2011年6月9日木曜日

23年6月9日(木)学校の先生を見直した






・ 今回の大震災で「学校の教師が果たしている役割」をもう少しマスメディアは報道しても良いのではないかと感じる。余りにも少ない。この2ヶ月でようやく4月11日と5月20日に教師に焦点を当てて記事が出ていた。わずか2件だった。

・ 私はこれらの記事を読んで感動すると同時にこういう面では「もっともっと教師をPR」してやりたいと思うのである。元々教師と言うのは自己PRが下手と言うより戦後の学校文化がそういった思惑を嫌い遠ざけてきた歴史的経緯がある。

・ 学校の教師は自動車のセールスマンではない。個人が抜きん出てPRするなどの概念は全くと言って良いほどなかった。すべて「横並び」で「皆で手分け」してやるという風土の中で育ってきた。だからPRもクソもないのだ。

・ しかし大震災における「教師賛歌の少なさ」の背景を考えることは重要である。今日の社会はもはや「教師へ寛容」ではなくなってきている。それよりも「批判の対象」として教師がマスコミに出る比率が圧倒的に多い。

・ 今話題となっている国旗国歌問題の渦中にいる教員も基本的には「根が悪い」ということではない。少し勘違い、錯覚しているだけなのである。ただこの錯覚や勘違いの元が行き過ぎて「不勉強」「驕り」「自信過剰」「唯我独尊」「勝手気まま」「わがまま」が大手を振って歩いている姿を社会は許さないと言っているのではないか。

・ 私は本当に思っているのだが教師と言うのは「良い人間集団」であることは間違いない。このブログで「こき下ろしていても」私は基本的には教師と言う職業を選択した人々への尊敬の念は変らない。

・ まず最初に「学校と言う社会的な公器」に対しての尊敬・畏敬の念である。私が実業の世界から転進したのは対象が学校だったからである。これがデパートだったら幾ら買い物が好きでも行かなかった。それは一言で言えば「献身」だからである。

・ 本日来客があった。そのお方は北部にある女子高等学校の常務理事さんである。この4月から請われて学校勤務されていると言うのだが、何とお年は72歳である。人事労政のベテランでその経験を買われたのであるがこのお年でまだ働いてみようと思うのは「学校が面白い、やりがいがある」とご本人が言われていたように「学校と言う職場には言いようも無い魅力」があるのである。私はこの人の気持ちが分かる。

・ それくらい社会の人にとって「学校という存在は特別なもの」なのである。その方も言われていたが「学校は教師で決まる」。この2ヶ月強で痛感されたそうだ。こうも述べられていた。製造設備などない社会だから一重に教師の腕で学校は決まっていく。ところが「学校の先生は社会の常識が・・・」と嘆かれていた。学校改革で苦労されているのだ。

・ ポイントはここなのである。社会の期待と尊敬の眼差しを受ける学校は学校が受けているのであって、それを自分に向けられていると錯覚する教員がいるから話がややこしくなるのである。教員ほど「錯覚に陥り易い職業」は無いかも知れない。

・ 勘違いし、思い込み、錯覚しても、それでも教員は基本的には良心的な人間だと私は思う。数%の勘違いがあっても残りの大部分は良い人間なのである。しかし時にこの数%の錯覚や勘違いを有した教員が「社会からの指弾」を浴びているのも事実なのである。そしてそれが教師全般の評価に繋がっていくのである。


・ 一方にこのような大震災の時には献身的に生徒のために頑張るのも教員なのである。4月11日の産経新聞は大体教員に厳しい論調の新聞であるが珍しく「教師だからできること」と称して論説委員の記事が出ていた。

・ 「避難所を回って子どもたちの頭をなで頬ずりする教師の姿に感動」したというのだ。元気そうにしていても子どもたちは学校の先生には打ち解けるにも早いという。「明日の東北を作る」にはこの困難、辛さを乗り越えていく子どもの未来の夢である。

・ この夢を受け止めてやり、生徒を受け入れるのは学校の教師しか有るまい。親や近所のおじさんやおばさんとは違った役割を教師と言うのは有している。ここが「教師だからできること」なのである。


・ 5月20日の日経の記事にはPTA全国協議会会長が被災地を回って頑張る教師のすがたについて地元から感謝感動の声を多く聞いたと記事にあった。口を揃え、「先生を見直した」が見出しだ。

・ この記事の「見直した」という表現がミソなのである。見直したと言われて素直に100%喜ぶ人もおるまい。言われる教師にとっては幾分辛いだろうが社会が「見直したという表現」するのだからこれは受け入れなければなるまい。

・ 大震災が無かったら「見直されなかった」ということなのである。これが今の時代、学校を、教師を見つめる社会の平均公約数的「眼差し」なのである。記事には「地域社会の要」ともあった。「学校はPRが下手なので被災地で頑張っている先生のことをもっとPRしてくださいと頼まれたとも書いてあった。

・ 宮城、岩手、福島の3県で公立私立をあわせ約2000校が被害にあったという。ものすごい数である。教師自身が被災しているケースも多い。そういった中で学校の教師は生徒たちと被災者の為に頑張ってくれているのだ。

・ 未だに行方不明の生徒を探し続けている先生、ノートや鉛筆などをかき集めて走り回る先生、二つの学校を行ったり来たりして生徒を教える先生、行政の職員に代わって避難場所となっている自校の体育館の被災者の面倒を見ている先生など涙が滲むくらい頑張っているのも教師なのである。


・ 本日は職員会議の日であった。私は5月31日の理事会の資料を使って現下の経営問題を説明した。何回も書いてきたように「説明責任」である。私は根は悪くない、どちらかと言えば社会一般の人々よりも平均値としては上位にあるが先生方に「勘違いや錯覚」をして欲しくないから徹底して説明責任を果たしているのである。