
| 1月6日府庁咲州府庁舎に出張 |
昨日のブログで府庁の咲州庁舎に出張したことは書いた。後刻知ることになったが丁度この日は橋下知事が初めてこの分庁舎で執務を執られたらしい。そう言えば訪問先の私学・大学課はほぼ全職員と想像できるくらいの人々と又机の上など整理されていたから知事の激励訪問に対応したことは容易に想像できる。しかし素晴らしい執務環境であった。私学・大学課の所属する府民文化部が先頭を切って移転して来られたことに私は心から敬意を表したい。38階の窓の外に広がる風景は素晴らしくこれなら良い発想の仕事ができるなと思ったものだったが、もっとこの庁舎移転には深い意味があると私は勝手に考えを巡らせているのである。しかし文化とは最も関係なさそうなこの離れ小島に府民文化部とは面白い組み合わせではないか。私が知事なら企画部、総務部などをまず連れていく。
今朝の朝刊にもこの知事の初執務については触れてはいたが昨日の夕刊の記事が面白い。特に読売と産経は知事の顔写真入りであったが見出しは断然産経の方がパンチが効いている。「海の向こうを見て仕事を」とある。この海の向こうというのが良い。読売は「関西見渡して仕事を」であったが夕方のテレビ報道は海の向こうというキャプチャーだったと思う。そう大阪は海の向こう、すなわち東アジア、東南アジアに向き合って考えねばなるまい。もう遅いくらいである。東京都庁は南北アメリカ大陸を見ておれば良い。東の東京、西の大阪で眺望するところを棲み分けるのである。
問題は記事の内容で相変わらずレベルの低い話が記事にあった。誰か知らないが府議の一人は府民サービスが悪くなるとか部長会議が咲州であると本庁に部長が居なくなるから決済が遅くなるとか言っているらしいが、そういう府議を選んだ府民は可愛そうだ。市役所や区役所ならいざ知らず、1年に何回府民が府庁に出かけるというのか。又IT時代であり、電話会議とか様々な会議の方法はある。全く反対のための反対意見だろう。又府の役人の中には通勤に15分余計にかかったとか言っているらしいが15分程度が何か。逆に15分程度短くなった人も居るはずである。
本校は私学・大学課が以前よりずいぶんと近くなり便利になったから言うのではないが府庁は咲州に全面的に移転しても良い。そのために後1棟くらい求めたって良いというのが私の意見だ。どうも反対意見の内心は大阪城の見える場所から離れたくないというのもあるらしいが、そう言う発想は太閤さんも迷惑である。彼のように朝鮮半島から中国を見据えて大きなスケールで行政を考える時代である。秀吉の叶わなかった夢を実現すべくベイエリアからアジアを見据えて行政を捉えるというのはどうだ。それが知事の言う「海の向こうを見て仕事を」ではないか。大賛成である。
東京も江戸城と東京駅の近くから新宿に移転して更に強烈な都庁になった。知事は維新の会を駆使して守旧派を一人残らず駆逐、放逐せよ。大体今まで府議は市に対して辛い局面を何度も経験してきたのではないか。橋下信長を得てこの際大阪市行政機構を獲りに行ったらどうか。千歳一隅のチャンスではないのか。この機会を逃せば二度と大阪の回天はなるまい。
とにかく大阪府と大阪市の仲の悪さは有名で当初は蜜月を振舞っていた知事と市長は遂に知事の進める大阪都構想が出るに及んで決裂となったが、このようにいずれはなると私は容易に想像していた。衛星都市を含めて人口880万人の府の規模であるが「どてっ腹に昼間人口360万人の大阪市が君臨」し、土地も地下鉄もバスも電車もコントロールしているのだからうまくいく筈がないのは分かりきった話である。
しかし考えても見よ。大阪は古事記・日本書紀の時代から住吉津を基点に発展してきた町である。5世紀になって私が昔勤務した高津高校の敷地内にその記念碑があるが仁徳天皇の高津宮で歴史舞台に登場し、6世紀の大化の改新で難波宮が宮城となったのである。すべては上町台地に拠点し、それ以外はすべて海だった。大阪といえば海、それもチヌの海だ。遣隋使の小野妹子が旅立ったのも難波津である。大阪の抜本改革の為に府庁を遷都し、海のそばに持っていこうという橋下知事の壮大な発想は素晴らしい。これで大阪は何かが変わる。その号砲である。理屈など今はどうでも良いではないか。座して死を待つより何かをやったらどうだ。何ゆえそのような発想が出てこないのだろうか。府と市が合体して新しい大阪都庁舎はこのベイエリアにあるこのビルでよい。指揮官は一人でよい。激動の時代に指揮官は二人は要らないのである。この原則はなんにでも当てはまる。院政を敷く会長がいる会社は社長派と何時かは反目する。行政の二重構造はそれ以上に悪い。水道事業の統合一つ出来なかったではないか。
学校経営といえども全く同じで理事長と校長が反目しているところなどに改革の芽が出てくるわけが無い。そこに組合でも絡めば尚更で学校の勢いは衰微していくだけであることを我々は嫌と言うほど経験した。浪速改革は理事長・校長兼務という一本独鈷で成し遂げられたという意見には個人としては首を傾げる部分はあるが遣り易かったことだけは間違いない。今大きく遅れているという大学の体質も大学法人の経営と学長以下の教学部門の確執という人は多い。これも権力の二重構造である。府庁は全面的に咲州に移転し大阪市の行政を取り込むべきである。そうしたら大阪は変わる。まず変わり始めることが重要で行政サービスも今以上に悪くなるはずがない。今からどこがどのように変わるかなどどうでも良い議論だ。まず形から入るのは一つの知恵である。日本人は、大阪府民は、大阪府民はアホではない。しっかりと観ている。
![]() |
| 理事長・校長の職位は果たして浪速改革にどのような効果が?少なくとも指揮官は1人であった。 |
