・ 新校舎の「種地」を作る為の既存建物の解体工事が順調である。静かに潜行してくれている感じで騒音もまだ感じない。最も解体ではまだ躯体そのものには手をつけていないからだろうが、中々丁寧な仕事をしてくれている様子で、喜ばしい。
・ 解体建物の周りをぐるりと囲うと「雰囲気が出てくる」。ここに「4階建ての新校舎」が数年以内には聳えることになる。隣地境界の関係で4階建ての建物しか立たないのが残念であるがこればかりは仕方がない。コンプライアンスである。
・ メイン棟は「高層建物」でこの二つがドッキングする「T字配置」となる予定だからこの4階建てが「チョコンとくっついている感じ」は良くないと先に設計会社に伝えた。「屋根を一工夫」するように言ったのである。
・ ほぼ「全体の配置」が固まった。これが現段階ではあらゆる視点で最もよかろうという配置である。原案は全く違った提案が私になされたが私はそれを押し返したのである。ポイントはテニスコートの配置場所であった。
・ テニスコートは運動場の一種でもありグラウンドと離れるのは良くないし、新設したクラブハウス棟から全く異なった動線では授業にもクラブにも良くない。第一グラウンドが狭く見える。一体だと空間が広がって「広々、のびのび」する感じが出てくる。
・ それに折角「3面」も作ったコートである、これにより中学生も市民権を得て楽しんでいるのだ。3面まとまった配置が教員にも喜ばれるはずだ。結局私の意見が通ってこれをべースの配置となった。しかし新校舎の打ち合わせは楽しい。これほど楽しいことはない。夢が膨らむのである。
・ 来週には常翔学園さんにお邪魔して見学させていただくことになっている。この立派な12階建ての高層建物は多くの示唆を我々に与えて頂くに違いない。我々はレイアウト配置が「ボリュームとして決まった」だけでこれからが大変だ。しかし大変だなどと言っている暇はない。頑張って行きたい。
・ そういう訳で最近では他の学校の校舎を無性に見たくなって休みにウォーキングするときは意識して「学校巡り」をしている。先週の10日の休日にも上町台地を中心に学校探索を行った。「学校逍遥」である。
・ 大体休日には2時間程度は歩くから多くの学校が目に入った。「こんなに学校があるのか」という感じを持った。正直な感想である。総じて言えばまず「エントランスの雰囲気が建物全体を左右するくらい重要」である。
・ 「こちゃこちゃした狭い門」と「道路沿いにすぐ門柱があるようでは品格に欠ける」感じだ。ゆったりとしなければならない。特に敷地面積が小さいところでは工夫が要る。そして次のポイントは「屋根の形」である。
・ あるいはそれに変る「アイデンティティを示す特徴ある建造物」だろう。それを見ればその学校と言う具合に「イメージ」が重要だ。本校の場合は恐らく「記念講堂」の屋根がそれに該当するだろう。ここは「知恵の出しどころ」である。
・ 難波の自宅を出て日本橋から松茶町筋を横断し「学園坂」の急勾配をテクテク上っていくと左側に「大阪夕陽丘学園」が見えてくる。その昔私が高津高校の校長の時に親しかった府立夕陽丘高校の校長先生が「同じような名前を付けてくるから困った、困った」と嘆いていたことを思い出した。
・ 坂を上りきれば「谷町筋」で「六万体」の交差点に出てくる。ここで少し天王寺方面に戻れば右側に「星光学園」が見えてくる。大阪では名高い進学校で本校には今ここの卒業生で早稲田卒の新卒の常勤講師が体育科に勤務してくれている。
・ ここでキビスを返して赤穂浪士で有名な吉祥寺を参拝する。どうも「忠臣蔵大好き人間」で昔からここを通るとお参りするのだ。谷町筋から上町筋へは「斜め斜め」に進むのが面白い。
・ 真田山公園の横を抜けて上町筋の国際交流センターのところに出てくる。すぐに新しくなった歌舞伎座に至る。昔は近鉄劇場だったが難波の歌舞伎座が昨年移ってきたものだ。隣接して近鉄デパートがあってそこは上本町6丁目の交差点である。大阪人は「上六」と言わねばならない。
・ そこで私は右折して鶴橋方面に下る。5分もすればそこは「小橋」の交差点である。「こばせ」と呼ぶ。昔よく使ったインドカレーのお店とお好み焼き屋さんがまだ健在であった。そこを左折した。
・ この道はついぞ5年前まで毎日歩いて通った道である。創価学会大阪支部の関連の建物が多くある。随分と私は創価学会の幹部の方にはお世話になった。あの方々は今どうされているのだろうと思いながら歩いていくと「思い出の高津高校の正門」にたどり着く。
・ 「あったわ」と小さな声を私は漏らした。通用門横に銅版で或る銘板を私は平成17年、退職する1年前に設置した。5年ぶりの再会である。しかし浪速でも多くの場所に設置してきたが昔からその傾向はあるのだ。
・ とにかく歴史建造物が大好きなのである。校内に「高津の宮址」という歴史的な石碑があって昔は校外にあったものを道路拡幅の時に校内に移したものだった。寂びれていた石碑を整備して小さな小道をつけて「ここに仁徳天皇の宮廷があった場所ですよ」と外部の方に知らしめんと看板をつけたのである。
・ 高津高校に隣接して「明星学園」がある。ここも星光学院と同じくミッション系の進学校である。高津の校長に就任してすぐご挨拶に伺ったら「こんなことは初めてです。高津高校の校長先生がわざわざお越しいただけるなんて」と言われたのを思い出した。
・ 道は餌差町の交差点で左には市立高津中学校がある。ここの卒業式には必ず高津高校の校長は出席しなければならない不文律があって私もそのようにした。コーナーに「鎌八幡」というお寺があって私は参拝して学校の災い絶つべく丁重にお参りした。ここから道は下り坂になっていく。
・ 下りきったところが「空堀の交差点」である。ここから建物は見えるが左に行けば府立清水谷高校である。有名な旧制の女学校で戦後高津高校と結婚してお互いが共学校になった経緯がある。本校には多くの清水谷卒業生がいる。副校長のK、物理O先生、英語のI先生、中学英語のK先生である。
・ 一時期騒がれた有名な料亭の女将も清水谷の卒業生でその昔同窓会会長に招待されてこの料亭に行ったときは女将が現状の母校を嘆かれてひとしきり話題が盛り上がったことを思い出した。廃業されて女将はその後どうされているのだろうか。
・ 交差点を真っ直ぐ行くと右側に「大阪女学院」がある。伝統ある名門校である。それを右に見てほどなく右折すると有名な「カテドラル大阪聖マリアンナ聖堂」が左側から目に入ってくる。今テレビでもやっているNHK大河ドラマ「江」にも出てきた細川ガラシア夫人の大きな像があって私は中に入ってお参りした。
・ マリアンナ聖堂ガラシア夫人像の右側に隣接して「城星学園」がある。白亜の殿堂と言う感じで品のある校舎である。丁度ここで2時間となって今日の私のウォーキングは終了したのである。終わった後の感想は「本校の校舎が最も汚い」ということであった。残念ながら認めざるを得ないと思った。
・ 確かに本日回った学校は市内中心部のそれも上町台地にある。昔は大阪城の内部にある土地に建てた学校である。従って皆さん伝統校であり名門校である。校舎は間違いなくその雰囲気を漂わせていた。
・ 本校は市内と言っても外れも外れ、大和川沿いの、正直言って田舎にある学校である。学校は古く何より旧制中学の伝統を引きつぐ伝統校であり名門校であると自負しているが大きく市内中心部を外れている。また私がブログ「本校の歴史」で記述したように創立当初から借り物の校舎でスタートした学校であった。
・ 私は改めて決意したのである。正真正銘、本物の校舎を建ててみせると。シティスクールを標榜し、IT武装された校舎だ。キーワードは「光と風」である。光は将来であり希望だ。風は改革を表す。
・ ご近所が「度肝を抜く」ような校舎だ。建築雑誌に載り校舎を見せてくれとの依頼が舞い込むような校舎でなければならない。別に「奇をてらう」必要はないが市内最南端に位置する私立学校としてその意地と存在感を見せたいのである。
・ 設計者会社のエンジニアも本校の関係者も覚悟して貰わないといけない。テンスコートの位置程度でぐらぐらするようでは先行き心もとない。「大丈夫か」と言いたい気がする。「もっと真面目にやれ」とこのブログで叫んでおく。さあ、ゼネコンさんをどうするか頭が痛い。思案の真っ最中である。
・ 明日は「関大連携浪速中学校の第1回プレテストの日」である。私は明日の冒頭のプレゼンテーションで「新校舎建設宣言」を行うことを決めた。それで急遽入試広報の担当を呼んでパワーポイントの資料を追加するように指示した。丁度来年入学する中学生が高校に進学する時に新校舎は竣工している可能性が高い。私は腹を括ったのである。もう引き返せない。