・ 今日は年一回の高校2年生を対象にした「校長講話」の日である。各学年に一回あり、これは私が強く要望して学校行事に入れたものである。一般に校長は年に数回しか直接に生徒に語りかけるような機会しかない。
・ 校長先生とは校長室に歴代の校長の写真を背に威厳高く「ドンッ」と据わっているような人の事を言う。後は教育委員会や校長協会への出張ばかりする人の事を言い、職員会議には出席するが基本的には教員が出してきたものを「追認」する人の事をいう。とにかく学校に居たがらないという性癖を持つ。想像するにその方が気が楽になり休まるのであろう。
・ 府立高校勤務時代では本当に生徒に話す機会が少なかった。始業式と終業式で6回、入学式と卒業式を入れて年に8回が通り相場だから「一年を8日で過ごす良い仕事」との陰口を聞かれたりする。特に超進学校だったりすると授業こま数が減るとか言って校長の要望でもカットされたりする。
・ 大体校長先生とは「理念を語るのは天才」みたいなところがあって「人に優しい人間になりましょう」と言うのは上手いが、実践論は全くゼロだから、時間を使って語った後、何事も一切進まないのである。目的ばかりしゃべって目標を言わないし、目標に到達するための役割分担などを決めないから一切進展しない「しゃべって終わり」となるのである。
・ それは教職員の役割分担など決めようもなら、声の大きい教員から「どこにそんな時間があるのですか」「管理職でやってください」と切り返されるからである。従ってわざわざ「火の粉が飛んでくる実践論」は言えないのである。
・ 私立高校の校長は公立高校の校長のように単なる「従業員的」なところがない。それは「私立学校法」で規定されているように身分が「理事」で、言ってみれば「取締役」である。だから幾分経営者的に振舞えるのが教職員に対して「押さえ」として効いている。
・ 校長講話の話に戻そう。私は校長講話は「校長の授業」だといって着任以来継続してやってきている。高校1年生は入学して1学期の夏休みに入った時の「伊勢修養学舎」で生徒たちにいうのだ。「どうだ、高校生活は?」と問いかけ、中学生時代の甘さからの決別を促して「高校生活の過ごし方」を話すのである。
・ 高校3年生は例年9月頃に実施する。後数ヶ月で大学受験となるが特に社会の厳しさを伝えていく。今日の高校2年生は「高校生真っ盛り」に幾分水をぶっ掛けるのである。昨年11月に修学旅行も終了して、少しは勉強してもらわないといけないからである。「モードを変えろ」と。
・ エンジンを噴かす役割を担うのも校長の仕事と思っている。幾ら生徒の自主性を待つとっても基本的にごくごく一部の生徒しか自分を追い込んでいかないというのが子どもの習性である。教師はそれを「放っておいたら」いけない。強制力を持って追い込んでいくのが教育である。
・ 生徒の自主性を待つとか、個性を尊重するとか、勉強しないのも個性などと寝言を言って憚らない教員がいるとしたらそれは教師ではない。上手く仕組んで「生徒の心に火をつけるのが教師の仕事」である。
・ 私の50分の授業がどのような効果を生むか知れないが私はやる。大体生徒たちは何時も教科書の授業だからマンネリにもなろう。従って私は教師の話すような内容はしゃべらない。民間企業出身の私は教員が出来ない話をするのだ。60年生きてきて明日の日本を支えて欲しい子どもたちに伝えたいことは山ほどある。
・ 生徒たちには夢はあっても志がない。夢と志の違いが分かっていないのである。何時までも漠然とした夢の中で子どもたちは生きているのである。その夢を壊し、確固たる志を持たせ、血の出るような努力を訴えても、時にそれは「浮いてしまう」危険性と隣りあわせだけに生徒への講話は難しい。だから私は生徒の顔色を見ながら進め臨機応変に引き出しは幾つも用意して臨む。重要な事は準備である。
・ 思いつきで話してもそれは直ぐばれる。生徒はアホではない。だから教材研究もせず10年一日のごとき授業をしても生徒は分かっており、そのような教員は尊敬しない。「授業とは教師と生徒の勝負」であろう。50分間の勝負なのである。だから私も今日は勝負に出た。
・ 大体、大の大人が夢ばかり追って、夢と現実の乖離に打ちひしがれて、全ての責任を他に転嫁して「格差反対」と叫んでいる世相は子どもたちに元気を与えない。子は親や近隣のおじさんやおばさんの姿を見ているからでる。とどのつまり格差の解消も教育によってしか解決には結びつかないのではないか。「負の連鎖を断つ」事が出来るのは教育の力である。
・ 政府や行政のばら撒き施策は結局怠惰な日本人、お上に頼る日本人を作っていっているのだという危険性に気づかないといけない。「額に汗して働く」ということをもっと教えていかなければと思う。
・ 「君たち、タイタニック号が今の技術で出来ていたらあの船は沈まなかった」「なぜ自動車は錆びないのか」などとその辺の校長や教員が話せないような話から始めて私は授業を進めた。500名の生徒は誰一人おしゃべりすることなく生徒は目を輝かせて聞いてくれ終わった後万雷の拍手であった。今日は生徒に勝ったと、満足して体育館を後にしたのである。