・ 学校社会のことについてある程度の関心がある人なら「でもしか教師」「でもしか先生」と言う言葉があるのをご存知だろう。かって「教師枠」が激増した昭和30年以降に「先生にでもなるか」「先生にしかなれない」と言った動機から教職を選択した無気力な教員に対する蔑称である。
・ この「でもしか教師」はスラングではなくて2004年の中央教育審議会の議事録にちゃんと載っている言葉なのである。その一部を転記してみると以下のようになる。意味深だから面白い文章だ。
“それから、教員の評価なのですけれども、たぶん、ある種の統計から見れば日本の教員の質というのは世界的に見て決して低くはないということになるのかと思います。ただ、かつて「でもしか先生」なんていうことが言われたわけですけれども、今、民間との交流だとか、いろいろなことも行われ始めていますけれども、さっき視野が狭いという失礼な言い方をしてしまったわけですけれども、例えば小学校の先生なんかは、特殊な例なのかもしれませんけれども、短大なんかを出て小学校の先生の資格を取れる制度もあるのですね。ですから、東京周辺のある特殊な地域なのかもしれませんけれども、お母さんやお父さんの受けた教育のレベルと非常に段差のあるような先生が教壇に立っているために大変なヒッチが起こっているような例を私は幾つか目撃しているのです。要するに、よほど心を決めて教員の質を高めるためのシステムを導入していかないとまずいのではないか。以下省略
・ しかしこのデモしか教員の言葉には歴史があって1950年代から60年代にかけて勤評闘争や安保闘争など授業そっちのけで「デモしかしない先生」が元々の用法らしい。時代の変化とともに言葉の意味が変化する典型的な例だが駄目教師の蔑称であることには変わりはない。
・ だから大体現在70歳代以上の世代であり、団塊世代の教員をさす言葉ではない。団塊を超えた世代である。しかし一部の識者は団塊世代の教員が大量退職している現在、「第二のでもしか教員が生み出されている」という意見で警鐘を鳴らしておられる。
・ 確かに一昔前までは「公立私立いずれも教職への道は難関中の難関職業」であったがここ3年くらい「広げに広げた門戸」となっている。特に最近では採用試験も一般教養を問わないところも出てきているという具合だ。
・ しかし私の意見は確かに全国の自治体は公立教員の採用に苦労しているが、昔の「でもしか先生」みたいなタイプを採用して「同じ過ちは繰り返す」ことはしないだろうと思っている。門戸は広がったとはいえ、そう易々と教員にはなれない。
・ それは社会の有り様が大きく変化してきたから昔みたいに「イデオロギー教員」「さぼり教員」などは出現しにくくなっているからである。これほど学校の透明性が進み、保護者の関心が特に教員に向けられ、生徒指導やスポーツ実績、進学実績など全てが明るみにされている中で「デモなどしていたら」世の糾弾を浴びるからである。
・ それでも「最後まで抵抗する」と言って卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱などで「当局や権威に反対する」根性の座った先生がかすかに残存しているだけの世の中になった。私はこのような先生はでもしか先生ではなくて「歌旗先生」と呼んでいるのだが昔に比べればニュースになるのも減ってきたと思う。
・ 「でもしか先生はいなくなった。歌旗先生も減ってきた」。今最も現場で問題なのは「弛緩教師」と私が造語したタイプの先生である。「弛緩とは緩んだ、だらけた、だらしない、常識に欠けるなどの総称」として用いている。
・ 一部の新聞などでは「教員の免許更新制度」に関連して「駄目教師」と言う表現があったがこれは広い意味で捉えた言葉であり「教師として駄目」と烙印するには少し過激だと思う。しかしマスコミの論調は平気でこの駄目教師を使っている。丁寧に言えば「資質に問題がある教師」なのだが「資質欠落教師」では何を言っているのか分からない。
・ 難関の就職試験を経てきただけに「総合力としては平均以上」である。すなわち「入り口」の学歴インフレとしても相当高いところにある。そうでなければ教師の職にありつけないのが現実であるからだ。聞いたことも無い大学から教員になるのは至難の技ではないか。
・ 教師と言うのは「全員が大学卒」である。世の中にこのような職場はない。卒業した大学も偏差値ランキングで言えばかなり高位に位置する。本校の例で言えば管理職を除き常勤講師を含めた教員数が93名いるが内35名が国公立大学卒である。比率は38%である。これが公立高校になったら相当高い数値となる。
・ 次に「関関同立」卒の教員数は17名であるから18%となる。すなわち本校で言えば国公立と関関同立卒の教員比率は54%になるのである。次は「産近甲龍」、武庫川女子、天理大が複数を数え早稲田大学とか東京女子大とかが来る。いずれも高偏差値の大学として知られている。
・ ところがだ。このように高い偏差値の大学を卒業して難関の職業に就職しても、それは「入り口だけの話」でこれが継続するという保証がないところが教員社会の特徴である。勿論企業だって同じことは言えるがその「比率の問題」として捉えるなら教員社会の方が高いことは間違いない。
・ この要因と対策を考えておかないと結局は「弛緩教師」を作ることになるのである。ある人は「戦後の日本の教育界は立派な教師と言う人材育成ではなくて反人材育成の道」を辿ったと言われていたが私はある面肯ける意見だと思う。
・ それよりもどちらかと言えば偏差値ランキングの高い大学を卒業してきた人材よりも大学名によらず結局は本人の意識次第という風に最近はつくづくと思う。大学名が良いからといって良い教師には成り得ない。
・ 詳細なデータがないから断定的にいえないけれども「入り口」は問わず、入ってからの意識と自己抑制、自己啓発、自己訓練などがより立派な教師には必要と言う気がする。謙虚な人柄、責任感、陰日なた無き言動だ。結局「お人柄」なのである。
・ 公立4年間、私立4年間、合計8年の間には他校を含めて多くの教師を見詰めてきた。すぐ弛緩するタイプの教員はどのような言動と行動を取るか、大体分かってきた。これについては別途の機会に詳述したい。本校ではでもしか先生は居なくなったが弛緩先生はまだ居る。圧倒的に優秀な真面目な先生が多いだけに弛緩教員は良く目に付くのである。
2011年4月29日金曜日
2011年4月28日木曜日
23年4月28日(木)植木の枝落とし
| 中学生が入ってる新館の床のリフレッシュ工事 |
・ 本日は「校外学習」の日であった。一昔前の方には「遠足」と言った方が分かり易い。このように学校社会の言語は年代と共に進化していく。確かに遠足とは古めかしいが私などは何か郷愁を感じる。
・ また「運動会」という言い方も最近では使わない。私は中学校の運動会を3年前に復活させたがこの時も先生方は「体育祭」と言う言葉を使った。特に典型的なことは「父兄」とは言わない。言ってはならないと言った方が適切である。
・ 「保護者」というのである。お分かりのように今や母と子の家庭も多く、そのような家庭に「父兄」ではおかしいと言う訳だ。又「母子家庭」との表現も学校では遣わない。父兄会と言わず保護者会というのである。
・ さて本校の遠足ではなく、校外学習の場合、高校生は現地集合で中学生は学校からバスに乗って出発する。私は何時も中学生の出発を正門で見送って連休に入る。副校長や高校の教頭は学校に待機して何かあれば対応する。中学の教頭は中学3年生の一団に同道した。
・ それぞれの責任者から学校に逐一連絡が入り最終解散を確認して「ほっと」するのである。この報告が入るまで気が休まらない。私は今震災の被害にあった家でパソコンを開いている。便利なものでパソコンからすべての報告が入ってくる。
行き先 解散予定 解散時刻
中学1年 神戸 布引の滝・ハーブ園 学校16:00 16:10
中学2年 京都 銀閣寺・哲学の道散策 学校16:00 15:20
中学3年 奈良 生駒ハイキング 学校16:00 15:50
高校1年 京都 宇治散策 現地15:00 15:30
高校2年 京都 清水寺・八坂神社・知恩院・南禅寺・平安神宮散策 現地14:30 15:45
高校3年 神戸 メリケンパーク・異人館散策 現地14:30 15:45
・ 生徒と教員のいない学校は静かで、寂しいものだが「設備担当」には有難い一日となる。どういうことかというとこの日を使って日頃出来きないことをするのである。そういう訳で今日は中学生のいる「新館の床のコーティング作業」があった。
・ 前の床が少し汚れてきたので全面的に長尺カーペットを敷き直した。春休みにこの張替え工事はやったのだが今日はその上に塗装をする作業だ。新館も築20年以上となり彼方此方が痛んできているし汚れも目立つ。「順番でリフレッシュ」していくしかない。一度にはできないからだ。
・ 又本日のメインは「学院神社の植木の枝落とし作業」であった。本校の校木である「くすのき」である。神社にはくすのきが多い。「神霊の宿る木」として全国の神社にはまず楠である。新緑の今が最も美しい。
・ この4年間伐採などするチャンスもなかったし、予算も他を優先させてきたが余りにも枝が伸びて陽射しにも影響が出てきたので決心したのである。ただ素人には出来る芸当ではないからプロに外注である。
・ 出入りの植木屋さんが「重機」を数台入れて昨日事前段取り、本日が本番というわけだ。これは木の「散髪」だからすっきりするだろう。植木屋さんに聞くと間違いなく100年以上は経っているという巨木である。
・ 「大木切るべからず」というが時に手を入れてすっきりした方が「木の神様」も喜んでいただけるのではないかと思っている。新校舎建設の段階にはこの学院神社は一時他の場所に「遷宮」させて頂く積もりだ。
・ まだ決まったわけではないがおそらく「新校舎後の学院神社の場所」は少し今より「位置が変わる」のではないかと思っている。まだ見ぬ設計者に強調したいがこの学院神社の位置をどうするかで全体の絵が違ってくる。楽しみである。
・ 現段階での私の考えは今の「神社の社殿は一回り大きな新しいものに更新」することとしている。そして今の社殿を「祖霊舎」に回したい。そして今の祖霊舎は多聞尚学館かふくろうスタジアムに持って行くのだ。これですべての社殿の大きさのバランスが取れる。
・ 神殿だけで家一軒分くらいの予算だというから大変だが新校舎に更新されるのだから浪速学院を守護いただいている「神様のお家も新しい方が良かろう」と思うのである。植木屋さんの仕事を見ながら私はこのような事を考えているのだ。
2011年4月27日水曜日
23年4月27日(水)学びの広場
・ 新館と武道館の間に設立する「教室・カフェテラス・クラブの部室」工事が本格化してきた。「建設の槌音の聞こえる学校は良い学校」と勝手に言っているのだが、正しいのではないか。学校経営者の視線が常に生徒・教職員に向かっているということだ。
・ 「教育環境の整備・充実」こそ、これからの私立学校にとってより重要となってくる。「学校資金が教育現場に還元」されていると言うことである。着任時、橋下知事は「北新地に行けば私学の理事長をよく見かける」と言ったが、確かに昔はそういう光景もあっただろう。
・ しかし私立の経営者ばかり責めてもそれは片手落ちだ。前の府教委のTという教育長は上町台地の某私立の理事長から高級料亭で接待を受けて確か処分された筈だ。北の新地に一人では飲みには行かない。だれか「偉いお相手」がいるから行くのである。
・ それに府教委の指導系のトップがこれも30万円もする高価な背広地を受け取ったと逮捕された事件があった。最も全ては橋下知事誕生の前の話しであるが、一方的に「私学の理事長は遊び人」と思っては困る。確かに昔は少なからず双方の「癒着」もあったかもしれないが、今は完全に変わった。
・ 本校にも時々私学・大学課の職員が調査やヒヤリングで来校していただけるが記念品のタオル一枚受け取られない。勿論昼食は外部に自ら出かけられる。せめて「お茶一杯」と言われても固辞される。このような事態になってきている。「民度が上がった」ということだ。
・ 橋下さんの発言以来、私は「北の新地」には行かなくて「ミナミ」にしている。絶対に公務員さんとは行かない。誘っても行かないからだ。その分、教職員や大学関係者と行く。勿論私費と公費は峻別している。当然だ。
・ とにかく私はお金を貯めて、「普通の学校」にすべく、着任以来「多聞尚学館」「ふくろうスタジアム」「浪速武道館」と建設の槌音を響かせてきた。そして「新校舎建設」である。そのために最後の「事前工事」ともいうべきものが今回の「教室・カフェテラス・クラブ部室」工事だ。
・ これが完成すれば「初めて既存の建物の解体工事」という行為に入る。今まで作ってきたが今度は壊す作業だから何か不思議な感じがする。解体した跡地に「第一期の校舎建設」が進む。今それを想像すると嬉しくなるのだ。
・ 今度の工事も私は手を抜かない。「こだわり」で行く。カフェテラスだからと言って、生徒のクラブの部室だからと言って絶対に「安っぽいもの」は作らない。後世「私は名を惜しみたい」。あくまで気持ちを込めた建物にする。
・ この私の気持ちを今や「チーム木村」は南海辰村建設さんから「植木屋さん」まで一心同体である。仕事は速いし、何しろ仕事に取り組む姿勢が誠実だ。今内部コンサルタントとしてやって貰っているUさんと言う人は何時も言っていることがある。
・ 「浪速は面白い。理事長の発想は私には及びも付かず、大変勉強になる」と言われる。建設会社の重役まで務め、経験豊富であり、雇用契約を結んでいる人だ。多聞、ふくろう、武道館とずっと一緒にやってきた。その彼が「面白い」と言うのだから如何に学校というのは変化に富んだ面白いものかということだ。
・ 今チーム木村に関連した人間はおそらく全ての人が同じことを感じているのではないか。「木村の建設好き」は今に始まったことではない。年季が入っているのである。今までに自分の家は3軒建ててきた。お茶室も建てた。こだわりがあるのである。
・ だからイメージと違う工事や建材を使ったりすると私は怒ってやり直させる。武道館でも玄関正面の意匠が違うと言ってやり直して貰った。どうでもよいところは我慢するが「勝負の場所」は譲らないし妥協しない。その結果が今や誰もが「浪速武道館の玄関の創り」に感嘆しているのである。
・ 亡くなった母は「智彦はどうして家がこんなに好きなのかね」と何時も言っていたが、とにかく好きなのである。死ぬまでにもう1軒くらい建てたいくらいだ。だから今でも休みになったら神社仏閣、古い民家、お茶室などを見るのが好きだ。小さいころは大工さんになりたかった。
・ さて今朝チームはほぼ最後となる「部室前広場の設え」について設計打ち合わせを行った。本ブログで初めて外部に公開するが結構立派な建物が出来る。特徴は部室前広場である。この場所を私は今「学びの広場」と名づけることとしたい。
・ ここに至るアクセス通路はPTA寄贈の全天候型で先に「遊学の道」と私はPTAが揃えた4案から選択した。この時から考えていたのである。前が武道館だから「武」この広場は「文」の広場だ。これでこそ「文武両道」となる。
・ そうすればここに植える木は絶対に「階の木」でなければならない。うるし科の落葉樹で美しく紅葉する。黄葉もある。結構大木に成長する樹であるがこの樹は「学問の木」として有名である。
・ 日本では東京の「湯島聖堂の階の木」、岡山県備前市の「閑谷学校」「足利学校」「金沢文庫」などが有名である。この木にはいわれがあって大正4年農林省のお役人が中国の「孔子廟」から種を採取し育苗したもので当時の日本の歴史ある有名な学校に配布されたものである。私の前の勤務先である府立高津高校にも一本立派なものがあった。
・ 私は是非この樹を植えたいと思っているのである。果たして適当な階の樹が入手できるかどうか。この木の下を通り抜けながら生徒がクラブの部室を行き来する光景を想像するだけで嬉しくなってくる。
・ 学びの広場のもう一つの特徴は片隅に「さざれ石」をモニュメントととして設置することだ。さざれ石、ご存知のように我国の国歌「君が代」の歌詞にある石である。細石と漢字で書くように元々は小さな石の意味であるが長い年月で小石の隙間を炭酸カルシュームなどが埋まってきて大きな塊に変化する石である。
・ 岐阜県揖斐川春日には「さざれ石公園」という場所があるようにここの石が君が代の由来となった石で現在は岐阜県の天然記念物に指定されている。平安朝時代に「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」と詠われ「新古今和歌集」に採択され国歌の元歌となった。
・ 私はここにさざれ石を置くことは1年も前に既に決めており、丁度今から一月も前にさざれ石を探すように担当に命じ、ようやく格好の物が見つかったのである。大小2個のさざれ石を置く。一個は高校、一個は中学だ。
・ 未来永劫「浪速学院が永続発展しさざれ石が岩となって苔むすように」にとの願いを込めたものである。費用は大阪天満宮宮司と道明寺天満宮司、それに私の3人で寄付したお金を遣う。公費ではない。
2011年4月26日火曜日
23年4月26日(火)一つのリーダー論
・ 今日は中学校の朝礼がありました。本当に中学生は可愛い。360名の集団になってきました。大切に育てていかねばなりません。高校生と中学生は違います。まったく別の思想が必要ですね。ところで校長講話の最中に今日のブログは「リーダー論」にしようとふと思いました。気持ちのマグマが湧き出て来たのでしょうか。
・ もう「無茶苦茶」に近い感じです。一国の総理をここまで批判するような国は世界を見渡してもないですね。批判は良いとしても使う言葉や表現方法が酷いと思います。品がありません。何時からマスコミはこのようになったのでしょうか。片手落ちではないですかと思わず聞きたくもなります。総理の頑張っている良いところもあるでしょうに、そのような報道はありません。
・ 管直人総理大臣を批判、非難する声の如何に多いことでしょうか。毎日ですよ。遂に「後ろからも鉄砲の弾が飛んでくる」ように身内からも公然と退陣を求める声が上がってきています。しかし総理も「中々やるな」と言う感じで、「絶対辞めない」と言張っていますが、もう「目はうつろ」で時間の問題かも知れませんね。
・ 元々政治家など「人を食って生きている人々」ですから、少々のことでは平気なのでしょうが、それにしてもここまで内外から批判されて「持っている神経の太さ」は驚嘆に値します。私なら「やっとられるか!辞めてやる。」と言うかも知れません。
・ 総理も「スパッ」と辞めたら、それこそ「次は誰ッ?」となって中央政治は大混乱するからこれを避けて辞めないと言っているのだとは考えにくいのです。そういうことではなくて「自己保身」だと見透かされているのだと思います。だから管攻撃は止まりません。
・ 東北には未だに13000人以上の行方不明者がおられるのですよ。残念だが生きてはおられないだろうと思います。しかし死亡が確認されるまでは行方不明者ですし、避難場所で不自由な生活を余儀なくされている人は13万人を超えているという事態です。にも関らず中央の政治では「この体たらく」ですからこの国の政治は完全に「脳死状態」に陥っていると私は断言します。
・ 確かに管総理のリーダーシップには問題が多いかも知れません。トップだから怒鳴りつけたり激高したりはあって良いというのが私の意見です。私も時にあります。それよりも「言うことを聞かない」「指示してもすぐ動かない」「間違ったやり方をする」等の連中には特に危機に際しては厳しい声も上がりますよ。それは「時間との勝負」だからです。非常事態は「ワンボイス」が必要なのです。
・ しかし菅首相の問題はそういうことではなくて「政治主導」の名の下に「今ある官僚組織を使わない」で「何でも自分が表でやる」と言った間違ったリーダーシップにありますね。完全にリーダシップを履き違えているのではないでしょうか。
・ 「時間が勝負の時の緊急事態」に会議などやっている暇はありません。今回の大震災でこの内閣はまず「復興構想会議」なるものを作って首相の私的諮問機関を立ち上げました。その他作られた震災対応の会議や機関は20を超えると言います。まさしく「会議の乱造」です。
・ 復興構想会議で集まった識者といわれる人々は「財源はどうするのか」とアホみたいな話から会議に入っていったというじゃありませんか。私にはこういう人物が英知を有した日本の一流の人物とはとても思えません。昨日のブログ「学歴インフレ」に書いた通りに、大学偏差値だけは高いが「船頭多くして舟山に登る」ですよ。
・ リーダーシップを考える上で格好の記事が今日の新聞にありました。産経新聞に「村を救った二人のリーダー」との見出しでした。今回の大震災で死者ゼロの岩手県普代村の水門と防潮堤の話ですが、この記事には組織のトップリーダーは学ぶものがあると思います。
・ 今から27年前にこの村の元村長和村幸得氏は周囲を説得し15メートルの水門と防潮堤を作ったのです。和村氏は昭和22年戦後から10期40年にわたり普代村の村長を務めたお人でした。
・ 昭和8年の三陸大津波を経験し137名の死亡被災者をこの村は出しました。又その前の明治29年の三陸大津波の302名の犠牲者を出しています。村長は「悲劇を繰りかえしてはならない」と不退転の決意で二つの工事を完成させたと記事にはありました。
・ 人口3000人の村で総工費36億円は巨額な出費で、周囲には「高さを抑えよう」という意見もあったようですが、和村村長は15.5メートルにこだわったといいます。それは明治三陸の大津波の高さが15メートルだったからです。歴史に正直に答えたのです。ここが立派でした。「想定外」などの言葉はここにはありません。
・ 当時反対したのは岩手県、県会議員、村会議員、一部村民もいたそうですが村長は粘り強く説得したといいます。「説明責任」ですね。40年村長を務め上げ退任時の挨拶は「確信を持って始めた仕事は反対があっても説得してやり遂げてください」と語ったとありました。
・ その結果今回の大震災でこの水門は機能し20メートルの津波は「バキバキ」と異様な音を立てて水門に激突し、一部は超えていきましたが程なく止まり、近くの小学校や集落には浸水被害はまったくありませんでした。これが死者ゼロに繋がったのです。
・ ここがポイントです。リーダーシップの意味を誤解している人が多いのですが「真のリーダーシップとは一旦事ある時にあれこれ仕切ることではありません。」経験と学習に裏づけされた見識で「先を見通して何かをなすことがリーダーシップ」であると私は考えています。
・ 更に私は思うのですが、この村長の経歴です。10期40年の長きにわたって村民の支持を得てきた人だから,この人は「私心」の全くない人格者だったのだと思います。だから膨大な予算を遣うと言っても、村民は「村長の言っていることに間違いはない」と信頼していたのだと思います。
・ ここに古きよき時代の日本の集落と政治の良さがありませんか。村長は村民の安全を家族のように深く思い、私心を捨ててこの村の将来のために「万が一大津波が来ても一人も死なせない」と決意したのです。そのためにはあって当然の反対者を粘り強く説得したのです。希望を語ったのですね。「もう津波は大丈夫だ」とね。
・ 説得を受け入れた方も偉いと思います。昔の政治家と国民の関係は基本的にこのような関係でありました。封建時代の江戸時代も実態はこのようはものであったのではないでしょうか。殿様はお米を作ってくれるお百姓さんを守るために武士と言う兵を養っていたのです。武士は農民を守るために存在したのです。
・ 「有事」になってリーダーが力を発揮するとは普通は有り得ません。ちょっと考えたら分かることです。肝心なことは「平常時にどのようなリーダーであったか」が問われるのですよ。危機の時にこそ「日頃のリーダーの有り様」が現れるということです。
・ 現場の状況など東京の官邸にいて分かるはずはありません。状況が分からないのに指揮など出来るはずがないのです。従って問題となるのが「現地力」なのです。現場力と言っても良いです。危機が起きたときに自らのイニシアティブで問題を解決する現場での現地力こそ最重要なものなのだと思います。
・ 今回の大震災でも地方の自治体の首長や地方公務員、消防隊、自衛隊、警察組織など現場力は証明されているではありませんか。日頃からこれらの現場を鍛えておくことがリーダーシップなのだと私は考えています。良い表現が見つかりませんが敢えて言えば「平時に兵を養う」ということです。
・ 一旦有事にしゃしゃり出て防災服に身を固め、深刻そうな顔をしてまなじりを吊り上げて「ギャーギャー」いうことがリーダーシップではありません。大体現場に目が行っていないから「会議を乱造」するのです。
・ 有事に会議は不要であるし役に立ちません。逆に「邪魔」になります。有事には会議などぶっ潰して「現場に任せる。好きなようにやれ。責任は俺が取る」と一言いうことがリーダーなのですよ。日本の中央政界にはリーダーがいなくなって久しい。それが日本の最大の悲劇ですね。
・ ところで話はとたんに小さく、狭くなりますが、昨日私立中高連校長部会の総会と懇親会があって本校は第二部懇親会の司会の役回りが回ってきました。私の名代で副校長先生が出席したのですが、今回は会費の徴収など受付業務があって二人の女性職員を応援に出て貰いました。
・ ところがこの二人の事務職員の動きというか働きが素晴らしいと大評判で副校長は大いに気を良くしたと今朝報告がありました。私は大変嬉しくなりました。最近まで「派遣職員」でありましたが私はじっとこの二人を観察していました。この間相当厳しく今日まで指導し訓練し、そして最近「頃合良し」と判断し二人とも準正規職員に採用しました。相当年収がアップしますよ。
・ この二人は並外れた事務能力と人間対応能力があります。体も大きいから迫力があります。時々有り過ぎて困るくらいです。モチベーションを高め、服装を指導し、態度を指導し、何処に出しても負けないような事務能力の高い女性として育ててきた積りです。リーダーの仕事とは平時からこのような教職員を如何に育てているかということなのです。
・ 本校の管理職は知っていますが、私は外部に出かけず、学校の「黒子」に徹して「教職員の指導」に全精力を投じています。教職員からすれば時に厳しいとは思っているでしょうが「本校有事の際に教職員の現場力で切り抜ける」ためです。即ち私は平時に「兵を養って」おり、危急存亡の時に備えているのです。しかし「親の子子知らず」となっていないでしょうかね。
2011年4月25日月曜日
23年4月25日(月)「学歴インフレ」
・ 寄稿者は現在、オックスフォード大学教授で一時期東大の大学院教育学研究科の教授を務めたこともある気鋭の教育学の学者である。お名前は苅谷剛彦氏と言われ、まだ56歳前後の研究者であるが、斯界にオピニオンリーダーとして影響力があるお方だ。
・ 私はこの学者の意見に今まで大きな影響を受けてきたような気がする。特にこの先生が書いた「教育改革の幻想」という著作は昨今の「教育改革、学校改革を論じる人」にとっては必読の書物ではないか。この本さえ知らず教育改革を論じる人は「底が浅い」というのが私の意見だ。
・ この苅谷先生、東大、東大院で学び、ノースウエスタン大学で博士号を取得。東大教授から現在は前述したように英国で研究中の学者である。教育社会学、比較社会学を専門とされ、とにかく「データの精緻な検証と分析」の力がすごくてその点が私をひきつける。著作も多いがどれも大変勉強になる。
・ こういう先生を見ると「人間の持つ頭脳明晰さの違い」を痛感する。そして「大学教授と言う存在の有り難さ」を思い知るのである。だから時に何でも良いから他人の著作を読まねばならないと言うことである。それが勉強と、学習と言うものだ。
・ 「他を知り、世界を知る」為の手っ取り早い方法は「読書」である。唯我独尊を避け、自信過剰を戒め、謙虚さ失わず、弱い頭の訓練には何でも良いから「読書」である。読書は自身の「論理構成能力」を高め「語彙」を増やす。それが「教養」というものである。これらが「判断力」や「説得力」「文章力」「発信力」に繋がる筈だ。
・ 話を戻そう。この日の記事の主題は日本における「初中等教育と対照的な大学教育の低評価」に関して相当手厳しい日本の大学教育を「槍玉」に挙げて批判されている。「90年代までの人材養成システムは限界」にあり「学歴インフレ」という言葉を作られ警鐘を鳴らしておられるのだが、例によって私の意見も入れながらこの記事を考察してみたい。
・ 「偏差値ランクの高い大学を卒業した」者がろくに勉強もせず、劣化し続けている日本の有名大学を出ているだけということで一流の行政機構やトップ企業に入社し栄達を遂げていると言う現実がすでに「日本をおかしく」していると言われている。
・ 従来に比べ進学率が高まり大学進学率が40%を超えるようになった。しかし大卒は増えてはいるが、大企業の正規職に就職できるチャンスは圧倒的に依然として「同じ大卒でも選抜度の高い大学を卒業していることが条件」とデータを示して論を展開されている。
・ 大卒で非正規社員、フリーターの増大が目に付き始め、益々「偏差値だけの大学ランキング」というシステムが「企業の人材育成の脆弱さ」とあいまって日本の人材競争力を落としていると言われているのだ。
・ 確かに先生の言われるように日本の行政、大企業は大学生を「大学の入り口看板」だけで判断し後は組織なり、企業内で訓練して人材育成を行ってきたがそれも最早限界である。私は民間企業出身だから大変良く分かる。
・ 今や日本の大学は4年間ではなくて3年弱と高校生並である。場合によっては大学生のアルバイトに消えている時間を入れれば日本の大学生は高校生以下の勉強時間しかないだろう。日本の大学生はアルバイトと就職活動のための社会人入り口前の「自由な弛緩状態にある人々」ということも出来る。
・ 先進国の場合、「学歴インフレ」と言う場合は学部卒が大学院終了へとより一段高い学歴のことを指し、「教育年数の増大」といった「量の増大」だけでなく、そこで行われる「教育の中身の高度化」の面からも「人的資本の向上」が認められる。このことが真の意味での学歴インフラと先生は言われている。
・ ところが日本は先生の表現を借りれば以下のようになる。この点がポイントである。「学歴が訓練能力の高さを識別するシグナルとして働き、就職に際し求められる偏差値ランクが上方にシフトするだけの全く人的資本の増大なき“経済学用語であるシグナリング効果だけ”の見せ掛けの学歴インフレだ」と断じておられるのだ。
・ このようなシステム悪に加担している企業や中央省庁は「この狭い島国」においてはシグナルだけで十分であり、基本的に意識してか無意識か知らないが「大学教育無用論」がまだ厳然とした力を有しているからだとも論じておられる。
・ 素晴らしい。まったくその通りだ。特に実業の世界から教育界に転じ、公立高校の超進学校の校長を4年、幅の広い文武両道の私立高校の校長を4年やってきた私にはそのことが大変良く分かるのである。
・ 「偏差値の高い高校を卒業」した学生は当然偏差値ランキングの高い大学に入ってきているから、「もうそれだけで分かる」、大学で何を学んだなどはどうでも良いとは言わないが死命を制する問題ではないというのが現実の姿なのである。
・ 表立っては言われていないが厳然とした事実は実は「どのような高校を出たか」である。この視点を有する人事の専門家は多くて大学ランキングとは実は高校ランキングであると言うのは今や誰でもが知っていることなのである。その季節になればサンデー毎日など週刊誌が大学進学実績を高校一覧などが出回るのはそういう理由なのである。
・ 苅谷先生は戦後の復興が初等中等教育の充実によってもたらされたとすれば「ポスト3.11」の日本の再生には大学教育の出番とならねばならないと強調されている。豊かな教養と専門性に裏打ちされた組織や慣例に縛られない賢明な判断力と建設的な批判力、果断な行動力が「危機をチャンスに変えるための重要な資質」となる。
・ 大学の「自由の術」こそ若者を育む格好の場所であり、大学教育を無用とみなす余裕は日本にはない。大学を「予習を課し、成績を厳格にして4年間を通じて学びの場所」にする。その上で文系でも高度な専門教育を大学院で供給する。大学と企業の覚醒を投げかけられているのだ。
・ 先生はこの記事の冒頭、次のように書いておられる印象的であった。今回の大震災と原発事故では人材という意味において日本社会の「地の部分」をくしくもあらわにした。被害を受けた人々が苦痛と悲しみの中でも整然と助け合いながら行動する姿、そして現場で黙々と救援活動や事故の処理に当たる人々の献身ぶりに世界が驚嘆した。
・ ところが社会の土台や現場を支える中堅の名も無き人々に比べ「指導力を発揮し責任を負うべき幹部たち」の「底が見えた」と書いておられる。内閣も政治家も東京電力も原子力保安院も中央省庁も大学偏差値の高い大学を卒業してきたエリートばかりだ。彼らはただ「右往左往」しているだけである。
・ 結局日本の組織はトップダウウンの強い組織で動いていなかった。平均的な人材の質の高さを前提に現場の集団的協同的な力によって機能を発揮するという「人材の質と組織の働きの地の部分」があらわになったと言われるのである。持って瞑目すべし卓見だろう。
2011年4月24日日曜日
23年4月24日(日)玄武館道場開き「誕生の蟇目」儀式
・ 大震災があったが3月13日(日)に「武道館竣工式典」だけは予定通りやらせて貰った。これで学校としては一段落したのだがどうも気になることがあった。それは弓道場「玄武館」の「道場開き」についてである。
・ 完成式典で「矢渡しの儀式」までやったのだがやはり弓道場開きには独特なものがあることを知ったのである。教えられて知っていたのが不運と言うか幸運と言うか「小笠原流で誕生の蟇目」というのをした方が良いと教えられていたのだ。
・ これは私の欠点でもあろうが「完全主義」的なところがあって、これを追い求めるのである。中途半端で手を打つことをしない。だからもしこのまま「誕生の儀式」をしなかったら「後世後悔するかも」と思ったら最後、それが頭から離れないのである。
・ だから弓道部顧問の先生に言って「正式なものをやりなさい」とアドバイスしたのである。ただ学校としては正式には済んでいるから弓道部と保護者会でするなら良しと「ゴーサイン」を出したのである。
・ 個別の道場開きを学校主催としてやれば他に空手道、柔道、剣道部をどうするのかと言う問題が出てくる。従って部の主催としたのである。ただ茶道部については超特別なものだから秋の佳日に「茶席開き」は学校主催として行う積りである。
・ それにしても「誕生の蟇目」とは「弓馬術礼法小笠原教場」の「大阪菱友会」というところが仕切って下さるのだがやって良かったと思った。もう死ぬまでこのようなことを見ることもなかろう。「究極の形式美」でもあった。
・ 6人のメンバーが「蟇目射手、手灯り介添え、替え弓持ち、太刀持ち、的立て役、矢拾いと」役割分担して進めるのである。正直その有様に驚いた。その後で本校弓道部員が「祝射」をし、「答射」を顧問の先生が行った。正しい順序があるのである。
・ 私は冒頭の挨拶で簡単にここまでを振り返った内容を話した。しかし幾ら弓道部主催といっても学校も応援しなければならない。考えてお客様と保護者の役員、先輩の方々に出す昼食は学校で負担することとした。
・ 日曜日だったが来賓17名、OB会21名、父母会36名、弓道部員は47名に顧問であるから大きな人数となった。しかし今日の儀式だけでも「弓と神事の関係の深さ」が分かる。弓とは神道そのものではないか。私はそのように思い至ったのある。
・ 蟇目の儀は小笠原流でも歩射の最も重要な儀式という。誕生の蟇目とは懐胎五ヶ月目の15日に帯の祝いの時、また出産の時に射手を定め、蟇目を行い胎児の健康なる成長を祈り行われたと「吾妻鏡」にも記載があるそうだ。
・ 又「祓いの蟇目」というのは独特の所作があって要は「呪文」を唱えながら祈念するのである。地に住む魔性たち、樹に住む魔性たち、変形を変えた魔性たちを呼び集めて「鏑矢」を放って「魔物を退散」させるという。これらは確かに神道のお祓いと似ている。最も重要な儀式で昔は人前で行われることはなかったという。
・ しかし蟇目とは難しい漢字だ。「蟇目」とは引目、曳目、挽目とも書くが射放されて飛ぶ時の矢音が「蟇蛙」(ひきがえる)の泣き声に似ていると言う説や蟇目の形が蟇蛙の目に似ていると言う説などあるらしい。
・ 今昔物語二十五巻には源の頼光が蟇目矢で狐を退治したという話があるなど由緒は古いもので現在でも多くの神事に残されているとのことであった。「正月の破魔矢」、上棟式では屋根裏に弓矢を飾ること、今八百長問題で大揺れに揺れている大相撲でも「弓取り式」がある。
・ 古来我国では確かに武道のことを「弓矢の道」と言い、武家を「弓矢の家」などと言い表してきた。弓取りとは「大将」のことであった。それから「弓矢の冥加」という言葉が出てきたと物の本にはある。
・ 神仏の加護を象徴するもので穏やかな形を持ちながらも弦を張った弓と瞬時に飛びぬく矢、その緊張感は神聖視され邪気を払うものとして尊重されてきたとの事であった。そういう意味から弓矢と「破魔・開運・招運」の歴史は古く今日にその儀式が継承されてきている。
・ 特に私は平家物語のある一節の文章が大好きである。「おごれるもの久しからず」と滅んでいった平家、実は那須の与一が扇を射落とした瞬間から、これを一期として一ヶ月後に壇ノ浦で終わった平家一門を与一の弓矢に託して謳った一文である。日本語は素晴しい。
・ 名文である。この時の矢は「鏑矢」(かぶらや)で先端に「蕪形の笛」が付いていて放てば高く鳴るのである。
「蕪は浦響く長鳴りして誤たず扇の要際1寸ばかりを射て、ひゅふっとぞ射切ったる。・・・」という当に美酒に酔うごとき名文である。 しかしそれにしても弓の持つ故事の多さとそのドラマティックな内容に感嘆せざるを得ないのである。
・ しかし結果的に今日のハイライトは本校社会科専任教諭、弓道部顧問の渡辺健太先生の答射であった。2本の矢全てを的中させ、最初から最後まで品格があって素晴しいものであった。全ての人が感嘆していた。とにかく「格好良い」のだ。
・ 人間的にもすぐれておりこれで教諭経験が進めば間違いなく日本の弓道界の指導者に育っていくだろう。今日はその片鱗を垣間見せた。保護者も生徒もOBも今日で一層の「渡辺ファン」になったことだろう。とにかく今日は「渡辺デー」となった。
・ 立命館大学弓道部の主将であり、紹介を頂いて、直接面接し私が引き抜いたものだ。故郷熊本の銀行に内定していたのを止めて貰って来て貰っただけに私は彼の将来に責任がある。今まで通り大きくそして謙虚に大成して欲しい。
・ しかしこれで部員が更に先生をあこがれ、尊敬し部員数も増えるのではないか。弓道部はもう一人人格的に優れたベテランのY教諭がいる。玄武館と主たる顧問の壮若二人の先生を得て更に大きな部へと成長することは間違いない。今日は良い一日であった。
2011年4月23日土曜日
23年4月23日(土)PTA実行委員会
PTA実行委員会 |
・ 「高校授業料無償化」制度に関して保護者から提出して頂く資料の締切日は25日にしているのだが今朝現在で集約してみると1年生が80%、2年生が64%、3年生が63%であると事務が報告してくれた。
・ 今日が「授業参観日」だからそのついでに持参と言うお方もいようが不思議なのは2年生、3年生である。昨年既に経験済みだから問題ないと思うのだが比率が低い。事務長の言うには昨年出したから今年は不要と勘違いされている向きもあるかも知れないということだったが、正直困った。
・ 仕方が無いので25日締め切りを28日まで延期して書類を整備することとした。今年の高校生は1700名もいるからとにかく事務書類の煩雑さは大変なのだが「ミス」するわけにはいかないものだから少ない事務室員は追いまくられている感じである。
・ 書類を生徒に持ち帰らせて以来事務所の電話は常時三つは保護者からの問い合わせで塞がっているという。本校は分かり易く書いて説明しているのだがやはり理解できにくい部分もあるのかと思う。
・ 又中にはこういう書類を読むと頭が痛くなるお方もおられると見えて「全くこういうものは読まない。口で説明して」と言われるお方もいるから事務室も対応に大変である。しかし大切な生徒の保護者のことであり私は丁重に対応申し上げるように言っている。
・ 「相手は法律」だから「そこはもういいじゃないか」とは行かないのである。昨年から事務処理が一挙に増えたため事務室員を一人増やすなど人件費のアップに繋がったがこればかりは仕方が無い。
・ 本日は授業参観日であった。生憎雨の中の参観日であったが、順調な出足で極めて多くの保護者に来て頂いた。素晴らしい。一時期、受付は大混雑していた。本校の場合新学期が始まってなるべく早い段階で学校になじんでいる生徒の様子をみて安心して頂く為に連休前に行うのである。先生方も張り切って教材を準備して授業を行う。中々良い雰囲気であった。
・ そして午後2時からはPTA実行委員会が開かれた。本日は重要な案件があって私も出席してご挨拶をしたのである。まず武道館新設に当たってPTAから寄付して頂いた1000万円で中庭から武道館にいたるアクセス通路(プロムナード)に「名称をつけて欲しい」と依頼していたのだが正式に「遊学の道」と決定した。
・ 「遊学」とは中々良いネーミングである。ご存知だと思うがこれは「よく遊びよく学べ」の意味ではない。「遊学とは故郷を離れ他所の土地や国に行って勉学すること」で辞書によっては「留学」ともある。
・ この遊学こそ私が着任以来言い続けていることであり「我が意を得たり」という感じで嬉しい。関西近畿だけに目を奪われず日本全国を俯瞰すれば「素晴らしい大学」は多くあるし又現在「地方が狙い目」である。
・ 遊学して卒業したら故郷に戻ってくれば良い話しであるが保護者の動きは鈍い。可愛い我が子を何時までも自分の傍においておきたいと思ってもそれでは何時まで経っても自立できない。「可愛い子には旅させろ」と言うではないか。
・ しかし不思議なもので過日休みに骨董屋さんを巡っていたら屋根瓦に「学」の字が彫ってあるものを見つけ、直ぐ私は買い込んだのである。これは恐らく奈良の古寺あたりにあったものではないかと想像している。旧文字の「學」の字が素晴らしい。相当古いもので奈良に地方から遊学に来るお寺の屋根にあったものと勝手に推察している。
・ 実行委員会では「23年度の予算原案」が役員会で審議されて承認された。この原案を来月の「5月14日のPTA総会」で正式承認されることとなる。素晴らしい予算を作って頂いたと思う。今年度から「部活動特別支援費」と「施設設備費」の二つの勘定科目が作られ予算化された。有り難いことである。
・ そして次に新年度のPTA役員が内定した。新会長は昨年は「教育後援会長」をされていたお方で現役の銀行の幹部社員だから「打って付けの人材」と言える。実務は女性副会長さん以下が担うとしてもPTA会長は本校保護者の代表となられるお方だから学校にとっては重大な関心事である。
・ 私は今まで本当に恵まれたPTA役員に囲まれてやってきた。安心して本来業務に邁進できたのもこれらのPTAのバックアップがあればこそである。どこに「ポンと1000万円の寄付」をしてくれる組織があろうか。
・ 正直学校を巡る周辺には様々な組織があるが「やはりPTA」なのである。PTA組織から支援を頂けない校長は力を失う。これだけは歴然としている。それだけに私は「PTAへの説明責任」を徹底して今後ともやっていく積りである。
・ 今度発令した新事務長は銀行出身として丁寧にやってくれており安心している。最後はPTA会長と学校長が最終判断を下すわけでそれまでに「万機公論」が望ましい。1897年というから今から214年前にアメリカで生まれたPTA組織は戦後日本で形を変えてスタートした。
・ 敗戦によりGHQの提案で半強制的に導入されたものだが今や日本流のPTAは全国通津浦裏どの学校にもある組織である。今後この組織も少子化、働くお母さんの増加、そして学校そのものが変化していく中で徐々に変わっていくようにも思える。
・ 具体的なイメージは湧かないがあくまで本校は私立学校であり、公費でガードされた公立学校ではない。新校舎建設と言っても何処からもお金は下さらない。PTAと歴代のPTAの蓄積、そして同窓会、そして大阪府神社庁以外には「幾ばくかの負担をお願いできるところ」は無いのである。
・ 私立学校の保護者は自分の子ども以上に本校を大切に思ってくださっている。そこが私立の良いところである。教職員も個々は抑えておかねばならないポイントである。「保護者あっての私立高校」である。
2011年4月22日金曜日
23年4月22日(金)中一カルテット
・ 新年度が順調にスタートした「関西大学連携浪速中学校」のクラス編成は関大コースが2クラス、特進コースが2クラスの計4クラス編成である。生徒数は総勢120名で、この4クラスを率いてくれる「4人の担任が今、面白い。」
・ 私はこの4人の先生をどのように呼んだら良いのか今悩んでいる。「四人組」というのがまず浮かぶ。しかし四人組と言う表現は余り良い感じがしない。それは近代中国史において世界を震感せしめた「文化大革命」を主導した江青、張春橋、桃文元、王洪文の4名を指すからだ。
・ 然らば浪速中学の「四天王」と言えるか。それはまだ早かろう。実績はまだ何も無いからである。四天王とは仏教における4人の守護神をいう言葉で日本ではすでに日本書紀の記載があるように古い歴史がある。聖徳太子が大阪の天王寺に四天王を建立したことで有名である。この4人を四天王などトンでもない。
・ 後はミナミにチェーン店が多い「ラーメン四天王」だが、これでは先生方に失礼だろう。味の真髄、肉の旨味を封じ込めた四天王自慢のチャーシューで有名であるがラーメン四天王と呼んだら嫌がられるに違いない。結局私は「中一カルテット」と呼ぶことにした。カルテット、分かりやすく言えば4人組みだが英語の方が格好良い。
・ このカルテットの経歴を少し触れてみたい。カルテットを主宰するのは29歳大阪教育大卒の数学の専任教諭であるY先生である。20代でチーフを務めるのは本校では初めてではないか。学年主任である。関大コースのAクラスを受け持つ新進気鋭のホープであり、将来の教務部長候補だ。あくまで候補に過ぎないのだが。
・ 優秀だが時に特定の保護者とトラブルがある。私はそれは「言葉が不足」するからだと思っている。言葉が少ないのは「無神経」なところがあるからだ。もっと丁寧に気配り、心配りで優しくすれば問題はない筈だ。どういうわけかこういうタイプには数学の先生が多い。どうしてだろうと思う。人間の感情は数学みたいに公式を使って解けるようなものではない。
・ しかしこのA先生、面倒見の良いところもあって今年の中学校の卒業式でも生徒の人気は抜群でご自身も廊下の隅で涙を流されていたのを私は見ている。基本的には素晴しい先生である。とにかく人間の幅を広げて欲しい。
・ 数学の指導力は当然高い。出来る生徒への指導は出来るが今後は遅れている生徒への数学の指導にどれくらい実績を上げてくれるかだろう。心中察するにこのY先生の心配事は二つあるのではないか。
・ 一つ目は今中学2年の関大コースの担任であるI先生の強力なリーダーシップで学力を伸ばしているから、これをまず意識している。そして二つ目は他の歳の差も余りない3人の担任が自分を支えて協力してくれるかと言うことではないか。私はそう見ている。
・ 関大コースBクラスの担任は同志社大学卒の国語のS専任教諭である。1年前に高校の常勤講師で採用したが優秀と言うことで常勤1年の経験だけで、この4月1日中学校勤務の専任教諭として採用した。30歳で既婚者である。従来の浪速のイメージから幾分異なる雰囲気を有していることを私は買ったのである。
・ B先生は面白い。何か「アイデア満載型」で小柄のイメージ通り「こちょこちょ」頑張ってくれている。とにかく明るい性格が良い。又「物怖じ」しないところが不思議だ。そうかと言って偉そうにはしない。後は大きなスケールの先生になれるかどうかだ。お顔も体つきも高校の進路指導部長に大変似ておられる。性格は全然違うが・・・。
・ 家庭があり小さな子どもさんがいるからだろうが、彼の有している責任感を感じる。早く専任になれたのだから頑張らねばならない。人はこのYとS両先生の競争が面白いというがそれは違う。S先生がどこまでY先生を立てるかと言うことではないか。楽しみである。
・ 特進コースのCクラスは常勤講師のM先生で関西大学卒の社会科の先生である。昨年高校で採用し、今度中学へ異動とした。ただ一人の常勤講師の担任先生だ。長身大柄で学年の生徒指導と野球部顧問も務めてくれている。26歳独身。体は大きいが気のお優しい人間だと私は見ている。お顔を良く見るとそれが分かる。
・ 同じく特進Dクラスは東京六大学の雄、あの長島監督の母校立教大学卒である数学のA専任教諭である。常勤講師の期間は2年半と比較的長かったが後述する理由で昨年10月に期中昇格として専任教諭に採用した。26歳で独身、バレーボールの指導者である。
・ 何か「ボヨヨーン」としている感じだが生徒の人気は抜群である。好感度ナンバーワンだろう。生徒は友達みたいに思っているのではないか。日本橋にあるAビルという大きなビルのオーナーの子息である。そのマンションの一室にただで住んでいる。食事は「餃子の王将」で私のご近所さんだから時々道路でばったり出会ったりする。
・ 特進を担当するM先生とA先生は同じ年である。二人とも背の高い男前のイケメン教師であるが、この二人の経歴は面白い。M先生が卒業した高校は沖縄県立首里高校である。言わずと知れた琉球時代の国学時代からすれば200年の歴史を飾る沖縄最古の教育機関であり旧制沖縄一中の超名門校である。難関の進学校であるがM先生昨年の堺市公立教員の採用試験に見事に落ちたのである。
・ 数学のA先生の経歴も面白い。茨城県の水戸市にある水戸短期大学付属高校の卒業である。この高校は「水短(すいたん)」と言って文武両道の高校で有名である。先生はバレーボールの名手として立教大学に進んだ。私は当初この先生が数学の先生とは信じられなかった。時々失礼なことを私は言った。「本当に数学を教えられるのか」と。従来の数学教師のイメージを覆している。
・ しかし世の中面白いではないか。A先生が昨年ある時、「大阪市の公立中学校数学の教員採用に合格しました。これで力をお見せできました。私は浪速が好きで理事長の下で働きたい。」と言ってきたものだから私はその場で「専任に採用」と叫んだのである。一方M先生はもう二度と公立採用試験は受けず「私も浪速一筋です」と言っていた。しかし一方的にそう言われてもなー。
・ 今浪速中学校は進化し続けている。公立中学経験の長い大阪教育大院卒40歳のベテラン社会科教諭をスカウトしすぐ教務部長にした。又 浪速高校から突破力のある39歳のI英語教諭を関大コース長として中学校に鉄砲玉としてぶち込んだ。関大卒だから関大コース長なのである。そして見事に成果を上げつつある。そこに従来からの実力派の大阪教育大卒36歳国語科並びに生徒生活指導科卒並びにアメリカンフットボール卒のN教諭を含めて「浪速中学の3巨頭」と言う。
・ それだけではない。京都外大卒英語科の34歳K教諭が居る。この先生も味わいがあって優秀だ。このK先生の結婚式に私は出席した。奥様は超美人である。又今年4月には保健体育科で「天才」と言われていた神戸大卒30歳のH先生をも又中学に投入した。
・ 又最も若くて溌剌としている24歳立命館大卒数学科のM教諭もいる。加えてそれらの中に「紅二点」である阪大卒K教諭と千葉大卒U教諭がいる。どちらもメチャ優秀である。
・ 以上のように見てみると現在の浪速中学の教員体制には死角がないではないか。「専任平均年齢が30.8歳」ではち切れんばかりのエネルギーを有した集団となった。昨年中学校において様々な理由から3人の専任教諭が舞台から去っていった。しかしそれで結構である。
・ 中学1年生の担任団カルテットが又「新しい風」を巻き起こしてくれると大いに期待している。過日この4人を夕食に招待して「ホルモン焼き」を食べに食べたのであるが、まあよく食べるのに驚いた。遠慮と言うものがこの世代にはない。それで結構だ。
・ しかしそれでも前述した3巨頭には負ける。「鯨飲馬食」というが全くその通りである。さすがの私もこの3人にはびっくりした。しかし私は嬉しかったのである。食の細い人は仕事が出来ないというのが私の統計データが示しているからだ。
・ でも微笑ましい光景があった。チーフのY先生に対して他の3人が「チーフ焼けました。私の分もお食べください」とカルビーを渡していたのである。年の差の余りない担任団であったが「チームワークは出来つつあるな」と思った。
・ それぞれが個性があって日ハムの斉藤祐樹ではないが「何かを持っている」教員ばかりだからY先生も大変だ。浮かび上がらなくなったら大変だし、「影が薄く」なっても可愛そうだから私は3人に言ったのである。「もっと主任を尊敬するように」と。そしたら又今度は焼けた「上ミノ」を「主任、主任」と言って差し出していたのである。
・ 私はこの4人の先生をどのように呼んだら良いのか今悩んでいる。「四人組」というのがまず浮かぶ。しかし四人組と言う表現は余り良い感じがしない。それは近代中国史において世界を震感せしめた「文化大革命」を主導した江青、張春橋、桃文元、王洪文の4名を指すからだ。
・ 然らば浪速中学の「四天王」と言えるか。それはまだ早かろう。実績はまだ何も無いからである。四天王とは仏教における4人の守護神をいう言葉で日本ではすでに日本書紀の記載があるように古い歴史がある。聖徳太子が大阪の天王寺に四天王を建立したことで有名である。この4人を四天王などトンでもない。
・ 後はミナミにチェーン店が多い「ラーメン四天王」だが、これでは先生方に失礼だろう。味の真髄、肉の旨味を封じ込めた四天王自慢のチャーシューで有名であるがラーメン四天王と呼んだら嫌がられるに違いない。結局私は「中一カルテット」と呼ぶことにした。カルテット、分かりやすく言えば4人組みだが英語の方が格好良い。
・ このカルテットの経歴を少し触れてみたい。カルテットを主宰するのは29歳大阪教育大卒の数学の専任教諭であるY先生である。20代でチーフを務めるのは本校では初めてではないか。学年主任である。関大コースのAクラスを受け持つ新進気鋭のホープであり、将来の教務部長候補だ。あくまで候補に過ぎないのだが。
・ 優秀だが時に特定の保護者とトラブルがある。私はそれは「言葉が不足」するからだと思っている。言葉が少ないのは「無神経」なところがあるからだ。もっと丁寧に気配り、心配りで優しくすれば問題はない筈だ。どういうわけかこういうタイプには数学の先生が多い。どうしてだろうと思う。人間の感情は数学みたいに公式を使って解けるようなものではない。
・ しかしこのA先生、面倒見の良いところもあって今年の中学校の卒業式でも生徒の人気は抜群でご自身も廊下の隅で涙を流されていたのを私は見ている。基本的には素晴しい先生である。とにかく人間の幅を広げて欲しい。
・ 数学の指導力は当然高い。出来る生徒への指導は出来るが今後は遅れている生徒への数学の指導にどれくらい実績を上げてくれるかだろう。心中察するにこのY先生の心配事は二つあるのではないか。
・ 一つ目は今中学2年の関大コースの担任であるI先生の強力なリーダーシップで学力を伸ばしているから、これをまず意識している。そして二つ目は他の歳の差も余りない3人の担任が自分を支えて協力してくれるかと言うことではないか。私はそう見ている。
・ 関大コースBクラスの担任は同志社大学卒の国語のS専任教諭である。1年前に高校の常勤講師で採用したが優秀と言うことで常勤1年の経験だけで、この4月1日中学校勤務の専任教諭として採用した。30歳で既婚者である。従来の浪速のイメージから幾分異なる雰囲気を有していることを私は買ったのである。
・ B先生は面白い。何か「アイデア満載型」で小柄のイメージ通り「こちょこちょ」頑張ってくれている。とにかく明るい性格が良い。又「物怖じ」しないところが不思議だ。そうかと言って偉そうにはしない。後は大きなスケールの先生になれるかどうかだ。お顔も体つきも高校の進路指導部長に大変似ておられる。性格は全然違うが・・・。
・ 家庭があり小さな子どもさんがいるからだろうが、彼の有している責任感を感じる。早く専任になれたのだから頑張らねばならない。人はこのYとS両先生の競争が面白いというがそれは違う。S先生がどこまでY先生を立てるかと言うことではないか。楽しみである。
・ 特進コースのCクラスは常勤講師のM先生で関西大学卒の社会科の先生である。昨年高校で採用し、今度中学へ異動とした。ただ一人の常勤講師の担任先生だ。長身大柄で学年の生徒指導と野球部顧問も務めてくれている。26歳独身。体は大きいが気のお優しい人間だと私は見ている。お顔を良く見るとそれが分かる。
・ 同じく特進Dクラスは東京六大学の雄、あの長島監督の母校立教大学卒である数学のA専任教諭である。常勤講師の期間は2年半と比較的長かったが後述する理由で昨年10月に期中昇格として専任教諭に採用した。26歳で独身、バレーボールの指導者である。
・ 何か「ボヨヨーン」としている感じだが生徒の人気は抜群である。好感度ナンバーワンだろう。生徒は友達みたいに思っているのではないか。日本橋にあるAビルという大きなビルのオーナーの子息である。そのマンションの一室にただで住んでいる。食事は「餃子の王将」で私のご近所さんだから時々道路でばったり出会ったりする。
・ 特進を担当するM先生とA先生は同じ年である。二人とも背の高い男前のイケメン教師であるが、この二人の経歴は面白い。M先生が卒業した高校は沖縄県立首里高校である。言わずと知れた琉球時代の国学時代からすれば200年の歴史を飾る沖縄最古の教育機関であり旧制沖縄一中の超名門校である。難関の進学校であるがM先生昨年の堺市公立教員の採用試験に見事に落ちたのである。
・ 数学のA先生の経歴も面白い。茨城県の水戸市にある水戸短期大学付属高校の卒業である。この高校は「水短(すいたん)」と言って文武両道の高校で有名である。先生はバレーボールの名手として立教大学に進んだ。私は当初この先生が数学の先生とは信じられなかった。時々失礼なことを私は言った。「本当に数学を教えられるのか」と。従来の数学教師のイメージを覆している。
・ しかし世の中面白いではないか。A先生が昨年ある時、「大阪市の公立中学校数学の教員採用に合格しました。これで力をお見せできました。私は浪速が好きで理事長の下で働きたい。」と言ってきたものだから私はその場で「専任に採用」と叫んだのである。一方M先生はもう二度と公立採用試験は受けず「私も浪速一筋です」と言っていた。しかし一方的にそう言われてもなー。
・ 今浪速中学校は進化し続けている。公立中学経験の長い大阪教育大院卒40歳のベテラン社会科教諭をスカウトしすぐ教務部長にした。又 浪速高校から突破力のある39歳のI英語教諭を関大コース長として中学校に鉄砲玉としてぶち込んだ。関大卒だから関大コース長なのである。そして見事に成果を上げつつある。そこに従来からの実力派の大阪教育大卒36歳国語科並びに生徒生活指導科卒並びにアメリカンフットボール卒のN教諭を含めて「浪速中学の3巨頭」と言う。
・ それだけではない。京都外大卒英語科の34歳K教諭が居る。この先生も味わいがあって優秀だ。このK先生の結婚式に私は出席した。奥様は超美人である。又今年4月には保健体育科で「天才」と言われていた神戸大卒30歳のH先生をも又中学に投入した。
・ 又最も若くて溌剌としている24歳立命館大卒数学科のM教諭もいる。加えてそれらの中に「紅二点」である阪大卒K教諭と千葉大卒U教諭がいる。どちらもメチャ優秀である。
・ 以上のように見てみると現在の浪速中学の教員体制には死角がないではないか。「専任平均年齢が30.8歳」ではち切れんばかりのエネルギーを有した集団となった。昨年中学校において様々な理由から3人の専任教諭が舞台から去っていった。しかしそれで結構である。
・ 中学1年生の担任団カルテットが又「新しい風」を巻き起こしてくれると大いに期待している。過日この4人を夕食に招待して「ホルモン焼き」を食べに食べたのであるが、まあよく食べるのに驚いた。遠慮と言うものがこの世代にはない。それで結構だ。
・ しかしそれでも前述した3巨頭には負ける。「鯨飲馬食」というが全くその通りである。さすがの私もこの3人にはびっくりした。しかし私は嬉しかったのである。食の細い人は仕事が出来ないというのが私の統計データが示しているからだ。
・ でも微笑ましい光景があった。チーフのY先生に対して他の3人が「チーフ焼けました。私の分もお食べください」とカルビーを渡していたのである。年の差の余りない担任団であったが「チームワークは出来つつあるな」と思った。
・ それぞれが個性があって日ハムの斉藤祐樹ではないが「何かを持っている」教員ばかりだからY先生も大変だ。浮かび上がらなくなったら大変だし、「影が薄く」なっても可愛そうだから私は3人に言ったのである。「もっと主任を尊敬するように」と。そしたら又今度は焼けた「上ミノ」を「主任、主任」と言って差し出していたのである。
2011年4月21日木曜日
23年4月21日(木)大震災を考える
・ どうもいけない。始業式が終わってから調子が悪い。体というより精神的なものだ。1月からこっち、気の使う毎日でようやく新年度が無事に立ち上がったら私は「だらける」。「くだくだ」になる感じだ。毎年同じことの繰り返しであることを自身が知っているが、どうにもならない。今年もそうだ。でも頑張っている。
・ 茨城南部の鹿嶋市というところに居を持つ私も被災者の一人であるが被災の程度は小さくはなかった。でも住む家があり電気が来て、濁ってはいるが井戸の用意もあるから当面の生活には支障は無いが、今年はこちらの分が余分だ。
・ 人間というのは「他との比較において自己のポジションを知る」のであるが、我が家の被災状況は岩手、盛岡、福島の人々の比ではない。何か申し訳ない複雑な思いがする。しかし一方では我が身の幸運を喜んでいるのである。だからこのように悠長にしておられるのだが、連休には帰って「余震の続く」中での後片付けが必要である。
・ 内心では帰省の時にこの日本歴史に大きな爪あとを残した東北3県の海側をちょっとでもこの目で確認し、目に焼き付け、そしてささやかでも「ボランティア支援活動」の真似事でもしたい気持ちである。
・ しかし私には守るべき学校があり、その責任者としてやるべきことも多くあるから現地に出向くことは出来ない。4月に入学してきた中学、高校の1年生の面倒を見なければならない、最も重要な時期が5月末までである。
・ 被災地に行っても結局は「結果的な冷やかし」となることを恐れている。「頑張ろう東北、頑張ろう日本」とメディアは、そして有名人が盛んに言っているのは「まあ、反対ではない」が個人的には好きではない。
・ テレビがボツボツ報道し始めた「震災の蔭にある美談」とか「感動物語」ももういいわ。それに予想していた通り「過度の自粛は結局東北の人のためにならない」とか言い始めているが、これも自分勝手な言い草のように聞こえる。
・ 東北の人々は避難した体育館でテレビは無くプライバシーもなく社会と隔離されて耐え忍んでいるのだから自粛もくそもない。結局人間社会はこういうものなのだろう。それぞれがそれぞれの立場で「生きていくのに一生懸命」だからである。
・ だから私は今浪速高校として出来ることは「連帯の気持ち」を具体的に表すために「義援金を出す」事だと思ったのである。「頑張ろう」と言う代わりに、例え金額は少なくとも被災地に「お金を送りたい」と思ったのである。
・ 形の変わった「自己満足」と言われても良い。もしそういうことを言ってきた人に「だったら貴方はどうするの」と言い返すのだ。私は教職員に向かって「今回、義援金を出さなかった人は南海地震で家が倒壊して他府県から義援金が送られてきても1円たりとも受けとるな」とまで言ったのである。少し言い過ぎだった。
・ しかし私に出来ることはそれしかなかった。だから「しゃかりき」になって義援金の募集活動を行った。先頭に立って募金活動の仕掛けをしたのである。後は淡々と日常の生活に戻るしかない。自粛もなにもない。「自然体」でいくしかないし「言葉は不要」だ。
・ そして「深く、深く今後の日本の事を考える」のである。今我々日本人は今後のことをじっくりと考えねばならない時期に来たと思っている。今こそ自分たちの国をどうするのか、具体的にどう進めるのか考え、行動することが必要だ.
・ 本校では数次に亘る活動で「義援金が多く集まっている」のでその内の一部を拠出することとした。義援金の目安は平成22年5月1日現在の在籍生徒数に250円をかけたものというので本校の場合497750円となる。
・ 府内私立学校全体の目安は2696万円と計算しているが本校は直近の4月6日の入学式後の生徒数で計算した。すなわち2057名にかけたのである。従って金額は514240円とした。どの学校も今年は入学者数が多かったので事務局の予想を上回るのではないか。
・ まだ本校には沢山の義援金が残っているのでこれらは次のタイミングを見て本校の生徒、教職員、保護者、同窓会の温かいお気持ちを被災された人々にお届けしたいと思っている。私の気持ちとしては日本赤十字社と神社本庁を通じて被災された「東北地方の神社」にお届けできないか、その方法を探っている段階である。
・ それにしても私は今回の大震災から改めて思う事が多い。新聞でもテレビでも雑誌でも多くの人々が「意見や感想」「所感」を述べられているが多くは目の前の災害復旧、復興の事が当然として多い。
・ しかし私が考えるのは前述したようにもっと大きく日本全体をどのように捉えて今後の「国作り」を進めていくのかということだ。間違いなくこの「国難」の状況はいずれ日本人であるから克服していくことは間違いない。その後の話だ。今までの日本では亡くなられた方々に申し訳ないではないか。
・ 東京大学の御厨貴教授は先の世界大戦に敗戦して国土を失った今日までを「戦後」としていたが今後は「震後」という造語をされて警鐘を鳴らしておられたが、全くその通りであると思うと同時に「震後」という言葉に些か感心した。
・ それにしても発生から1ヶ月が過ぎても行方不明者の捜索が進まず、瓦礫の撤去も進んでいない現状を見るに付け、この国の中央政府の体たらくにあきれるばかりである。腹が立つ。特に福島第一原発事故と後処理については世界にも衝撃と大迷惑を与えた。
・ 私は今でも3月11日の記者会見で東京電力の幹部が「想定外」と言う言葉を使った時のテレビの映像を覚えている。原子力保安院もそうだった。次から次とテレビにでて解説する原子力を専門とする大学教授もあの映像があるにもかかわらず「大丈夫、安全です」と言っていたのを忘れない。
・ 確かに原子炉の耐震性はそれなりに考慮されていたのは分かったが「津波」に対する警告は無視されていたことが事故後徐々に明るみになってきた。全く不十分な対策しか取られていなかったのである。
・ その次がいけない。発電所の非常用炉心冷却装置が働かないと言う超緊急事態にも関らず東京電力の対応は後手後手に回り被害を拡大した。大体想定外というが想定していなかっただけの話だろう。これは「人災」である。地震と言う自然災害に人災が加わった未曾有の激甚災害に原子力関係者が総出で仕立て上げたのである。
・ 全ては「歴史に学んで来なかった報い」ではないか。住民には全く罪科はない。日本の指導層、特に中央政府と原子力保安院、東京電力、関係した大学教授どもの「でたらめさ」が完全な形で明確になった。
・ この地域は日本歴史上3度も大きな地震と津波に襲われているのである。全ては歴史に刻まれた事実である。彼らはこの事実を無視したか過小評価した設計しかしなかったのである。それが想定外という言葉になって現れたのである。
・ 明治三陸地震は今から115年前というからそれほど昔ではない。岩手県の釜石市沖合い200キロを震源とする地震でM8.0から8.5という巨大地震であったが地震後の津波が本州観測史上最高の高さである38.2メートルを記録したとある。死傷者は2万人を超えて甚大な被害を出している。これは詳細なデータが残っているから誰でも分かる話である。何故参考にしなかったのか。
・ 更に今回の大震災関連の新聞記事を注意深く読んでいると今から1100年前に「貞観地震」というものもこの地方の先祖は受けているのだ。この869年、貞観11年に発生した貞観地震は今回の東日本大震災と酷似しているといわれている。
・ この時代は空海、最澄らが中国から持ち帰った仏教文化が花開き、「安全神話」が広がっていたと言う。油断をついて大地震に襲われ京の中央政治でも政変が起きてその後藤原時代へ突入した。しっかりと書かれた歴史書が残っている。都会的な貴族文化の中で暮らしていた人々の安全意識を一蹴したとある。
・ 大震災の翌年すなわち貞観12年若き菅原道真が「高等文官試験」において出された問題が「震災を論ぜよ」というものだったと記録にあるように如何に中央政府を震感させたか分かる。まったく今と同じではないか。
・ 人間の思い上がった増長がこのような歴史の傷跡が残る地域に安全神話をばら撒いて現代の科学技術の最先端を行くものとして「幸せを導く安全、絶対安全な原発」と言って発電所を持って来たのである。それも口の重たい純真素朴な人々の住む場所にである。そして発電された電力は遠く電線で東京に運ばれていくのだ。
・ 第一「原発は安全、安心」と声高に言うところが「原発は危険なもの」だということの裏返しではないのか。最低限でも非常用発電機は高台に設置しておかねばならなかった。これさえやっていなかったのだからどう考えてもおかしい。
2011年4月20日水曜日
23年4月20日(水)人材育成評価システム本番へ
・ 3月29日理事会において確認された重要な項目に「教職員人材育成評価システムの処遇本番移行」の議題があった。今まで何回となく議題に上がって確認されては来ているのだが本番ということで再度議題として上程し確認したものだ。
・ 本番とは「評価結果の処遇への反映を100%行う」と言うものである。21年度は段階的措置として50%反映としたが22年度は丸々評価結果を「月例基本給に跳ね返し」をするのである。
・ 本校の場合は「S,AA,A,B,C、の5段階評価」となっており標準はA評価である。Aであれば今までと同じパターンでの昇給となる。高い評価であるAA(○A)となれば一定の比率での昇給となる。
・ 「振れ幅」は民間企業ほど大きくしていないがそれでも基本の本給の上下だからAAとBとでは同じ同期同年齢でも1年間の所得差となれば大きな差異になってくる。賞与の支給は月例給与に×月数だから都合16か月分の差異が発生する。
・ 学校法人と教職員は「契約関係」にあると言うのが私の基本的考えである。雇用関係を結び給与を支払う代わりに相当する業務を遂行すると言う考え方に立てば「最低限A評価を得ることで契約が成立」する意味である。
・ 契約以上の業績を出せば「学校の内外どこかに有形無形のメリット」が出ているのだからそれらを評価して幾分かを「還元」することは当然であろう。また逆に契約以下の業績でしかなかった場合は契約条項の補正が必要になってくるという考え方も合理的ではないか。
・ この評価は1年単位で今年良くなかったから来年頑張ろうとして成果が認められれば翌年度上がるので「カーブは回復可能」である。こういう制度は「復活」がなければ意欲を減退する。
・ ここ大阪府では園小中高、全ての公立教員は既にこの制度の中で数年以上が経って完全に走り出している。遅ればせながら私立学校の本校も追いついたと言うわけである。これで公立の教員からあれこれ言われないで済む。
・ 言われた訳ではないが「人材育成評価システムは悪い制度ではない」から導入した。一部の団体に属する教員は「教員を分断するものだ」「校長の思いのままに教職員を動かそうとしている」「好きな教員と嫌いな教員を分け隔てする」などと言っていたが現在このような動きは大阪府の公立学校ではどのような状況なのであろうか。
・ 現在本校の事務室には某銀行からの出向者が勤務されているが、過日その銀行から私に対して「評価書に記入して送り返して」と書類が来た。このように民間企業はどこに行っても「評価というものはどこに付いて回る」ものなのである。
・ ただ最近私はこの制度について「運用で変化をつける」必要性を感じている。元々この制度は学校方針に準拠して自己目標を立て推進すると言う根底の思想であり、これであれば目標を達成すればそれで良いとする考えがあったが「ちょっと待って」と思うのである。
・ 確かに仕事は出来、皆が認める成果も上がった。ところが朝は遅いし、休みは多いし、バイク事故は起こすし、武道館などのお祝いにも駆けつけないなどの人にそれらの評価は無視してよいのかという疑問である。
・ 様々な意見があろう。ただ組織人として「限界内で許されるか、それはあかんやろ!」となるのか「微妙な問題」であるが私は決意した。「総合的所見欄に記載する事項」として反映するのである。
・ 根底の考えには「良い成果は良い勤務態度から担保されている」というものである。学校は組織であり協調性の中で個人の能力を発揮して頂くことがベースと言う考え方である。真面目にやっている人のことも考えねばならない。
・ 私は時々思う。どうして教員という人間は「こうなんだろう」と思うのだ。優秀で良いのだが人間性となったら疑問符が付く人も居るのである。これらは個性ではない。単に思い上がった「自分だけは別」という「勘違い」なのである。
・ 朝、生徒と同じに始業前ぎりぎりに正門に駆け込んでくる教員などは典型的である。自分が遅れて来ている学校で自分の担任の生徒が何をしているかなど眼中にない人々である。
・ 昔から目についていた二人の教員については以前数ヶ月前に個別に指導したにも関らず理事長校長の指導など無視だ。こういう教員に目標を達成したからと言って処遇を与えられるか。私には出来ない。
・ この通勤時刻(登校時刻は生徒のための言葉)については4月14日の職員会議で徹底した。しかし何時か又ルーズになっていくのかも知れない。だから「歯止め」が必要なのである。
出勤時間について
* 8時25分始業ということは8時25分から100%状態で本来業務に入るということである。服を着替え、今日の時程を再確認し、教材の準備や用意もある。上司同僚への確認事項や時間割変更があるかどうかをチェックする必要もある。それに昨夜自分が帰宅後に受信されたメールの確認もある。そのように考えたら遅くても8時10分には席についておくことが勤労人として常識だと思う。勤務にルーズな組織はすでに腐敗している。
・ この4月から本校で頑張ってくれている某常勤講師の人は理事長に下記のような小論文を提出してくれた。「専任になりたくて、なりたくて仕方が無い人」で4月1日の着任時においても「専任を目指して頑張ります」とたった一人言った教員である。
“ 教員生活15年目から関西大学連携浪速中学校で、教壇に立たせて頂くことになりました、XXXXと申します。理事長校長先生の毎日の講評を前任校(XX中学高等学校)で勤務している頃より、毎日楽しみに読ませて頂いています。正直なところ、私自身は、貴校にお世話になると決まってからですが、色々私学教員に聞くと、びっくりしたら失礼かも知れませんが、過半数の教師が、浪速の理事長校長先生のブログは、面白い、興味が沸くと人気があり、読ませて頂いているみたいです。そんなに面白い、興味が沸く講評なのかと半信半疑で、読ませて頂き、かなり勉強させられました。(中略)私自身、今年40歳を迎える。距離感をしっかりと保ち、信頼される、熱血教師をさらに目指して、ご期待に添えられるように、頑張る所存であります。専任教諭を目指し、残りの教師生活25年余りを貴校で、新任教諭ならぬ、いがんだ考え方をせず、ベテランの教師と共に、色々な経験を生かし、生徒や新卒の先生が、伸び伸び、成長出来る、また、この学校の発展に力添えできる教師を目指し、頑張って行きますので、宜しくお願い致します。
・ 私はこの常勤講師の様に「前傾姿勢」で意欲を全面に押し出す人を好ましく思う。「一歩前に自分を運ぶ人間は必ず実践が伴っている」からだ。着任2週間であるにも関らず多聞尚学館で特別講義をやってくれている。
・ 何よりこの講師、既に「生徒の心をがっちり掴んでいる」のである。この先生の教える数学の授業が大変分かり易いと大評判なのである。そして私は感心したのが前述した文章の中で下から3段目の「いがんだ考え方をせず」の部分である。今まで多くの常勤講師を使って来たがこのような表現を使った人はこの人が初めてである。
2011年4月19日火曜日
23年4月19日(火)その2:専任教諭への道 その2
・ さて私が採用した32名の専任教諭であるが、平均的には「粒揃い」であると思っている。しかし中には「自信過剰の者」とか若いのに「重役出勤」みたいにぎりぎりに門に駆け込んでくる勤務状態がだらしない者もいる。
・ こういうのが一番辛い。もし分かっていたら絶対に専任になどしなかったのにと思う。私が「この人材は良い」と思って採用したら、「採用されることが目的」であって、すぐだらしなくなる輩である。本当に腹が立つ。
・ しかし概して優秀な先生ばかりで私は「自分の眼鏡」にある面では自信を有しているのだ。専任にして後で「腹がメチャ立つ」ような教員も居たが、資質があれば彼らは「徹底的に、徹底的に、徹底的に個人指導」を加える。それは将来を期待している人材だからである。
・ まず「陰日なた」があってはいけない。何時も同じようでなければならない。そして「礼儀作法」だ。なぜこのようなことを言うかといえばこれらの若いエースに「浪速の将来」を託したいからである。
・ 将来の幹部候補というのは誰からも「信頼」されなければならない。私はその頃はこの世にはいないだろう。しかしその「卵を見極め道筋を付ける」のは現時点でのトップの私の仕事である。この私の気持ちが若い世代の教員に分かっているのかどうかはどうでも良い。
・ 10年後、15年後にその時の理事長や理事から「ろくでもない教員が多い。木村は酷いのを採用したものだ」と言われたくないのである。「素晴しい教員集団だな。さすが木村は良い財産を残して呉れたな」と言われたいのである。
・ これからの10年、15年で誰もが「次の教頭先生は文句なしにあの先生ね」と言われるような「玉」を何個も用意して次に世代に引き継ぐのである。まさしくこれは一流企業の重役や社長養成方法である。
・ 大体日本の学校の人材育成方法などは全くと言って無い。欧米とは根本的に異なる。だからどうしようもない管理職が時に多く出現する。従って学校は進化していかない。本校では私は着任以来副校長、教頭、事務長、例外なく全てを私が任命した。今まで居た管理職に辞めて貰って新しく任命したのだ。
・ 誰もが私からの人事の話の時に「目をぱちくり」して信じられないような顔をした。その瞬間まで「管理職になる覚悟」などまったくなかったのである。これは本校だけの話ではない。学校の文化がそうなのである。
・ 組合勢力の強く、人権派と称する一団の中から昇格していく学校文化の中では衆目一致する「次はあの人」というスタイルは有り得ないのである。酷いのになると元組合員でバリバリ校長を甚振っていたような人間がある日突然管理職に指名されるようなところだから、折角管理職になっても改革など出来るはずがない。「校長は昨日まで違うことを言っていたではないか!」と攻められたらそれでお仕舞いだろう。
・ だから一般に教員は「管理職になろうとはしない生態」を持つ。「皆に気を使って」、給料は一般教員とそれほど変わるはずも無く、「時間と責任ばかり」押し付けられて元気を失っていく管理職を見ていて、確かに校長を目指そうと言うのは少しおかしい人間と思われるに違いない。
・ 公立学校ならまだ救われる。それは教育委員会があり、教員の数も多く相対的に偏差値で言えば優秀であるし、「代りは幾らでもいる」からである。しかし私立学校はそうは行かない。ぼんくらの校長や教頭が出てきたら学校が潰れるからだ。
・ 大体校長など管理職の条件は教員の延長線上にあると思っているから駄目なのである。良い教員が必ずしも立派な出来る校長とは成り得ないのである。「別筋」があるのである。勿論立派な教師で立派な校長となればそれはそれで最高であるが、そうは多くない。
・ 現在いる32名のうち26歳以下の教員を除けば(まだ若いから敢えて外す)それでも8名程度は将来期待が持てそうな人材はいる。これは現時点の私の観察であってこれから10年、15年で変化してくる。また全く候補外などと思われていた中から「ぐっと伸びてくる」人も居るだろう。人というのはそういうものだ。
・ 本校のように小さな所帯のところでは誰もが「一騎当千」でなければ戦ってはいけない。本校は「福利厚生施設」ではないし、駄目教員のリハビリ施設ではない。温情で採用し、雇用するなどの余裕は無いのである。「浪速は自分の居るところにあらず」と思えば「粛々」と去って欲しい。
・ 「本校のパラサイト教員」になって貰っては困るのである。そういう意味からいえば3月末で退職して行った3名のうち2名は立派であった。「潔かった」のである。勿論管理職など目指さなくても良い。「生涯現役で教壇に立つ」ことはこの教師と言う職業のみが持てる特権である。
・ 然らば生涯平教師を目指すのであれば最低限学校の方針にベクトルを合わせないといけない。人間というのは悲しい動物で自分は非管理職、なのに同期のあいつは「教頭になった」となれば「心穏やか」とはならないものだ。
・ だから管理職と言うのは誰からも「ライバルだけど立派だね」「あいつなら仕方が無いな」「あいつしか居ないわな」と思われるような人材候補を育成しておかねばならないのである。「ある日突然管理職に」などでは「国は乱れる」のである。
・ 今本校には35名の常勤講師がいる。「本日のブログその1とその2」を良く読んで頑張ってくれたら私は嬉しい。勿論様々な将来がある。公立の教員になって故郷に帰るというのも合って良い。他の私立高校の方が「花開く」こともあるだろう。道は様々だ。
・ ただどこで頑張ろうと教師を目指した以上「志」を忘れてはいけない。「努力と忍耐」しかない。理事長だけの眼鏡に適って専任になるというのは本校では有り得ない。全ての人が観察しているのである。そして絶対基準と言うのも無い。35名の常勤講師での相対基準ということである。
・ こういうのが一番辛い。もし分かっていたら絶対に専任になどしなかったのにと思う。私が「この人材は良い」と思って採用したら、「採用されることが目的」であって、すぐだらしなくなる輩である。本当に腹が立つ。
・ しかし概して優秀な先生ばかりで私は「自分の眼鏡」にある面では自信を有しているのだ。専任にして後で「腹がメチャ立つ」ような教員も居たが、資質があれば彼らは「徹底的に、徹底的に、徹底的に個人指導」を加える。それは将来を期待している人材だからである。
・ まず「陰日なた」があってはいけない。何時も同じようでなければならない。そして「礼儀作法」だ。なぜこのようなことを言うかといえばこれらの若いエースに「浪速の将来」を託したいからである。
・ 将来の幹部候補というのは誰からも「信頼」されなければならない。私はその頃はこの世にはいないだろう。しかしその「卵を見極め道筋を付ける」のは現時点でのトップの私の仕事である。この私の気持ちが若い世代の教員に分かっているのかどうかはどうでも良い。
・ 10年後、15年後にその時の理事長や理事から「ろくでもない教員が多い。木村は酷いのを採用したものだ」と言われたくないのである。「素晴しい教員集団だな。さすが木村は良い財産を残して呉れたな」と言われたいのである。
・ これからの10年、15年で誰もが「次の教頭先生は文句なしにあの先生ね」と言われるような「玉」を何個も用意して次に世代に引き継ぐのである。まさしくこれは一流企業の重役や社長養成方法である。
・ 大体日本の学校の人材育成方法などは全くと言って無い。欧米とは根本的に異なる。だからどうしようもない管理職が時に多く出現する。従って学校は進化していかない。本校では私は着任以来副校長、教頭、事務長、例外なく全てを私が任命した。今まで居た管理職に辞めて貰って新しく任命したのだ。
・ 誰もが私からの人事の話の時に「目をぱちくり」して信じられないような顔をした。その瞬間まで「管理職になる覚悟」などまったくなかったのである。これは本校だけの話ではない。学校の文化がそうなのである。
・ 組合勢力の強く、人権派と称する一団の中から昇格していく学校文化の中では衆目一致する「次はあの人」というスタイルは有り得ないのである。酷いのになると元組合員でバリバリ校長を甚振っていたような人間がある日突然管理職に指名されるようなところだから、折角管理職になっても改革など出来るはずがない。「校長は昨日まで違うことを言っていたではないか!」と攻められたらそれでお仕舞いだろう。
・ だから一般に教員は「管理職になろうとはしない生態」を持つ。「皆に気を使って」、給料は一般教員とそれほど変わるはずも無く、「時間と責任ばかり」押し付けられて元気を失っていく管理職を見ていて、確かに校長を目指そうと言うのは少しおかしい人間と思われるに違いない。
・ 公立学校ならまだ救われる。それは教育委員会があり、教員の数も多く相対的に偏差値で言えば優秀であるし、「代りは幾らでもいる」からである。しかし私立学校はそうは行かない。ぼんくらの校長や教頭が出てきたら学校が潰れるからだ。
・ 大体校長など管理職の条件は教員の延長線上にあると思っているから駄目なのである。良い教員が必ずしも立派な出来る校長とは成り得ないのである。「別筋」があるのである。勿論立派な教師で立派な校長となればそれはそれで最高であるが、そうは多くない。
・ 現在いる32名のうち26歳以下の教員を除けば(まだ若いから敢えて外す)それでも8名程度は将来期待が持てそうな人材はいる。これは現時点の私の観察であってこれから10年、15年で変化してくる。また全く候補外などと思われていた中から「ぐっと伸びてくる」人も居るだろう。人というのはそういうものだ。
・ 本校のように小さな所帯のところでは誰もが「一騎当千」でなければ戦ってはいけない。本校は「福利厚生施設」ではないし、駄目教員のリハビリ施設ではない。温情で採用し、雇用するなどの余裕は無いのである。「浪速は自分の居るところにあらず」と思えば「粛々」と去って欲しい。
・ 「本校のパラサイト教員」になって貰っては困るのである。そういう意味からいえば3月末で退職して行った3名のうち2名は立派であった。「潔かった」のである。勿論管理職など目指さなくても良い。「生涯現役で教壇に立つ」ことはこの教師と言う職業のみが持てる特権である。
・ 然らば生涯平教師を目指すのであれば最低限学校の方針にベクトルを合わせないといけない。人間というのは悲しい動物で自分は非管理職、なのに同期のあいつは「教頭になった」となれば「心穏やか」とはならないものだ。
・ だから管理職と言うのは誰からも「ライバルだけど立派だね」「あいつなら仕方が無いな」「あいつしか居ないわな」と思われるような人材候補を育成しておかねばならないのである。「ある日突然管理職に」などでは「国は乱れる」のである。
・ 今本校には35名の常勤講師がいる。「本日のブログその1とその2」を良く読んで頑張ってくれたら私は嬉しい。勿論様々な将来がある。公立の教員になって故郷に帰るというのも合って良い。他の私立高校の方が「花開く」こともあるだろう。道は様々だ。
・ ただどこで頑張ろうと教師を目指した以上「志」を忘れてはいけない。「努力と忍耐」しかない。理事長だけの眼鏡に適って専任になるというのは本校では有り得ない。全ての人が観察しているのである。そして絶対基準と言うのも無い。35名の常勤講師での相対基準ということである。
23年4月19日(火)その1:専任教諭への道その1
・ 本校における「専任への道」は比較的「緩やかな道」である。言い換えれば「専任への門戸」は開かれていると言っても良い。その理由は二つある。一つにはこの4年間「生徒増」が毎年の如くあったからである。当然教員の数は増大する。
・ 二つ目の理由はこれが本校の特色でもあるのだが「教員の若返り」が進んでいるからである。これは幾らか説明を加えなければならない。要はベテラン教諭の為に「早期退職優遇制度」を制定して定年前退職を募ったことに伴う世代交代成果である。
・ 所定の退職金に上積みして「セカンドキャリア支援金」の名目で、本校の理事の言葉では「びっくりした」というような大きな額のお金を支給し円満退職して貰った。その分の補充に当然のことながら若い世代の教員を入れたのである。
・ これを同じような年格好のおっさん教員を補充したのでは「何をやっているか」分からなくなる。年功序列社会の学校ではベテラン教員の年収は高いのに加えて退職金上積みまでして辞めて貰うのだから2年くらいで元が取れることでないと理事長の背任行為と言われかねない。
・ ベテランの専任教諭一人で常勤講師二人が雇用出来る。だから本校では相対的に若い教員の機会が多いのである。従って本校に大学新卒の常勤講師が多いのはそういう理由による。今時超就職氷河期の大学生を積極的に採用している私立高校はそう多くはない。私が大学の学生課から公式に礼を言われたりするのはそういう背景があるからである。社会貢献しているのである。
・ 以上の二つの要因があって本校では「専任切符が手に入り易い学校」ということが出来る。確かに言われているように私は専任教諭を「ドンドン」採用してきた。「採用しまくってきた」と言っても良かろう。
・ 数値を上げよう。平成18年12月理事長として着任し、平成19年4月校長兼務と成ったから同年4月1日付けの人事発令から「私の意志」である。要は私の責任で採用したのである。平成18年4月以前は前校長の採用責任となる。
・ 何故そういう表現を取るかと言えば、元来人事採用権限は校長にはない。人事権は学校法人の理事会決定事項であり、それを「理事会を総理する理事長」がその職務権限で行うものであるからである。勿論副校長や教頭先生の意見具申を参考にする。
・ とにかく平成19年4月以来私は4年間で「総計35名の専任教諭を採用」してきた。残念ながら内3名は今年の3月31日で退職した。これについては後述するがそれにしても今朝現在32名の専任教諭はすべて私が意思を示したものである。
・ 管理職を別として、ベテラン専任教諭を含めると、今朝現在58名の専任教諭がいるが、そのうち何と32名が採用4年未満の若い専任教諭である。実に55%となる。先の橋下知事率いる「維新の会」が統一地方選で大量当選し「橋下チルドレン」と言われているが、私はこれらの32名を「木村チルドレン」と言うほど思い上がったアホではない。私の「眼鏡に適った」から採用しただけの話である。
・ 若いと書いたが実際はそうでもなくて幅広い世代から採用した。40歳代で言えば48歳で男女2名。40歳で男性一名の合計3名だけである。今の世の中に48歳で正規職員に採用してくれるような学校がどこにある?!しかし私は採用したのである。新しい職場を探している中年の教師よ、志あれば浪速に来なさい!そして「浪速の中年の星」になって欲しい。
・ 30歳代を見てみよう。今朝現在14名も居る。最も4年前の採用もいるから採用時は20歳代だった教員もいる。女性教員は14名中5名である。最年長は37歳の男性教員である。女性教員の最年長は36歳で一名のみである。
・ 20歳代を見てみよう。24歳から29歳までに15名居る。うち女性教員は4名である。29歳に3名居て内一人が女性である。又採用した32名のうちに前公立の教員だった人は3名、他は新卒か他の私立学校からと言うことになる。
・ 以上のように積極的に採用してきたが前述したように3名の専任教員が退職して行った。「折角掴んだ専任の椅子」を投げ打って辞めていくのだから「惜しい」と思うがこればかりは仕方が無い。惜しいと書いたのは私ではなくて辞めたご本人の立場に立っての話である。
・ 一人は「理想と現実の間で本校での将来を見失った」ということかも知れない。とにかく夢想家に近い「理想家」であった。一人は「一杯一杯」の人だったと思う。少し教師としての資質にクエンスチョンマークという管理職もいた。後の一人は多くは書けないが専任にしたのが「大失敗」であった。
・ 私は「去るものは追わず、来るものは拒まず」である。以上のうち2名は相当慰留したが、考えたらもう本校では「座り心地」が悪くなるだろうし、又新たに3名分優秀な専任教諭が採用できると思えば、必ずしも悪い話ではないと思ったのだ。
・ 本校では専任になるルートは決まっていない。公立教員からすぐ本校の専任になると言うのもあったし、非常勤講師から直ぐ専任というのもある。しかし圧倒的に多いのが、常勤講師経験を経て専任に採用されるパターンが最も一般的である。
・ 常勤講師期間も目安としては最大で3年までと言うラインがある。府下の私立でも同じような形である。3年も頑張って「専任に採用出来ない」のであればそれ以上は学校にもご本人にもこれ以上の無理はお互いしない方が良いと言うことだろう。しかし本校では常勤講師期間数ヶ月とか1年とか比較的短い。
・ 私は4年間を振り返って思う。大体採用時に「ウーン、大丈夫かな」と思った人間はやはりその後もなんらかの形でトラぶっている。私は基本的に優しい人間である。専任を目指して頑張ってくれている教員を見ると「ついつい情に絆されて」、専任にしてしまうクセがある。
・ しかしこれは私の悪いクセだ。これではやはり駄目だなと最近ではつくづく感じている。少し意味合いが違うが「泣いて切らねばならない時もある」と思うようになった。後で後悔するし、第一に生徒や他の教職員に大きな迷惑を与えてしまうからだ。 (その2に続く)
・ 二つ目の理由はこれが本校の特色でもあるのだが「教員の若返り」が進んでいるからである。これは幾らか説明を加えなければならない。要はベテラン教諭の為に「早期退職優遇制度」を制定して定年前退職を募ったことに伴う世代交代成果である。
・ 所定の退職金に上積みして「セカンドキャリア支援金」の名目で、本校の理事の言葉では「びっくりした」というような大きな額のお金を支給し円満退職して貰った。その分の補充に当然のことながら若い世代の教員を入れたのである。
・ これを同じような年格好のおっさん教員を補充したのでは「何をやっているか」分からなくなる。年功序列社会の学校ではベテラン教員の年収は高いのに加えて退職金上積みまでして辞めて貰うのだから2年くらいで元が取れることでないと理事長の背任行為と言われかねない。
・ ベテランの専任教諭一人で常勤講師二人が雇用出来る。だから本校では相対的に若い教員の機会が多いのである。従って本校に大学新卒の常勤講師が多いのはそういう理由による。今時超就職氷河期の大学生を積極的に採用している私立高校はそう多くはない。私が大学の学生課から公式に礼を言われたりするのはそういう背景があるからである。社会貢献しているのである。
・ 以上の二つの要因があって本校では「専任切符が手に入り易い学校」ということが出来る。確かに言われているように私は専任教諭を「ドンドン」採用してきた。「採用しまくってきた」と言っても良かろう。
・ 数値を上げよう。平成18年12月理事長として着任し、平成19年4月校長兼務と成ったから同年4月1日付けの人事発令から「私の意志」である。要は私の責任で採用したのである。平成18年4月以前は前校長の採用責任となる。
・ 何故そういう表現を取るかと言えば、元来人事採用権限は校長にはない。人事権は学校法人の理事会決定事項であり、それを「理事会を総理する理事長」がその職務権限で行うものであるからである。勿論副校長や教頭先生の意見具申を参考にする。
・ とにかく平成19年4月以来私は4年間で「総計35名の専任教諭を採用」してきた。残念ながら内3名は今年の3月31日で退職した。これについては後述するがそれにしても今朝現在32名の専任教諭はすべて私が意思を示したものである。
・ 管理職を別として、ベテラン専任教諭を含めると、今朝現在58名の専任教諭がいるが、そのうち何と32名が採用4年未満の若い専任教諭である。実に55%となる。先の橋下知事率いる「維新の会」が統一地方選で大量当選し「橋下チルドレン」と言われているが、私はこれらの32名を「木村チルドレン」と言うほど思い上がったアホではない。私の「眼鏡に適った」から採用しただけの話である。
・ 若いと書いたが実際はそうでもなくて幅広い世代から採用した。40歳代で言えば48歳で男女2名。40歳で男性一名の合計3名だけである。今の世の中に48歳で正規職員に採用してくれるような学校がどこにある?!しかし私は採用したのである。新しい職場を探している中年の教師よ、志あれば浪速に来なさい!そして「浪速の中年の星」になって欲しい。
・ 30歳代を見てみよう。今朝現在14名も居る。最も4年前の採用もいるから採用時は20歳代だった教員もいる。女性教員は14名中5名である。最年長は37歳の男性教員である。女性教員の最年長は36歳で一名のみである。
・ 20歳代を見てみよう。24歳から29歳までに15名居る。うち女性教員は4名である。29歳に3名居て内一人が女性である。又採用した32名のうちに前公立の教員だった人は3名、他は新卒か他の私立学校からと言うことになる。
・ 以上のように積極的に採用してきたが前述したように3名の専任教員が退職して行った。「折角掴んだ専任の椅子」を投げ打って辞めていくのだから「惜しい」と思うがこればかりは仕方が無い。惜しいと書いたのは私ではなくて辞めたご本人の立場に立っての話である。
・ 一人は「理想と現実の間で本校での将来を見失った」ということかも知れない。とにかく夢想家に近い「理想家」であった。一人は「一杯一杯」の人だったと思う。少し教師としての資質にクエンスチョンマークという管理職もいた。後の一人は多くは書けないが専任にしたのが「大失敗」であった。
・ 私は「去るものは追わず、来るものは拒まず」である。以上のうち2名は相当慰留したが、考えたらもう本校では「座り心地」が悪くなるだろうし、又新たに3名分優秀な専任教諭が採用できると思えば、必ずしも悪い話ではないと思ったのだ。
・ 本校では専任になるルートは決まっていない。公立教員からすぐ本校の専任になると言うのもあったし、非常勤講師から直ぐ専任というのもある。しかし圧倒的に多いのが、常勤講師経験を経て専任に採用されるパターンが最も一般的である。
・ 常勤講師期間も目安としては最大で3年までと言うラインがある。府下の私立でも同じような形である。3年も頑張って「専任に採用出来ない」のであればそれ以上は学校にもご本人にもこれ以上の無理はお互いしない方が良いと言うことだろう。しかし本校では常勤講師期間数ヶ月とか1年とか比較的短い。
・ 私は4年間を振り返って思う。大体採用時に「ウーン、大丈夫かな」と思った人間はやはりその後もなんらかの形でトラぶっている。私は基本的に優しい人間である。専任を目指して頑張ってくれている教員を見ると「ついつい情に絆されて」、専任にしてしまうクセがある。
・ しかしこれは私の悪いクセだ。これではやはり駄目だなと最近ではつくづく感じている。少し意味合いが違うが「泣いて切らねばならない時もある」と思うようになった。後で後悔するし、第一に生徒や他の教職員に大きな迷惑を与えてしまうからだ。 (その2に続く)
2011年4月18日月曜日
23年4月18日(月)「花外楼」
・ 16日(土)北浜の「花外楼」という料亭に招待されて大阪天満宮宮司や道明寺天満宮、茨木神社宮司と4人で食事をした。いずれの方々も本校の理事である。名目は1月以来の大きな学校行事が無事終わったので理事長の慰労と言うことでの会合で、この日のホストは本校名誉理事長である大阪天満宮宮司であった。
・ この場所は私が特に望んだものある。前から一度是非行きたいと思っていたが機会が無くて是非今回はと期待していたのである。要求したと言っても良い。ここは大阪で最も古い格式高い料亭である。創業したのは天保年間というから180年前である。
・ 当時の名前は現在の花外楼とは言わずに別の名前であったという。しかしこの料亭を一躍有名にした日本史を飾る出来事がこの料亭であったのである。言ってみれば「歴史の舞台になった料亭」である。
・ 明治8年、維新の元勲たちが大阪のこの料亭に集まって「立憲政体」の樹立を約した。西郷隆盛の征韓論の紛議など明治新政府の土台がゆらゆらしていたこの時に大久保利通、木戸考允、板垣退助、伊藤博文、井上馨らの錚々たる顔ぶれが集まっていわゆる維新政府の「政治改革」の合意を見たのである。
・ 後世この会議は「大阪会議」と言われ、歴史に名を残すことになった。この時に会議の成功を祝って木戸考允より贈られた「屋号」が「花外楼」である。それ以来今日までこの花外楼は政界財界の大立者が続々と出入りする格式高い料亭となったのである。
・ このような歴史上のいわれのあるところを極端に好むクセのある私は、ここが今年の7月に建物の建て替えの為に壊され3年程度休業されると言うので、身分不相応であるが、是非その前に行きたかったのである。それに木戸考允が書いたという「扁額」も見たかったのである。
・ 前書きが長くなったが今日のブログで書きたかったことはこの料亭の料理のことではない。実は「部屋の照明」が適当な明るさというか適当な暗さというか、かんかんの明るさでなかったのである。これが4人の話題に上った。
・ その明るさが丁度適当で私にはこういう場所にはこのような照度が相応しいような気がした。4人ともこのように感じたということは、現代の日本人はいずれもメチャ明るい日常生活の中に生きていると言うことであろう。確かに我々日本人は何時頃からか夜でもどこでも「ピカピカの明るさ」の中で生活してきているのである。
・ 日本2600年の歴史でこの電気による照明は明治維新後高々150年間弱のことでありそれまでは蝋燭による照明の中で暮らしてきた。言い方を変えれば太陽光を最大限に活用してきたと言うことである。
・ 陽が上れば動き、陽が落ちれば「暖炉の火とろうそくの灯火」をベースに貴重な油を使って照明を取り、大切にして生きてきたのである。それが維新後150年で「電力化率」は伸びに伸び今や40%を超えて先進国の中でも最も高い国になった。
・ 電力化率が高ければ高いほど「文明的」だと思われ最近では厨房設備もガスから電力化されてきた。そして今度は電気自動車である。
・ 確かに生活は大変便利になった。しかしそれは極めて危ういもの、脆いものだということが今回の大地震で突きつけられたのである。電力不足から計画停電もあり、夏場の電力需要が大きな話題になっているが我々は丁度良い天の啓示を頂いたと言うことかも知れない。
・ 偉そうに言うわけではないが「3.11」以来私はつくづくと何かが変わっていくような、変わらなければならないような気がするのである。「節電」という考え方も含めて「生活スタイルのチェンジ」が必要なのかも知れないと思うのである。
・ 今から20年位前私は住金の大阪本社勤務であった。この時教育関係の業務でロンドンに出張したことがあったが、訪問先での議論が長引き冬のロンドンは早く陽が傾くが訪問先の大学の教授は一向に部屋の照明をつけてくれないのである。
・ 我々メーカーの人間が海外出張すると大体現地の商社マンが付き添いに付いてくれるのだが私はその人に聞いたのである。「この暗さで良いの?暗いなー」と。そうすると日本人と目の構造が違うのか本当に暗くなってから電気をつけるのがこちらの習慣であるというのである。この話に驚いた記憶が今でもある。
・ そのように土曜日、日曜日に感じていたらタイミングよく今朝の産経新聞に「暗さ、陰影を歓迎するムードへ」「東京の夜は明るすぎた」との記事が出ていた。真に以って「我が意を得たり」と感じた。
・ 記事には「日本人は日没の1時間前に照明をつけるがヨーロッパでは日没の頃明るさの余韻を惜しむかのように照明を中々つけない」と書いてあるではないか。私が体験したとおりのことが記事にあった。
・ 東工大の乾先生は日本の夜の明るさや派手なライトアップに長年疑問を投げかけてこられた人であるが、先生は記事の中で更に言われる。「過度に明るい夜間の環境が人に常に動き回ることばかりを強いてじっと考える能力を喪失させたことは疑いようもない」とまで書かれているのである。
・ 石原都知事は「自動販売機とパチンコ屋」の電気だけで1000万キロワットでてくる。道のあらゆるところに自販機があるような国は日本だけであり、家の冷蔵庫で冷やしたものを飲めと言われたがこれも生活スタイルの変更だろう。
・ 前の東大の学長は家電を省エネ型に変えれば相当節電になるとテレビ番組で強調されていた。特に冷蔵庫が問題だと言われていた。ビートたけし氏は「回転寿司」ではお寿司が回るのではなくて人間が回れと書いていた。又サマータイム議論もまたぞろ復活してきそうな雰囲気である。
・ 日曜日の夜、道頓堀橋のグリコのイルミネーションはテカテカと輝き心斎橋筋商店街は人出でごったかえしており店という店は照明120%という感じであった。数百メートルピッチに光の洩れる24時間コンビニがあって何でも揃っている。
・ しかしこれらに使っている電気は全て「地方で作っている電気」である。地方の人が土地を差し出し原発を建てさせて、その上発電した電気は全て都会に配電し都会の人々が享楽と生活の便利さの為に消費しているのである。
・ そして相対的に地方の人は早く電気を消して床についているのだ。一方都会ではメチャメチャ明るい「不夜城」の明るさの中で生活をエンジョイしている。何かバランスが取れていないような気がする。「これって、何かおかしい?!」と思わざるを得ない。
・ 色々と思索を巡らせるが浅学菲才の身、又テーマが大きくて重すぎる。答えを有していないところが辛い。












