・ 今本校でも団塊世代の教員が退き、教員入れ替わりの時期となっている。20歳代、30歳代の教員が約半数を占めるようになった。当然先生方は戦争のことなど知らないし、彼彼女達が小・中・高で教わった教員がこの国旗国歌騒動の真ん中に居た人たちだからである。
・ 今の先生方は君が代が歌えないし、まして生徒に至っては習っていないのである。だから本校でも卒業式は歌入りを流してそれに斉唱している。最も声高く歌っているのが校長の私と今は引退された副校長だけであった。これが現場の実態なのである。
・ 加えてこの国旗国歌問題は戦後の教育問題の真相と深層をえぐるには格好のテーマでありこの問題を理解しないと教育現場における実態が見えなくなると私は思っている。簡単な話ではないのである。
・ 昨日のブログ「国旗国歌問題またまた」に引き続いて連日のテーマになるがボツボツ最終章として字数の許す限り論じてみたい。まず今朝の朝刊各紙は昨日の夕刊に続いて取り上げている。それも「社説」とかでこの問題の重要性を各紙の編集デスクは十分認識していることが分かる。
・ 東京高裁の昨日の判決文の詳細も報道されていた。特に朝日新聞を取り上げ新聞がどのように報道しているか検証してみたい。当然東京地裁での逆転判決だから訴えた教員側は「自由が奪われて、極めて不当」といい、上告する方針を明らかにしている。しかしどこにそのような時間とお金があるのだろうかと思ってしまう。最高裁に行ってもでも同じような判決となるのではないか。
・ 今回の東京高裁の裁判長は判決文は個人的には言い分があるが、まあ「相手のあること」と考えれば納得しなければならないと私は思っている。「起立や斉唱は天皇制をめぐる個人の歴史観や信仰とは密接に結びつかない、通常の行為」だと断じたことはこの裁判の中枢に関するもので特筆すべき事項である。
・ すなわち現在の一般的な社会通念から「日の丸・君が代が国家神道と不可分な関係にあるとは認識されていない」とし、又教職員団体が常に使う「教育は不当な支配に服さない」と定めた教育基本法に反するという訴えも「学習指導要領に沿っており必要性と合理性がある」と教育委員会通達を支持している。
・ 更に判決文は全国の公立高校の式典やスポーツ観戦でも一般的に起立斉唱が行われていることの例を上げ、「出席者にとって通常想定され、期待もされる行為であり、教職員が特定の思想を持つことを外部に表明するような行為ではない」とし「憲法19条にて保障されている思想良心の自由の侵害には当たらない」と判断したのである。
・ まあ今回の高裁判決で「国旗国歌問題は一件落着」ではなかろうか。ぼつぼつこの問題には蓋をすべきである。まず国民の過半数が国旗・国歌を認めているという現実もある。実は一昨日私は私のブログの読者という方からご丁寧なお手紙を戴いた。
・ 内容は私への激励と学校改革に対するお褒めのお言葉なのだがその中には本校が国旗の常時掲揚をしていることにお褒めの言葉が入っている。世間にはこの様な見識高い方がおられるのである。この方は学校現場における国旗国歌問題の重要さをご存知なのである。
・ 国旗日の丸に反対する人たちは「戦争につながる軍国主義の遺物」とか言って日教組や高教祖は気勢を上げているが、世界を見渡してもどの国も戦争経験があって日本に限ったことではない。世界中戦勝国であろうと敗戦国であろうと自由圏であろうと共産圏であろうと「国旗はその国の名誉や誇りを示してその国の歩んできた歴史を背負っている」のである。日本だけ戦争につながるという理由で否定することなど私には考えられない話である。
・ 確かに日の丸の歴史は法的根拠としては明確でなかったことは歴史的事実かもしれない。かもしれないとしたのは専門家でないから断定的なことは私には言えないからである。物の本によればペリーが来航した嘉永七年1854年時の老中阿部正弘が「白地日の丸幟」を使用すると布告したのが最初だという。しかし元々の歴史は古く、天武天皇、戦国時代の武田信玄などの使用例もあり歴史は古いのである。
・ 「明治3年政府は太政官布告で正式に日の丸を国旗」と定めたのだがこの法規が日本の歴史の変転で法的根拠が無いと一部の勢力に口実を与えることになった。不思議なことにこの国の政治家や識者はだらだらと国旗国歌の法制化に慎重姿勢をとり続けてきたのである。
・ それは反対する勢力の強さと関連がある。教職員団体や左翼の運動家はビラの配布や集会、卒業式の妨害を行い「偏向教育」まで展開したのである。平成11年に広島県の公立高校の校長が卒業式における国旗掲揚問題の板ばさみで自殺したことから「国旗国歌法」がようやく成立した。
・ このようにこの問題は政治家の怠慢で法律となるのが極めて遅れたのである。日本の常識は世界の非常識であり、地方議会でも未だに国旗掲揚がなされていないところが多い。元々は「法的根拠がない」と言っていたが法律が出来ると「強制すべきではない」と言い出している始末で本当に議員諸侯の職務怠慢と言わざるを得ないのである。
・ 結局国家観がないのである。あるのは個人主義で国家意識の欠落が戦後長い間繋がったのである。その結果日本はどのような国になったであろうか。国旗や国歌を尊重することは国歌を尊重し誇りにすることに繋がる。自国を愛すれば他国に対して敬意を表することになる。
・ 教育を通じて私は本校の生徒に日本の歴史に誇り持って欲しいのである。だから国旗国歌を大切に扱っているのである。私は今亡くなってはいるが敬愛する国家公務員だった父親に感謝している。小さい頃から「旗日」には父と共に国旗を玄関に掲揚させられた。しかしその経験は幼いながらにも私に国旗国歌、日本という国柄について大切なものを与えてくれたと思っているのである。今はその役目は自分となった。今私が国旗にこだわっているのには幼いころの原体験が影響しているのかも知れないと時々「フッ」と思ったりする。
・ 若い頃アメリカのニューヨークに駐在したことがあるが、その時以来、益々日本という国とその歴史、そして歴史を彩ってきた日本人が大好きになった。私は今の浪速の教職員が大好きである。人間が大好きなのである。同時に私はアメリカ大好き人間になった。日本語と英語の両方を本当に勉強したのである。これらが今の私の血となり肉となっていると思う。だから小さい頃国旗を共に掲揚した父親に感謝し、尊敬してやまないのである。

