2011年1月13日木曜日

23年1月13日(木)教育相談

毎日毎日、行き詰る日々を過ごしていると言ったら些かオーバーかも知れないが、このように言いたい気もする。それは現在浪速中学校受験の願書受付中、浪速高校受験の希望相談受付中だからである。中学校は願書受付だからこれが最終数値となる。高校はまだ教育相談の段階であり24日から具体的な願書受け付けが始まる。遂に入試シーズンの到来だ。

・ 中学は全体像が見え始めた。少子化と近隣の学校が共学に踏み切ったり様々な要因があって正直なところ昨年対比で苦戦している。しかし各校とも同じだろうから仕方がないと思っている。丁度卒業していく中学3年生の数値になれば良しとしたいと思っているが、果たして最終的にどうなるか。
・ 問題は高校の方であるがこれは「特色ある動き」を示している。専願数値が伸びている。最もこれは当初から想定した通りの傾向であるが具体的数値を伴ってきているから迫力がある。スポーツ観戦の山場みたいだから、「行き詰る毎日」と冒頭書いた訳だ。

・ 一日の中で3回程度に分けて報告が私のところに来るのだがそれを見ながら専願者数値、併願者数値などを検討するのである。今の話題は併願合格者のうち何名本校に戻ってきてくれるかという「併願戻り率の問題」なのである。

・ 当然専願数値が上がれば分母集団マジョリティは一定一緒なのだから併願者の数は減少して当然併願戻り率は下がるだろうというのがこの際の適切な見方だと思うが然らばいくらの戻り率なのと聞かれても答えが出てこないのである。

・ 併願戻り率というのも元々「結果論の数値」で後追いで理屈を付けただけの数値である。統計学的には意味のない数値かもしれないがそれでも我々はこれ位しか根拠というか拠り所の数値がないから使っているだけなのだが過去を振り返ってみるとピークが平成19年度の18.2%で爾来徐々に低下してきているのである。実は毎年変動しているから想像がつかないのである。

・ 昨年は遂に10%を割り込み8.9%まで低下したが果たして本年度はいくらと見るかがテーマなのである。これには本校でも様々な意見があって専願数値が上がっているのだから大幅に下がるだろうという意見とそれほどでもないというのがある。


・ 私の作業は電卓を片手にまず「専願者+内部進学者+併願者×併願戻り率=入学者数」とシミュレーション計算していくのである。それをベースにクラス数の割り出し、そして教員数の充足検討とまさしく「私学ならではの重たい作業」が続くのである。

・ 橋下改革により私立高校の授業料無償化の拡大がなされ610万円の年収水準のご家庭であれば私立の授業料負担はなくて必要なものは100%受益者負担の学年費とか修学旅行の積み立て金くらいで10万円程度に納まるはずだからとにかく大幅に負担は軽減する。

・ それなら「公立高校は考えないで私立専願で」という傾向が出るのは誰が考えても同じで今回の入試模様では私立専願が増えないとおかしいということになる。先のブログに書いたように「専願が増えない学校は授業料がただでも行きたくない学校」ということになる。

・ 本校は従来併願希望の多い、それも府内トップレベルの志願者を集めた「併願人気校」であった。例えば22年度入試では併願受験者は2569名と圧倒的な数値を示した。ところが今年は確かに専願数値が伸びているが、同じ割合で併願希望者が低下している。すなわち併願戻りが期待できないといっても良い。それは前述したように戻り率の根拠が捉えられないからである。

・ 私は本年度以降明らかに「潮目」が変わり、「公立私立同一土俵での勝負」となれば専願数値で勝負していくという「本筋、本流の考え方」に特化して学校を作っていかねばならないと今朝の朝会でも管理職に言明し、放課後の職員会議でも詳しく解説してみせたのである。併願戻りを期待しては大きく道を誤ると。今後は専願人気校を目指そうと。
・ 府内96校で専願者の多い順にどのような学校が来るのか明日、明後日の新聞に大きく報道されるだろう。最も専願希望者がいくら多くても定員の枠があるからそこは実際の入試結果による。専願数値が多いからといってそれが必ずしも良い学校、偏差値の高い学校ということにはならない。
・ 今朝の産経新聞に面白い記事が出ていた。私のブログ「1月8日の私学は面白い」にて言及した朝日新聞の記事に対して橋下知事も面白くなかったらしくこの新聞社の記者に逆質問して荒れ模様の記者会見だったと結構大きく報道していた。これを見て私の感覚は知事と同じだと確認したのである。
・ この記事はこの私立高校授業料無償化拡大を一面から批判したような論調で某私立高校の校長の嘆き節を主体に記事にしたものだが確かに苦労してここまで持ってきた知事や私学課の関係者に頭から水をぶっ掛けるようなものであった。
・ 教育問題は簡単なようで結構奥が深く、様々に入り組んでいるから深く洞察しないと正確な記事にはならない。又一方的な意見だけで記事にしてもいけない。基本的に勉強しなければならないのである。影響力のある大手新聞が大見出しで偏った批判記事にすると直ぐそれが一般の府民は言うに及ばず、その辺の教育評論家と称する人々に降りかかってテレビの電波で社会に流れるものだ。

・ 今まで散々私もひどい目にあってきた。知事も「2時間しゃべっても報道は2,3行にしかならない」と不満を述べたとあるがその通りで報道の自由、紙面の関係で制約があるのは分かっているのだがなんだか釈然としない。

・ だからというわけではないが私は浪速高校に来てメディアにはもう露出しないようにしてきている。会社勤務時代から「出たがり」と陰口をきかれるくらい求めに応じて会見などしてきたがもう結構という気分なのである。

・ お陰でブログという格好の媒体が世の中に出てきて思う存分自分の考えを発信できるのでこのブログを使って説明責任を果たしている積りである。勿論批判意見もあるだろうし、私の意見を押し付けているわけではない。ささやかな個人の反撃もこのブログを使えば可能なのである。

2011年1月11日火曜日

23年1月11日(火)武の一字

3連休の関係で府内公立中学校の始業式が大阪市を中心として今日11日になったから本格的な教育相談が本日より始まった。仕事始めの6日からは事前に受け付けてはいるのだが今日からがぐっと相談件数が増えることになる。各私立高校も同じである。

既に本校は69校の相談を受け付けているのだが最終的には230校程度になるから今後の伸びを大いに期待している。昨年に比べて府内の中学校を卒業する中学3年生の数は2400人程度減少しているから府内全私立高校96校で単純に割ると1校あたり24名近くも減少する。まあ大体昨年対比1クラス減と観ておいた方が良いと私は言っている。


人事を担当している副校長は教員配置が1クラス変動すると大変大変と言っていたのだがもう本校は1クラス分は変動範囲として「織り込み済」だから問題ない。しかし2クラス変動するとちょっとしんどいことになる。慌てて教員を探さないといけないからだが、はっきりいって年度末に教員を探しても良い先生に当たる確立は我々の統計学的分析からは低いという結果が出ている。特に確保が難しい国語、数学、理科となると正直大変なのである。まあ申し訳ないが英語や社会科は世間に溢れかえっていると見えて結構押し迫っても採用が可能であるが特に国語はしんどい。どうしてこのような傾向になったのか、じっくり分析してみたい気もする。

教育相談では専願者数の実態で私立高校も年収基準が610万円までは完全無償化となったから「それなら私学へ」という層が増えないとおかしいことになるというのが現在の一般的見方であるが果たして具体的にどのような数値を示すのか。授業料が無償化になっても専願者が増えないというのは「ちょっと辛い局面」になる。だって「ただでもあそこには行きたくない学校」と烙印を押されるのと同じことと考えられなくもないからである。

まあしかし1月9日のブログに書いたようにすでに結果は出ており今からその結果を徐々に知らされていく訳だからいわゆる「真綿で首を絞められていく」1週間が今日から始まるのである。そういうわけで一喜一憂しても始まらないので武道館の看板の字を書くことにした。

武道館玄関入った真正面に大きな木彫りで「武の字」を掲げることにした。この武の字を書くのである。事務室の担当に手伝ってもらって書いたのだがさすがにこのような大きな書は疲れることを知った。気合が要るのである。果たしてどのようなものなるのか。



合わせて「定礎の字」も書いた。ご存知建物の土台となる礎石を定めることで最近ではあまり見かけないが関係者が勧めるので書いたものだ。地震による倒壊や焼失した場合でも礎石だけは残るというのものだが仮に50年後にこの武道館を作り直したとしてもその時には誰一人関係者いない。書いた本人も間違いなくあの世である。
面白いのは皇紀2671年と紀元を使ったことである。最近の生徒たちは勿論知らないがあえて私はこの皇紀を使った。神社神道の学校として又武道館にはふさわしいと感じたからである。皇紀とは皇暦、神武暦などとも言われるもので日本書紀編纂以来国家の紀元を神武天皇のご即位にしたものである。ご即位の紀元はキリスト紀元(西暦)より660年大きな数値となるので計算は簡単で今年の2011年は皇紀2671年となる。だから定礎には皇紀2671年と書いたのである。

私は国粋主義者でもないし右翼でもない。ただこのような日本の歴史と文化を大切にしたいと強く思っているだけである。キリスト誕生に始まる西暦と匹敵するわが国独特の紀元・元号があるということを日本人は忘れてはいけないと考えているのである。平成二十三年という言い方は今でも政府の公文書には用いられている。まあそう言っても「そんなことを言うなら英語は止めて日本語にせよ」という声も出てくるかもしれないが・・・。

第二次世界大戦中の日本の海軍戦闘機「ゼロ戦」というのは皇紀2600年(1940年)に採用されたことに因んだ名称であり、「一式戦闘機(隼)」は皇紀2601年に陸軍に採用されるなど皇紀の持つ軍国的イメージがマイナス要素としてあるから、学校の先生には皇紀などトンでもないと言われるグループは当然ある。しかしこのような歴史的事実を教えることなく時代が変わっていくことにも私は言いようもない危機感を持つのである。

日本は武の国である。「武士道精神の国」である。当然武の前には文が来る。だから文武というのであって武文とは言わない。文武両道の学校を目指し私は堺に「浪速ふくろうスタジアム」を作り今又「武道館」を作っている。柔道場・空手道場の「錬武館」、剣道場の「尚武館」、弓道場の「玄武館」を擁する武道館の正面玄関にこの「武」の木彫りの板は私の目指す学校のイメージを未来永劫伝えて行ってくれるだろう。早速彫師さんのところを持って行ってお願いしたのである。
決してうまくはないが小さい頃に書道を習わせてくれた両親や中学、高校の書道科の先生に私は今感謝している。書が大好きである。墨の匂いを嗅ぐと心が落ち着く。生徒たちにも書について何とか基礎でも教えてやりたい気持ちが募ってきて仕方がない。本校には芸術科目に書道がない。ないどころか昨年まで芸術と言えば美術だけでそれをやっとこさ音楽科目を入れたのは私だ。新校舎には是非「書道教室」を作り外部講師で良いから書の指導を生徒にしてもらうことも私の目標である。

芸術は美術、音楽、書道から生徒は選択させなければならない。神社神道の学校として書道がないのは恥ずかしくてならない。この一事をもってしても如何に本校は遅れていたか分かる。年を取ってくるとこのように思うだけで腹が立ってくるのであるが、これも悪い性格であることは知っているのだがこればかりは仕方がない。

2011年1月10日月曜日

23年1月10日(月)表千家初釜

今年は参加を取りやめようと思っていたが、やはり行くことにした。夕方16時頃の席入りだから昼12時半には難波を出て結局大阪に戻ってきたのは夜の8時少し前であった。結果的に参加させて頂いて大変良かった。

今建設中の武道館のお茶室「洗心亭」の揮毫をお家元にお願いしたら快くお受けして頂き、現在京都の専門店に依頼して扁額にしてもらっている。これをお茶室に飾るのである。一私立学校のお茶室に千利休居士の14代目の子孫である千宗左お家元の字が飾れると言うのはそう簡単な話ではあるまい。有難い限りである。私はお家元に直々にお礼を言上したのである。恐らくお忍びで学校に来ていただける感触を得た。

参加したもう一つの理由は今年11月に大阪である表千家同門会の大茶会の会場の一部に本校の洗心亭を使って頂けないかと関係者に伺いを立てる目的もあった。しかし最もこの私の願いは神社関係者には一笑に付されており無理筋なことは自分でも分かっているのだがそれでも最後の最後まで諦めないのが木村流である。

大阪担当の木村宗匠にお願いしたところ、主催者である表千家大阪同門会の幹部を紹介して頂いたから早速ご挨拶に出かける積りである。昭和55年に大阪と奈良で共催した阪奈大会が行われてから30年以上経過しこの度初めての全国大会が大阪単独で計画されていることを遂最近知ったのである。主体と成る場所は利休の故郷である堺市と聞いており堺は本校と目と鼻の近さにある。全国からお茶人が大阪に来られるのだからもし本校のお茶室「洗心亭」を知って頂くにはこれ以上の舞台はない。何とかしたいものだと思っているが無理かなー。

時間があったので同門会本部とも言うべき表千家北山会館を初めて訪問した。会館内を見学したところ客は私1人であったが立ち席(立礼席)でお薄を一服立てていただいたのである。その後まだ時間が少々あったから行く途中にある金閣寺を見たくなって立ち寄ったのである。冬の金閣寺は美しかった。とにかく時間を無駄にしたくないからぎりぎりまで有効利用するのが癖なのだがこれは年を取ってくると必ずしも褒められた性格とはいえないだろうなと自分でも分かっているのである。


利休の子ども少菴がこの地に「千家再興」をして後、4代の江岑宗左より紀州徳川家に仕えて9代了々斎の時に建設が許された由緒ある格式ある正門を入ると特別な感慨に浸る。何時もは使われず脇の小門が使われているが今日のような「初釜や利休忌」などにはこの「大とびら」が開けられるのである。

しかし千利休、一体全体どのような人物だったのであろうか。想像するだけでも楽しい。信長、秀吉に使仕え、激しく死んでいった一代の英傑に私は心を奪われるのである。爾来脈々と伝統が引き継がれており特にこのような茶道の世界は「昔のまま」を引き継いでいくことに意味があるのであって400年間利休の「侘び茶」が現代までつながり日本文化を形作ってきていることが素晴しい。世界にはこのような文化はない。

初釜は今日10日から14日まで家元残月亭であるのだがその初日にお家元がじきじきに点てた一碗を頂けるのですからこれ以上の名誉はありません。それにしてもお家元は席入り全ての方に自らお茶を立てられるのですから通常は出来ないことを平然とやられます。私はこのことに感動している。手首の腱鞘炎を心配するばかりです。お家元の温かい後気持ちなのだと思う。

今年も正客から数えて9番目の席で目の前2メートルで千宗左お家元がお茶を点て、私はそれを濃茶で頂いたのである。お茶席は不審庵内の残月亭と九畳敷で合わせて大広間となる。晴れやかさの中に当に「和敬静寂」そのものの雰囲気が流れる。電灯などは無く「ろうそく」で灯りをとっているだけに「幻想的」なのである。お部屋は少し暖かくなっており、京都といえども決して寒くはなかった。

まず掛け物は今年の干支は辛卯(かのとう)であるからウサギの掛け物でした。4代宗旦ゆかりの掛け物で絵讃には「玉兎 耳ふりたてよ 大ふく茶」とありました。何時も感じるのですがこのようなお家元には何百年と言う長い間の伝統を守ってきているのですが、それは所作のみならず持ち物も大切に後世に伝えることだと思うのです。
9畳敷の床には「春入千林処々鶯」の掛け物があったが、これは今から350年ほど前の千家三代宗旦の軸である。「本物」なのである。残月床の掛け物は千家と徳川家の関係を示す歴史的な「少菴召し出し状」であった。こういうのを拝見させて貰えるのがお家元の初釜なのである。

お席はお薄の席から濃茶に変わり、その後点心となる。そのお席は「年酒席」と言い「酒肴のおもてなし」となる。お薄から濃茶、食事、まで絵に描いたようにスムースに流れる。料理はまさに山海の珍味であり、美味なることこの上なしであった。ここで又私は驚くのである。受付から下足番、お手前は勿論、折敷の持ち出し銚子でのお酒の進め、すべて男性が行うのである。女性は一人もいないのである。これも表千家流と聞いた。テレビや本などでしかお顔を見たことに無い宗左家元からお酒を注いで貰った。若宗匠やご一門、有名な高弟である宗匠から次から次とお酒が注がれ、素晴しい料理が次から次と出てくるのである。お酒は「冷ではなくて燗」であった。日本酒好きであるが燗の酒はここ表千家の初釜の時だけである。
私は大阪に戻る京阪電車の中でとにかく日本一の高等学校の茶道クラブを作る決意を益々固めたのである。あれだけのお茶室を有する高等学校は恐らく日本にはあるまい。すでに高校1.2年生だけで34名の希望者を確認している。新入学生を入れれば50名近い生徒でスタートすることになろう。楽しみである。

2011年1月9日日曜日

23年1月9日(日)私立高校は面白いしチャレンジング!?

昨日の「新春拝賀始業式」が想像以上の成果で終わり、ホッとしている休日であるが心の中は安閑としておられない。年が明けて入試シーズンが本格的に始まっている。本校のみならず府内全ての私立中学と私立高校は毎日毎日受験者数の把握に気をとられているのである。入試広報室のメンバーは1月6日以降校内において全く別の動きをして学校に来られる公立中学校の先生方の教育相談に当たり、又中学受験の願書受付に対応しているのである。
とにかく私立の学校関係者にとって1月以降4月までのいわゆる3学期は単なる忙しさを超えて胃の痛む神経を使う時期である。志願者が安定し、又どんどんと増えている学校は余裕であろうが本校のように発展途上校(と私は思っているのだが)には基盤が安定していないだけに毎日の相談件数や志願者数に一喜一憂せざるを得ないのである。

浪速高校

浪速中学校
しかし考えてみれば今更数値を上げようとそれこそ学院神社に祈願して起死回生の一発逆転を期待するなどありえなくて、最終数値を我々が知らないだけで結果は既に出ているのである。受験生はとうの昔に志望校を決めているのである。後は結果を知るだけの時間待ちに過ぎないと考えると幾分気は楽になる。



大体私立受験ほど、もっと言えば公立も含めた受験世界ほど保守的なところはないというのが私の足掛け9年に及ぶ学校界に生きてきた人間の率直な感想である。超をつけても良いくらいである。一朝一夕で学校の力など高まるものではないとはいわないがそれを受験生やその保護者に分かって頂けるにはそれなりの時間がかかる。私はこのことを思い知っている。

特に今年の受験は橋下改革で私立高校にも公金が投入され基本的に大阪府の高校は私立といえども無償化になったから世間一般には私学優位と受け止める向きもあろうが、どうも「なだれ現象」は起きないのではないかというのが現時点における私の見方である。教育界は前述したように超保守的なのである。私立高校の授業料がただだから私立に行こうとは簡単にはならない。特に大阪は公立志向の高い土地柄であるから私立に行けばお金をくれるというなら雪崩は起きるだろうが、無料で並んだというだけでは大阪人には通用しないのではないか。

勿論全く動かないということはなくて基本的に「私立専願数が増える」だろうという観測はあって当然だがどうもこの世界に精通している有識者は本当の勝負は24年度入試で23年では「様子見の年」だという私の意見に賛意を示してくれた。受験者は今年の様子を見ながら来年度に向けて本気になって見詰めるということではないのか。その理由はある程度見えていて塾の先生方は私立高校授業料無償化の意味が十分分かっておられるのだが公立中学の進路担当の先生方が果たして力を入れてこの問題で進路指導というか進路情報の提供を行ったとは思えないのである。「フフーン、ああ、府がやっている私立無償化の話ね」くらいなところではないのか。進路指導は積極的にしないというのも公立教員の性向だ。生徒の自主性に任せるとかなんとか言っているが単なる責任逃れに過ぎない。だから塾の先生の出番になる。又これも府と市の教育行政の確執も影響していないか。間にあって何時も翻弄されるのが私立中学であり、私立高校なのである。そういう構図から言えば私立を所管する大阪府の私学課(私学・大学課)は孤軍奮闘頑張ってくれているのである。まずこの点は押えておかないと仁義に外れる。


無視できない記事が7日の朝日夕刊に出ていた。どうして何時も朝日の論調はこうなのであろうかと思ってしまう。要は大阪府が進める授業料無償化への参加校の「なげき節」を記事にしているのだが府が設定した算定授業料58万円以上の学校は58万円との差額を学校法人が拠出しなさいと求められており、それが辛いと嘆いているのである。「苦渋の決断」「「教員数の減」「教育の質が下がる」とか何とか喚いているが見ていて美しくはない。「今後どうするの?」の記事内容がなければなるまい。嘆いているばかりの学校だけでもあるまいに。イヤなら関西学院千里国際高校みたいに推進校への参加を見送りをすれば良いだけの話である。この学校は素晴しい。骨がある。うらやましい。本校も本当はそうしたいが、そうしたら学校は潰れて教職員を路頭に迷わすことになるから私は推進校への名乗りを上げた。挙げるなら一番に手を挙げよと事務長に命じてトップで府庁に駆け込んだのである。本校とて負担額は3学年揃えば数千万円になり大きな影響はあるが自分が決めたことだ。課題はこれを前提にして今後どうするかだろう。この対策はすでに昨年1年をかけて新人事制度を検討しており、本年度の入学者数が決定した段階で最終的な判断をするつもりだ。教職員には既に徹底的に説明している。
生徒数が減れば人件費を含めて相当する合理化を図るだけの話であり、それを教育の質が落ちるとか言ってしまってはならないというのが私の生き方である。私学経営者がそれを言っちゃお仕舞いよと言いたくもなる。教員数の減少を言う前に一人当たりの人件費削減をして雇用を守ってこそ経営者ではないのか。新聞記事には教員の給与削減の話は一つもなかった。泣く子と地頭には勝てないと言う様に私立学校法にある主管者の都道府県知事が決めたことである。当然言い分はあるが決まったことである。そして最後に自由選択で自らルビコン河を渡った訳だから、私立高校のやるべきことは1人でも生徒を集める努力をすることと、上手く行かなかった場合の対策を教職員に示して覚悟を求めることである。私は1年前からこの日を予想して準備を進めてきた。それはあらゆることを想定して準備してきたと言っても良いくらいである。それでも本年度の入学者数はさっぱり読めないし間違いなく中学、高校を卒業していく人数まで今年の入学者数は確保出来ないと想定している。そこに加えて加給型の持ち出しがあるのだからまさに「泣きっ面に蜂」であるが今更言っても仕方がないと諦めているのである。そして私の頭には24年度入試に向けて何をやるべきかを考えているのである。それが私の仕事であり責任なのである。

ゲーム感覚といったらヒンシュクを買うだろうが私立高校の関係者もこのような感覚がゆとりを生むのではないか。泣いていても仕方がない。本校の入試広報室のメンバーは「仕事が面白い、チャレンジングでわくわくする。私学は面白い!」と言ってくれているのだが、このような感覚なら本校はまだまだ大丈夫だと私は内心喜んでいるのである。入試広報は良い人材集団になってきた。しかし私は来年度にかけてもっともっと人的補強を考えている。私学の教職員は一度は入試広報を経験しないと私学の本質に近づけないのではないか。勿論外部からの人材登用も視野にある。

2011年1月8日土曜日

23年1月8日(土)新春拝賀始業式

学校教育から宗教色を排除したから日本の子ども教育は駄目になったという見識をお持ちの方は結構多い。100%賛成とは言わないが私もこの意見には肯けるのである。人の優しさ、感動、人情の機微などは分厚い教科書から得るものではなかろう。様々な機会、体験を通して心の襞に徐々に焼き付けていくものだろう。そういう関係論の中で宗教の持つ力は大きい。宗教を人間をこなす。宗教は人間の行動に大きな影響を及ぼすと私は考えている。生徒たちは今は分からなくても良い。何時か大人になったある場面で分かる時が必ず来る。宗教を生徒に浴びせかける必要はないが宗教の持つ深遠さを学校が教えない、機会さえ与えないというのは間違っている。

そういう観点からすれば私立高校の宗教性は貴重であり、まさしくその精神性が創立の原点になっている。ここが根本的に公立高校と異なる点である。特に組合は非宗教性にこだわるから自然と生徒の心、教師と生徒の関係も無味乾燥な状態に陥っていくのではないか。国旗国歌大反対などと背景はすべて戦後から流れている今日的学校の現場の実態である。私立高校には真言宗の学校、浄土宗の学校、真宗大谷派の学校、セントアンドリュースのキリスト系のミッションスクールなど様々である。本校は国学をベースにした神道系の学校である。私は理事長・校長としてこの学校の責任者として神社神道の学校を誇りとし、未来永劫この原点を守り抜いていく覚悟である。何といっても神社神道は有史以来の日本の国柄そのものである。日本文化の出発点である。

3年前から単なる意味もない式だけで生徒を学校から追いやる「教員骨休み始業式」を衣替えして「新春拝賀始業式」とした。そしてその後は2こまの授業をするのである。土曜日午前中フルに生徒の為に有効利用するのが私学である。新年の年頭にあたり学校のアイデンティティを確認する為にこのような形を作ったのであるが、3年目で地に着いたものになったと評価し大変私は喜んでいるのである。


拝賀式の斎行は神道科の主任教諭が務める。お二人の先生は実家が神社であり、まさしく本物なのである。全校生徒が打ち揃い教諭神職の手で粛々と進められた。全校生徒が「浪速生活の綱領」を奉唱し、校長に合わせて2礼2拍手1礼で拍手を打つ様子は荘厳である。私は生徒の打つ拍手の音を聞くことほど嬉しいことはない。

 今年の圧巻は何と言っても現役の女性教諭が神楽舞を舞ってくれたことである。バリバリの現役教師がですぞ!!このことが殊の外私には嬉しいことであった。数ヶ月に及ぶ神社庁派遣の教導の特訓を受けて見事な舞を全校生徒に披露してくれた。涙が出そうになったのである。公立高校教師には出来る芸当ではあるまい。宗教性など問題にするほうがおかしい。日本人は神道で誕生を喜び、年始には初詣に出かけ死して仏教のお世話になるのが一般的だ。生徒はおじいちゃん、おばあちゃんの死で初めて死を知る。宗教こそ人間の心を揉み解し、いま流行の癒しの原点なのではないか。各私立高校は創業の原点である宗教色を有していることは今後の最大のアドバンテージであると私は信じて疑わない。

 校長は全員に「お年玉」をプレゼントした。お年玉と言っても今年の干支であるウサギのお菓子であるが同じものを教職員、生徒がこの日食することによって誇りと決意を確認するのである。私は良い学校で学ぶ喜びに浸り、今年1年自分の目標に向かって努力せよと生徒に話したのである。
拝賀式の後の始業式ではこいつは春から縁起が良いワイではないがスケート部の女子生徒が国体選手に選ばれたので、その壮行会を行ったのである。この生徒は将来オリンピック選手になる可能性を秘めていると校長は勝手に思っている。来年度は彼女に続いて更に有力なフュギア選手が高校に入ってくることになっている。
いやー本当に美しく舞ってくれた。ご来賓や保護者に大いなる感動を与えたのである。勿論生徒も日ごろ厳しく指導している体育科や英語科の教諭が自分たちの為に舞ってくれたことを何時か思い出すに違いない。ありがとう,両先生!! ちなみに校長の右側は中学生で幼い頃から修練をしている神社の子どもさんである。
教諭二人と生徒
 今やビッグになりつつある本校雅楽部の代表メンバー。今日も素晴らしい演奏でした。今年も様々なところから出番の声がかかるに違いない。
 すべてが終わった後でカフェテリアにおいてPTA実行委員会の皆さんに新年の挨拶を申し上げたのである。強力な木村親衛隊であり、この人たちのおかげで気持ち良く仕事が出来るのである。有難いことです。皆さんはぜんざいで直会を済まされました。

2011年1月7日金曜日

23年1月7日(金)新春大放言「府庁は咲州に全面移転せよ」




1月6日府庁咲州府庁舎に出張

昨日のブログで府庁の咲州庁舎に出張したことは書いた。後刻知ることになったが丁度この日は橋下知事が初めてこの分庁舎で執務を執られたらしい。そう言えば訪問先の私学・大学課はほぼ全職員と想像できるくらいの人々と又机の上など整理されていたから知事の激励訪問に対応したことは容易に想像できる。しかし素晴らしい執務環境であった。私学・大学課の所属する府民文化部が先頭を切って移転して来られたことに私は心から敬意を表したい。38階の窓の外に広がる風景は素晴らしくこれなら良い発想の仕事ができるなと思ったものだったが、もっとこの庁舎移転には深い意味があると私は勝手に考えを巡らせているのである。しかし文化とは最も関係なさそうなこの離れ小島に府民文化部とは面白い組み合わせではないか。私が知事なら企画部、総務部などをまず連れていく。

今朝の朝刊にもこの知事の初執務については触れてはいたが昨日の夕刊の記事が面白い。特に読売と産経は知事の顔写真入りであったが見出しは断然産経の方がパンチが効いている。「海の向こうを見て仕事を」とある。この海の向こうというのが良い。読売は「関西見渡して仕事を」であったが夕方のテレビ報道は海の向こうというキャプチャーだったと思う。そう大阪は海の向こう、すなわち東アジア、東南アジアに向き合って考えねばなるまい。もう遅いくらいである。東京都庁は南北アメリカ大陸を見ておれば良い。東の東京、西の大阪で眺望するところを棲み分けるのである。

問題は記事の内容で相変わらずレベルの低い話が記事にあった。誰か知らないが府議の一人は府民サービスが悪くなるとか部長会議が咲州であると本庁に部長が居なくなるから決済が遅くなるとか言っているらしいが、そういう府議を選んだ府民は可愛そうだ。市役所や区役所ならいざ知らず、1年に何回府民が府庁に出かけるというのか。又IT時代であり、電話会議とか様々な会議の方法はある。全く反対のための反対意見だろう。又府の役人の中には通勤に15分余計にかかったとか言っているらしいが15分程度が何か。逆に15分程度短くなった人も居るはずである。

本校は私学・大学課が以前よりずいぶんと近くなり便利になったから言うのではないが府庁は咲州に全面的に移転しても良い。そのために後1棟くらい求めたって良いというのが私の意見だ。どうも反対意見の内心は大阪城の見える場所から離れたくないというのもあるらしいが、そう言う発想は太閤さんも迷惑である。彼のように朝鮮半島から中国を見据えて大きなスケールで行政を考える時代である。秀吉の叶わなかった夢を実現すべくベイエリアからアジアを見据えて行政を捉えるというのはどうだ。それが知事の言う「海の向こうを見て仕事を」ではないか。大賛成である。

東京も江戸城と東京駅の近くから新宿に移転して更に強烈な都庁になった。知事は維新の会を駆使して守旧派を一人残らず駆逐、放逐せよ。大体今まで府議は市に対して辛い局面を何度も経験してきたのではないか。橋下信長を得てこの際大阪市行政機構を獲りに行ったらどうか。千歳一隅のチャンスではないのか。この機会を逃せば二度と大阪の回天はなるまい。
とにかく大阪府と大阪市の仲の悪さは有名で当初は蜜月を振舞っていた知事と市長は遂に知事の進める大阪都構想が出るに及んで決裂となったが、このようにいずれはなると私は容易に想像していた。衛星都市を含めて人口880万人の府の規模であるが「どてっ腹に昼間人口360万人の大阪市が君臨」し、土地も地下鉄もバスも電車もコントロールしているのだからうまくいく筈がないのは分かりきった話である。

しかし考えても見よ。大阪は古事記・日本書紀の時代から住吉津を基点に発展してきた町である。5世紀になって私が昔勤務した高津高校の敷地内にその記念碑があるが仁徳天皇の高津宮で歴史舞台に登場し、6世紀の大化の改新で難波宮が宮城となったのである。すべては上町台地に拠点し、それ以外はすべて海だった。大阪といえば海、それもチヌの海だ。遣隋使の小野妹子が旅立ったのも難波津である。大阪の抜本改革の為に府庁を遷都し、海のそばに持っていこうという橋下知事の壮大な発想は素晴らしい。これで大阪は何かが変わる。その号砲である。理屈など今はどうでも良いではないか。座して死を待つより何かをやったらどうだ。何ゆえそのような発想が出てこないのだろうか。府と市が合体して新しい大阪都庁舎はこのベイエリアにあるこのビルでよい。指揮官は一人でよい。激動の時代に指揮官は二人は要らないのである。この原則はなんにでも当てはまる。院政を敷く会長がいる会社は社長派と何時かは反目する。行政の二重構造はそれ以上に悪い。水道事業の統合一つ出来なかったではないか。

学校経営といえども全く同じで理事長と校長が反目しているところなどに改革の芽が出てくるわけが無い。そこに組合でも絡めば尚更で学校の勢いは衰微していくだけであることを我々は嫌と言うほど経験した。浪速改革は理事長・校長兼務という一本独鈷で成し遂げられたという意見には個人としては首を傾げる部分はあるが遣り易かったことだけは間違いない。今大きく遅れているという大学の体質も大学法人の経営と学長以下の教学部門の確執という人は多い。これも権力の二重構造である。府庁は全面的に咲州に移転し大阪市の行政を取り込むべきである。そうしたら大阪は変わる。まず変わり始めることが重要で行政サービスも今以上に悪くなるはずがない。今からどこがどのように変わるかなどどうでも良い議論だ。まず形から入るのは一つの知恵である。日本人は、大阪府民は、大阪府民はアホではない。しっかりと観ている。

理事長・校長の職位は果たして浪速改革にどのような効果が?少なくとも指揮官は1人であった。




2011年1月6日木曜日

23年1月6日浪速始動開始

遅れていましたがボツボツそのタイミングと考え、校長ウヲッチを衣替えして「校長の視点・論点」のタイトルで私の言い分を発信していこうと考えました。ただ昔の校長日記ほど時間は掛けないで私の思考の原点を発信する形にしたいと考えています。それは以前の校長日記は余りにも長いというご指摘が多かったからです。簡潔に書くことも腕の見せ所と考え努力しますが、書き出したら止まらない私ですから果たしてどういうことになるのか?昔の校長日記と言わば写真週刊誌的な校長ウオッチの中間に位置すると考えて頂ければ有難いと思います。文章が短くなればその分理解し易いように幾分激しい語彙が使われたりして・・・、又物議を醸すことになるのか。 長い文章があったり写真集であったり色々な組合わせになるかも知れません。又毎日の発信ということにもこだわっていません。新年を迎えて心新たにこのコラムをまとめることは実は私自身への戒めと覚悟の確認なのかも知れません。どうか宜しくお願い致します。

本校は本日から新年がスタート。全教職員元気に一杯に業務をスタートしました。私は午後一番に咲州庁舎移転となった私学・大学課に新年のご挨拶と新庁舎の様子見に出かけ、私学授業料無償化拡大のお話や新庁舎の使い勝手など私学課長と大いに話題が盛り上がりました。常日頃ご指導頂いているご担当の方々にもご挨拶が出来て大変ラッキーであったと喜んでいます。それにしても大変綺麗な執務環境であり38階から見る大阪湾は雄大でした。 たまたま本日は橋下知事が新庁舎での初執務ということで夕刊やテレビはその話題で持ちきりでしたが、これに関する視点論点は明日のコラムにでも。

年初の職員会議に当たり私はペーパーを用意し、特に「業務への姿勢」について話しました。その概要は校長公式メッセージにアップされています。特に立派な教師とは立派な社会人として初めて成立するなどの自称「木村語録」は厳しい内容でしたが、これも齢を重ねた者、又組織のトップとしての責務と考え、今後とも指導は厳しくしていくと私は強調しました。ベテランの先生が一線を退き総じて20代、30代の先生が多くなってきました。彼らに「社会の常識」を伝えねばなりません。 教師の常識は社会の非常識、社会の常識は教師の非常識と物の本にはよく見かける言葉ですが少なくとも本校の教師に限ってはそのようなことは言われたくないのです。

その一部を記載します。

2.教職員に送りたい木村語録の一部

* 立派な教師とは立派な社会人から生まれます。社会人として駄目でも教員としては立派というのは120%有り得ない話である。まず学校の先生である前に立派な社会人であることが必要です。
* 社会人としてまず最低限必要な条件は「挨拶のできることと礼節が分かっている」ことである。これは業種を問わない。まず全てはここから出発する。人間の魅力はその人間の持つ品格からにじみ出るものであることは間違いありません。
* 教師であることとは肩書きでも資格でもなんでもない。特に今日では誰でもが教師足りうる時代です。自らに恥ずかしくない教師像を追い求めて欲しい。その為にはまず謙虚さが必要であるし、一生涯勉強し続けないといけない。案外と先生といわれる人の中には教養が深くないし知識経験が少ない人を見かける。これでは立派な教師とはなりえない。単なる教員すなわち教える人の員数でしかないと思います。
* 明るくあること。心の中ではそうではなくとも外見だけでも明るくすること。又生涯身だしなみには気をつけること。そして何事にも感謝を表さねばならない。感謝の表現があるところにはどんな境遇でも陽が射し機会が回ってくる。厳しくされたら期待されていると思った方が良い。期待していない人間には人は厳しくしないものです。まだ成長すると思えばこそ厳しい指導があるものだ。
* 何事も自分でやろうとしなければならない。特に教職員においては部下に仕事を回すということはその業務形態から考えて有り得ない話である。教師とは生涯自分自身を鍛え続け、自ら手を下してやらなければならない職業である。
* 出来ないと諦め自身を袋小路に追い込み、自滅することは結局大いなる損失であり、誰も評価しない。素直にギブアップのシグナルを親しい友人や管理職に伝えねばならない。人の能力にはそれぞれ特徴があり誰もが同じようなアウトプットとなることは無いのである。頑張った人間はそれなりに輝いているものである。
* 若い世代の教員には「自分の仕事があるという幸せ」が本当の意味で分かっていないと思うが人間にとって生涯を通じての仕事があることほど幸せはないのである。仕事があるという喜びは人間としての全ての存在意義の根底である。自分の仕事を大切にして欲しい。そして仕事を通じて自己実現を図って欲しい。仕事のストレスは仕事を通じて以外に解決の方法は無いと思う。

又私は教職員から頂いた年賀状を手に年賀状の意味と組織人として年賀状は如何にあるべきかなど時間を使って感想を述べました。上司への年賀状の出し方が言ってみれば無茶苦茶なのです。一度は教えておかねばと思い、強制ではありませんが常識として伝えたかったのです。
大切なことは校長は何を考え、何を教職員に期待しているのかということを伝えなければならないのです。いずれも最高学府を出たインテリジェンスと言われる学校の先生です。トップが何を望んでいるかが分かればそれなりの対応をしてくれると思うのです。案外校長の中には自分の言葉で語ることをしない人が多いというのが私の率直な感想です。私はこれでもか、これでもかと思いを伝え考えを発信する手間隙を惜しみません。
朝一番に1月1日付けで新専任教諭に採用した3名の常勤講師と専任職員に昇格した派遣社員の1名に辞令を交付しました。お目出度いことです。中には年収が一挙に300万円以上上がる教員も居たりします。教職員の給与は総じて高いのです。この厳しい雇用状況の中で65歳まで働ける正規職員の切符を手に入れたのですからその分頑張って貰わねばなりません。やってくれるでしょう。大いに期待しています。