2011年10月8日土曜日

23年10月8日(土)考査と試験の違い







・ 先にはクラブハウス建設でも多額の寄付をして頂き有り難い限り。公明正大に使途を明確にして全て「生徒のための教育環境整備に充当」する。それで今日はPTA浪速祭実行委員と学校の管理職、PTA担当教諭との打ち上げ会が心斎橋であった。校長として皆さんにサービスして大いに盛り上げなければならない。
・ 学校は「静かに走り回っている状態」である。来週は中学、再来週は高校の「中間試験」が始まる。学校は静かで授業は粛々と進められており生徒も落ち着いて勉強している。しかし教員は忙しく走り回っている。それで静かに走り回っていると表現した。

・ 又本日は来年度採用教員の「面接試験」があった。応募者は200名を超えたが「書類選考」で最終的に52名の方々に学校に来ていただき管理職が面接を行う。私はこのメンバーではない。

・ それで多聞で頑張っている2年生の学習合宿に激励に出かけた。高校2年生2クラスの英語の特訓であった。付き添い教員は新卒4年目の男子のM常勤講師の先生で、とにかく「笑顔が素敵」である。先週は着ているワイシャツと履いている靴の指導をした。「もう少しおしゃれをするように」と。

・ 例年もそうだが教科で言えば保健体育の応募者が多い。次いで英語科、社会科と言う順番である。理科、数学と国語の先生が少なく各学校とも採用に躍起となっているが、本日以降来春の正式採用まで長丁場の採用活動が始まる。

・ 今本校で勤務していただいている常勤講師の先生方の中には個人事情がそれぞれにあって来年以降継続勤務が出来ない方もいらっしゃるから「補充採用が必要」となる。来年の入学者数も分かっていない段階で採用するのだから何とも言い得ない複雑な思いがするがこればかりは仕方がない。しかしとにかく人事の季節が始まった。
 ・ 以上このブログを書いてきてふと気づいたのであるが「考査」「試験」「選考」と同じような言葉がある。特に学校における「考査と試験の違い」について兼ねてから不審な思いがあって朝の忙しいときであったが私は教務部長に電話したのである。

・ 「本校では教務内規においては考査と言う言葉か、試験と言う言葉か」という質問である。通称は中間試験とか期末試験とかと試験と言う言葉で良いのだが正式な内規上ではどちらの文言であるか重要なことだと言う思いが私には兼ねてからあったからである。

・ 教務部長の答えは「試験」であった。それならそれ良いのだが私が育った時代は「考査」と言われていたとの記憶や他の学校ではそのような表現をしているのか知りたくなったのである。好奇心旺盛を超えて何でも「知りたがり屋」と言うことだろう。

・ 中間試験より中間考査の方が格好良い」と思いませんか。ただ入学試験は入学考査とは言わない。いずれにしても学校には独特の言い回しがあり、それを理解することで歴史を知ることが出来る。

・ それでこの際徹底して調べることにした。まず辞書を引くのが分かり易い。「精選国語辞典」「国語実用辞典」「標準国語辞典」「新小辞林」「岩波国語辞典」だ。どれも大体同じようなもので「学校での生徒の学力を試験によって調べること」「学校で平素の学業成績を調べること」とあった。

・ 要は話は簡単で「考査とは学校での試験」のことなのである。高校には必ず「教務内規」と言うものがあって極めて重要なものであるがこの内規に使われている表現が正しいとあったが学校によっては千差万別で違いがある。本校は試験と言う表現であることは既に記した。

・ 更に調べてみると「考査と言う言葉は明治時代から」教育の現場で使われ始めている。起点は明示33年の「小学校令施行規則」に考査のことがちゃんと書いているのである。極めて興味がある文章である。

・ 試験の弊害を無くす為に単に一回の試験で卒業判定をするのではなくて「平素の行状、学業をも斟酌するを要す」とあるのだ。要は単にペーパーテストではなくて平常点で判断せよというのが「考査の始まり」と言うことなのである。

・ それが何時の間にか「中学校・高等学校では定期試験」という言い方に変ってきているのである。確かに「考査の方が格調があって良い感じ」がするがどうして変っていったのか知りたいと思うではないか。

・ 考査を正式に試験にかえて導入した当時の文部省の意図は「試験勉強の弊害をなくする」ということだけではなくて他にも大きな理由があったと論述されているのは国立教育研究所の板倉先生である。

・ 先生に拠ればそれは明治以降の福沢諭吉を始めとする「洋学者」たちの理想を引き受けた明治初年の文部省教育施策の影響からとにかく「欧米に追いつき追い越せ」との視点から知識重点の「試験、試験」と言う反動から「考査」に変ったというのである。

・ その後明治政府は富国強兵政策で軍国主義政策が色濃くなり文部省は「大きな舵」を切ることになった。学力よりも「善良なる臣民の育成」を重視するようになって「学力試験」に変る「人物考査」に重点をおいたというのである。

・ こうして明治初年の「試験成績の通知票」にはなかった「修身」や「操行」の成績が新しい通知票の中でおおっぴらに大きな地位を占めるようになったと言う。私はこのような論文は初めて知った。そしてその次が面白い。

・ それまでは試験さえ出来れば別に先生の「ご機嫌」など伺わなくとも済んだのだが今度は「先生のつける閻魔帳(えんまちょう)」を気にして顔色を伺うようになったと言うのである。

・ 試験から考査への転換、それは一方では試験勉強の弊害を除去しつつ他方では平常点をつけるという「えんま帳」を生み出し「修身や操行」の成績を生み出して教師の生徒に対する日常的な管理体制の強化に役立ったと書いているのだ。

・ 私はこの先生の文章を読んで感動した。是非とも本校で勤務してくれている教師にこの事を伝えたいと思った。そして今学校現場では「考査」が「試験」という言葉に代わっているのである。

・ そこには教職員団体を通じて「考査と言う言葉の背景にある国の教育行政の意図」をはねつけるべく「考査」を廃棄したのだと私は想定する。しかし同時にこの論理に対して矛盾も感じる。教育の目的には善良なる日本人を育成し人格を高めることが第一に来るべきであって当然そこには修身や操行の項目があるべきではないかという疑問である。

・ 現に教育現場では「操行不良」で生徒への処分が行われており、家庭に対して伝えるべき指導内容は単に試験成績だけではなくて学業への態度や操行に関して加味したものであるべきではないのか。

・ 私の小学校時代には「通信簿」に「教室で時々うるさいことがある」とか何とか書かれたりした物を持ち帰って母親から頭をゴツンとされた記憶が今でもある。それに比べ今の通知簿は「学業成績」のタイトルで乾燥したスルメみたいなものでもっと日常の学校での態度や提出物などの状況も加味すべきであると考えた。

・ 私は高校教務部長に対して一度「教務内規」を整理して検討してくれるように指示したのである。若い先生が多くなりこの辺のことが正しく伝承されることが重要である。しかし今回考査と試験の違いを調べることで多くのことを知った。教育の世界は面白いとつくづくと感じた。

・ この後、中学校ではどうなっているのか中学教務部長を呼んで話を聞かせて貰った。何と中学と高校では全然異なる考え方で学業成績が記録されていることが分かった。中学ではこの教務部長が就任されてから方法が変ったという。変えたと自信を持って説明するのだ。

・ いずれにしても「平常点の取扱」の問題である。学期末に行われる保護者との成績懇談が適切に行われる為にも中間試験、期末試験、そして平常点の扱い、学業態度等の操行記載欄などこの際明確に「教務内規」として完成度を高めておかねばならないとする私の直感は正しかったのである。