2011年1月10日月曜日

23年1月10日(月)表千家初釜

今年は参加を取りやめようと思っていたが、やはり行くことにした。夕方16時頃の席入りだから昼12時半には難波を出て結局大阪に戻ってきたのは夜の8時少し前であった。結果的に参加させて頂いて大変良かった。

今建設中の武道館のお茶室「洗心亭」の揮毫をお家元にお願いしたら快くお受けして頂き、現在京都の専門店に依頼して扁額にしてもらっている。これをお茶室に飾るのである。一私立学校のお茶室に千利休居士の14代目の子孫である千宗左お家元の字が飾れると言うのはそう簡単な話ではあるまい。有難い限りである。私はお家元に直々にお礼を言上したのである。恐らくお忍びで学校に来ていただける感触を得た。

参加したもう一つの理由は今年11月に大阪である表千家同門会の大茶会の会場の一部に本校の洗心亭を使って頂けないかと関係者に伺いを立てる目的もあった。しかし最もこの私の願いは神社関係者には一笑に付されており無理筋なことは自分でも分かっているのだがそれでも最後の最後まで諦めないのが木村流である。

大阪担当の木村宗匠にお願いしたところ、主催者である表千家大阪同門会の幹部を紹介して頂いたから早速ご挨拶に出かける積りである。昭和55年に大阪と奈良で共催した阪奈大会が行われてから30年以上経過しこの度初めての全国大会が大阪単独で計画されていることを遂最近知ったのである。主体と成る場所は利休の故郷である堺市と聞いており堺は本校と目と鼻の近さにある。全国からお茶人が大阪に来られるのだからもし本校のお茶室「洗心亭」を知って頂くにはこれ以上の舞台はない。何とかしたいものだと思っているが無理かなー。

時間があったので同門会本部とも言うべき表千家北山会館を初めて訪問した。会館内を見学したところ客は私1人であったが立ち席(立礼席)でお薄を一服立てていただいたのである。その後まだ時間が少々あったから行く途中にある金閣寺を見たくなって立ち寄ったのである。冬の金閣寺は美しかった。とにかく時間を無駄にしたくないからぎりぎりまで有効利用するのが癖なのだがこれは年を取ってくると必ずしも褒められた性格とはいえないだろうなと自分でも分かっているのである。


利休の子ども少菴がこの地に「千家再興」をして後、4代の江岑宗左より紀州徳川家に仕えて9代了々斎の時に建設が許された由緒ある格式ある正門を入ると特別な感慨に浸る。何時もは使われず脇の小門が使われているが今日のような「初釜や利休忌」などにはこの「大とびら」が開けられるのである。

しかし千利休、一体全体どのような人物だったのであろうか。想像するだけでも楽しい。信長、秀吉に使仕え、激しく死んでいった一代の英傑に私は心を奪われるのである。爾来脈々と伝統が引き継がれており特にこのような茶道の世界は「昔のまま」を引き継いでいくことに意味があるのであって400年間利休の「侘び茶」が現代までつながり日本文化を形作ってきていることが素晴しい。世界にはこのような文化はない。

初釜は今日10日から14日まで家元残月亭であるのだがその初日にお家元がじきじきに点てた一碗を頂けるのですからこれ以上の名誉はありません。それにしてもお家元は席入り全ての方に自らお茶を立てられるのですから通常は出来ないことを平然とやられます。私はこのことに感動している。手首の腱鞘炎を心配するばかりです。お家元の温かい後気持ちなのだと思う。

今年も正客から数えて9番目の席で目の前2メートルで千宗左お家元がお茶を点て、私はそれを濃茶で頂いたのである。お茶席は不審庵内の残月亭と九畳敷で合わせて大広間となる。晴れやかさの中に当に「和敬静寂」そのものの雰囲気が流れる。電灯などは無く「ろうそく」で灯りをとっているだけに「幻想的」なのである。お部屋は少し暖かくなっており、京都といえども決して寒くはなかった。

まず掛け物は今年の干支は辛卯(かのとう)であるからウサギの掛け物でした。4代宗旦ゆかりの掛け物で絵讃には「玉兎 耳ふりたてよ 大ふく茶」とありました。何時も感じるのですがこのようなお家元には何百年と言う長い間の伝統を守ってきているのですが、それは所作のみならず持ち物も大切に後世に伝えることだと思うのです。
9畳敷の床には「春入千林処々鶯」の掛け物があったが、これは今から350年ほど前の千家三代宗旦の軸である。「本物」なのである。残月床の掛け物は千家と徳川家の関係を示す歴史的な「少菴召し出し状」であった。こういうのを拝見させて貰えるのがお家元の初釜なのである。

お席はお薄の席から濃茶に変わり、その後点心となる。そのお席は「年酒席」と言い「酒肴のおもてなし」となる。お薄から濃茶、食事、まで絵に描いたようにスムースに流れる。料理はまさに山海の珍味であり、美味なることこの上なしであった。ここで又私は驚くのである。受付から下足番、お手前は勿論、折敷の持ち出し銚子でのお酒の進め、すべて男性が行うのである。女性は一人もいないのである。これも表千家流と聞いた。テレビや本などでしかお顔を見たことに無い宗左家元からお酒を注いで貰った。若宗匠やご一門、有名な高弟である宗匠から次から次とお酒が注がれ、素晴しい料理が次から次と出てくるのである。お酒は「冷ではなくて燗」であった。日本酒好きであるが燗の酒はここ表千家の初釜の時だけである。
私は大阪に戻る京阪電車の中でとにかく日本一の高等学校の茶道クラブを作る決意を益々固めたのである。あれだけのお茶室を有する高等学校は恐らく日本にはあるまい。すでに高校1.2年生だけで34名の希望者を確認している。新入学生を入れれば50名近い生徒でスタートすることになろう。楽しみである。