2011年8月21日日曜日

23年8月21日(日)今日は中学生クラブ体験入学の日







・ 私は基本的に「学校は外部に如何に解放、開放していくべきか」が問われていると常々考えている。社会の人々は学校の事を良く知っていると思われているが私に言わせればそれは狭い範囲でしかない。自分の学校時代の経験や自分の子どもの通う、通った「経験側」が見方を支配している。

・ 「学校の塀の中」は見えているようで案外見えていないのである。学校と言うのは極めて複雑怪奇とは言わないが複合化した「人間集団の煮詰まった鍋」みたいなもので学校を理解することはそれほど簡単ではない。
・ テレビなどメディアで学校問題を「さも分かったようにコメントする教育評論家」などの話を、我々は時々話題にするが多くの教員は「ウーン」とか言って深く言及しない。むしろ無視に近い。心の中では「少し、違うなー、言っても仕方が無い」と思っているのだろう。
・ 学校の教員は甲子園の野球監督の先生を除いて「メディアへの露出」を嫌がる。要は目立つことから基本的に我が身を避けようとする性癖がある。これに習って私のスタイルも変化してきた。私も今や学校の教員と同じくメディアへの露出を避けるようにしている。一つは面倒くさくなってきたのである。

・ しかし私立学校の責任者として、この姿勢だけでは駄目なのであって、外部に対して学校の事を「トップ自ら発信」しなければならない。特に私立学校には尚更求められているポイントである。「来る客は拒まず」「学校での入試説明会」は100%参加し「自らの顔を晒し」、自らの言葉で「浪速を語る」ようにしてきた。「校長ブログ」もその目的からである。
・ 何を教育の柱にしているのか、その学校の校長は一体どのような人か分からないようでは保護者はその学校を信頼してくれないだろう。ここ10年「学校改革」が進むにつれて益々その傾向は強くなった。「時代はトップは誰か?」ということなのである。
・ 可哀想なのは公立学校の校長だ。教育委員会は基本的に一校長の言動をまず規制範囲に閉じ込めようとする。「まず横並び」「突出を避ける」というのが行政施策の宿命みたいなものだからである。
・ 最近では少し状況が変りつつあるがそれでも「法的根拠」がそうなのだから仕方が無い面もある。「橋下知事の苛立ち」の原因はそこにある。だから「教育基本条例の制定」などに発想が行くのだ。

・ 私立学校が横並び、内向きであったら誰も入学者は来てくれない。「差別化」「付加価値」を詠い叫び、外部に発信してようやく「勝負土俵に上がれる」のであって公立高校みたいに「規制で持っている」という訳にはいかないからだ。「私立は何でもありの精神で生徒・保護者・教職員一体の連合軍が必要」なのである。

・ 私は何時も職員会議で教職員に強く言っているのはこの点だ。「最も強い宣伝媒体は現実に本校で学んでいる生徒群」である。これらの生徒が浪速教育の実践効果を上げておれば生徒は集まってくる。事務の受付や電話の応対一本で学校の評判は上がる。

・ さて8月も終わりつつある。来週から正式な授業が始まる。そして今日は中学3年生対象の「クラブ活動体験入学の日」である。これは9月から始まる本格的入試説明会の前哨戦と言うべきものであり、学校としては重要なものである。

・ 本校は7月24日と8月21日の2回に分けて実施している。特に人数も多いのは2回目となる今日の体験日であった。今年は「浪速武道館」が完成し昨年には「ふくろうスタジアム」が竣工している。「道具立て」は揃った。

・ 加えて他校には多くはない「人工芝のテニスコートが3面」ある校内第グラウンドがある。そして比較的余裕の出てきた「大きな体育館」がある。体育館と言えばこの夏休みに某大手塾に会場として貸与した。

・ 何と2100名を超える中学生が会場一杯に満々となりその熱気はすごいものだったという。これも開放政策の一環だ。このようにして浪速の関心の火でも灯れば嬉しい話である。
・ 今日のクラブ体験で言えば過去最高の人数が集まってくれた。特記はとにかく「弓道人気」がすごい。7月も人を集め、今日も硬式野球を除けばトップの人気クラブといえる。確かにあの素晴らしい剣道場「玄武館」を見れば中学3年生は惹かれるだろう。

・ 相変わらず硬式野球人気は高いが今年の甲子園予選みたいに一回戦で敗退するようでは人気が落ちる。ふくろうスタジアムを作ったのだ。これを武器に才能ある野球少年を集めねばならない。サッカー部、バスケットもバレーも陸上ももっと頑張って欲しい。

・ 例年なのだが今年もその傾向だ。「卓球部」の人気が底堅い。これは私の認識を改めるものであった。反省だ。間違いなく指導者である社会の教諭のH先生の力量があってものだと確認した。卓球部に支援をしていきたい。
・ 文化系で言えば茶道部の体験入学が2名居たがこれはこれからのクラブだ。入学してくれれば「お道具」を渡して茶道部に入部させる自信は私にはある。現に今や50人を超える大クラブとなっている。雅楽も今の段階では少なくても構わない。問題は入学してからの話だ。

・ 「吹奏楽部」は強化して4年目となった。実力は上がってきているがまだまだらしい。私は大変良いと思っているのだが金賞が取れない。顧問の先生に言っているのだ。府内の実力者や有力者の傘下に入らないと「田舎の方でチョコチョコ」していても駄目なのではないかと。

・ 随分お金を遣ってきているのに難しいものだ。今年から中学校吹奏楽界にも影響力のある外部指導者の指導を仰ぐようにしたが早く効果の出るのを期待しようと思う。顧問の先生は後一歩と言っていたが、まあもう少し気長に待とう。まだ5年目だから焦る必要はないか。
・ 今年の特徴は「軽音楽」の数がある程度まとまったことだ。私は新しく完成した部室に二部屋ぶち抜きの「完全遮音の軽音楽室」を作った。これを見れば喜んで呉れるだろう。私みたいに演歌のおっさんでは今の子どもたちの好きな、分けの分からない音楽は理解出来ない。生徒が好きなのだから仕方が無い。軽音楽もクラブである。
・ 今日は私自ら全ての会場を見て回ることにした。幸い雨は本降りとならず助かった。中学生もその保護者もしっかりと楽しんでおられた。入試広報室やクラブ指導の先生方の献身的業務執行に頭が下がる。9月以降の入試説明会では私も前面に出て頑張らねばならない。「やるぞ!」と徐々に気力を高めているのである。


2011年8月20日土曜日

23年8月20日(土)歴史その22「御陵参拝」







・ ブログ「本校の歴史:20」において「伊勢修養学舎の歴史」、ブログ21において「学院神社の栄枯盛衰」について記した。特にこの二つについては反響も大きかった。自分でも力を入れて書いたもので、受け止めて貰えればこれほど嬉しいことはない。
・ 又ボツボツ本校の歴史探索を再開したいと思う。このテーマで書くときは結構気を使い時間もかかるのである。間違ってはならないからだ。従って連続では書けないから間が空くのである。

・ これらのブログは本校で働いてくれる教職員のために書いているのであるが、ある学年主任の先生は学院神社の栄枯盛衰に感動したと言ってくれていた。「案外自分は勤務している学校の歴史を知らなかった」とも言っていた。素直な感覚で実に宜しい。

・ 私はその内にこの「本校の歴史シリーズ」を本校の「教職員必読の書」にすべく小冊子にまとめ来年度からスタートする「新校舎建設と同時進行で進む90年史の編纂」の複線本とすることを考えている。

・ 自分の勤めている学校の歴史を是非深く知って欲しいのだ。そうすれば「いい加減なことは出来なくなる」だろうというのが私の思いである。それが「歴史に学ぶ」ということだ。「先人の努力に思いを致し新たなる道を切り開くのが今に生きている我々の仕事であり、責務」だ。


・ さて今回は「御陵参拝」について述べることと致したい。「神道教育の歴史」については又別途のブログにおいて述べる。私は卒業アルバムの末尾にある「学年史」を読み進めているうちにある事にすぐ気づいた。それは学校行事としての「御陵参拝」である。
・ 神社神道の学校として設立された本校の設置者は大阪府神社界の人々によって構成された財団法人大阪国学院である。それにすでに詳述しているが大阪府の行政当局も深く関っていた。財団の理事長は大阪府の行政幹部が兼務していたくらいである。

・ 従って設立以来「建学の精神」は極めて明確であり、一言で言えば「浄明正直」「敬神崇祖」という神社界の根本義がそのまま「校是」になっている。大正12年に設立され翌年には初めての「伊勢大廟」参拝が始まった。これらのことは歴史20号に書いた。伊勢参拝以外に「神道教育に関る学校行事」は一体どのようなものがあったのだろうか。


・ 私は例によってアルバム最後の学年史から丹念に学校の動きを探っていった。その結果一つの特徴があることに気づいたのである。それは定期的に「御陵参拝」と言う行事であった。この時私は「なるほど」と得心すると同時に大いに感心したのである。

・ 例えば大正12年入学、昭和3年卒業の一期生の場合、3学年になった6月30日「御陵参拝応神天皇御陵方面」、9月30日「桃山御陵参拝」とある。4学年になると7月2日「御陵参拝京都東山方面」、9月30日「御陵参拝京都嵯峨野方面」と言う具合である。5学年になっても昭和2年のことであるが6月23日「御陵参拝神武帝稜」である。

・ 昭和4年卒業の二期生についても上記と同じようなタイミングで御陵参拝を行っている。中には日にちが数日異なったりしているがそれは時には学年単位での行動ということだろう。二期生が5学年になった時は昭和3年6月13日「醍醐方面の御陵参拝」、10月6日「奈良県三輪方面御陵参拝」とあった。
・ この御陵参拝のことが40年史「浪速高校40年」の中に記載されている。昭和38年6月29日に本校会議室で「座談会」が行われ、卒業生として6期生の木村さんと当時の本校理科の教諭であった加賀山先生(旧制中学13期生)が次のように述べられている。

  木村:思い出も多く、各春秋2回に御陵の参拝に行き、不参加ですと操行を「乙にする」というほど厳格なものでした。当時は軍事教練がうるさい時代でゲートルをつけ、かばんを肩に掛け、弁当持参で行きました。

 加賀山:其の事につき私は今、木村さんが言われたように春秋2回の遠足には御陵参拝をしましたが、戦後型が変わりまして1年生は伊勢の修養学舎で「みそぎ」を行いまして心身を清め同時に学校では各学年神道という学科を教えています。私達生徒のころは春秋2回の御陵参拝により一斉参拝等色々な作法を習いました。

・ 私は以上の記事を読んで「遠足として御陵参拝」を入れた当時の管理職や教員の考えに感心し感動している。日本の「格好の歴史教育」になっているではないか。今や遠足という言葉は「校外学習」という言葉に変えられ、「生徒に媚を売っている」としか考えられないような行き先になっているところもある。

・ 神戸のチャイナタウンにおいて校外学習というが何を生徒に与えようとしているのか私には分からない。「神社神道の学校として校外学習は如何にあるべきか」を一度検討する必要を私は常々感じていただけに「御陵参拝」は「胸にストーン」と落ちたのである。

・ 一日の校外学習といえども其処にはある程度の思想や哲学があってしかるべきであると私は考える。「御陵」や「近隣の神社」を参拝することは本校にとって十分に意味あることであると私は考えるのだ。


・ 勿論「現代に生きる今日的生徒」に御陵参拝は厳しいかもしれない。それは分かる。しかしだ。毎回毎回新しい行き先を考えては「教員が下見」をし、生徒を連れて行くやり方もボツボツ見直しても良い時期ではないか。
・ 高校1年、2年は年に2回、3年生は春のみの校外学習の機会であるが、卒業までに5回も機会がある。そのうち1,2回は御陵参拝と大きな神社を参拝する遠足にしても悪いことではなかろう。

・ 私は遠足と言う校外学習を新しい時代に合わせるべく、又本校のアイデンティティに少しでも合致させるべく見直しの思いを強くしているのである。是非教職員の理解と強力を得たい。まず高校と中学の管理職並びに学年主任に答申させようと思う。

・ そういう観点から昨年初めて「山の辺の道」を歩く「耐寒行事」を始めた。三輪神社から石上神宮までの14キロを踏破するのである。ここは日本最古の古道であり、歴代天皇の御陵や古墳が多くなる。古代史の格好の勉強の対象である。
・ 「温故知新」とはこういうことではないか。まず歴史を知ることが重要だ。今神社仏閣は「パワースポット」として若者に人気の場所であるという。今から90年近く前の本校の先生方は「御陵参拝」という素晴らしいアイデアを実践しているのである。我々はこれを「蔵出し」して再構築しなければならない。

2011年8月19日金曜日

23年8月19日(金)国際理解ということ







・ 円高傾向が止まらない。このまま行けば1ドル50円と言う時代も冗談ではなくて見え始めてきたと言ったら経済評論家から笑われるだろうがそのように思えてならない。10年、15年昔は「デノミ」という言葉が盛んに流布していたが今で誰もそのようなことを言わなくなった。
・ 1人で円高になっていくのだから仕方が無い。最も今の円高はアメリカ経済、欧州経済の影響を受けた「円の独歩高」だから円の実力そのものが強くなっているわけではない。世界経済のトリック、マジックみたいなもので、円が強いからと言って日本人が自信をもてるような代物ではない。

・ しかし世界の人々はまだ日本の力を信じているというか、日本しかないと言うか、その点では少しくらい誇っても良いのかなと個人的には思っている。本当に駄目だったら日本に世界のお金が来る訳がない。

・ 昔ニューヨークに駐在していたときに例の「プラザー合意」がNYのプラザホテルであって、その前の250円前後から一挙に円は強くなっていった。今や1ドル70円台なのだから私の感覚では夢幻のような気がする。

・ しかし日本はまだまだ強い立派な国である。大震災で日本の中枢機能が全く役に立たないと言うことは分かったが、東北地方の人々が有しているあの大きな心や粘り強さは世界にはない。あれが元々の日本人のDNAなのである。

・ 最近の新聞紙上の週刊誌広告宣伝に「こいつらが総理かよ!」と言う見出しで民主党政権を皮肉っていたが、正直そのような気がする。政治の仕組みがそうなっているのだから仕方が無いのだが本当に日本の政治は「度し難い」。

・ 当に日本の政治と中央省庁の機能不全が問われているのだが、行き着くとこまで行かないとこの国の政治は矯正出来ないのではないか。中央政治に期待しても駄目だ。橋下知事あたりを総理にしなければこの閉塞した状況をブレークスルー出来ないのではないか。

・ 確かに石原慎太郎都知事が放った戦後の日本人の「我欲と天罰」発言の趣旨は分かるがまだまだ日本人は素晴らしい。システムが機能しなくなっているのであって日本人の根本が駄目になってきているのではないと私は信じている。

・ とにかく円高になるということは国際化が益々進むと言うことだ。今後10年で日本の企業はドンドン海外に立地していくのではないか。国内産業の空洞化が進むと言っても最早この流れを止める術はない。

・ 江戸時代でもあるまいから今更「鎖国政策」は取れないし、他国と共存して行かねば生きてはいけない。私は「共存」とはまず競争してお互いに良いところを交換することだと思っている。

・ 逆に円高なのだから「海外に出て行け」と私は言いたい。日本に閉じこもってばかりでは駄目だ。強い円を持って海外に行けば良い。世界を舞台に考えると大学生の就職難も解決する。狭い日本ばかりに目をやるからせせこましくなるのだ。

・ しかしここで考えねばならない重要な視点が一つある。まず「自国の国土と文化と言語を大切にする」ことがまず「グロバリゼーションの始め」であることを理解しなければならない。単なる「洋風かぶれ」ではいけないのだ。もっともっと日本の歴史を大切にしなければならない。

・ 日本人はどうも自国の歴史をすべて「自虐的にみる性癖」があるように思えてならない。古事記・日本書紀からの歴史をまず真正面から受け止め、それをベースに他国の文化を理解することが重要である。したがって「学校の教育が最も重要」なのである。

・ ところが特に問題なのは「近現代史を教えていない」ことだ。これでは世界に出て行っても「国際理解」などチンプンカンプンであろう。流石に東京都は近代史現代史を必修科目にしたがまさしく今教育の分野で出来うる最低限必要なことだ。

・ 私は校長になって9年目となるが今日的生徒を眺めていて何時も気になることはこのことである。少なくとも明治維新から先の世界大戦の敗戦、そして戦後66年の日本の歩みをもっともっと生徒に教えていかねばならないと痛感している。彼らは全く知らない。正直言って保護者も余りご存じない。

・ 日本の社会科の教育は戦後この点を完全に無視してきた。そして12歳から18歳までの子どもに歴史の刷り込みを意図的に避けてきたのだ。ここが戦後教育の最大の問題だと最近はつくづく感じる。

・ これでは幾ら英語を習っても意味はないのではないか。英語を学ぶ目的は外国人とコミニュケーションし外国の書物を読めるようになることである。その時の会話力や読解力は恐らく「全てが歴史に立脚」したものである。相手自体がそうであるから我々もその基点に立たねばならない。

・ それで初めて国際理解が進むのであって自国のことを何も知らずに国際理解もあるまい。小学校から英語を教えるということに反対はしないが私なら「地歴・公民」をもっともっと教えて行きたいと思う。

・ まず私は中学校の社会科の教科書を育鵬社のものに変えた。次は高校生への機会を窺っている。そして高校生になったら近現代史を整理して教員が「唾を飛ばして」教えて欲しいのだ。英語はその次のような気がすると言ったら、英語科の先生は落胆するであろうか。

・ さりながら一私立学校の校長では出来る範囲は狭まれている。それだけに私の代で極力私の裁量で出来る範囲で生徒や教職員に「海外に触れる機会」を設ける努力をしている。言って見れば同時並行で進めているのである。

・ 昨年度から始めた「海外修学旅行」もその趣旨からである。北海道、沖縄方面も悪くないが前述したように円高である。機会が到来したと思ったのだ。中には最早海外に出かける機会のない人生を送るかも知れない生徒に多感な高校時代に海外に触れさせてやりたい。その経験は「その後の彼らの人生に何がしかの自信を与える」ものと確信したからこそ踏み切ったのである。

・ 又昨年から再開した「海外語学研修」も遂に今年は本家本元の英国はロンドン郊外の語学学校に派遣することを決めた。これらの生徒は将来海外の大学や企業にて働きたいという高い志を有した生徒たちである。教員をこの夏下見に行かせたが中々期待が持てそうである。

・ それ以外に今年の夏は数件のグループを海外に出した。「アメリカンフットボールの選手を2名アメリカに遠征」させた。何と海外の新聞の一面に大きくクローズアップされた。この生徒は極めて前向きな国際理解が進んだであろう。

・ 奉仕委員会のメンバーをマレーシアに出したが生徒は食事とトイレに困ったとの報告を受けたがそれも国際理解の一つである。又空手道国際大会で中国に出した生徒は中国と言う国を詳しくは分からずとも肌で何かを感じたに違いない。

・ 私は今東京の機関を通じて「留学生の受け入れ」の手を上げている。この住吉に拠点を持つ本校に留学生が闊歩し本校の生徒と談笑している姿を想像しているだけで楽しくなる。今や時代はそのように流れていると私は先見しているのだ。

・ 保護者の中には例え我が子が本校を卒業していても留学生を受け入れますよと言ってくれる人は多い。ホームステイさせればそれだけ効果が大きい。勿論自校で「寄宿舎の保有」も既に考えている。

・ 2学期から新しく英語教育の為にネイティブな教師を受け入れることを決めて、本日初めて面談した。アメリカはテネシー州のメンフィス生まれのバリバリの教師である。この先生の教育で何かを生徒たちは掴んでくれるだろう。これも又国際理解である。


2011年8月18日木曜日

23年8月18日(木)次の理事長



・ 「学校の校長」というものになって9年目である。55歳で企業人から転身して10年が経ち65歳になった。敬愛してやまない亡き父親が現役を退いた年である63歳までは絶対に頑張ると心に誓っていたが既にその年も過ぎ去った。
・ 自分は「何時まで現役でおられるのか」という問いかけは私には当たらない。言い方としては「何時まで現役でいるのか」といった方が適切である。即ち今の私は「引退の時期は自分で決められる」という状態にあるのである。
・ しかし私の辞め方は難しい。職位が理事長・校長だから余計に難しい。又理事長と言っても「オーナー系理事長」ではないから自分の子息や親戚縁者にバトンタッチするというスタイルの学校ではないから簡単ではないのだ。
・ もし私がこの学校のオーナーで息子に専務理事や常務理事でもさせており、ボツボツ息子に譲るかとなるのが最も簡単である。このような学校は多い。息子だけではなくて最近では娘も多くなってきた。
・ 大体実質的オーナーというべき大阪府神社庁自体が公益法人であるから本校は「家業としての私立学校ではない」。本法人は代々大阪府神社庁の庁長が理事長に就任していた。しかし実態としては校長以下の学校管理職が校務と経営(?)を仕切っていた学校であった。
・ 多くの理事者や評議員は神社界出身者で占められているがこの人々に対しての報酬はゼロであり創立当初から「無報酬」であることが本校の特色で、このことは今でも続いている。この報酬ゼロというのが実は問題が多い。
・ 神社界以外の最初の理事長が私であり、報酬を得る理事長も私が最初であった。言ってみればプロの仕事師であり「改革請負人」であったのである。大阪府の規制で報酬は減少したが安い給料で仕事をする気にはならない。野球でも何でもプロの仕事と報酬とはそういうものだ。

・ 次の理事長は私の考えとしては絶対に大阪府神社界に「大政奉還」したいと念願しているし、そのように神社界の幹部諸氏にはかねてから申し上げてきている。今「ブログで本校の歴史」を書いているが創立からの神社界のご苦労を思えば、「何処の馬の骨か分からない人」に経営権を渡す気にはならない。
・ 当然のことながら次の理事長は理事会で決定することになるが、現理事長としてはその候補者選定に大きく影響力を有していると思っている。即ち何方を選任するのかと言う大きな命題である。
・ 企業でも行政の首長でも現役の当事者の意見は大きい。実際企業の社長は現在の社長が次を指名してそれを取締役会にかける。大阪府の橋下知事も次の知事選定には大きな影響力を発揮するだろう。
・ しかし私の次の理事長は神社界に大政奉還するのだから、まずステップとして理事に就任して貰わねばならない。理事長は理事から選任すると言うのが本校の「寄付行為」の決まりであり、その人材を予め理事者に就任して貰って「学校経理」「学校経営」「校務運営」「人事諸施策」「教育法令」等について学習して貰わねばならない。
・ 理事長の業務は片手間で出来るようなものではない。順風満帆のときならまだしも現在のように次から次と事態が変っていく教育界であればこそ「感性鋭く」事態を見詰め、「タイムリーに対応策」を打てる人でなければ「やってはいけない。」
・ このやってはいけないというのは「理事長をやっても上手く行くはずがない」ということと「たとえやっても船を沈没せしめかねない」ということである。私が5年かけて「学校を変えた」。このことは神社界全ての人が認めて頂いている。
・ 私が唯一心配していることは変えた学校が「元のもくあみ」になってしまうことである。確かに教職員団体に属する教員は殆ど居なくなり、過激な言動を繰り返す教員も今では居ない。落ち着いた学校になった。
・ しかし経営の舵取りによってはこのようなことは直ぐに復活するものである。こうなってはならないと言う強い思いだけがますます募る。折角苦労して改革を進め、新校舎まで作り、人も建物も変えたのに「あっ」という間に「先祖がえり」して貰っては困るのである。
・ この5年間、継続して共に戦ってきた神社界の同志で理事長候補者は現理事者の中で3名いる。一人は大阪天満宮宮司で名誉理事長の寺井先生だ。しかし寺井先生は私より15歳も年が上で又東京の神社本庁常務理事の重職でもあり、「後をお願いします」と言うわけには行かないし、ご本人もその気はさらさらないと常々おっしゃっている。
・ 次は理事長職務代理の道明寺天満宮宮司である南坊城先生であるがこの先生も私より三つ年上で私があと5年理事長をやったとしたら73歳になってしまう。私としてはこの方に次をお願いしたいのだがご本人は強く敬遠されている。
・ 3人目の同志は茨木神社の宮司さんで改革着手以来共に戦ってきた同志であるし私より4歳年下であるから格好の人材である。処がこの方も敬遠されているというより逃げ回っている感じだ。3人とも人格高潔で素晴しい人々であり、私は尊敬している。
・ しかし現役の宮司さんが理事長と言うのは実は大変なのである。宮司と言うのは実は大変なお忙しいお仕事で社頭の維持保存は当然であり、何しろ「祭祀」を司る仕事と言うのは傍で見ていても神経の使う仕事であって、当然学校業務より優先される事態というのは有り得る。
・ 結局私の強い願望である理事長職を神社界に大政奉還するには「兼務理事長」というスタイルにならざるを得ないのである。即ち神社の宮司さんを務められながら本学院の理事長に就任するのである。
・ これだと私のように朝6時40分には学校に来ているということは出来ないし1年と通じて学校への出勤率が99%ということは無理である。神社の朝のお勤め、例祭など身動きが取れないからである。
・ しかしこのスタイルが全く無いと言うことではない。結構の数で理事長職が他の仕事との兼務職であるという例は多い。しかしだ。私が知る限りにおいてこのような私立学校は経営が順調とは言い難い。学校名を直ぐ挙げることは出来るが止めておこう。対組合のとの関係、暴走する学校管理職との関係など問題は多い。
・ 実はこの点こそ私が思い悩むことなのである。「時々学校に来る」というより「学校に顔を見せる」ということでは責任ある仕事は出来ない。しかし本校のように実質神社界の学校と言うことであればこのスタイルを受け入れざるを得ないのである。
・ そういう観点から私が今思い描いている構図は「卓越した技量のある校長」を招聘するか育成するしか方法は無いのである。この校長と神社界からの理事長とが「一糸乱れぬ結束」で学校を仕切ってくれれば理想的である。
・ しかし言うは易くであってことはそう簡単ではない。時々来る理事長と経営権のない校長がタッグを組んで果たして上手く行くものであろうか。実は本校ではこの形が過去に大きな病理と疲弊をもたらしてきたからである。
・ 今いる教職員がこのことを一番知っているのではないか。教職員にとって現在は私が居るから、幾ら厳しくとも安心して黙ってついて来てくれている。しかし私が居なくなった後の体制は「彼らにとっても人事(ひとごと)ではない話」なのである。
・ それらを思えば私は「見事なバトンタッチ」を教職員の為にもやらねばならないのであり、頭を悩ますのである。内外から校長候補者を早く指名し、私の手で徹底的に鍛えていかねばならない。新校舎建設と同時に私がやらねばならない最重要な仕事かも知れない。素晴しい校長後継者を作ることは私の責務である。




2011年8月17日水曜日

23年8月17日(水)後半戦始動













・ 「後半戦始動」である。多くの教職員は特に蒸し暑い今年の大阪故にもっとゆっくりとしたい気持ちは正直有るだろうが、2学期の業務は丁度今から始めて丁度良いタイミングとなる。そう言う意味で出張や公務を除いて全員が勢ぞろいしたのは素晴らしい。
・ 昔は9月の始業式まで顔を出さない人も居たというが、今ではそういう人間はいなくなった。新しい節目のスタートの時であるから全員が揃って職員会議に出席して2学期の課題を理事長からしっかりと聞くと言う行為が重要なのである。
・ 確かに有給休暇は権利としてあるのだから今日も休んでも良いのだが昨日まで2週間休みはあったのだから、ぼつぼつエンジンをかけて回転数を上げて欲しい。特に本校は私立学校だから全てを自前で処理する必要があり「ゆくっり、ゆったり」という訳にはいかない。
・ 「先んずれば制す」、これは私立学校の宿命みたいなものだ。真夏の8月3日から昨日まで「夏季リフレッシュ休暇」として比較的長い休暇を「変形労働制として導入」してきており、私は教職員にとって大変良いことをしたと今でも思っている。
・ 最も部活動の合宿や海外出張などが入っている教員もいるが今の時代全員が足並みを揃えるということは不可能に近い。「全体最適」をまず考え、その後「個別最適」とするのが順序というものだ。
・ 約2週間の連続休暇だから何かをしようと思えば出来たはずである。特に今年は節電が叫ばれていただけにこの休暇は効果的であった。しかし昨日で夏休みは終了である。来週からは「正式な授業も始まる」。全学年だからこれは評価出来うる話しである。

・ 朝から分刻みで予定が入っている。「教員からの報告が主体」である。幸いなことに生徒も誰一人事故などなく保護者のご不幸なども無かった。教員も全員が元気な顔を揃えてくれて私は大変嬉しかった。
・ 管理職朝会では例によって大阪府の動きから話題が始まる。2学期から始まる「府内の高校への転学」が今日の話題となった。一言で言えば「転学は何でもありの規制緩和」となったということだ。
・ 公立から公立、公立から私立、私立から公立、私立から私立へと「すべてクロスで双方向が可能」となった。名目は「進路の完全自由化」である。府教委のホームページに各高校単位に募集状況が発表されている。
・ 基本的には異議は無い。行きたいところへ行ける制度上の自由さはあっても良いが実際にこの制度が大きな意義を生むものかどうか暫くしての検証が必要だろう。これよりも私には府教委が発表するという11月の「各府立高校の24年度入試の募集定員」の方が気にかかる。

・ 9時30分から拡大校務運営委員会。10時30分から職員会議。13時30分から来年度入試の問題作成が一部の教員の手によって高校、中学それぞれの手で始まった。問題作成メンバーはすでに発表している。
・ 私は校務運営委員会と職員会議において2学期の業務のポイントを纏めて話をした。大きく分けて言えば次のようなものだ。
* 理事長は理事長の仕事をする。運営委員会のメンバーの先生はその立場での仕事をして欲しい。一般教員はそれぞれの足場を固めて欲しい。それぞれが必死になって自分の仕事をすることが組織の力である。
* 当然校務運営委員会のメンバーの足元は一担任の先生よりは大きい。当然である。従って私は運営委員会のメンバーには担任手当ての3倍の手当てを支払っている。言ってみれば「差す傘の大きさの違い」である。
* 私が差す傘は最も大きい。学校全体をカバーする大きさの傘を差しているのだ。ただ理事長・校長は教員と同じ仕事などするはずもないしその気もない。私は私しか出来ない仕事を責任を持って行う。そのことが浪速を守り発展させることに繋がる。理事長が教員目線で仕事などしている学校はすぐに終わってしまうだろう。
* 学校に来て授業をすることは仕事ではあるがそれだけでは学校は成り立たない。自分は何でもってこの学校に貢献できるのか「プラスアルファ」が求められる。担任、分掌、部活動等、切り口が多くある中で自分の能力特徴を出して欲しい。
* 組織においてはまず組織目標が重要であり、その為には「報告、連絡、相談」、即ち「ほうれん草(報連相)」が重要である。これがコミニュケーションの根幹をなすと私は強調した。そして「挨拶、礼儀、礼節」が人間としての大人としての根本儀であるとも話した。
* 2学期の大きな主題は9月の浪速祭、10月の「洗心亭」茶席開き、3年生の進路対策、入試広報活動、11月海外修学旅行、12月ロンドン語学研修であるが、最大の仕事は「新校舎建設への火蓋を切る」ことである。これはまさしく私の仕事である。
* 部室、カフェテラス新築工事、保健室の移転工事、部室更衣室の移転工事が完了したら即刻「既存建物を解体」することも話した。そして年内には「新校舎の種地」が出来るだろうとも話したのである。
・ 今までの4年間でやってきたことの数倍も難しいことを3年でやらねばならず浪速で勤務する教職員が一致協力してそれぞれの持ち場で全力投球することが、この迷路みたいな道を間違わずに進むコツだと私は強調した。
・ 最後に私は12月の賞与と年末年始の休みを楽しみに次の4ヶ月間頑張って欲しいと申し述べた。今年を良い年度にするためにもこの2学期は極めて重要であり、心を一つにして頑張って行こうと結んだのである。


・ しかしまだまだどうしようもない教員も要る。8月初旬、生徒を連れて海外出張に出かける前に挨拶も無ければ本日の段階でも出張報告がまとめられていないのだ。この教員は「10分前出勤の常習教員」で過去2回も指導をしたが、どうしてもこのように「ボケ」ている。全くもって言葉もない。
・ このような教員を見ると私はどうしようもなく疲れる。しかし諦めるわけには行かない。清濁合わせ飲んで組織をまとめて行くのは正直しんどい。「社会の常識は教員の非常識、教員の常識は社会の非常識」というがこういう人間がそのような風評を流しているということだ。しかし諦めずに後半戦も頑張って行きたい。












2011年8月2日火曜日

23年8月2日(火)前半戦終了 しばしの小休止









多聞中学2年生閉講式



多聞中学3年生開講式

・ 府内高校空手道選手権で何時もしのぎを削っている東大阪柏原高校が劇的な勝利で甲子園へのキップを手にした。初出場である。大阪桐蔭を破っての快挙だ。心からお祝いを申し上げ甲子園でのご活躍を祈念申し上げたい。
・ そしてタイミングを合わせたように日経に記事が出ていた。「甲子園は誰のため」「私学一流集めに奔走」の見出しである。記事の中味は学年5名まで許される「野球特待生」についてである。
・ 2007年大きな社会問題となった特待生制度は「行き過ぎの是正」目的で学年5名までとの縛りを入れた。このようにして特待生を入れた高校は全国で434校という。これは2年前から更に28校増えて全国の私立高校に約2000名の計算になる。ちなみに本校では「ゼロ」である。
・ しかしこの制度も今や親の経済状態や学業成績では普通の入学が出来る訳で野球特待生扱いとはならないから言ってみれば「抜け道の多い制度」だと批判する人もいる。しかし記事にもあったが「それは私学の裁量」であり「私学の甲斐性」だ。何をか言わんやであろう。

・ 甲子園は高校球児のためにあり外部がごちゃごちゃ言う必要は無い。行きたい学校に行けば良いのであってそこに規制をかけるのは基本的に間違っていると言うのが私のスタンスだ。行きたい学校との評判を取るためにその学校は血の滲むような努力をしてきている筈である。

・ 学校という社会の公器において、特に「私立学校の場合は入学者との強い信頼関係」で結ばれている。親子三世代と言うのは珍しくない光景である。入学に規制をかけるのは「職業選択の自由を阻害」するようなものだ。

・ しかし本校も高野連に申請して5名の枠を頂いてはいるが前述したようにまだ1人もいない。来てくれないのか、入試広報の力量不足か分からないが、せっかく理事長として「浪速ふくろう特別奨学金制度」を理事会で決定し相当の予算を計上しているにも関らず支出がゼロだから困ったものだが、焦る必要はない。これからである。
・ 私は今朝の管理職朝会でこの新聞記事を元に議論をしたのである。私学が生き延びて行くには立派な設備と卓越した指導者を招く「企業努力」が必要だ。常に新商品や新技術の開発が欠かせない。

・ 「ウイングを常に広げる努力を惜しんではならない」と私は声をあげた。「進学実績もスポーツ実績も両方追い求めるのが正しい姿」である。「どちらか一方でよいわ」となったらそれでお仕舞いである。

・ 「二兎追う者は一兎も得ず」との諺があるように難しいことは分かっているが、公立と違って私立の生きていく「ばね」はそこにある。「様々な生徒を受け入れるのが私立学校の使命」である。その過程では色々なことがあるしそれが出来るのが私立だろうが。


・ 例年より幾分早く中学校の進路担当の先生方や担任の先生方の本校訪問が続いている。又その数も昨年より多いと言う。大変結構なことで嬉しい話である。勿論「浪速武道館」をご案内するのだが最近囲いが取れたクラブの部室の豪華さに皆さん驚かれると言う。

・ あのような立派なクラブの部室は公立ではまず考えられないと感動して帰られると言う。「浪速は生徒を大切にする学校」というのがあれだけで分かるとおっしゃっているのだ。「我が意を得たり、本望である。」
・ 私は嬉しくなって中学生がサッカーの練習をしていたので「最初に部室に入れてあげる」と釣って生徒たちを案内したのである。当然生徒たちは歓声を上げて喜んでくれた。このような立派な部室を与えられれば「誇り」を持って練習にも身が入るだろう。
・ まず私立高校だ。教育環境の整備に資金を使わねばならない。私は平成19年校長になって以来「浪速が変る、浪速で変える」を「キャッチコピー」にして今日まで来た。4年経って第一段階がほぼ完了した。私は浪速を変えたのである。

・ 「浪速改革の第二章」「浪速改革は続きます」「教育トライアングルの完成」「生きる力を育てます」と毎年「合言葉」を決めてやってきた。しかしその原点に有るのは2009年私が着任した時に選んだ「浪速が変わる、浪速で変える」である。

・ 変わると言うことは「勇気の要ること」であり、当然その過程では傷つく人も出てくる。しかし変ることを避けては逆に生きてはいけない。「変化に柔軟であればあるほどその人は強い」ということである。


・ 久しぶりにふくろうスタジアムで練習している硬式野球部の激励訪問に出かけた。今年の夏は公立高校相手に第1回戦で敗退し残念であった。3年生が引退しメンバーが大幅に入れ替わっている。私は全員を集めて檄を飛ばしたのである。

・ 硬式野球部には新しい監督を任命し、スタッフも大幅に増強した。ヘッドコーチは甲子園経験の元ピッチャーである。加えて今年から2名も新進気鋭の人材を投入した。1人は早稲田であの有名な日本ハムに行った齋藤投手と同期である。
・ 更にこれもまた上宮高校で野球のキャプテンをしていた国語の教師を採用した。中々動きが良いと評判である。更に卒業生を2名臨時コーチとして採用している。ふくろうスタジアムも作った。後は指導者と生徒で頑張って貰わねばならない。



・ 昨日に続いてふくろうスタジアムに行く前に「多聞尚学館」に行って中学生の学習合宿の激励に赴いた。まず「2年生の閉講式」に出て話し、会場を移って「3年生の開講式」だ。初めての本格的な2泊3日の集中学習であったが生徒は「ドヤッ顔」をしていた。確かに頑張ってくれていたと思う。


・ さて私の23年前半戦が今日で終了した。前半戦の大きな思い出はやはり浪速武道館の竣工であった。後半戦は部室やカフェテラスの完成を見て遂に既存建物の解体に入る。本格的に新校舎建設の前哨戦となる。明日からのリフレッシュ休暇でじっくりと今後の戦略と戦術を考えて参りたい。


2011年8月1日月曜日

23年8月1日(月)今日は八朔








・ 異常気象と言っても良い7月が終わって今日から8月である。気分のせいか幾分過ごし易い感じだがやはり外に出ると蒸し暑い。午前中が様々なことがあって分刻みの予定であった。
・ 8月は「リフレッシュ休暇」がある。今年は来年2月が「うるう年」の関係で労働時間が一日長くなるから、その分この夏季のロング休暇にひっつけて休んで貰う事とした。本校は年間を通じて「変形労働時間制」をとっており、すでに労働基準監督署にも届けている事項である。

・ 「8月3日~16日までが休業日」である。勿論2名の当番者は出席しており何時でも緊急の対応は取れることとしている。時には遅くまで仕事をしていた教職員もこの夏季ロング休暇を有効に活用して「リフレッシュ」して欲しいと念願している。

・ ところが教員は夏休みと言ってもインターハイや練習試合、合宿など休みなど「何処吹く風」で忙しそうにしている。「止めて休んでくれ」と校長職務命令を出す訳にも行かず私としては辛い所なのである。しかしいずれにしても本校の8月は「節電」に大きく貢献するだろう。

・ 8月のもう一つの特徴は22日以降順次「授業の開始」である。今まで3年生は授業であったが遂に1年生、2年生も正式な授業だ。これは9月のスクールサマータイムの補充と言う面もあるが授業時間の拡大に最後の手を使うことでもある。


・ 10時頃私は堺市にあるお茶道具点の小森商店さんに学校に来ていただいた。こことは浪速武道館のお茶室設計において大変お世話になり又その後も生徒への茶道具の手配など良くやって頂いた会社である。私はようやく武道館の周辺工事も片付いて来たのでお茶室「洗心亭」をご覧頂きたかったのである。

・ 又「10月29日に予定しているお茶席開き」について様々な意見を頂いた。さすがこの道で生業をされ、お茶道に励まれているお人だけに参考になる意見を多く頂いた。社長さんと実のお姉さんのトップ2であるが90%はお姉さんがおしゃべりになっていた。

・ 8月3日に京都の「表千家」にお稽古で行かれるのでその時に事前に浪速高校の「学校茶道」についてお家元の事務局に筋を通していただくための先鞭をお願いした。その後私が自ら京都に赴いてお願いすることになろう。

・ そこで近隣の高等学校で茶道部の活動がある学校を紹介頂き、内々にお茶席開きへのご招待を流し後日正式に文書で招待状を学校長たる私の名前で出状する。取り仕切って頂くご社中は理事長職務代理のご尽力で二つの社中である。

・ まず本席は現在ご指導頂いている河内長野市の玉永先生のご社中で立礼席は藤井寺市道明寺の南坊城ご社中である。大阪を代表するこの二大社中だからお道具も立派なものがあり、素晴らしいお茶室披露が出来るのではないか。


・ 多聞尚学館では中学2年生全員が学習合宿をしており、例によって私は昼食を胃に流し込んで車に飛び乗った。秘書が今日は途中の富田林でPLの花火大会があるので道が混雑すると言うのである。

・ 交通量はまだ多くはなく順調に往復できた。英国数社理と5科目を2泊3日で頑張ってくれていた。中学生も食い入るように先生の講義を聞いていた。「テンポの良い授業」は聞いていても気持ちが良い。リズムのある講義こそ生徒の頭に入っていっていると感じた。

・ 私は休憩時間に先生方の労をねぎらい明日一杯まで頑張って欲しいと言ったのである。明日は入れ代わりに中学3年生の多聞合宿が始まる。3年生が乗ってきたバスで2年生は帰るから交通費も随分と助かるのだ。教員も最近は「コスト意識」が高まってきたと私は喜んでいる。


・ とんぼ返りで学校に戻り私は武道館に直行した。実は本日15時30分から剣道場「尚武館」においてこの8月10日に福井市で行われる「第53回全国教職員剣道大会」の大阪府代表選手の「強化合宿」が行われるのである。

・ 私は先生方に激励を申し上げ尚武館を練習場に選んで頂いた御礼を申し上げた。素晴らしい第一級の剣士が勢ぞろいしているのは見ていてすごい。是非全国優勝をして欲しい。そうすれば浪速武道館の名前も上がるではないか。


・ その後周辺工事の進捗をチェックした。まず「保健室」であるがこれは相当大きな部屋となり使い勝手も良いから養護教諭には大変喜ばれている。数年の寿命だが今度は今までの2階とは違って1階だから多いに助かる筈である。

・ 校務員室、門衛室、掃除担当の方々の假待機室の基礎工事が始まった。今度は西門の傍である。これも新校舎までの命である。一方グランド片隅には硬式野球部、軟式野球部、サッカー部、ラグビー部などクラブ員の多い「大型クラブの更衣室」の移転工事も本格化してきた。
・ 以上の全てが8月22日までに完成し8月31日の2学期始業式において全校生徒に披露してキーを手渡すことになろう。大変立派な、立派過ぎる部室そして一流ホテルのラウンジを思わせるカフェテリアと狙い通り計画通りに仕事は進んでいる。

・ 最近私は感じるのであるが教職員が私に優しい感じがする。「理事長がここまでやってくれた。感謝し、後は自分たちが頑張って要らぬ心配をさせないように」と思ってくれているのだとしたら嬉しい話だ。しかしこれは私の思い過ごしかも知れない。