2011年1月19日水曜日

23年1月19日(木)このような教員は即刻退場すべし


・ 「小学校教諭 保護者を提訴」「再三の苦情で不眠」との見出しである。驚くような話だ。学校の先生が保護者を訴訟するという。逆ではないか。酷い時代となったものだ。まず1月18日の朝日の夕刊が第一報を報じ、翌朝には各紙が結構大きい扱いで記事にしていた。テレビの報道番組も今朝になってもこの事案について報道していたから、この問題は今後も尾を引くのか、このまま静かになるのか先行きは見えないが「学校の教師というものを考える」上で、重要な問題を提起していると受け止め「校長の視点・論点の格好のテーマ」と考え言及したい。

・ 話は埼玉県の市立小学校の女性教諭が再三にわたって保護者からクレームを受けて不眠症に陥ったとして担任するクラスの女児児童の両親を提訴したというものである。何と慰謝料500万円を求め埼玉地裁熊谷支部で係争中だというのである。提訴したのは昨年の9月、事件の発端は4月にクラス担任になり6月に事件があったという。
 ・ この女児と他の児童とのいさかいを仲裁した際、この児童の母親から「相手が悪いのにうちの娘に謝らせようとした」とクレームを付けられたことから事件は拡大していった。ニッチもサッチモ行かなくなって7月には家庭との連絡帳に保護者から「先生が自分の感情で不公平なことをして子どもを傷つけています」と8回書き込まれたという。

・ 当然保護者は市の教育委員会やこれは笑ってしまうが文科省に口頭や文書で訴えたり、女児の背中に触れただけで警察に暴行容疑で訴えったという。保護者の怒りの程度が良く分かる。ここまで事態が来てしまうと解決には容易ではないがまだ解決できる話である。3ヶ月ですぐ訴訟はないだろう。

・ 大体保護者はすぐ教育委員会に行くものである。最近は児童でも「教育委員会に言い付けてやる」と簡単に言う時代である。何処へでも行かせばよいではないか。黙ってみておれば良いのだ。中には教育委員会は言うに及ばず、国の公的機関や、又ブラックジャーナリストや週刊誌に一方的に情報提供して学校や校長、教諭を「やっつけてやろう」となるものもある。
・ 一般的に言って保護者とは自分の子どもには「絶対愛」であり、時に客観性を失うものである。親とはそういうものではないのか。子どもを守るのは自分しかいないと思い込んでいるのである。そうでなければどこかいくらか性癖の部分があるのかかも知れない。この保護者のことを言っているのではないが。

・ 6月に事件があって、そして9月に提訴だから新幹線みたいに早い話である。余りにも訴訟までが短い。保護者からの訴訟ならまだ理解できる部分はあるが、それが教諭の訴えというから、これはおかしいと感じるのは、国民の一般的な感情だと思うが・・・?。この間1ヶ月間の夏休みもある。話し合う時間はたっぷりあったはずである。ところが教員は話し合いに応じなかったと記事にはある。管理職は一体何をしていたのか。
・大体何時も教員サイドの論調である朝日新聞がいくらか教員に批判的な内容になっていると私は感じた。この教諭は一連の保護者の行為で不眠症に陥り教員生活の継続に重大な支障を生じさせられたと主張し、500万円要求し、辞めるどころか未だに教員を続け担任も継続中だという。信じられない話である。即刻教壇から退場し、その後に訴訟に専念すべきだろう。
・ この辺にも民主党の小沢元代表の問題が社会に影響してきているのかと思ってしまう。強制起訴されても政治家は辞めないというから構図は同じである。裁判所で訴訟中の教師が片方で教員を続けられるのか。教師の仕事とはそういうものではなかろう。
・ 不眠症だというが今日の人間は大なり小なりこのようないさかいや争いの中で生きており、私もストレスの中で生きている。様々な教師を抱え1990人の生徒を抱え、その保護者も同数おられるのである。幸い私は不眠症とはならず過眠症である。しかし不眠症になったからと言って自分の生徒の親を訴えるか。睡眠薬を飲むか、酒でも飲んで大声で「あの保護者の馬鹿野郎」とでも叫んでストレスを解消することは出来なかったのか。
・確かに警察に訴えるとかして、この保護者も少しやり過ぎと思わないでもないがそれでも訴訟に持って行ってはならない。正しいかどうかは別として根本原因は自分が作ったのだろう?学校というのは最も訴訟とかから遠い存在でなければならない。私も昔痛い思いをしたことがあるが、訴訟に出ることはしなかった。我慢したのである。成長過程で多感な生徒の学ぶ学校のことを考慮した。沈黙したのである。生徒のこのことをまず第一に判断しなければならないと私は思う。

・ この学校の校長も責任を取って即刻辞職すべきである。文書で市教委に対して「モンスターペアレンツに学校や教師が負けないように教諭が代表して訴訟をしていると受け止めている」と出しているからこの校長も全くどうしようもない。学校がぐるになって煽っている構図である。校長は体を張ってこのような事態を阻止しなければならないというのが私の考えである。まあこの学校の校長がどのような経歴で校長になった人か私には容易に想像できる。
・大体マスコミが遣うモンスターペアレンツなどの言葉を公立学校の管理職が公文書で使う言葉ではなかろうに。モンスターペアレンツならスチューピッドティーチャーと言われるぞ。 市教委もこれは全国どこの市教委でも同じだと思うが「訴訟中なので何も答えられない」と紋切り型のコメントである。保護者もこの点は分からないといけない。教育委員会にいくら言っても学校で起きた問題は学校でしか解決は出来ないのである。
・ 学校が保護者をモンスターと言ってはならない。たとえ心で思っていても口に出してはならない。私学で保護者に対してモンスターと言ったらそれで「学校もその教師もお仕舞い」である。本校にはそのような教員はいない。恐らく私立学校の教員にはそのようなアホな教員はいない。直接お金を払ってくれている保護者でありそのお金で飯を食っているのである。この点では公立の教員も同じなのであるがなー。
・ 両親は「学校は実態を調べないで自分たちをモンスターに仕立て上げた」と朝日新聞の記者に話しているとの事だがその通りであろう。「人身御供」になったきらいがある。該当する教諭はまったく取材に応じず、教頭が「教諭と保護者のそれぞれの人権を尊重しているのでコメント出来ない」と最も一部の教員が得意になって使う金科玉条たる人権という言葉を持ち出してきている。

・ しかしひどい話である。両親は市教委に文書を出したのは「教諭が話し合いに応じなく娘を守るための正当な行為」と主張し、訴えを退けるように求めているらしいが、今後当該の女児児童も辛いし、その保護者もご近所から陰口の一つも聞かれる辛い立場になった。しかし私は断言する。これで大きく傷ついたのは教諭の方である。
・ 自分の問題解決能力のなさと人間としての未熟さを世間に恥をさらしたようなものである。しかしこの教諭は1991年に教員になったというから20年のベテランですぞ。経験不足の教諭とは全く言えない。これでは子どものけんかに親が出てきたと一緒である。恐らくこの教員は保護者よりも年を食っているのではないか。何ゆえ大人の対応が出来なかったのかと思うのである。だから私は背景に何かあるのではないかと想像するのだ。
・ 「やっとられないわ、訴えて世の保護者に警告を鳴らしてやる」と思ったかどうか知らないが、前述したようにこの学校の校長が「モンスターに負けないように教員の代表で訴訟している云々」と述べているように佐倉惣五郎のように振舞っているとしたら間違っている。惣五郎は訴えたが結局刑死した。(佐倉惣五郎の話、知っていないと思うがね。)惣五郎は死して後、偉人になったがこの教員は他の教員から拍手喝采を得るような偉人とはならないだろう。

・ 日本女子大の坂田教授は「児童本人のことを考えれば訴訟は避けるべき」と延べ、更に「芽が小さいうちにトラブルに気づくこと」と言われている。至極もっともで誰が考えてもこのように思うのではないか。これが普通の常識ある対応である。

・ 教頭の言にあるように「教員の人権・・・」とか言うが基本的に教職にある身にとって人権などあるのかという私の知人がいる。地震で倒壊し、火に取り囲まれた教室から自分だけ先に逃げて生徒を救いに行かない教師など教師ではない。あくまで教師とは生徒を守るものではないのか。今回の事件もこの様相に似ていないか。訴訟に逃げたのである。この生徒も相手の生徒もそれらの両親もおじいちゃんやおばあちゃんもその親戚もこれから辛い思いをするだろう。このようにして生徒は不登校などになっていく。まず自分の人権を言う前に子どものことを考えろと言いたい。
・ ところが不可思議なのは教員ほど「人権、人権」と叫ぶ職業人はいないのである。民間企業に勤めているサラリーマンなどから人権などの言葉は使うことはないし私も長いサラリーマン時代で聞いたことはない。製造業の会社が得意先のクレームに対して訴訟するようなものである。この教諭は教師の資格などない。即刻辞職したらどうか。そして人権派の活動家として生きていくことを勧めたい。

・ 教師とは大体弱い、脆いものである。生徒には言えても外圧には弱い。社会の荒波から学校という塀の中で閉じ込められて生きている人々である。そこへ持ってきて高給が保証され身分も安定し社会から「先生、先生」と尊敬を受ける人々である。このような職業は今の時代、学校の教員以外にはなかろう。
・ ここが最も陥りやすいこの職業人にとっての鬼門である。良いフォローの時と真正面に立っている時には強いが横腹を刺されると一挙に壊れてしまう職業人だと校長8年間の経験で分かった。だから教員に心の病が多いのはそのようなことなのである。
・ 私の母などは徹底して「学校の先生は立派なお人」という意識を死ぬまで持ち続けてきた人であった。小学校で私がやんちゃをして学校に呼び出されたら先生の前で平身低頭して謝り、僕の頭を拳固で殴るような人であった。しかし時代はまったく変わった。教師を見る目が変わったのである。それは一面では教師側の責任もあるのではないか。
・ 唯我独尊、お念仏みたいに権力権利に対峙し、国旗国歌反対、勤務評価反対、教員免許更新制度反対、給与削減反対、生徒の自主性尊重などと言って教えることを回避し、何でも反対といっている間に日本の教育力は一体世界に比べてどうなったのか。そこに教師側の責任はないのか。

・ 教師はもっと「耐え忍ぶ」ということを勉強し身に付けなければならない。人間の余裕みたいなものを身に付けなければならない。息の抜きい方、ストレスの発散方法など人間の幅を広げていかないといけない。「一杯、一杯」では生徒に教える行為などできるはずがない。人間の幅が極めて狭いからこのように直ぐ3ヶ月程度で訴訟などに出る行為をする。自分を守っているのだろうがそれは守っていることにはなっていない。自滅への道である。
・ 自分の生徒とその保護者は絶対であると覚悟せよ。クレームもあるがその対応も高い給料の内と心得よ。何年か経ったら卒業して消えていなくなる。自分に厳しい保護者もいれば自分の味方の保護者もいる筈である。
・ 世の中に畏怖し尊敬するものがないから教員は誇りを通りこして傲岸不遜、うぬぼれ人間になり、しこうして勉強しない。謙虚でないのである。だから教員の常識が時に社会の非常識だということに気が付かない。分かってきても「学校のことを知らない人」の言葉に耳を貸そうとはしないのである。

・ 現在本校にも保護者といさかいを有している教員がいないわけではないが、こじれそうな場合、私はすぐにお相手するのはベテラン教諭と教頭に格上げするのである。特に管理職にはきつく厳命している。保護者との問題は管理職がまず前面に直ぐ出よと。 ところが時に公立の教頭や校長は前面に出ようとしない性向がある。権威なのであろうが、とんでもない話で保護者のクレーム対応が管理職の仕事である。最後にやおら偉そうに出てきてもそのときは既に「手遅れ」なのである。
・ 私は本校の教諭が保護者を訴えるような事態は許さないし、それまでに解決する。大体手を打つのが遅れた場合に話がこじれものだ。「すぐ手を打つ」ことと最後は校長が前面に出て「心から謝罪し、生徒のためになるような対応をすぐ行う」こととしている。教員が良いとか悪いとかは後で良い。まず肝心の子どもの気持ちになって対応することが重要である。

・ しかし得てして若い教員に保護者とのトラブルは多い。それは人生経験の不足と言葉が足りないことが多い。要は「ボキャブラリーの不足」であり、「直裁的な、ものの言い方」をするから保護者は頭に来るのである。不用心なたったの一言で話がこじれるのである。
・ 又ベテランの教諭で保護者とのクレームが多い教員を観察すると大体共通の性癖が見つかる。これは極めて人間の幅が狭い未熟な育ち方をしている。相手の言っていることが理解できないのと何が本質の問題か分かっていないのである。こうなるとこの教員は教師の質そのものの疑いが出てくる。 保護者対応の上手い先生を見ていると黙って相手の言っていることを聞いている。とにかく聞いている。これが立派である。

私を知っている皆さんは校長は人の言うことを聞かないのではないかと思われているかも知れないが、ところがどっこい私は特に保護者の言うことは良く聞き、事実確認の10分後には対応策を指示している。電光石火とは私の為にある言葉なのである。電光石火がこの種の解決策として最も特効薬なのである。