| 石巻市立大川小学校慰霊祭朝日新聞19日 |
多聞尚学館
| 18日の大学説明会 |
| 山門の仁王像が素晴しい |
| 焼け焦げた石垣 |
| 決まっている参拝者にお願いして一枚パチリ |
| 山霧に咽ぶ施福寺 |
・ 昨日のブログ「稲むらの火」において私は今回の大震災で悲劇的な災害を受けた「石巻市立大川小学校」のことについて言及した。「いざという時に学校教師は常日頃から何を考えておかねばならないか」について厳しいようだが思うことを記した。
・ 今朝の朝刊各誌の大半が震災100日で各地の慰霊祭などについて記事にしていたが各誌とも一面にカラー印刷で大川小学校の模様について報道していた。福島も原発で大変であるがこの「小学校の悲劇の深刻さ」についてはマスコミも気付いているのだ。だから1面トップで写真報道をしていると私は思った。
・ 朝、私は例によって千早赤阪村の多聞尚学館に出かけて「生徒と先生方を激励」した。今回は高校1年生のトップ100人の国語古典の集中講義だった。中々内容は難しいもので今からこのように頑張っておれば3年後が楽しみである。
・ 付き添いで来ていた若い教員に昨日のブログ「稲むらの火」について聞いてみたが、「知りませんでした。大変勉強になりました」と言ってくれた。年長の者が若い世代に何かを語り継いでいくことは重要な仕事である。「私のブログはまさにこの一点に目的がある」と言っても過言ではない。
・ しかし本当に多聞を作って良かったと来るたびに感じる。もしこの施設がなければこのような「週末スペシャル」など出来ていない。これで多聞の宿泊学習合宿も4年目を迎えた。完全に軌道に乗ったのである。
・ 昨日の大学説明会は何と33大学の先生方が来校していただいて「相談会」を実施したのだが相談会場は大勢の生徒と保護者で大混雑であった。まだ夏前だというのにもう「私立高校は大学受験モード」に切り替わりつつあるのである。
・ 多聞尚学館を後にして私は和泉市の「槇尾山施福寺」に向かった。小雨が降っていたがあらかじめ決めていたことで予定通りである。河内長野を抜けたらもう和泉市で施福寺まで29キロとナビは教えたくれた。槇尾中学校南の交差点を左折すれば後4キロである。
・ 約1時間弱で門前の駐車場に停めた。時刻は11時20分であった。ここには以前友人に紹介されてここまで来た事があるがその時は場所の確認だけでお参りはしなかったので気になっていたのだ。
・ 私は今年の誕生日以降思い立って「西国33箇所観音霊場を巡拝」することとした。4年前浪速に赴任する前に「四国88箇所巡拝」の旅に出た。完全な「歩き遍路」で2回に分けて41日をかけて「私の魂の旅」を完全に終えることが出来た。詳細は本校サイトの「新校長日記」にアップしている。
・ それ以来機会を伺っていたのだが、あれ以来4年が経って「丁度良い頃合」と考え決心したのである。ただし今回は歩きは無理なので車を使うこととした。既に「6番壷阪寺、7番岡寺、8番長谷寺、5番葛井寺」と打って今日が4番施福寺である。
・ 一番から順番に打つのを「順打ち」、最後から打って行くのを「逆打ち(ぎゃくうち、さかうち)」と言うが今回の場合は不規則である。これまでは仕方がない。この後は3番和歌山県の粉河寺から逆うちにして、熊野の「一番青岸渡寺」が予定である。すなわち逆打ちである。その後は9番奈良の興福寺南円堂から順打ちとし最後が「33番岐阜県の華厳寺」を考えているが果たして考えどおりになるか、どうか。
・ 何ゆえ神社神道の学校の校長が今頃「西国33箇所巡り?」などと言われそうだが、「神も仏も有難きかな」である。お寺さん巡りだけではなくて近くの有名な神社にも参拝をするのである。まず学校の繁栄と生徒教職員、そして本校の関係者全ての人の健康と幸せを祈願し、最後に「新校舎が無事に実現」するようにお願いをしている。
・ この前の5番葛井寺の時は「辛国神社」にお参りした。この神社の宮司さんは本校の評議員の先生である。立派な神社で丁度ご奉仕中の宮司としばらく懇談し境内を案内して頂いた。
・ このように心身のリフレッシュを図るのである。静寂で清新なお寺さんや神社の境内は私の心を癒し、「優しい気持ち」にさせてくれる。そして「次なる戦略を練る」のだ。果たして何時まで続くか分からないが私は休みが取れれば続けて行きたいと思っている。
・ しかし槇尾山は素晴しかった。まだ自然が色濃く残り何しろ急峻な山道を登って行くのが良い。約1キロ、10町の上り道だ。お山の天辺に到達した時には汗を十分かいていた。汗をかかねばならない。車の横付けでは味気ない。
・ 16世紀織田信長に全山、焼き討ちされ殆どの僧坊は消失したがその面影は残っている石垣に見える。まだ黒く焼け焦げた石垣に緑の草草とコケが生えて、それが小雨に濡れて輝く様は言いようもない感慨を生み出す。こういう情景は嬉しい。それだけ人手が入っていないということだ。
・ ご本尊は「十一面千手千眼観世音菩薩」である。千眼というのが印象深い。弘法大師が「剃髪した地」としても知られている。現在の本堂は安政年間の再興されたもので「味わい」があった。しかし平地の他の札所に比べて「古びて、鄙びた感じ」がするのは仕方がない。私は「金ぴか」よりもこのような概観が好きである。
・ ここ槇尾山は「駒」で有名である。花山天皇がその昔、西国巡りの時に道に迷われた時に案内したウマが「謂れ」になっているという。ご詠歌も「深山路や 桧原松原わけゆけば 巻の尾寺に 駒ぞいさめる」である。
・ 私も気をつけなければならない。ついつい調子に乗って「暴れ馬」が飛び跳ねたら大変である。「駒ぞいさめる」で諌めてもらわないといけない。「納経」を済ませ山頂の茶店にて「お茶」を一杯。下山は上りの数倍の速度で下りられる。しかし雨で濡れているので滑らないように一歩づつだ。
・ 帰りに一緒になった人は毎日お参りしているとかで大変に詳しかった。金剛,葛城、二丈山と「ダイヤモンドトレイル」が最近話題だとおことであった。そう言えば先般千早赤阪村の松本村長が「地域開発」で復興させると意気込んでおられたのを思い出した。
・ 駐車場傍の茶店で草もちと「はったい粉」を買った。はったい粉と言っても今の子どもたちや若い先生方も知らないのではないか。小麦の粉でその昔は「スイーツ」などがない時代はこれが良く使われたのである。
・ 私の母の実家は四国高松市であるが小さい頃田舎にいけば祖母がはったい粉に砂糖を入れて焼いてくれたのを思い出す。大変美味いものとは言えないが、一種独特の味がして私の昭和20年代、30年代初頭の味が懐かしくなったのである。
・ 雨が止んだので硬式野球部の池澤監督に電話して、予定されているふくろうスタジアムでの練習試合の状況を聞いたらグラウンド状態が悪いから中止したというので私は学校に車の向きを変えた。学校に到着した時刻は3時過ぎであった。