分として過激極まりない性教育などが実際の現場に出現するようになった。性器がついた男女の人形に性行為をさせて生徒に見せるなど今でも行っている学校は今もあるのである。
・ 2005年3月に日教組は政策提言として国に男女平等教育のための基本方針の策定など提案し、それは今でも大きな影響を教育現場に与えているし、日本女性学習財団や日本女性学界などジェンダーフリーの運動母体として多くの組織が存在しているのである。
・ 日本女性学習財団発行の冊子「新子育て支援 未来を育てる基本の動き」の中には有名なフレーズ“無意識のうちに「男らしさ」「女らしさ」を押し付けていませんか、振り返ってみましょう”と「男らしさ、女らしさ」の概念の排斥運動が一躍教育現場に登場してきたのである。
・ 典型的なジェンダーフリーに反する例として男らしさ女らしさと言う言葉は教育の現場で禁句となったのである。「ひな祭り」やこいのぼりなどの伝統行事の見直し、女の子にさくらや美咲、優花などの名前、男の子に翔太、翼などの勇ましい名前もおかしいと主張し始めたのである。
・ ひどいのは出産祝いに女児にピンクの産着、男児に水色の産着を送るのもジェンダーフリーからすればおかしいとし「男は強く元気に、女は優しく美しく」と性別と人のあり方を結びつけるものだと断罪し5月5日が全ての子どもの祝日なのだから、ひな祭りも性別によらない祝いの日にするべきと書いてある。
・ 2003年に福岡市で開かれた女性フォーラムでは昔話の「桃太郎」を「桃子」に変更し、ストーリーを変えた劇を上演したと言う。結末は桃子は鬼を退治することなく話し合いによって解決したという。「笑い話」にもならない。
・ 賛成派反対派の論争の発展と違和感を与えるジェンダーフリー教育、行き過ぎた性教育などが社会の批判の高まりで遂に国会でも大きな議論となって2006年前後に無内閣府の男女共同参画局は大きな転換の舵を切った。
・ 性差を否定し、男らしさ女らしいを否定することは人間の中立化を目指すことになり、家族やひな祭りなどの伝統行事の否定などは国民が求めた男女共同参社会と異なると明言し「ジェンダーフリーという誤解を招く言葉の使用を使わないことが適切と考えます」との事務連絡所を出したのである。
・ 東京都の教育委員会でもジェンダーフリーの言動は男女平等の概念とまったく異なるとしてジェンダーフリーと言う言葉の使用を文書で通達した。これらから運動母体もジェンダーフリーを前面に押し出して普及させようという形の運動は幾分下火になってはいるがこれらの人々は「バックラッシュ」という言葉を使って水面下で活動しているのである。
・ 前述した大阪のおばちゃんはジェンダーフリー運動をしなくてももう中性化していないか。とにかくこういうことは本人の「自己決定」に任すべきである。お杉とピー子、春菜、ガバちゃんなど様々な人々が世の中に迎えられる時代なっているのだから。
・ 本校では過激なジェンダーフリー運動はない。勿論社会的性差を固定化し役割を押し付けるような教育は全くしていない。それよりも男女共学に移行して5年、女生徒の存在意義を大きく認めながら男女共同参画社会でお互いが尊敬し助け合って生きていける力をつけることが真の意味でジェンダーフリーだと思っているのである。
