2011年4月15日金曜日
23年4月15日(金)説明責任と経営計画
・ 「説明責任」とは経営学から出てきた言葉と言うか概念である。会社経営者が経営情報をタイムリーに広義の意味でマーケットに出すことが特に近年求められるようになってきたのは経営側の不祥事防止、株主保護や従業員に対する求心力保持、近隣住民に対する不安感除去など様々な目的がある。
・ 福島原発で大失態を演じている東京電力も説明責任が不足しているというのか出来ないのか、あれも説明責任の一種であり、政府における官房長官の定例の会見なども国民への「説明責任」の範疇である。
・ 英語で「ACCUNTABILITY」(アカウンタビリティ)というから、元々この言葉はAccount(アカウント)すなわち計算する、勘定するなど会計学上の言葉であることが分かる。この言葉が学校社会に登場し始めたのは何時頃のことであっただろうか。
・ 私の記憶によれば平成12年頃から本格的に「学校改革」の流れの中で出てきたと思う。特に「校長のリーダーシップ」が喧伝されるようになった。「学校改革」とは「校長のリーダーシップ」で簡単に成し遂げられるような錯覚を社会に与えたことは事実である。
・ しかし戦後から続く学校社会に巣くっていた教職員組合の巧妙な存在の中でそう簡単に校長のリーダーシップだけで学校改革が進むほど学校の現場は甘くないことを学校という塀の外の人々には分かる筈はない。
・ 校長のリーダーシップとは実は硬直化した学校文化を解体し新たな価値観を創造するために「徹底した校長の説明責任」がワンセットで無ければならない概念であった。この説明責任はまず教職員に対してであり、広く捉えて社会一般に対して、さらに言い方を変えれば「納税者」「授業料納付者」に対しての視点が重要である。すなわち社会を校長の味方に引き入れる戦略を必要とした。
・ ところが前の二つ、学校改革と校長のリーダーシップは盛んに議論されたが、取り忘れられたのが説明責任であったように思う。私に言わせれば校長のリーダーシップとこの説明責任は表裏一体のものであることに気づいていない校長は結構多い。
・ 説明責任とはアカウントだから「計算する、会計簿につける、金銭出納、利益を出す、評価をする」など幅広く使われるように「具体的かつ詳細なもの」が求められる。だから案外手間隙を食うものであり、多くの情報を持ち、整理する能力が要る。
・ そして最後は「結末が見えてくる」ものでなれればそれは説明責任を果たしたものとはならない。「こうすればこうなる」との展望こそが会社で言えば従業員、学校で言えば教職員に希望を与えるのである。校長は教職員に希望を与えて来たかが問われる。
・ 従ってそうやすやすと出来るものではない。一般的に言って「理念を語るだけの校長先生」には出来ない芸当である。理念を語ることは説明責任ではない。「本校の教育目的は心豊かな生徒を作ることです」と何回教職員や保護者に言ってもそれは説明責任ではない。
・ そのように考えれば人事・予算を抑えている教育委員会が差配する公立学校の校長のリーダーシップ、すなわち校長の説明責任に限界があるとの考えもご理解いただけよう。予算権、人事権などなくて、複数年度に亘った実行計画など高々3年、4年任期の公立学校の校長に求めることは酷な話なのである
・ 話を進めよう。私学は異なる。異なっていなければならないのである。私立高校の校長が公立の校長と同じようなことを行っていれば、それは「教育委員会」という「イージス艦」を持たないだけにあっという間に危険水域に落ち込んでしまうだろう。
・ 私立学校の理事会が機能しておれば「校長の首のすげ替え」で済む話だがそれでは本質の問題解決には繋がらない。基本的には理事会と校長が一心同体でなければ成果は上がらない。最近はようやく理事会の意識も高まったと見えて結構私立高校の校長が代わっている案内状が届くが、それで良い。能力のない校長は首にしなければ船そのものが沈没する。
・ 校長のリーダーシップとは「解体新書」でありその学校の「五臓六腑」をばらばらに開腹し、病める内臓や血管をあからさまにしてその処方箋を考え教職員に突きつけることから始まる。そして「健康体への道筋」を共有する手順が説明責任であると私は表現したい。
・ そのためにはあらゆる視点からその学校を解剖し、病める原因となる風土病の有無、特定の教職員の存在による病巣の有無、長年の悪弊による生活習慣病の有無などを一つ一つ除去していく「先頭に立つ」ことがリーダーシップである。
・ 飛んでくる矢やつぶてを受け止め、逃げない「胆識」が必要である。そのように考えれば説明責任とは結構難しいもので用意する資料が「絵本」では駄目である。説得力のあるポイントを抑えたものを用意するにはそれだけの努力が必要である。そして出来上がったものが「経営計画」である。
・ 私は本校に着任以来「何をしてきたか」と問われれば常に経営計画を作成しそれを職員会議で徹底的に説明し、常に見直し、アウトプットを教職員に見せ付けてきたと答える。この4年間こればかりであったような気がする。
・ まず着任時に「緊急経営計画」を H19、H20、H21年の3ヵ年計画として作成した。これは大出血をしている経営状況を「緊急に止血する経営計画」であった。運よく一息入れることが出来私はこの計画を2年で修正した。
・ そして新たに「新経営計画」をH21、H22,H23、H24、H25、H26年度までの6年計画で策定した。ここで初めて「新校舎建設」を経営目標として掲げ教職員全員の共有目標としたのである。しかしまだ「おそる、おそる」という感じであった。
・ しかしこの新経営計画も順調な滑り出しで21年、22年で「浪速ふくろうスタジアム」「浪速武道館」と「教育トライアングル」が完成したのである。投資額は約10億円規模になる。これらが本校で働く「教職員の資産」となったのである。
・ 目の前に具体的に存立する多聞尚学館、ふくろうスタジアム、浪速武道館の建物を見た教職員は驚いたに違いない。ある教員は「まさか自分の定年までに専用の球場が出来るとは・・・」と言い、ある教員は武道館の開館式典で感無量であったのか涙目であった。
・ すなわちたった数ページの紙の経営計画が現実に長年の夢であった教育施設に化けたのである。これが経営計画であり、その紙が説明責任である。全てを包含して私立高校の経営者責任である。
・ そして今年4月からは新経営計画が更に衣替えし「改定新経営計画」として、H23,H24,H25,H26までの4ヵ年計画として「上書き」し本丸「新校舎建設」を真正面に据えた。「強気の本気」の経営計画である。「勝負の時」を迎えたのである。
・ 私は昨日の職員会議で高らかに宣言した。「新校舎を作るぞ」と先の理事会での決議された改定新経営計画の説明責任を徹底的に果たしたのである。職員会議の場とは元来こういう目的のためにある。校長の説明責任の場である。本校では今や「国旗国歌問題」や大して見識も蓄積もない教員が「ぐうたらぐうたら」言って「何も決まらない、決めない職員会議」ではなくなった。
・ いちいち他の教諭が提案することのアラを探し出し、管理職のリーダーシップを殊更阻害する動きを意識して行い、勤務時間中に組合活動を見え隠れして行ったり、機関紙を配ったりするような光景はまったく無くなった。
・ 4年前までには「経営側の説明責任が無い」と言ってストライキまで行っていた20世紀初頭の学校みたいに見えた学校が今や押しも押されぬ「未来への展望」を堂々と教職員が共有し個々の教員が「一隅を照らす」積分の「改革派教職員集団」に様変わりしたのである。勿論全ての教員ではないが邪魔さえしなければそれで良い。どの社会にもぼんくらは居るものだ。
・ これは間違いなく経営計画が具体的に成果を出し、理事長・校長の説明責任が「嘘ではなかった」ことを証明したからだろう。「付いて行こう」と覚悟して決意してくれたのである。
・ 4年前、浪速の将来を憂えていた少数の志士にはどちらかといえば組合教員が多かったが、彼らこそが校長のリーダーシップに従い説明責任を受け止め、「小異を捨てて大同について」くれたことを示す。そうした一部の志士の動きが周囲に伝播していき「うねり」となって「浪速改革」は進展したのである。私は今彼らに感謝している。