2010年12月17日金曜日

12月17日(金)武道館その威容を現す

15日のブログ「英語を考える」は幾分昔の校長日記の匂いを出した文章にした。今までの校長ウヲッチは写真週刊誌的なものであったが、今後は少し昔に戻って生々しい「校長の考察、視点、論点」なども書いて行こうと思う。従って又少し中身がきつくなるか?

昨夜NZから夜遅く帰国した。久方振りの学校である。普段通り学校に行く。早朝出勤である。一部の教職員の中には「海外出張だったから少し遅く出るとか、有給を取って休む」とかする人間がいるが、校長はそういうことは絶対しない。意地でも普通通りである。学校文化には「疲労回復休暇」とか言って教職員を休ませる風習が今でもあるが、これを初めて見た時には「何と学校というのは甘いのか!」と思ったものだった。何が疲労回復か?お笑い種であった。休めば自分の仕事はどうなっているのか、自分の席はまだあるのか、一刻でも早く仕事の現場に戻ろうとするのが勤労者の心理である。

年末のことゆえ何か気ぜわしい。想像通りで朝から次から次と教職員が出入りする。大きな深刻な問題は全く無いが法人の理事長としての決済案件と校務の責任者としての校長の最終決定事項が厳然としてあるのである。
例えば来年の芸術鑑賞会の文楽劇場との最終契約の中身であるとか、来年2月の高校耐寒行事の行き先についてとか色々と校長が最終判断しなければならない項目は多いのである。

校長はどちらかというと部下に任せるタイプであるが、それでも教職員には決定出来ないこともあるのである。学校経営と校務運営すべての責任は理事長、校長にあるのだから責任者が最終決定するのは当然である。ところが今までの学校というのは校長を意思決定のルートから外して教員が教員で教員のために物事を決めるというまことに以って旧態依然としたやり方がまかり通っていたのである。校長はこれを木っ端微塵に粉砕した。勿論教職員の意見を尊重し、様々に考えてすべては生徒の為に最終決定するのである。すべては生徒のためである。教職員のためではない。だからすべての決定権者が全責任を取るのは当たり前である。したがって学年行事などはないと先日書いたのである。例えば修学旅行が失敗して学年主任が責任を取れる筈が無いからである。

又理事長・校長が留守の時はこの留守期間を立派に守る事が特に管理職の仕事であるとも言える。理事長校長が出張不在の時に「鬼の居ぬ間の洗濯」とか言って休暇を取る管理職など居たら解任されても仕方が無かろう。休む時はトップが学校に居る時にすれば良い。校務運営委員会のメンバーも管理職ほど厳しくは求められないが校務運営の責任を求められるのではないか。だって彼らは管理職予備軍だからである。

全く順調に校務はなされておりトラブルの一つも無かったという。大変立派なことであり校長は喜んだのである。

留守中に武道館の外観カバーが取れてその全容がはっきりと分かるようになっていた。威容としか言いようも無いくらい迫力があり、それでいて品格に富んだ巨大建築物が完成しつつある。教職員もグループになって内部の見学に出かけているそうである。大変結構なことである。興味関心を示さない教職員が居たらその人の方がおかしいのだ。すべての教職員は「家主の一人」であると考えねばならない。

竣工式と披露のパーティは3月13日(日)と決まった。午前中に式典を行い昼食をかねて直らいを堺のロイヤルホテルで実施することに決めたのである。校長が勝手に決めたのではない。高校教頭と事務長代理が詳細なタイミングを検討して上申してきたからそれを最終的に決定したのである。



剣道場にかける軸の位置について話し合う校長
剣道場には鹿島神宮、香取神宮のお軸が飾られることになる。


露地のイメージを確認

つくばいや灯篭の位置高さなどを実際に座った目線で確認する校長

2010年12月16日木曜日

12月16日(木)ニュージーランドを後に

ニュージーランドは白夜である。下の写真は夜8時30分に撮ったものであるがまだ十分明るい。従って人々はこの夏の夜を心いくまで楽しむのである。お世話になった二人の先生、シャーリー先生とジェイン先生を夕食にご招待した。こういう場合お二人が女性ということもあり、やはり家庭があるのでパートナーも同伴して貰うのが礼儀だと自分は思っている。従って夕食会はそれぞれのご主人とシャーリーさんはお嬢さんもお連れになっていた。全く問題なはい。市内の有名なレストランであったが人で混んでいてサーブが遅いのに閉口した。7時に始まって終わったのが10時30分、それからホテルに戻って荷物のパッキングである。しかし大変喜んで貰ったと思う。生徒の為に頑張って頂けることを確信したのである。


シャーリー先生とご主人

ジェーン夫妻は右側

朝4時45分に起床しシャワーを使って身支度、迎えの車に乗って1時間30分高速を飛ばしてオークランド国際空港にチェックインした。素晴らしいラウンジで朝食を摂りながらこのブログを書いている。ニュージーランド便りの最終便である。この地での初めての語学研修は見事に立ち上がった。大変嬉しいし正直一安心である。後は担当の教諭二人がしっかりと生徒の面倒を見てくれるだろう。一旦成田で入国し荷物を受け取ってから国内便で伊丹空港に戻ることになる。一仕事終えた感じで今僕はリラックスしているのである

2010年12月15日水曜日

12月15日(水)その2:語学研修二日目

語学研修二日目も順調にスタートした。誰一人休むものもなく体調も良いという。中には「眠たい」とか言う女子生徒もいたが大きな問題ではない。上手く離陸した。これなら明日校長は帰国できると安心したのである。授業が先生による講義と自学自習の組み合わせで午前中に90分が二コマある。結構集中しているので生徒はしんどそうであるがこれは仕方がない。



とにかく女子生徒が元気である。順応性は男子生徒どころではない。男は女に勝てないのはもう高校生くらいからその形が出来てくるのか。「頑張れ、男子!」と言いたいのである。休憩時間にバレーボールなどして息抜きしているが徐々にチームワークが出来ているのを感じる。しかしそのうちバレーも男子は外へ追い払われ女子生徒がリードしていた。校長は時々教室を覗いて生徒を激励する。




今日のランチは教室でとった。どのようなものを持ってくるのか校長には大いに関心がある。以下の写真、まずこれが標準的なランチボックスである。サンドイッチ2個にりんご、スナック菓子二袋といったところである。中にはりんごにバナナが付いているのが多い。かなりのボリュームである。 
ところが今日は珍しいものを見つけた。巻き寿司ロールというのか海苔巻きでファミリーのお母さんから「自分で巻いて」と言われて自分でやったという。「上手いね」と感心されたと言っていた。気を使ってくれているのである。有り難いことである。 
そうかと思えば次のようなものがあった。ご飯たっぷりに卵焼き、フライ、ハム、ざーさいが乗っている丼である。味は悪くは無かったらしいがご飯の量が多くて「先生、全部食べられなーい!」と言っていた。校長は折角作って貰ったのだから「全部残さず食べるのだよ」と言ったのである。 
本日の校外体験ツアーはハミルトン動物園であった。午前中クラスルームで動物の勉強をしておりそれをベースにガイドの案内で実地勉強なのである。途中で神戸国際高校の高校生と邂逅した。彼らもホームステイして今日は動物園だと言う。どの受け入れ先も考えることは同じなのかも知れない。


今回引率してくれているH先生である。この10月に下見にも来て貰って、現地の二人の先生ともすでに顔なじみとなっており、両者に信頼関係があるのを校長は感じている。大変結構なことでこの語学研修を最初から任せた先生であったが、校長の期待に応えて頑張ってくれている。17日からもう一人教員を増強するが二人にはホームステイ先にも顔を出して様子を伺うように指示したところである。

ジェーンさんとシャーリーさんの二人が校長に記念の品物をプレゼントしてくれた。ニュージーランドを表現してる焼き物のプレートである。壁掛けになる。恐縮してしまったが有り難く頂くことにした。校長としてはもう恐らく特段のことが無い限りこの地には来る事もなかろうと思うが、出来れば今後とも継続してお世話になりたいと校長は思っているが、いずれにしてもすべてが終わってから二人の教諭の意見や生徒の声を聞いて、総合的に評価して今後の方針を決めて行きたいと思っている。今晩は先方の諸先生方を招待しての校長による夕食会である。


12月15日(水)その1:英語というものを考える

 ここハミルトン市で滞在しているホテルでの一人夕食でサーブしてくれる女性に「この国は羊の数の方が人間より多いと聞くから、今晩はラム(羊肉)250グラムにするわ」と言ったらこのウエイターは「大笑い」した。僕は、見事に笑いを取ったのである。勿論言語は英語でなければならない。
12月14日の夕食で食べた羊のステーキ250グラム
最近副校長がしきりに言うことは先月11月の「海外修学旅行の成功は校長のお陰であった」と言うことである。実は今までオープンにして来なかったがパリで一人の生徒が発熱し急遽市内の大きな病院に入院させたのである。帰国前日のことであり結果的は一日遅れで第2班と一緒に帰れたのであるが、当初は悲劇的で数日経過観察が必要と言うのである。病院のドクターが頑として言うことを聞いてくれなかったのである。僕は病院に乗り込んでドクターと喧々諤々論争して「頼むから退院させて欲しい」と理屈を立てて、口角泡を飛ばしてお願いしたのであるが、何回頼んでも駄目だという。仕舞いには諦めて、もし駄目な時には校長はこの生徒に付き合って2ないし3日、場合によっては1週間くらい遅れて帰国することを覚悟したがもしそうなれば結果的に本校初の「海外修学旅行は失敗だったと副校長は言っているのである。この時も僕の英語がフル回転した。

僕は英語という言語が好きである。特に高校時代は嫌いな教科と言うものが無く、すべての教科がよく出来たと思うが特に英語が出来たと思う。確かに良く勉強した記憶がある。それは高校時代の英語の先生が可愛がってくれその分一生懸命になったのだと今分かる。人生の英語能力は高校時代に培われるというのが僕の意見である。確かに企業に入社して当時の事ゆえ、誰彼というわけにはいかなかったがニューヨークに駐在する幸運な経験が僕の英語能力を磨いたとは思うがすべての基礎は高校時代である言って間違いなかろう。それくらい高校英語は重要だと思っている。

だからであろう。日本を離れてここニュージーランドでたった一人考え、どうしてこの僕は海外修学旅行に拘ったり、海外語学研修に力を入れるのかという答えが見つかったのである。勿論背景には大阪府の橋下知事の進める改革で来年度から私立高校授業料無償化拡大の施策でますます特徴ある私学教育の発信の必要性の一つにこの語学研修が無いと言えば嘘になるが、それだけではないのである。英語を学ぶと言うことは単にしゃべると言うことだけではなくて僕流に言えば「積極人間」「物怖じしない人間作り」に一役買っていると考えているからである。

一昔前の僕らの世代には逆に英語をしゃべることがいけないようなムードがあったりしてぺらぺら英語をしゃべろうものなら尊敬どころが馬鹿にされるような雰囲気はなかったか。「英語など海外におれば赤ん坊までしゃべっているよ」とかなんとか言って自分がしゃべれないことを照れ隠しだろうが、平気で言っていた輩もさすがに今では自分の子どもに「英語くらいわなー」などとのたまっているのである。

自分も企業時代になまじっか英語がしゃべれたからだろうか、段々と敵が増えて言ったような気がする。そう思いたいのである。確かに日本では英語がぺらぺらしゃべれる社長は少ないのではないか。もっと言えば日本語でも余りしゃべらない、しゃべれない方が組織では偉くなっているのではないかと言えば又物議を醸すか。

通訳を立て、メモを見ながら外国の指導層と会談する管総理の姿は一抹の寂しさを多くの日本人が感じている。どの国であろうと、一国のトップは英語で外交の会談しているのである。英語がしゃべれて悪いはずがない。日本人だって英語が話せることが日本人ではないと言われるような雰囲気は廃れてきたと思う。多くの日本人が特に外国に対して慎重でありはっきりした態度を示せないのは英語力もその一因に入っているというのが僕の意見である。

21世紀を背負う若者に世界で渡り合っていく為にも最低限の英語力を高校時代に身に着けて欲しいのである。勿論誰もが組織のトップになったり外国と仕事をするということではないが、それでも英語を知ることを通じて日本人の存在を直接間接に伝えて欲しいのである。日本という国と日本人のアイデンティティを示して欲しいのである。そう意味からも英語を知ることは積極的人間を作ることになると僕は信じているのである。日本を日本人を知らしめるのである。

たった1週間程度の海外修学旅行で英語が上手くなるのか、たかが3週間程度の海外語学研修で英語が理解できるのかと言う人々は物事を真正面に考えず、はすかいに構えて口から先に批判ばかりする品の無い人間である。そういう人間は死んだ方が日本のためである。やらないよりやった方が良いのは当たり前である。それだけの効果はあるのである。

僕がこの学校の校長である限り海外修学旅行とこの語学研修は止めない。今後とも完成度を高めて行きたい。本校の売りの一つにしていきたいと考えているのである。大体修学旅行が学年の行事などととぼけたピント外れのことを言ってるから学校の行事は駄目なのである。教員は「単なる行事消化型人間」だと言われるようなことではいけない。学校行事をもっと大きく捉えて教育の大きな柱と考えねばならない。学校行事に学年行事などありえない。すべては学校、学校長行事なのである。それを成功に導くために教員は持ち場で力を発揮することが教師の仕事なのである。このことが分からないようでは教員を早く辞めたほうが学校のためである。

しかし語学研修と言っても実は大変なのである。今回の費用は生徒一人当たり312000円かかっている。全額保護者負担である。しかし考えてみるとこれは高くはないと思っている。往復の航空運賃と17日間に亘って朝、昼、夕の食事付きで寝具が容易されているのである。家庭には日本語のしゃべれる人間はおらず英語しか理解できないニュージーランドの家庭に単身乗り込むのである。生きていくためにはブロークンでも何でも英語を使わねば成らないのである。

31万円から航空機代を差っ引き、お世話になる中学校の校舎を借用する為に幾許かのかの寄付金を出し、二人の英語教師へのお礼と旅行エージェントの取り分、現地語学研修アレンジNPO法人の経費を引けばホームステイ先に渡せるものは一日4000円くらいではないか。それで3食付だから頭の下がる話だと僕は思うのである。ボランティア精神が無ければやってられないのではないか。このような精神構造は日本人には特に少ないと断定して良いと僕は思っている。これも英語が苦手から来る非積極的外交感覚なのである。残念なことである。平均的に日本人が英語と言う言語を真正面に捉えたらこの現象は変化してくるというのが僕の意見である。

2010年12月14日火曜日

12月14日(火)その2:研修開始

すべてが順調にスタートし安心したので校長は予定を一日早めて帰国することとした。元来そのようにしたかったのであるが木曜日には便そのものが無く金曜日しかNZからの飛行機が飛んでいなかったのである。年末を迎え色々と仕事もある。土曜日には中学校の入試説明会があってこれには間に合うように土曜の朝関空に着陸する予定の便であったが、急遽成田経由で木曜日の深夜に大阪に着くよう飛行機を変えたのである。入れ替わりにT教諭が17日に入ってくるから大丈夫と踏んだ。初めてのニュージーランド語学研修であったが生徒の安全は護れる研修と確信したので現地ではもう校長の仕事は無いのである。

語学研修は無事スタートした。生徒は誰一人欠席無くステイ先に送られて学校に集合だ。一人ひとりの顔を注意深く観察するがステイ先とのトラブルはなさそうで安心である。これが極めて重要であったが良いスタートだと思う。
まずジャクソン校長先生が心の篭った歓迎スピーチをして頂いたのである。通訳は平野先生が実施した。あらかじめ原稿を作っておりそれを読み上げる形で温かいご挨拶を頂いたのである。


これを受けて私から返礼の挨拶を行った。学校と先生方への感謝の言葉と指導を宜しくお願いしたい旨の内容であった。日本語通訳は自分で行った。又スピーチには生徒向けの言葉も入れた。締めくくりは「今この地で与えられているものすべてが君たちにとって最善のものであると考えよ」と述べたのである。我がままを出してはいけない。我慢も必要である。与えられて条件の中でベストを尽くし元気で日本に帰ってくるよう校長は英語で述べたのである。その後スタッフの紹介があり開校式は終了した。


30名の生徒を2班に分けて授業の開始だ。素晴らしい専門的なテキストが出来ておりホームワークも指定されている。ホームステイ先でゆっくりというわけにも行かないように出来ているのである。お世話になる二人の先生は公立中学校の専門の教諭であり夏休み期間中にこのように外国人向けの語学研修の教師を務めているのである。公的に許された仕組みである。その辺の語学学校の講師でないところが私には評価できるのである。授業は順調にスタートした。

午前の部が終わるとバスに乗って20分くらいのところにあるショッピングモールに出かける自由時間が設けられている。これも仕組まれた予定でありここで生徒は色々と学ぶのである。「国際理解が目的」であり教室で英語のスクーリングばかりでは国際理解とはいかない。「外に出て実際に英語を使えよ」ということである。ところで昼食はすべてステイ先が用意してくれたランチボックスであり学校からガイダンスが行っているからどの家庭も大きな違いは無い。サンドイッチ、スナック菓子、果物と大体同じであるが生徒の多くは「多すぎて食べられない」と言っていた。しかしステイファミリーも大変である。朝食、昼食、夕食を用意するのであるから話は簡単ではない。有り難いことである。

校長はホテル住まいだからランチボックスはないのでフードコートでジュースのみ買って生徒と一緒に食べたが確かに量が多いし品数も豊富である。それはタッパーウエアーが大きいだからである
疲れて一服

バスにて学校に戻る
学校に戻るとホームステイの方が車で迎えに来てくれて生徒は「バイバイ、シーユーツモロウ」とななんとか言って元気一杯帰って行った。大分英語が出て来るようになったのである

12月14日(火)その1:ハミルトン市内

今回の語学研修の場所はハミルトン市である。この国の4番目の大きな都市と言うが都市というには余りにも人が少ないのときらびやかさが無い町である。語学の研修には全く不足はないが考え方を変えねばならない。海外と言うと何か派手な都会を想像するが、違うのである。最も生徒はホームステイ先での生活だから市内中心部と言っても余り関係ない。教諭が作ってくれた資料がここにあるが生徒30人は市内のあちこちに分散している。
とにかく人が少ない。昼間と言っても通りを歩く人々は本当に少ないのである。中心部がこれであるから少し離れたところなら推して知るべしであろうか。

市内中心部、御堂筋といったところ

市内中心部のセントロ、月曜日の昼食時間帯であったが人は少ない。ただクリスマスを迎えるために大きなツリーが飾られていたのである。町の大きさにそぐわないほど大きいツリーであった。ただそれを見る人はほとんどいなかったのである
夜になるとイルミネーションで光っているが昼間に増して全く人はいないのである。それは夕方5時30分で大体どのお店も閉店となるから人などいないのである。ただツリーがきらびやかに光を放っているだけなのである。しかしこういう生活は悪くないと思った。大阪の御堂筋や心斎橋も夕方6時で閉まったら一体大阪の街はどうなるであろうか。
市内中心部セントロ


校長の部屋から見るセントロのクリスマスツリー

ハミルトン市の御堂筋

ホテルでの朝食、他に客はいなかった

2010年12月13日月曜日

12月13日(月)ニュージーランド到着

日本時間の13日午前1時30分、現地時間の5時30分に無事にオークランド国際空港にランディング。エージェントの出迎えを受けてすぐに南に120キロ、ハミルトン市向かった。人間の数よりか家畜の数の方が多いお国柄だから途中は牛や羊の牧場ばかりである。広大である。

ホテルは市内の中心部にあり立派なホテルであった。飛行機で眠れなかったからすぐベッドにもぐりこみ正午近くまで眠り体調を整えたのである。軽い昼食をホテルで済ませお世話になる学校にタクシーで向かった。


中心部からは外れているが閑静な住宅街を抜けると夏休み中の中学校があった。此処で3週間お世話になるのである。校長先生や担当の先生と早速打ち解け話が弾んだ。水曜日に夕食にご招待することとしたのである。生徒のためである。校長は校長で様々に気を配らねばならない。

3時45分予定通り生徒は元気に到着。長いフライトだったから心配したが杞憂に終わった。誰一人体調を崩すことなく到着してくれた。安心である。


後は生徒をホームステイ先に引き渡さねばならない。どのような人々か校長としては気になるがいずれも慣れている感じで安心したのである。後は生徒が頑張ってくれなければならない。他人の家にお世話になるのである。口を酸っぱくして指導してきたが生徒はピースサイインなどして元気一杯に家族に連れられて学校を後にしていった。結構英語をしゃべっていて校長は立派だと喜んだのである。「中々やるわい」と言ったところである最後の生徒を引き渡して校長は一人でホテルに引き上げた。担当のH教諭は生徒と同じくホームステイ先があるが校長は一人で晩飯である。明日は開校式となる。無事にスタートできそうで本当に安心したのである。