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| 財団大阪国学院神職養成過程の卒業式にて |
・ 今日は財団法人大阪国学院の22年度卒業式、23年度入学式があって午前から午後まで久宝寺にある神社庁に出張だった。これだけは欠かせない。本校は86年の昔ここから分派して出来た学校だからである。
・ 私は来賓として玉串奉奠と祝辞が卒業式,入学式それぞれあるから大変だが,今まで一回も休むことなく行ってきた。そして今日を持って1月以来の公式行事がすべて終わり「一段落」するのである。春休みは取れないが気分的には「ホッ」と安堵しているのである。
・ そういうわけで本日は大阪天満宮宮司で本校名誉理事長、道明寺天満宮宮司で本校理事長職代理、それに神社庁副庁長である茨木神社の宮司が私を夕食に招待してくれた。私は既に教職員に対して4月14日職員会議において慰労しているので今度は大阪府神社庁の幹部が私を慰労してくれたのである。
・ 場所は明治の元勲伊藤博文や木戸考允、大久保利通、井上薫などが帝国議会を決めた世に言う「大阪会議」が開かれた北浜の「花外楼」であった。私は初めての場所であり、由緒ある扁額などを「女将」に案内してもらって見せて貰ったのである。
・ ところでブログのモニターから「校長は大学進学実績について一切書かないではないか。そんなに実績は悪いのか」などと言われたので反発しなければならない。書きたいことが一杯あるから困っている。順番がある。さあ。それで「22年度の大学進学実績」がまとまった。
・ こういうものは「サンデー毎日」を読むに限る。とにかく週刊誌の中でもサンデー毎日は抜きん出てデータを有している。ほぼこれが今年の最終版だろうが4月24日号のページを繰れば良い。「全国有名私立511校 162大学合格者数」と銘打って出ていた。
・ 当たり前だがまず本校は全国有名私立511校に入っていることを抑えておきたい。そして大学は東京大、京都大に始まり大阪の私立高校は神戸女学院まで全国162大学への合格者数が記載されていた。
・ 明確にデータを書き写してみよう。週刊誌には大阪で36の私立高校が記載されていたが勿論データを出していない学校もあるが、見ればほぼ有名な私立高校は網羅されているような気がする。
・ トップから 近大付属895、清風726、産大付属690、大阪桐蔭634、
浪速598、桃山学院588、上宮533、関西大倉524、四天王寺471、
関大一高457 以上がトップ10である。次点が清教学園424となっていた。
・ 今年の浪速は府内96校の私立高校のうち合格者数は実に598と堂々の5位だから悪いはずは無い。ところがこういうと「チャチャ」を入れる輩はいるものである。合格者数は分かったが「どこに合格したのか」と聞いてくる人である。
・ 実はこれも悪くは無いのだ。一昨年に比べ国公立大学で1.55倍、首都圏私大早稲田以下2.5倍、関関同立で1.43倍、産近甲龍で1.55倍、と「ブランド大学」に大幅に伸びているのである。素晴らしいではないか。
・ 防衛大学には21名も合格し浪速らしさも示してくれた。残念ながら京都大学現役合格を期待していた生徒が不調で失敗した。この生徒は「浪人して再挑戦」することを決意したというので、私は生徒と保護者を学校に呼んで激励したのである。
・ 又2名の生徒がアメリカの大学に進学すべく渡米していった。このように多様な大学にそれぞれの生徒が胸を膨らませて進学していくことが重要である。「進路保障」とはこういうことではないのか。
・ 別に有名大学に進学させるとかその数を競っても仕方が無いと思う。東大に行く生徒もそれ以外の大学に行く生徒も同じである。人生終わる時に初めて総括できるもので別に東大に行ったから「幸せになる、世の中に貢献できる」というわけではない。
・ 特に最近私はこのように感じるようになってきた。それよりも今必要なことは「内向き志向の若者」に「外に目を見開かせる」ことだと思っており、そのために「布石」を打ちつつあるのである。
・ 本校は2011年度から本格的に「海外高校留学制度」を展開することとした。具体的には「アメリカ私立高校中期留学プログラム」といわれるもので大きな展望を私は有している。
・ 間違いなく「国際的コミニュケーション能力を持ち主体的・積極的に国際社会に貢献する人材」をこの浪速高校から輩出したいのである。最初は一人、二人からでも良い。英語力を強化し、他国を理解し、グローバル社会で羽ばたく、強く頼もしい人材をこれからの日本は必要としている。
・ 勿論全ての生徒とは言ってはいない。本の数人でも良いからこのような人材を育てて行きたいと考えている。既に着々と準備は進めている。新入学生からの展開である。そのためにも積極的に私は海外留学生を本校に受け入れることとした。
・ 受け入れ先は「ホームステイ」で、そこで本校の生徒と一緒に学校に通って貰うのである。場合によっては宿舎も必要になるかも知れないと考え、今出入りの不動産会社に物件を探すよう依頼している。こうすれば生徒のあらゆる合宿場所にも使えるだろう。
・ 「説明責任」とは経営学から出てきた言葉と言うか概念である。会社経営者が経営情報をタイムリーに広義の意味でマーケットに出すことが特に近年求められるようになってきたのは経営側の不祥事防止、株主保護や従業員に対する求心力保持、近隣住民に対する不安感除去など様々な目的がある。
・ 福島原発で大失態を演じている東京電力も説明責任が不足しているというのか出来ないのか、あれも説明責任の一種であり、政府における官房長官の定例の会見なども国民への「説明責任」の範疇である。
・ 英語で「ACCUNTABILITY」(アカウンタビリティ)というから、元々この言葉はAccount(アカウント)すなわち計算する、勘定するなど会計学上の言葉であることが分かる。この言葉が学校社会に登場し始めたのは何時頃のことであっただろうか。
・ 私の記憶によれば平成12年頃から本格的に「学校改革」の流れの中で出てきたと思う。特に「校長のリーダーシップ」が喧伝されるようになった。「学校改革」とは「校長のリーダーシップ」で簡単に成し遂げられるような錯覚を社会に与えたことは事実である。
・ しかし戦後から続く学校社会に巣くっていた教職員組合の巧妙な存在の中でそう簡単に校長のリーダーシップだけで学校改革が進むほど学校の現場は甘くないことを学校という塀の外の人々には分かる筈はない。
・ 校長のリーダーシップとは実は硬直化した学校文化を解体し新たな価値観を創造するために「徹底した校長の説明責任」がワンセットで無ければならない概念であった。この説明責任はまず教職員に対してであり、広く捉えて社会一般に対して、さらに言い方を変えれば「納税者」「授業料納付者」に対しての視点が重要である。すなわち社会を校長の味方に引き入れる戦略を必要とした。
・ ところが前の二つ、学校改革と校長のリーダーシップは盛んに議論されたが、取り忘れられたのが説明責任であったように思う。私に言わせれば校長のリーダーシップとこの説明責任は表裏一体のものであることに気づいていない校長は結構多い。
・ 説明責任とはアカウントだから「計算する、会計簿につける、金銭出納、利益を出す、評価をする」など幅広く使われるように「具体的かつ詳細なもの」が求められる。だから案外手間隙を食うものであり、多くの情報を持ち、整理する能力が要る。
・ そして最後は「結末が見えてくる」ものでなれればそれは説明責任を果たしたものとはならない。「こうすればこうなる」との展望こそが会社で言えば従業員、学校で言えば教職員に希望を与えるのである。校長は教職員に希望を与えて来たかが問われる。
・ 従ってそうやすやすと出来るものではない。一般的に言って「理念を語るだけの校長先生」には出来ない芸当である。理念を語ることは説明責任ではない。「本校の教育目的は心豊かな生徒を作ることです」と何回教職員や保護者に言ってもそれは説明責任ではない。
・ そのように考えれば人事・予算を抑えている教育委員会が差配する公立学校の校長のリーダーシップ、すなわち校長の説明責任に限界があるとの考えもご理解いただけよう。予算権、人事権などなくて、複数年度に亘った実行計画など高々3年、4年任期の公立学校の校長に求めることは酷な話なのである
・ 話を進めよう。私学は異なる。異なっていなければならないのである。私立高校の校長が公立の校長と同じようなことを行っていれば、それは「教育委員会」という「イージス艦」を持たないだけにあっという間に危険水域に落ち込んでしまうだろう。
・ 私立学校の理事会が機能しておれば「校長の首のすげ替え」で済む話だがそれでは本質の問題解決には繋がらない。基本的には理事会と校長が一心同体でなければ成果は上がらない。最近はようやく理事会の意識も高まったと見えて結構私立高校の校長が代わっている案内状が届くが、それで良い。能力のない校長は首にしなければ船そのものが沈没する。
・ 校長のリーダーシップとは「解体新書」でありその学校の「五臓六腑」をばらばらに開腹し、病める内臓や血管をあからさまにしてその処方箋を考え教職員に突きつけることから始まる。そして「健康体への道筋」を共有する手順が説明責任であると私は表現したい。
・ そのためにはあらゆる視点からその学校を解剖し、病める原因となる風土病の有無、特定の教職員の存在による病巣の有無、長年の悪弊による生活習慣病の有無などを一つ一つ除去していく「先頭に立つ」ことがリーダーシップである。
・ 飛んでくる矢やつぶてを受け止め、逃げない「胆識」が必要である。そのように考えれば説明責任とは結構難しいもので用意する資料が「絵本」では駄目である。説得力のあるポイントを抑えたものを用意するにはそれだけの努力が必要である。そして出来上がったものが「経営計画」である。
・ 私は本校に着任以来「何をしてきたか」と問われれば常に経営計画を作成しそれを職員会議で徹底的に説明し、常に見直し、アウトプットを教職員に見せ付けてきたと答える。この4年間こればかりであったような気がする。
・ まず着任時に「緊急経営計画」を H19、H20、H21年の3ヵ年計画として作成した。これは大出血をしている経営状況を「緊急に止血する経営計画」であった。運よく一息入れることが出来私はこの計画を2年で修正した。
・ そして新たに「新経営計画」をH21、H22,H23、H24、H25、H26年度までの6年計画で策定した。ここで初めて「新校舎建設」を経営目標として掲げ教職員全員の共有目標としたのである。しかしまだ「おそる、おそる」という感じであった。
・ しかしこの新経営計画も順調な滑り出しで21年、22年で「浪速ふくろうスタジアム」「浪速武道館」と「教育トライアングル」が完成したのである。投資額は約10億円規模になる。これらが本校で働く「教職員の資産」となったのである。
・ 目の前に具体的に存立する多聞尚学館、ふくろうスタジアム、浪速武道館の建物を見た教職員は驚いたに違いない。ある教員は「まさか自分の定年までに専用の球場が出来るとは・・・」と言い、ある教員は武道館の開館式典で感無量であったのか涙目であった。
・ すなわちたった数ページの紙の経営計画が現実に長年の夢であった教育施設に化けたのである。これが経営計画であり、その紙が説明責任である。全てを包含して私立高校の経営者責任である。
・ そして今年4月からは新経営計画が更に衣替えし「改定新経営計画」として、H23,H24,H25,H26までの4ヵ年計画として「上書き」し本丸「新校舎建設」を真正面に据えた。「強気の本気」の経営計画である。「勝負の時」を迎えたのである。
・ 私は昨日の職員会議で高らかに宣言した。「新校舎を作るぞ」と先の理事会での決議された改定新経営計画の説明責任を徹底的に果たしたのである。職員会議の場とは元来こういう目的のためにある。校長の説明責任の場である。本校では今や「国旗国歌問題」や大して見識も蓄積もない教員が「ぐうたらぐうたら」言って「何も決まらない、決めない職員会議」ではなくなった。
・ いちいち他の教諭が提案することのアラを探し出し、管理職のリーダーシップを殊更阻害する動きを意識して行い、勤務時間中に組合活動を見え隠れして行ったり、機関紙を配ったりするような光景はまったく無くなった。
・ 4年前までには「経営側の説明責任が無い」と言ってストライキまで行っていた20世紀初頭の学校みたいに見えた学校が今や押しも押されぬ「未来への展望」を堂々と教職員が共有し個々の教員が「一隅を照らす」積分の「改革派教職員集団」に様変わりしたのである。勿論全ての教員ではないが邪魔さえしなければそれで良い。どの社会にもぼんくらは居るものだ。
・ これは間違いなく経営計画が具体的に成果を出し、理事長・校長の説明責任が「嘘ではなかった」ことを証明したからだろう。「付いて行こう」と覚悟して決意してくれたのである。
・ 4年前、浪速の将来を憂えていた少数の志士にはどちらかといえば組合教員が多かったが、彼らこそが校長のリーダーシップに従い説明責任を受け止め、「小異を捨てて大同について」くれたことを示す。そうした一部の志士の動きが周囲に伝播していき「うねり」となって「浪速改革」は進展したのである。私は今彼らに感謝している。
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| 1年生学年委員長を任命 |
・ 新入生にとっては初めての「朝礼」であった。本日は中学生は対象外で高校生だけの朝礼である。入学式から丁度1週間で大体様子が分かってきはじめた頃である。しかし1700名の高校生集団は一見の価値がある。
・ 今年の1年生は中々分別と言うかおとなしいと言うか朝並ぶ時にも私語が少ないような気がする。私は先の義援金募金活動について生徒達に礼を言ってその労をねぎらった後に数点の注意を喚起した。それは駅から学校までの「登校時のマナー」についてである。
・ 1700名の集団がクラブの朝錬の生徒を除いて朝の8時10分頃から25分頃に「塊」となって阪和線我孫子駅、南海高野線「我孫子前駅」、そして地下鉄御堂筋線「我孫子」から次々と正門を目指してくる。中には自転車通学の生徒もいる。
・ 3方面から正門目指して歩いてくる様は相当な迫力がある。しかし道路は占有され、一般道路はまるで浪速専用道路となって、一般のお方の通行の妨げになったりするのである。肩が当たったり、又自転車に接触したりしないほうがおかしいくらいである。私は本日生徒に対して通行時のマナーについて詳しく過去の事例を挙げて注意を喚起した。
・ 朝10時、入試広報室員に集まってもらって昨年度の理事長としての総括を説明し今年に期待する点を述べた。今入試広報室メンバーは強力な布陣であり極めて頼もしいが先行きは楽観とは出来ない。去年と同じでは駄目だと述べ、新たな切り口で今年も頑張って欲しいとお願いしたのである。
・ 11時出入りの物品調達会社の会長さんが来られ24日に予定している玄武館道場開きについての引出物の最終確認を行った。結論は「文字入りの文鎮」としたのである。これは3月13日の浪速武道館の竣工祭が学校法人として行われたが弓道部と保護者会が主体で「道場開き」を行うためのものである。
・ 正式に「弓馬術礼法小笠原流古式」にのっとって行われるもので「誕生蟇目の儀」(たんじょうひきめのぎ)と言うらしい。世の弓道場はすべてこのようにして道場開きが行われるらしい。
・ 従って玄武館も後で後悔しないように手を抜かず世間一般がするようにしなさいと私が水を向けたものである。「祝射」「答射」とあって中々威厳あるものとなっている。射場の天井には地鎮祭の御札が納められており極めて神社神道の精神に近い弓道だけに学校法人としても応援してやらねば困るだろうと思っているのである。
・ 錬武館の空手道部も尚武館の剣道部もそれぞれ必要な形作りがあれば「したら良い」と私は言っている。「杮落とし」は大震災で自粛したが、個別にやるのは構わないと申しているのである。
・ 随分先のことになるが舞と筝曲の「縁の会」と言う団体が12月頃に山本能楽堂で計画している「地唄舞」の発表会に本校の雅楽部に出演して頂けないかとの話が出てきてその責任者が本日学校に見えられた。
・ お話は大変嬉しいのであるが高校生のクラブ活動でそれも有料の発表会に出演することは果たしてどうなのかという問題も感じる。又その会は入場料が必要である。昨年浪速吹奏楽部の一部が浪速スイングガールスとしてジャズの大会に出演した前例もあるがこれは府の補助金を得た青少年育成という大義名分があったのである。
・ 私はどうしようかと悩んでいる。もしこれが無料で本校の浪速武道館を使ってくれるのであれば二つ返事でOKするのであるがとにかく悩ましい。
・ 本日は新年度になって初めての本格的な職員会議の日であった。4月1日にも概要を急いで説明したが本日改めて「改定新経営計画」について説明した。これは極めて重要なものであるから私は徹底して教職員に説明責任を果たしたのである。
・ 合わせて新年度にあたり業務遂行において「留意すべき点」について言及したのである。仕事の成果は勿論重要であるが、組織であり「業務遂行のスタイル」が組織人として時には重要であるとも言える。
・ 幾ら能力が高くても業務を遂行する態度が集団の中で目立って劣っていればそれは問題であるとの認識から私は数点について先生方に考えて欲しい旨申し上げたのである。
教職員各位 平成23.4.14(木)
平成23年度業務執行にあたって教職員に期待する事項
理事長・校長 木村 智彦
1 期待する業務遂行姿勢について・・・その考えの底流にあるもの
* 立派な教師とは立派な社会人から生まれると信じている。社会人として駄目でも教員としては立派というのは120%有り得ない話である。まず学校の先生である前に立派な社会人であることが必要である。
* 社会人としてまず必要なことは「仕事を持ち仕事が出来る」ことだと思う。仕事の対価が報酬であり、それで生計を営む訳である。プロの職業人とはそういうものである。以上は当たり前のことで論を待たない。
* しかし社会人としてより重要なことは「礼節が分かっている」ことである。「マナー」と言っても良い。これは業種を問わない。まず全てはここから出発する。人間の魅力はその人間のマナーから来る品格からにじみ出るものであることは間違いない。品格ある教員によって品格ある教育はなされ、それが品格ある学校へと繋がる。
* 教師であることとは単なる肩書きであり、有している資格だけの意味である。世の中に一見教師風、教育評論家は山ほど存在しているが果たして「本物の教師」は何名いるのか。特に今日では誰でもが教師足りうる時代である。自らに恥ずかしくない教師像を追い求めて欲しい。教師にこそ「高い志」が求められる。
* その為にはまず「謙虚さ」が必要であるし、一生涯勉強し続けないといけない。案外と先生といわれる人の中には教養が深くないし知識経験が少ない人を見かける。それは勉強しないし学習しないからである。これでは立派な教師とはなりえない。単なる教員すなわち教える人の員数でしかない。
* 明るくあること。又生涯身だしなみには気をつけること。そして何事にも感謝を表さねばならない。感謝の表現があるところにはどんな境遇でも陽が射し機会が回ってくる。厳しくされたら期待されていると思った方が良い。期待していない人間には人は厳しくしないものです。まだ成長すると思えばこそ厳しい指導があるものだ。
* 何事も自分でやろうとしなければならない。特に教職員においては部下に仕事を回すということはその業務形態から考えて有り得ない話である。教師とは生涯自分自身を鍛え続け、自ら手を下して率先してやらなければならない業務形態の中で生きていくものである。分掌の長とは円弧の中心にいる人のことを言う。
* 出来ないと諦め自身を袋小路に追い込み、自滅することは結局大いなる損失であり、誰も評価しない。困った時は素直にギブアップのシグナルを親しい友人や管理職に伝えねばならない。人の能力にはそれぞれ特徴があり誰もが同じようなアウトプットとなることは無いのである。評価は他人がするのである。
* 若い世代の教員には「自分の仕事があるという幸せ」を感じて欲しい。人間にとって生涯を通じての仕事があることほど幸せはないのである。仕事があるという喜びは人間としての全ての存在意義の根底である。自分の仕事を大切にして欲しい。そして仕事を通じて自己実現を図って欲しい。仕事のストレスは仕事を通じて以外に解決の方法は無いと思う。「我慢と忍耐」が人間を大きく成長させる。
2. 出勤時間について
* 8時25分始業ということは8時25分から100%状態で本来業務に入るということである。服を着替え、今日の時程を再確認し、教材の準備や用意もある。上司同僚への確認事項や時間割変更があるかどうかをチェックする必要もある。それに昨夜自分が帰宅後に受信されたメールの確認もある。そのように考えたら遅くても8時10分には席についておくことが勤労人として常識だと思う。勤務にルーズな組織はすでに腐敗している。
3. 組織を円滑に回転させる要諦とは:
* 人間関係論的には 3K:「言葉使い」「気配り」「心配り」、
組織論的には ホウレンソウ:「報告」「連絡」「相談」
・ 少し遡るが4月6日にかねて申請中の「クラブハウス新設工事建築確認済証」が出された。すなわち「正式に承認」されたのである。これで建物の「工事に着工」できる。早いペースで満足している。これは設計を担当してくれた南海辰村建設さんの大きな成果だろう。
・ 仮称「浪速中学校高等学校クラブハウス新設工事」と書類にはなっているが、クラブハウスに加えて「カフェテリア新設」と「教室新設」が合体したものである。複合建物である。武道館以来「複合型」になっているが、これは私の好みである。
・ 延べ面積は912㎡で鉄骨作り、階数は3階建てで丁度新館と武道館の間に位置し「動線」としては一直線となる。工事を担当するのは5社の競争見積もりで最終的に武道館を請け負った南海辰村さんに決まった。3月29日の理事会で正式に承認されたのである。工事完成は7月末、クラブ員生徒を使って夏休み中に大移動だ。
・ 確認済みがなされたので早速工事会社は工事に着手されていた。狭いところなので大変だと思うが「安全に」進めて欲しい。特に資材搬入時には周辺の生徒の動きに注意を要する。子どもと言うのは時に大人の想像を超えた動きをするものである。
・ 今回の工事の意味は極めて大きいものがある。これが完成すると現在のクラブハウスとカフェテリアから移転となる。移転が済めば直ぐ旧剣道場と柔道場の直心館と旧クラブハウス建屋は「解体」に入る。
・ そうすることで「新校舎の種地の一部」が出来る。授業をしながら工事を進めるために「種地を作ってはそこに校舎を作る」という具合だ。そして又種地を作っては校舎を作ると言う「段階作戦」が必要なのである。「波状攻撃」である。
・ 従ってこれから先は「長い、長い、複雑な道のり」を潜り抜けることとなる。しかし「ようやくここまで来たか」という感じで多聞尚学館、ふくろうスタジアム、浪速武道館、そして今回の新クラブハウス棟を先行させてきたからこそようやく「先が見えてきた」。
・ 詰め将棋みたいで新校舎建設と言う「王様」に肉薄するために一つ一つ「駒を進めている」という感じだ。次の手順は「保健室の移設」である。この行き先は現在の「トレーニングルーム」を考えているが、ここが実に悩ましい。
・ 新校舎の保健養護室完成までの数年をしのぐ仮の保健室はこの場所が最も良い。これは私の結論である。西門に近く救急車が横付けできる。又中学、高校の中間位置にあり最も便利である。部屋の広さもたっぷりあり、別室にベッドも数台置ける。
・ 然らば現在のトレーニング用具はどうするのかと言う問題の答えは出ている。これらの用具は「多聞尚学館の体育館」に仮に置く積りである。トレーニング用具を主体に使っているクラブなどから「怨嗟の声」が聞こえて来そうだが「無いものは無い」のだから仕方がない。我慢して欲しい。
・ 元々こういった設備の無かった時代のことを考えれば良い。しばらくの間無くてもやれるはずである。新校舎の絵図面が完成したら「校庭のどこかにプレハブ」でも建ててと思っているがそこにはラグビー、サッカー、野球部、アメフトとかの今回の新クラブハウスに入りきらない部室や用具庫が必要となってくるかもしれない。
・ さすれば2階建てになるだろう。だから今どうこうするわけには行かないからである。これ以上「虎の子の校庭」を狭くするわけには行かない。暫くの間「我慢せよ」だ。良い知恵があるなら出せと言いたい。いますぐトレーニングルームを作るお金はない。
・ 次に校務員さんと清掃を請け負ってくれている会社の従業員の方々の休憩室の移設が必要である。それに警備員さんの仮眠の場所も要る。この場所は西館と道路との間の空き地に「うなぎの寝床」みたいな細長いプレハブを作らないといけない。すなわち3パートに分かれた部屋が要るのである。
・ 予備教室と言っているがこれは予備教室ではない。「新しく作る4部屋は来年度の入学者用」である。今の3年生は13クラス編成だからもし来年度も今年と同じように16クラスとなったらと思って私が教室を入れたものだ。従ってここにはトレーニング用具は入れられない。
・ 問題はその翌年度である。この学年も13クラスだから、これも16となったらニッチもサッチモ行かなくなる。従ってこの場合は窓の無い部屋とかありとあらゆる教室を探し出すということになるが本当にそれで良いのかという疑問だ。
・ 一つの例がある。今年生徒を集めた上町台地の私立高校は職員室を明け渡し教室に改造したという。そして職員室はプレハブの建物に移ったという。本校もこの方式は頭にはあるがパソコンの回路など工事が大変になることは明白である。
・ どうせ新校舎を作るのだから仮設にお金をかけるのは勿体ない話である。新校舎までは皆が我慢しなければならない。我慢しなくて良いのは「生徒だけ」である。大体教室も無いのに生徒を集めるなど「詐欺行為に等しい」。私はそういうことはしない。それだけにどうにでもなる種地を早く確保しておかねばならないのである。
・ 「多聞尚学館の男子宿舎」も限界が近づいている感じでここも更新が必要である。ふくろうスタジアムにおいてはバッターが打つファウルボールが外に出て隣の工事現場の人の車を直撃した。これで2回目である。保険に入っているから良いと言うものではない。学校車もやられたがこれは我慢している。
・ 近隣のお方にご迷惑をかけてはいけない。従ってこれは本気になって本格的に直すようにきつく設備担当に指示したところである。ここにもお金が必要だ。養護室の移設、改造にもある程度費用がかかる。
・ 「なんやかんやでこれからは大変」なのであるが、私が前向きになれるのも今年生徒が集まったからである。私立学校は安定的に経営をゆるがせない生徒数が必要であるが、本校のように蓄積の無い学校で新校舎を目指している学校には余分に生徒が必要なのである。
・ そうでなければ新校舎は何年も何年も先のことになってしまう。私は東海、東南海、南海地震が本当に心配である。東日本大地震で余震が続いているが報道によれば日本列島が地震の活発化状態に入ったそうだ。それだけに心配なのである。
・ 統一地方選の前半戦の結果が出た。注目の橋下知事率いる「大阪維新の会」は大躍進であった。大阪府議会は過半数を制し、大阪,堺市会は第1党である。これで知事の唱える「都構想実現に一歩」近づいたことになる。
・ 「それにしても強い」。今朝の新聞各紙は東京都の石原知事4選や民主党の敗退などの記事を追いやり「全国版」に橋下旋風に関する記事で満載である。対峙して来た大阪市の平松市長のコメントはどの新聞も同じで「強さに驚き」というものであった。
・ 明るい笑顔の知事と幾分顔は引きつってはいたが「平松スマイル」の市長の顔写真を対比させて載せていたが、私は市長の気持ちは分かるような気がする。大震災後大阪都構想は幾分後退感があったことも事実でそれを感じていた平松市長も橋下知事も今回の結果に驚いているのではないか。
・ 堺の市長はどの新聞からも無視されてコメントなどどこにもなかったが、この人は驚きを超えて「震え上がって」いるに違いない。恐らく当面は「引き篭もり」になるのではないか。だってあれほど知事にお世話になったにも関らず反旗を翻したからである。
・ どうせ再選はないのだから今後は好きなようにすれば良いと思う。さて問題は大阪市長選だ。今のままだったら平松さんが出ても勝てっこない。彼が今後どのように知事と向き合うか大変興味ある展開となってきた。
・ 私は今回の大阪地方選で個人的に5名の候補者を応援した。教育関係者であるから表立っては応援できないがそれでも「長い個人的な付き合い」があって応援したのである。府会で3名、市会で2名の先生方であった。
・ 幸い5名とも当選してくれてそれはそれで良かったのだが市会の一名は5回目の選挙で政党の有力者であるが、なんと定数5番目での当選で「あわや」という結果であった。維新の会から「落下傘」みたいに舞い降りたその区とは縁も所縁もない維新の会の候補が上位当選しているのである。
・ 新聞には橋下チルドレンと書かれ、一挙に48人もの新人議員だ。元モデルとか現役大学生とか知事のお友達とか幾分揶揄して記事になっているが、選挙の結果は候補者の資質などよりは知事の率いる維新の会が票を集めたということである。これも最近の傾向である。
・ 言ってみれば当選者は「員数」であって、その人の公約などどうでも良いわけで「誰がトップか」だけが問題なのである。だから今回も橋下徹という男がトップリーダーの大阪維新の会が勝ったのである。この現象は郵政改革の時の小泉純一郎首相時の国政選挙の時と構図は同じなのである。
・ それにしても「既成政党は惨敗」で、中でも民主党はもはや中央政党とは言いがたい選挙結果である。これで菅直人首相の引き擦り落としの動きが再燃してくるだろう。今ここで「宰相菅直人論」を書けば何十ページも必要とするが一言で言えばこの人の発する言葉からは「未来が見えて来ない」からだと思う。
・ 自己の保身、政争に気を使う余り、国民にトップリーダーとしてのビジョンとそれを実現していく行政の組織化がこれほど下手な人とは思わなかった。ここに管総理の最大の問題がある。恐らく「市民活動家から出発した人間の宿命的な特性要因」で最後まで「人を信じず、自分の手でやろうとする」ことの限界だと私は思っている。
・ その点を石原知事や橋下知事と比べたら大変良く分かるのである。東京の石原知事や橋下知事は「発信力の強い人間」であるが何かを都民、府民に期待させるものがあった。具体的には彼らの発する言葉である。
・ 彼らは大きな幹、背骨を明確に打ち出すことが出来る人間である。時に舌下事件もあるがそのようなことはどうでも良い話だ。大切なことは「彼らの言葉を聞いて人々が元気になれるか」どうかだろう。「言葉が人を動かす」のである。
・ この点がこれらの知事の真骨頂であり最も素晴らしい面ではないか。細かい枝葉の部分はあとから付いてくると思っているのである。こういう人間に対して平松市長や堺市の竹山市長などの頭脳からは「聴く人をのけぞらせる言葉」は出て来ない。
・ すなわち背骨が発信されて出て来ないタイプである。元々「打ち出さないタイプ」であり、出てきた行政問題を「片付けていく清掃人」なのである。少なくとも「棍棒」を持って「こうする!」と明言できる人々ではない。
・ 教育関係で言えば、今回の選挙結果に私は安堵している。もしここで橋下旋風が水をぶっ掛けられたような選挙結果になっていたら私立高校授業料無償化施策の手直しなどが議論されると心配したからである。彼が居なかったらこの前代未聞の施策は陽の目をみることはなかった。行政マンから出てくる発想ではないからだ。
・ 国民や府民は結局「危ういところは感じながら」も今抱える「閉塞感」を打ち破ってくれる「強いリーダー」を求めているのである。このように考えれば今回の維新の会の躍進も理解できる。
・ 私も世帯は小さいが「強いリーダー」でありたい。今の浪速には柔弱なリーダーではやってはいけない。ビジョンを示し、力強く引っ張っていくリーダーが必要である。私は今までもそのようにしたし、今後とも強い、それでいて時々優しいリーダーを示して行きたいと今朝の新聞を読んで今更ながら感じたのである。
・ 次に橋下知事はどう出てくるか?夕刊報道によれば早速、知事は「しばらく白紙で休戦」を宣言している。こういうところが「したたか」である。自民党や市長がどう出てくるか様子を見ようとしているのであろう。
・ これを迎え撃つというより「つくづく強さに驚いた」とだけしか言わない平松市長はどうするのか。少なくとも民主党推薦で市長になった人だから「進退については覚悟は出来ている」のではないだろうか。
・ 私は想像する。お人柄は良くそれでいて「男っぽい」ところも感じる市長さんだから次回の市長選には出馬しないと心に決めたのではないだろか。今朝の結果を見てそのように思われても不思議ではない。
・ さて次の教育改革のテーマは間違いなく「義務教育の枠組みの再構築」だろう。ここに手をつけないと駄目である。これこそ「府市再編の大きなテーマ」である。しかしこれは文部科学省に立ち向かっていく根性が必要で出来るところからやるにしても相当大きな力が要る。橋下知事しか出来ない相談だ。
・ 大阪の高校教育界は今年から実質的に私立も公立もなくなった。授業料がただになったから私学専願が大幅に増えた。今度は「義務教育改革」である。
・ 4月6日に入学式を済ませ、8日に始業式、それで9日の午後から高校1年生の理数科とR-1組の生徒80人は「地獄の多聞行き」だから、「浪速高校は大変なところ」であることは間違いない。しかしここを踏ん張ることが今後の3年間を左右する。誰のためでもない。生徒自身の為なのである。
・ 9日から10日にかけて今年入学した1年生のうち理系志望の生徒の「本当の実力」を調べるために今年の入学試験問題から相当難解なものをピックアップして国語、数学、英語の3科目で試験を行い300点満点で全員の調査を行うのだ。
・ 灘高校、甲陽、東大寺学園等の偏差値の相当高い入試問題から選択して出題しており平均60点を取れば相当優秀で「将来が楽しみ」ということになる。私は彼らの頑張りの状況を観察に久しぶりに多聞に行った。
・ 付き添いの教員によればまず「真面目」で「言うことを良く聞く生徒」だと言っていた。私も顔つきを見たが皆良い顔をしていた。「素直な感じ」がしたのである。必ず5分程度の校長講話があるのだが皆「真剣な眼差し」で聞いてくれていた。
・ 数学と国語の教師が一生懸命試験問題の解説をしていたがこの「解説が重要」である。「多聞教育の特色」である。これは徹底してやってくれるように私は先生方にお願いしている。これで生徒には「本当に身に付く」のである。
・ 今回のデータは学校に戻って「専願、併願別」「昨年との比較」を行って今後の参考にする。引き続いてR2R3R4と実施していくのだ。来週には早速中学1年生の「オリエンテーション合宿」がある。週末は中学2.3年生の合宿である。
・ 私も季節が良くなり多聞に出かける機会が増えそうである。出来るだけ多聞で頑張ってくれている「先生への激励と生徒へ発破をかけるため」に私は多聞に出かけてきた。今年もそうしたいと思う。
・ まだ多聞尚学館には「梅が残って」おり校内の桜はまだであった。多聞は良い。素晴しい施設だと本当にこういう施設を持てる幸せを感じる。大切にしていかねばならない。しかし来るたびに「老朽化した男子宿舎の更新」を思ってしまう。
・ 今日の多聞には5名の教諭が指導に来てくれていた。頭が下がる。私はこのような場面を見ると多聞で朝早くから夜遅くまで頑張ってくれている教員には手当てを減らしてはいけないなと思うのである。
・ 週末学校に来ることはまずなくて、部活動の指導もせず、平日にただ学校にきてそれも「遅く来て早く帰る教員」もいるがそのような人々と生徒のために頑張る教員の処遇が同じというわけにはいかないと思ってしまうのである。
・ ただ問題は多聞教員の中にも朝学校に遅く入る教員が居ないわけではない。教員というのは難しいもので企業人の優秀な人物みたいに大体どの項目にもバランスが取れて立派だというタイプは少ない。「あそこは大変良いがこちらはまるで駄目」というのが結構教員には多いのである。これが私の最大の頭痛の種である。
・ 多聞を後にして私は堺市の泉が丘カントリークラブの傍にある「精華フィールド」といわれる精華学園が所有する校外野球場を訪ねた。本日硬式野球の春季大会の公式戦第一試合があって市立西高校と対戦があったのである。
・ 結果は見事に7対1で勝ちをおさめた。現監督の公式戦1勝目となる。中々良い試合だったと思う。相変わらず保護者の応援は多く野球人気が底堅いものがある。今度4月に着任した常勤講師の先生はその経歴から「部長」に抜擢したのだが、元気がありそうで保護者の評判も良さそうであった。
・ 着任した時にお顔を見ると色の黒い顔に「もみ上げ」が「くちびるの近く」まで延びており、私は教頭に「あれは如何なものかなー」と嘯いたら二日後には綺麗さっぱり頭まで剃ってきており「それはいくら何でもやりすぎ」で、要は「普通」にしていれば良いのにと思う。
・ しかし「根性」は有りそうで将来は楽しみだと殆どの人は言うがまあ焦らずにじっくりと観察してみたいと思っている。しかし「気持ちを全面に押し出すタイプ」が少ない時代の中では貴重な存在になるかもしれない。しかし根性だけでこの世の中生きていけるように甘くはないことも事実である。ライバルは多い。
・ この球場を見ていると私は「ふくろうスタジアム」が無性に見たくなって幸いこの精華球場から15分程度のところにあるので学校に戻る途中に立ち寄ったのである。間違いなく本校のグラウンドのほうが素晴しい。私は記念の楠木の植樹の傍で「ふくろうを持てて良かった」としみじみ思ったのである。
・ 私立高校で正規のグラウンドを持てていないようだったらこれだけで「優位性を失う」羽目になっていただろう。生徒も保護者も「肩身が狭い」思いがしたと思う。それでは私学の経営者ではない。
・ ふくろうでは軟式野球部が府立の八尾高校と練習試合をしていた。硬式ほど派手さはないが生徒は一生懸命にまた楽しんで野球をやっているような感じである。応援の保護者もいないが教諭が3人も来て生徒と一緒になって頑張ってくれていた。立派なことだと思う。
・ 中に一人の専任教諭がいたが、この先生は3月まで中学の軟式の指導者であったが人事異動で監督を交代して高校の軟式に移ってくれた。心中では中学をやりたかったのだと思うが「文句一つ言わず」粛々とやってくれている。私はこういうタイプにも弱い。
・ 理科物理の先生であり本校の大切な人材である。大切にして行きたいと思っている。部活も一生懸命やってくれるし多聞の講義にも参加してくれている。朝は早く学校に来るし言うことはない。もう一人将来希望が持てる理科化学の教員がいるがこれはいけない。注意してもとにかく朝が遅い。これでは駄目だ。
・ 私は「メリハリ」を付けて処遇することをここ数日の事件で決意した。多聞で頑張ってくれている教員には一応手厚く処遇している。これはこれで結末はつけている。しかしこの先生が朝遅いぎりぎり出勤だったらその分はマイナス評価としたい。それが道理だと思う。
・ 分掌を一生懸命やってくれているから朝遅いのは見逃してくれとは行かない。そのことを決意したのである。武道館のお披露目は日曜日だったが出来れば出てきて共に祝いたいと私は何回も述べたにもかかわらず来ていない教員は居た。それはそれで良い。人にはそれぞれ事情があるし突然の事態の出来(しゅったい)というのもあろう。でも事情があって出て来れなかった人と日曜日に出てきてくれた人と差をつけなかれば出てきた人と差別化ができないではないかと思うのである。