| 後ろの川に大きな鯉がゆったりと泳いでいjます。 |
・ 「伊勢に行くことは日本の原点を感じる」ことであると私は思っている。ここには日本の歴史がある。見た目は大きなご本殿と森閑とした大きな境内があるだけではあるが此処には「日本の精神」が感じられるのだ。
・ 玉砂利の音が「じゃりじゃり」と小さく響く中で宇治橋からご本殿までの道のりをただ歩くだけで心が落ち着く。「天照大御神」のところに行くと言うことは日本の原点に近づくということである。
・ 私はやはり古事記や日本書紀を生徒に教えていかねばならないと思う。たとえそれが神話の世界だと言っても其処から日本と言う国は出発し今日がある。本校だからこそ堂々とこのことが出来る。
・ 一時期は神社神道の学校であるということ、神道の学校としてのアイデンティティを戦後一時期隠そうとした動きがあったに聞いているがそれは大きな間違いであり、失敗であった。逆である。
・ 5年前に私は着任した。改革の最大の主眼は「神道の学校であることを前面に押し出す」ことであった。組合色の強い学校だっただけにこのアイデンティティの再確認には少なからず抵抗があるかと思っていたが、結果的にこの点に関してはまったくなかった。これは私にとって大変嬉しいことであった。予想外というのは嬉しいものだ。
・ 過去も今年も新人の先生方も裸になって禊に参加してくれる。まことにもって心強いことである。私立学校ゆえに「創立の原点を見失う」ことがあってはならない。市内の私学御三家と言われている桃山学院高校はミッション系の学校であり、上宮高校は浄土宗の精神を有する学校である。本校は神道の学校である。
・ その他、大谷学園は東本願寺であり、清風学園は真言宗である。私立学校に勤務するということは「創立の精神を尊重する」という覚悟が必要である。改宗する必要は無い。尊重である。そうしないと第一生徒に対応できないではないか。
・ 伊勢も三日目となった。2班の最終日であり入れ替わりに3班が到着する。私は二班の生徒に連れ添って今朝も禊に参加した。年は取ってもまだ若い教職員には負けない積りだ。生徒も2回目となると落ち着いたもので順調に済ますことが出来た。
・ 何と驚くことに私が禊に入る前に五十鈴川に体長80センチはあろうかとう大きな鯉がゆったりと4匹、5匹と泳いでいるのだ。「鯉は吉兆」である。私は「鯉だ、鯉だ!」と叫んだのである。
・ ところで生徒の水泳パンツスタイルであるが、まさか生徒に神宮会館から水泳パンツで外を歩かせるわけには行かないから五十鈴川のほとりで着替える。問題はその場所であるがそれは一般の駐車場である。全く何もない、ただのアスファルトの駐車場である。
・ 生徒も教員もそこで洋服を着替え、岸辺に降り立つのである。脱いだものは駐車場にただ置いておく。奇妙な光景がそこに広がる。脱いだズボンや白シャツそして下着が入ったビニール袋みたいなものが横たわっているだけである。
・ 禊が終われば又駐車場に戻って濡れた体をちょこちょこと拭いて又制服を着る。そして内宮の参拝となるのだが脱いだものを持って境内を歩くわけには行かないから何時も宇治橋の手前の場所をお借りして仮置きしておく。濡れた高校生の水泳パンツが入ったビニール袋など誰も盗むものはいない。
・ 男子生徒が五十鈴川に浸っている間に女生徒は静々と内宮の参拝を女性神職の先生の引率で行う。今朝は我々が禊をしている丁度その時に宇治橋を渡っていた。向こうから私たちが見えた筈である。
・ 一時期私は女生徒にも禊をさせたいと本気で思ったが前述したように着替えの場所が大問題で解決する術はまったくなかったのである。それに男子、女子別々に時間を取るタイミングも難しかった。
・ 駐車場だから朝早い段階で周辺のお店などがまだ開いていない時しか使えないからである。「おかげ横丁」の側だから尚更人のいない早朝しか機会はないのである。そういうわけで女生徒の禊は止めたのである。又そのようなことをしたら女生徒が誰も入学しないと入試広報室が猛反対をしたように思い出す。
・ 「女生徒の伊勢修養学舎」は基本的に「礼儀作法・着付け・祭式講習」としている。それに「大祓詞」の「書写」である。これを心を込めて行えば霊験あらたかだと思う。仏教でいう「般若心経の書写」と同じことである。
・ 本校の女生徒には極端にスカートの丈の短い生徒はいない。又髪染めをしている生徒もいない。真っ黒な黒髪である。最近では余り都会の女子高校生は「チョッキンチョッキン」と隠語でいうスカートを短くする生徒は流行遅れになるらしいことも今回知った。
・ 大きな特徴は「皇学館大学の祭式教室」をお借りしての「本格的な神楽舞の講習」もある。これは皇学館大学卒の本校の神道科の教諭のつながりからお借りできているもので大変に有り難いことである。
・ 私は女生徒用に巫女の着物と袴を一式揃えた。男子にはお金は要らないが女生徒にはお金がかかる。しかしこれは仕方がない。又指導をお願いしている先生は府内の現役の神職の方々である。今回も7名も出張頂いたのである。
・ 礼儀作法と着物の着方を学ぶだけでも修養の意味はある。特に昨日の「祭式講習は礼儀作法の集大成」であり生徒も真剣そのもので取り組んでいた。私は久しぶりに女生徒に付き添って皇学館大学に赴いたのである。
・ 大変立派な祭式教室で、ここで生徒は昨夜学んだ着物の着付けを一人で行う。そして舞の練習に入る。しかし美しいものだ。全くの素人が2時間の練習で見事な舞の名手のなっていく様は見ていて驚く。
・ 私は晴やかな女生徒の舞を見ながら「ようやく共学校になってきたな」と思うのである。もっともっとPRして女生徒に来て貰わないと行けないと思った。このブログにある女生徒の舞の姿を入試説明会の説明資料に入れるよう早速指示することを思ったのである。
・ 舞は「豊栄の舞」というお目出度いもので是非来年の新春拝賀式で複数の高1の女生徒に舞って貰う事を思った。こういう場所で披露して初めて講習の効果がある。女生徒も喜んでくれるのではないか。
・ 玉砂利の音が「じゃりじゃり」と小さく響く中で宇治橋からご本殿までの道のりをただ歩くだけで心が落ち着く。「天照大御神」のところに行くと言うことは日本の原点に近づくということである。
・ 私はやはり古事記や日本書紀を生徒に教えていかねばならないと思う。たとえそれが神話の世界だと言っても其処から日本と言う国は出発し今日がある。本校だからこそ堂々とこのことが出来る。
・ 一時期は神社神道の学校であるということ、神道の学校としてのアイデンティティを戦後一時期隠そうとした動きがあったに聞いているがそれは大きな間違いであり、失敗であった。逆である。
・ 5年前に私は着任した。改革の最大の主眼は「神道の学校であることを前面に押し出す」ことであった。組合色の強い学校だっただけにこのアイデンティティの再確認には少なからず抵抗があるかと思っていたが、結果的にこの点に関してはまったくなかった。これは私にとって大変嬉しいことであった。予想外というのは嬉しいものだ。
・ 過去も今年も新人の先生方も裸になって禊に参加してくれる。まことにもって心強いことである。私立学校ゆえに「創立の原点を見失う」ことがあってはならない。市内の私学御三家と言われている桃山学院高校はミッション系の学校であり、上宮高校は浄土宗の精神を有する学校である。本校は神道の学校である。
・ その他、大谷学園は東本願寺であり、清風学園は真言宗である。私立学校に勤務するということは「創立の精神を尊重する」という覚悟が必要である。改宗する必要は無い。尊重である。そうしないと第一生徒に対応できないではないか。
・ 伊勢も三日目となった。2班の最終日であり入れ替わりに3班が到着する。私は二班の生徒に連れ添って今朝も禊に参加した。年は取ってもまだ若い教職員には負けない積りだ。生徒も2回目となると落ち着いたもので順調に済ますことが出来た。
・ 何と驚くことに私が禊に入る前に五十鈴川に体長80センチはあろうかとう大きな鯉がゆったりと4匹、5匹と泳いでいるのだ。「鯉は吉兆」である。私は「鯉だ、鯉だ!」と叫んだのである。
・ ところで生徒の水泳パンツスタイルであるが、まさか生徒に神宮会館から水泳パンツで外を歩かせるわけには行かないから五十鈴川のほとりで着替える。問題はその場所であるがそれは一般の駐車場である。全く何もない、ただのアスファルトの駐車場である。
・ 生徒も教員もそこで洋服を着替え、岸辺に降り立つのである。脱いだものは駐車場にただ置いておく。奇妙な光景がそこに広がる。脱いだズボンや白シャツそして下着が入ったビニール袋みたいなものが横たわっているだけである。
・ 禊が終われば又駐車場に戻って濡れた体をちょこちょこと拭いて又制服を着る。そして内宮の参拝となるのだが脱いだものを持って境内を歩くわけには行かないから何時も宇治橋の手前の場所をお借りして仮置きしておく。濡れた高校生の水泳パンツが入ったビニール袋など誰も盗むものはいない。
・ 男子生徒が五十鈴川に浸っている間に女生徒は静々と内宮の参拝を女性神職の先生の引率で行う。今朝は我々が禊をしている丁度その時に宇治橋を渡っていた。向こうから私たちが見えた筈である。
・ 一時期私は女生徒にも禊をさせたいと本気で思ったが前述したように着替えの場所が大問題で解決する術はまったくなかったのである。それに男子、女子別々に時間を取るタイミングも難しかった。
・ 駐車場だから朝早い段階で周辺のお店などがまだ開いていない時しか使えないからである。「おかげ横丁」の側だから尚更人のいない早朝しか機会はないのである。そういうわけで女生徒の禊は止めたのである。又そのようなことをしたら女生徒が誰も入学しないと入試広報室が猛反対をしたように思い出す。
・ 「女生徒の伊勢修養学舎」は基本的に「礼儀作法・着付け・祭式講習」としている。それに「大祓詞」の「書写」である。これを心を込めて行えば霊験あらたかだと思う。仏教でいう「般若心経の書写」と同じことである。
・ 本校の女生徒には極端にスカートの丈の短い生徒はいない。又髪染めをしている生徒もいない。真っ黒な黒髪である。最近では余り都会の女子高校生は「チョッキンチョッキン」と隠語でいうスカートを短くする生徒は流行遅れになるらしいことも今回知った。
・ 大きな特徴は「皇学館大学の祭式教室」をお借りしての「本格的な神楽舞の講習」もある。これは皇学館大学卒の本校の神道科の教諭のつながりからお借りできているもので大変に有り難いことである。
・ 私は女生徒用に巫女の着物と袴を一式揃えた。男子にはお金は要らないが女生徒にはお金がかかる。しかしこれは仕方がない。又指導をお願いしている先生は府内の現役の神職の方々である。今回も7名も出張頂いたのである。
・ 礼儀作法と着物の着方を学ぶだけでも修養の意味はある。特に昨日の「祭式講習は礼儀作法の集大成」であり生徒も真剣そのもので取り組んでいた。私は久しぶりに女生徒に付き添って皇学館大学に赴いたのである。
・ 大変立派な祭式教室で、ここで生徒は昨夜学んだ着物の着付けを一人で行う。そして舞の練習に入る。しかし美しいものだ。全くの素人が2時間の練習で見事な舞の名手のなっていく様は見ていて驚く。
・ 私は晴やかな女生徒の舞を見ながら「ようやく共学校になってきたな」と思うのである。もっともっとPRして女生徒に来て貰わないと行けないと思った。このブログにある女生徒の舞の姿を入試説明会の説明資料に入れるよう早速指示することを思ったのである。
・ 舞は「豊栄の舞」というお目出度いもので是非来年の新春拝賀式で複数の高1の女生徒に舞って貰う事を思った。こういう場所で披露して初めて講習の効果がある。女生徒も喜んでくれるのではないか。