2011年4月8日金曜日
23年4月8日(金)春季例祭と始業式
・ 今日は「春季例祭」の日であった。朝二コマ使って全校生徒2056名と教職員139名が一同に揃って正式に「学院神社」への参拝をしたのである。昨夜の「合祀祭」とセットのものでその翌日に行われる。
・ しかし「2000名を超えるとすごい眺め」になる。まず全員で「黙祷」を行った。そして「始業式」では改めて「今回の大震災をどのように受けとめるか」、「被災にあわなかった我々が出来ることは何なのか」と言うことを私は生徒と教職員に伝えたのである。生徒だけではない、教職員にも伝えたかったのである。
・ 「春の祭」とは新入生を迎えて「本校守り神への奉告」と教職員も生徒も健康で明るくこの1年間を無事に学校生活が送られることを願い、そして本校のいやさかを祈念し、学院神社に「誓い」を込めて行われるものだ。
・ 大阪府神社庁長や顧問など幹部も参加される。お祭りの斎行は大阪腑神社庁から正式の神職が派遣された。雨模様で天気が心配であったが運よく例祭その後の始業式と全て終えることが出来た。
・ 例祭が終われば「直会」と言って神に供えられたものを頂く。これは「神の魂」の入ったものを神様と共に頂くという神道では意味ある行事であるが本校では生徒に「ノート」が配られる。教職員には例年の事ながらすし弁当であった。このように当然ながら教職員には手厚くしている。当たり前だと思う。
・ このようにして徐々に霧雨のように頭から体全身に「本校のアイデンティティ」を生徒は浴びながら「浪速世界の理解を深めていく」のである。そして本年度から本校で働いて頂く教職員の方々にも理解を深めて頂くのである。初めての方は恐らくびっくりされたのではないか。
・ 例祭に先立って登校中の教職員と生徒に対して自治会役員が「義援金の募金活動」をした。6日の入学式に引き続いた第2回目である。今日で一応完了しようと考えていた。私も正門に立って募金を呼びかけたが結果は芳しくなかった。
・ 教職員が募金をしている光景は殆どなかった。「教職員は勘違い」しているのではないか。これではいけない。当たり前だろう。社会一般の人々に比べ高給の教職員がこのような特別の活動に対して、それも「生徒からの呼びかけに応じない」とは一体どういうことか。
・ 大体こういうものは職域で行うものだ。心斎橋で街頭募金をしたから自分の職場ではしないというのは勘違いである。まして自分の学校の生徒が声を張り上げてお願いしているのである。いくばくかの小銭でも良い、入れるのが教育者というものではないのか。
・ 日頃は学校にいなくて、例祭に参加してくださった名誉理事長と理事長職務代理は生徒の募金箱にわざわざそれぞれが1万円を入れてくださり、受けた生徒は感激していた。今日は午前中殆ど集まらなかったから余程嬉しかったのだろうと思う。それ故に自治会の奉仕部長は両氏に対して自ら手を差し出し握手を求めていた。珍しい光景だった。
・ 金額の多少ではない。気持ちの問題だと思う。教員は「貰うものは大好きだが出すものは舌もイヤだ」では世の中は通らない。今の日本でこの義援金の動きを知らないはずはあるまい。何万円も出せといっているのではない。今日出された昼食用の弁当代程度出しても罰は当たるまいに。とにかく私は「吝嗇な人間」は大嫌いだ。出せば出したで何時かの機会にその分くらいは理事長として臨時賞与等で補填してやるのにと思う。
・それに私は久しぶりに門立ちをしたが、それにしても8時25分勤務始まりに対して8時10分過ぎに駆け込んで正門に入る生徒集団の中で「ノホホン」と一緒に登校する教員とは一体何なのか。前にも特定の教員には注意をしたが又元に戻っている。
・ 遅く門に入る教員は大体決まっている。教職員の場合は「登校時刻」ではなくて「通勤時刻」だろう。社会の一般常識を教えておこう。普通は始業の30分前に職場に入るものだ。遅くても20分前には入らないといけない。
・ それぞれ事情があるというならそれを説明して貰わないと処遇に対して不公平になる。私は教頭に対して誰が定常的に遅いのか調査するよう命じた。まず出勤して来たら当然ロッカールームに行って着替えるだろう。そして自分の机に付くのである。
・ そこで今日の授業こま数をチェックし、簡単な教材チェックも必要だろう。お茶の一杯も飲んで気を落ち着けるという行為もあって当然だ。左右前後の教員と情報交換も必要だ。偶には世間話もコミニュケーションでは必要なことである。
・ 担任は30分からのホームルームの準備もあるだろう。そのように考えたら正門をくぐって20分くらいはかかるのではないか。だから勤務開始時間の20分前には入るのが常識だと言っているのである。それが社会の勤労者の常識である。
・ ところが社会の常識は教員の非常識と言って自分は唯我独尊で生徒の手集団の中で共に正門をくぐるという神経が私にはどう考えても理解できないのである。少し前に来て生徒を正門で迎えるのが教師というものではないのか。
・ 私はこの問題は徹底的に調査し普通にしてくれている教員とそうでない教員との間には厳然とした処遇の差をつけることを決心したのである。
・ 本日の始業式を終えて学校は「ホッ」と一息できる。私も1月以来重要な行事と緊張する局面を潜り抜けて年度のスタートを迎えた。このように学校と言うのは「行事を主体」にしてバイオリズムの「時を刻んでいく」のである。
・ 今幾分心が安堵しているのは「想定外に」生徒数が多かったからである。(いやこの想定外という言葉を使うのは東京電力と同じでまずい。)これが少なかったら今日のような気持ちにはなれなかっただろう。その点を喜んでいるのである。プロの仕事である。だから「結果が全て」だ。
・ 理事長・校長が「残念だったが今年は生徒が少なかった。来年頑張ろうね」ではその組織はお仕舞いである。「飯の食い上げ」になってしまう。「結果責任」とはこういうことである。
・ 私立高校は毎日毎日が「真剣勝負」であって我々は「見えないライバル校」と勝負しているのだ。勤務開始時刻もそうだろう。「チンタラチンタラ」では困る。その意識から逸脱している人は私立高校ではやってはいけないのではないか。