・ 中日の「快進撃」が止まらない。遂にセリーグのペナントレースにおいてヤクルトから首位を奪った。「奪取」である。落合監督の解任発表から闘志に火がついたのだろう。退任が発表されたのが9月22日で、その日から10勝2敗1分の当に驚異的はペースで階段を駆け上った。当に「浪速高校みたい」だ。
・ 9月22日の退任発表は首位ヤクルトとの4連戦の始まる前で「このタイミングで何故?」との声もあった。誰しも天王山の乾坤一擲の勝負の時に「大将は首!」と言うのだから「おかしいな?」と思う感性を持っている人は普通の人だ。
・ しかし落合監督は違った。立派だった。9月24日のブログで私は「落合の名言」と題し、激賞した。その言葉とは「契約書の通り。この世界はそういうところ」と淡々と顔色一つ変えず言い放ったのだ。
・ 新聞記事は「オレ竜花道、快進撃」との見出しであったがこの「オレ流」は本当にいけないことなのだろうか。今日の主題はこれだ。今一つの本が売れている。名著だと言う人もいる。私はまだ読んでいないが週末にでも難波のジュンク堂で買って読もうと思っている。740円と言うから安い。
・ 著者はあのテレビに良く出るマルチタレントのテリー伊藤さんで題名は「なぜ日本人は落合博満が嫌いか?」という幾分衝撃的なタイトルである。今年7月角川書店から発刊された。監督解任を予想していたようなタイミングである。
・ 2004年の監督就任以来すべてAクラス、リーグ優勝が3回、日本一が1回、間違いなく「日本一の監督」である。長島や王、星野など足元にも及ぶまい。恐らく野村監督よりも上だろう。巨人の原監督や阪神の真弓監督などは比較にもならない。
・ 然るにこのような監督が「人気が無い」「マスコミの受けが悪い」などと悪口雑言だ。実績と評価がこれほど差がある人も珍しい。「どうして日本人は落合博満が嫌いのであろうか?」
・ テリーさんはここに目を付け「人間落合論」を展開している。彼は「落合力」という造語をして最後には「GDPは中国に追い越され落ちていく日本を救うのはもはや落合力しかない」と断言している。「落合力」である。
・ 私は「女子力」を加えて「女子力と落合力」が今後の日本をリードするキーワードのような気がする。もう役に立たない男は引退しろ、引っ込むべしと叫びたい気もする。テリー伊藤、流石だと思った。テリー伊藤氏はその辺のアホな芸人と違っていたと私は感服した。
・ ネットでは解任発表のあった22日に中日ファンへのインタビューの内容が掲載されているのだが、それによると年配のファンは「やっと辞めてくれるか」であり、若者では「えーなんで?折角強くしてくれたのに」と言うものに分かれたという。
・ 私はこの部分に注目した。ここに日本の問題があると思う。年配者は落合みたいな人間は好きではないのだ。嫌いなのだ。それに対して逆に若者は既存社会に新たな価値観を持ち込んでくれた落合を「革命者」として評価しているのである。
・ しかしながら現在の日本においては若者が何を叫んでも指導層は「フフン」とせせら笑うだけで、絶対的に意思決定のプロセスから若者を弾き飛ばしている構図には変りはない。だから何を言ってもどうしようもないのだ。
・ 日本は「老人天国の国」だから政治も経済も企業のトップも、プロ野球もどのスポーツ分野でも「老人が跋扈している国」なのである。老人は変革を好まない。横並びを好む。飛び出ることを極端に嫌う。「普通が心地良い」のである。変革は自分たちを弾き飛ばすと恐れているのだ。
・ しかし落合は見た目、まったく逆の生き方をしてきた男。「トップを取る為には何でも平気でやる男」だ。「勝利至上主義」なのである。監督は勝つために有るのであってそれ以外は自分の関与するところではないと思っているのだろう。
・ 「落合オレ流」を語る事象には事欠かない。2007年の日本シリーズ第5戦で勝ちたいばかりに完全試合目前の山井投手を代えた時には日本中で「非情だ」と賛否が湧き起こった。それでも平気の平左だった。
・ ワールドベースボールに他の球団は選手を出したのに中日は派遣を拒否、2000本安打を打った時も名球界入りを拒否して金田とか長島、王に赤っ恥をかかせた。まだまだあるぞ。ファンあってのプロ野球なのにファン感謝デーをサボった。親会社の中日新聞にも「だんまり」を決め込む。とにかく落合現象には枚挙に暇が無いくらいだ。
・ しかし勝つためには独特の哲学が有ってキャンプ初日からの紅白戦だ。プロの選手はキャンプまでに自主トレで体を作って来いというメッセージなのであろう。1軍、2軍を分けず12球団一長い練習時間をする。
・ 現有勢力で戦う為には躊躇の無いコンバートなど従来の野球界には無かったやり方を落合は導入した。そして勝って行ったのである。しかし勝てば勝つほどお客さんは球場から離れ、人気が下がっていったというから人間社会は難しい。
・ 結局のところ「オレ流」が嫌われているということなのである。勝負師としての腕は認めるが「貴方は嫌い、貴方のやり方は嫌い」ということなのである。確かに感情を表にせずどちらかといえば「能面」みたいで、あまつさえ、「寡黙」である。夫人は良く喋るが監督は最低限の事しか口にしない。
・ しかしこれも全て「勝ちに拘る勝負師魂」と思えば許される話ではないのか。大体社会の人々はプロ野球の監督に何を期待しているのかと疑いたいくらいだ。タレントやコメンテーターではない。日本球界で唯一タレントで成功した監督は「ぼやきのノムさん」(野村監督)だけである。
・ しかし本当に中日がセリーグで優勝し日本シリーズでも優勝したとなったら一体どういう現象が起きるのか大変興味がある。「落合引き戻せ運動」「落合招致運動」が始まるのか、「何にも起きない」のか私には分からない。
・ 今やネットには「落合論」が花盛りで日本のトップリーダーに相応しいとの書き込みが後を絶たない。この人物の普通と違うところは「批判に強い」ところである。決して崩れない。若し落合が日本の総理ならアメリカにも普天間問題で文句を言い、尖閣諸島漁船問題でも中国に対して「オレ流」で対応してくれるという期待感がテリーさんのいうところの「落合力」なのである。
・ しかし前述したように日本はマスコミが騒ごうと外部が幾ら騒いでも決めるべき人間が決めるのであって中日のオーナーが、実は最後まで落合を評価していた人なのだが、この人が最終判断を下したことには落合も分析しなければならない。
・ 結局落合の失敗というか間違いはこのオーナーや球団首脳部に「ご機嫌取り」をしなかったということだと週刊誌が報じていたのが私には印象深い。能力は認めても「トップは落合を可愛くないのだ」と思う。可愛かったから幾ら成績はビリでもあのような形で首にはしまい。
・ 結局人間社会は「好きか嫌いか」が判断基準となっているのだ。「橋下知事は大好き、平松さんはあの作り笑顔が大嫌い」とか言って論理もクソもない。好いて貰うには「ご機嫌取り」が組織人にとって欠かせない「匠の技」なのかも知れない。
・ これが血の通っている人間社会の現実である。政治の世界も企業の世界も、行政の世界もスポーツの世界も、映画やテレビのタレントの世界もあちこち「ご機嫌取り」の場面ばかりである。
・ 引退した島田伸助や和田アキコへの周辺のタレントの「ご機嫌取り」には目を疑った。特に伸助には弁護士までがご機嫌取りをしていたのには驚いた。問題は教育界だ。全くと言って良いほどご機嫌取りの場面などない。逆に少しくらいしたらと思うくらいである。



