2011年7月30日土曜日

23年7月30日(土)球界も学歴社会?




・ 身長190センチの巨体から繰り出す速球がトレードマークだった「伊良部秀雄」さんが死去した。新聞各紙やテレビが詳細報道している。今や無名の元プロ野球の投手にここまで記事を書かせるのは伊良部さんの力だと思う。それくらい話題豊富な人だった。
・ ロッテ時代にこれも今や「過去の人」になっている状態の「清原和博」さんとの速球勝負は私も目にしたことがある。今でも語り草になっている。憧れていた大リーグのマウンドにも名門ヤンキースのユニフォームを着て立った。

・ その素晴らしい球暦を残した伊良部さんがロスアンゼルス郊外の高級住宅街の自宅で自死したとの報道であった。このニュースを最初に聞いた時は死亡の原因は書いていなかったが、とっさに私は病気による急死か自殺かな思った。しかし今朝の記事では自殺の可能性が高いとあった。

・ 日経の記事には球界の「しのぶ声」として楽天の「星野監督」と前述した清原和博氏がコメントを寄せている。私はこの内容に注目した。まず星野監督は「・・・本当は繊細な奴で野球の話をしたら止まらなかった。指導者をやりたかったんだな。・・・」とあった。
・ 一方清原さんは「たくさんしのぎあいをしてきました。だからすごくつらいです。悲しいです。苦しいです。悲しすぎます」と記事にあった。特に星野監督の言葉の中の指導者云々に私は捕らえられた。

・ このコメントは日本球界では伊良部さんのような個性派は排除され、決して野球のコーチや監督などにはなれないということの裏返しのコメントではないか。私はこのように思った。

・ 清原さんのコメントで言えば彼独特の「感情一直線」のコメントで私は其処に清原さんも日本球界から新たなる席を用意されない悲しみを訴えているような気がするのである。辛い、悲しいと言う言葉は自分自身への言葉としてもとらえられるのである。

・ 最近清原さんが母校のPL学園のある富田林市を野球部の旧友と学校や恩師、昔の行きつけの店とか散策するテレビ番組があってたまたま私はそれを見ていた。番組の最後の方で清原さんは旧友に向かって「見とれ、ワイはこのままでは終わらへん。皆見とれや、今に復帰してやる」に近いような決意を語っていたがその時の顔は鬼気迫るものがあったように感じた。

・ 然し清原さんの野球界への復帰は難しいのではないか。その昔私はブログで清原さんが出版した「男道」という自伝本みたいなものについて言及したが、私はこの本を読んで「ああ、これで清原は野球界では死んだな」と思ったものだった。

・ あれほど球界の盟主たる巨人の批判をして野球界に復帰できるほど日本の社会は甘くは無いのである。ここに清原さんの限界を見たような気がしたのである。伊良部さんも清原さんも現役時代はトラブルメーカーであった。

・ 少なくとも優等生ではなかった。伊良部さんは覚醒剤や酒を巡るトラブルもあったし球団首脳部との軋轢は当時有名であった。清原さんも女性問題など常に周辺は騒がれていた。しかしそれでも実力から多くのファンを魅了した。

・ 恵まれた身体と類稀な才能に恵まれ一流の成績を残しているにも関らず日本球界は彼らの才能をコーチや監督として現役選手に活かそうとはせずに完全に放置したままであった。そして伊良部さんは42歳であの世に旅立って行った。
・ これと同じように私は近鉄時代の「野茂英雄投手」のことも思い出す。この大阪生まれの大投手を日本球界は同じように活かそうとはしていない。今日の大リーグでの日本人選手の活躍など日本の野球をグローバル化した最大の功労者でもこのさまである。

・ 野茂投手も球団首脳部と大きな軋轢を残して海を渡っていった。更にもう一つ典型的な例を上げよう。「江夏豊」さんである。この天才が成し遂げたあの「オーススター連続9三振」で有名な大投手である。しかし現役引退後は球界の指導者と言う舞台に立てていないのである。

・ 最近自身が経営する会社の倒産で4億円もの負債を背負った元阪神タイガースの主砲だった「掛布雅之」さんも現役引退後の処遇はかなえられたものではなかった。このような例はまだまだ幾らでもある。

・ 私が言いたいのは「名選手必ずしも良い指導者たらず」ということではない。そんなことは当たり前である。立派な領主や経営者の2代目が「ぼんくら」であるとかは古来から人間社会の常であった。

・ 私が言いたいのは直球流に表現すれば「ここに上げている人物はすべて高卒」だと言うことである。「エー、実力勝負のプロ野球の世界に学歴が関係あるの?」と指摘されそうだが私の見方は関係有ると断言したい。

・ 現役時代は中学卒だろうが高卒だろうが関係ない。腕一本の勝負の世界である。ところがだ。現役を引退したらもう腕一本とは言えずにマネージメント、指導技術、後輩から慕われるなどの人間性、何よりそのチームを率いていくだけの能力識見など「トタールとしての人間性が要求されてくる」のではないか。

・ 従って中卒だから駄目、高卒だから駄目とは言わないが、プロ野球チームも一つの会社組織であり、その重要な部門の責任者となるとやはり結果として「学歴がものを言う」ようなことになっているというのが私の視点である。

・ 学歴と言うより学歴に裏づけされた「人間の成長」「人間の味わい」「人間としての蓄積」みたいなものだろうか。勿論中卒、高卒でも立派な方は多くられるがプロ野球と言う実力勝負の世界だけに現役を引退した後には大学卒という学歴が大きくのしかかっていると私は思うのだが、この見方は間違っているだろうか。

・ 今や殆どの選手が大学野球で活躍した選手である。勿論並外れた才能で高校卒業と同時にプロに進み素晴らしい成績を上げている「楽天の田中投手」など多くいる。一方田中と同年齢で早稲田大学に進学し今年鳴り物入りで入団した「日本ハムの斉藤選手」もいる。

・ この二人が現役を引退した時に日本プロ球界はどのような処遇をするのであろうか。私には見えるような気がする。斉藤は指導者の道が用意されるのではないか。果たして楽天のマー君はどうなっているのだろう。

・ 教育界というところは「大学卒ばかりの人間集団の組織」である。学校の先生と言うのは学歴は大学卒ということの認識しかないのではないか。大学卒ばかりで組織を構成するような組織は学校以外には無い、珍しいものである。

・ 日本の企業、それも大、中,小、小売業も様々な学歴の集団である。今騒がれている相撲界もそうだ。サッカーもなでしこジャパンもそうである。教育界のみが大学卒の集団であるだけに私は伊良部さんの死去のニュースを聞いて複雑なものを感じたのである。