2011年9月30日金曜日

23年9月30日(金)学校マネージメント


・ 9月も最終日となった。本当に早いものだ。明日はいよいよ「既設建物の解体工事」が始まる。本日は特段の予定がなかった為、マイペースで仕事が出来た。仕事のことは寝ている間を除いて四六時中考えている。

・ 何時も学校の事を考えている。しかし考えているだけでは仕事ではない。考えたことを具体的に「書くか、喋るか」して行動に移すのだが、人の目から見ればその時だけ仕事をしているみたいに見えるが実は何時も考えている。

・ 「考えの深化」と「考えの検証」である。自分で言うのもおかしいが私はこれで案外「慎重派」だと思っている。思いついたらすぐ口に出して行動する「それ行け、ドンドン派」みたいなイメージを持たれている人は多いと思うが実はそうではない。

・ 決めたら、これは「一気呵成」に進める。「怒涛の如く」進める。「風林火山」ではないが「スピードこそ真骨頂」と思っているから「チンタラ、チンタラ」と進めるわけにはいかない。しかし他人には目に見えることしか判断できない。大体拙速と言うのは考えていない人がやることを言う。

・ 木村の仕事術については、一度でも私と仕事をした人は分かっている話である。慎重で几帳面で神経質で徹底して行動の影響を推測して「進め方」を考える。自慢ではないが大体想像通りの結果に近くなるように事態は収束していく。

・ 勿論全てではない。時に大きな失敗をしでかす。おそらく私は周辺の人間を「性善説」にたって見ているからである。裏切られることもあった。しかし私が「めげない」のは「自分で作った一つの作品としての仕事の結果」だから受け入れようとしているのかも知れない。「起きた事は全て起きたことと事実として受容する」まで待っている。

・ 頭の中で「ああでもない、こうでもない」と現時点で自分が考えられる、あらゆる視点から自分の取る行動の影響と目指す成果みたいなところまで「絵に描いて」考えを膨らますのだ。誰しも同じ事だと思うが特に私には大きいところがある。

・ 「ストーリーを自ら創作し、脚本まで」頭の中に作っている積りである。脚本と言うからには組織構成員の役割分担まで頭に入れてから話を進めていく。この「キャスティング」というのが結構面白いのである。あの人にこの仕事をして貰ったらどういうことになるか考えるのは実に面白い。

・ そしてもう一つ重要なことは「チェックを入れる」ことだ。時に「鷹揚」に構えて「後は任すよ」みたいなふりをすれば「さも大物」みたいに見えるだろうが、私に言わせれば最も重要なことはこの「チェックと言う楔を入れる」ことだ。

・ 「後の責任は取るから」などと言う輩を時に見かけるがこう言う奴に限って責任など取った例はない。組織構成員に責任が及ばないようにあらゆる対応を「想定外」も含めて考えておくことが管理者の責任である。

・ 従って私が立腹するのは「かって読み」して大きく脚本を逸脱した方向へ進むことと、「ここは注意すべきポイント」とわざわざ、それも何回も「ト書き」をしているにも関らず、「ボケー」と忘れたか無視したかで作品の出来上がりに大きな影響を与えられた時だ。

・ こういう場合容赦はしない。それは何回も何回も今まで指導して来ているからである。それに私はしつこい。諦めない。そうでなければ改革など進むはずが無い。しつこく諦めない、これが管理者にとって大切な要素である。

・ 人は自分では何でも出来ると思っており、自分は能力高い人間だと思っている。又人間というのは最もチェックを嫌がるものだ。子どもでも親からのチェックを嫌がる。しかし人が嫌がることを時にしながら全体を進めることが「マネージメントの要諦」であると私は思っている。

・ その代わり着実に脚本通りに進み、主演も脇役も自分の仕事を見事にやってのけた俳優陣(組織構成人・・教職員)には徹底的に賛美を与え高く評価する。その場合自分だけの手柄とは決してしない。これは当たり前だ。成果は皆で分かち合うのだ。

・ 良い映画は素晴らしい監督と名優で作られる。監督の意図を汲み、そこに自分の持ち味を加えて結果として「組織の成果を追い求める」ということが私の仕事の志操である。企業時代、管理職になってから特にその性向が強くなったと思う。

・ しかしこのやり方は時に組織構成員を「道具立て」みたいににしか思っていないのではないかとの指摘を受け易い欠点がある。「言われるままではロボットだ」と反論されたことはないが、最も留意すべき点である。

・ その為には彼らをして無駄働きをさせないことが重要である。「成果が上がればこそ人は伸びて充実する」。管理者の仕事とは成果をあげることでもある。成果の上がらない管理者とは「屁」みたいなものだ。

・ しかし結局「人間関係論」的に言えば「大きな方針のトップダウンと細かい部分のボトムアップの結合が現代社会の組織マネージメント論の平均値」になっている。トップダウンとボトムアップのバランスはテーマによって変化する。

・ 管理職と言っても人生色々ではないが、「管理職色々で一くくりには出来ない」。製造部門の管理職と営業職の管理職では自ずと異なるものだ。まず企業では「課長さんに昇進して」ようやく管理職となる。立身出世型サラーリーマンの最初の目標がまず課長の職位だろう。

・ 成り立ての課長クラスではこのようなトップダウンとボトムアップを意識した手法を上手くこなさねばならない。大体企業の課長クラスは「プレイングマネージャー」の性格を帯びる。しかし部長や本部長クラスになれば課長と完全に異質の管理職であるしまたそうでなければならない。それは「管理職が管理職を使う」からである。平社員を使うのは課長さんだけだ。


・ 学校の校長先生は企業で言えばどのあたりの職位に相当するか大変興味あるテーマである。実は今から9年前民間人校長で府立の校長に転身した当初から感じていたのだが、答えは「課長相当」というのが自分の結論だった。今でもその考えは変らない。

・ 大手企業の課長職と大体同じような「年収規模」であったことにもよるが仕事の中味が「まあそのレベル」と感じたからである。絶対に部長職ではない。さりとて「係長職、課長代理職」と言うのも忍び難いものがあって課長職相当と結論付けたのである。

・ 校長と言う職位は「権威」はあるがマネージメントを行うマネージャーとしての権限は基本的にはない。それは「校務を運営し教職員を監督する」立場だからである。基本的に学校を管理しているのは教育委員会である。

・ 校長は任命権者たる教育委員会の指揮、指導、調整の元学校の校務を切り回しして教職員の監督、即ち易しく言えば「学校に来ているか、来ていないか」を「監督する立場」なのである。まあ「権威ある寮監」といったところではないか。

・ 今大阪府の維新の会が提案している「校長の公募」について一大議論が巻き起こっているがそもそも公募する動機の本質は「学校マネージメントが出来る資質」を教員の延長線上の校長に見ることが出来ないというものである。

・ それを企業で管理職経験のある人材を集めて校長をやらそうと言う内容であるが、この考え方そのものは正しいし現実に民間人校長の公募と言う手段で行っている筈だ。しかし現実的に考えれば未だ「偉大なる実験段階」ではないか。

・ 恐らく実験で何時までも行くはずだ。投網を投げてすべてを切り替えるのは無理だろう。校長と言う職位の仕組みを変えない限り幾ら公募校長を増やしても「鋸の刃」と同じで校長が代わればすぐ元に戻る。学校と言うものはそういうものだ。

・ 大体、企業社会のマネージャーみたいに部下を含めた自分の所管範囲の組織体を動かして成果を上げていくと言う「組織マネージメント」の考えをそのまま学校現場に導入しようという甘い目論見は今の仕組みでは不可能である。

・ 明確に言って「企業社会のマネージメント」と「学校社会のマネージメント」は「別次元の話し」である。教員延長線上の校長先生に企業のマネージャーが目標とするマネージメント成果を期待しても仕方がないと言うか限界がある。火星で育った人に地球に来て仕事をしろと言うくらい次元の違う話である。

・ 学校マネージメントをいうならそれは教育委員会に対して言うべき話である。教育委員会こそ「PDCA」の管理サイクルを回して学校を「生きたマネージメント」しなければならない。

・ その場合学校長は主演俳優の役割である。それが実態に近い。しかし教育委員会というのは校長が主役を張ることも基本的には嫌なのである。校長のリーダーシップで学校改革を扇動はするが時に平気で「はしごを外す」。

・ 私立学校においては公立の校長とは幾分権限が異なる。それは私立学校法によって私立高校の校長は「理事職の当て嵌めだから役員」でありそれなりの権限があるからだ。私立学校のマネージメントは絶対的に理事会の業務である。

・ 校長、副校長400人を公募しても混乱するだけになるだろう。企業社会においても卓越した執務能力を有する管理職経験者がそれほど多いわけではない。又そういう優秀な人材を企業が手放すとは考えられない。報道のように期限付き採用となれば、不安定な身分で、益々公募で採用された校長は成果を焦り混乱を招きかねないだろう。

・ 教育委員会事務局の全ての実務管理職にこそ優秀な民間人を当て嵌めたらどうか。そうすれば少しは変ってくるだろう。戦後今日まで校長は「悲劇の役回り」ばかり押し付けられてきた。30年間も数学や英語を教えてきた学校の先生が校長に成り、ある日突然「学校マネージメントを」と言ってもそれは辛い話だ。

・ 「徒手空拳」ではマネージメントは出来ない。教員の人事配置も予算編成権も無く学年主任や分掌の長が単なる調整業務だけでフラットな組織体であり、新入社員からトップまで完全なピラミッド構造の企業体とは異質なのである。

・ 表面上のマネージメントは出来るだろう。見せ掛けのマネージメントは出来るだろう。しかしそれなら教員出身校長も民間出身校長とても同じことだ。無理して400人も公募するなどは新聞の見出しの通り「現実離れ」していると言わざるを得ない。

・ やるなら間違いなく「公設民営化」だ。何時になるのか分からないが公立学校は「公設民営の道を遅かれ早かれ進まざるを得ないのではないか。小中の義務教育と違って高校教育は「民設民営」と「公設民営」の両区分に至るような気がしてならない。

・ 大阪府の教育施策は私立高校授業料無償化拡大を中心にその流れにあるのではないか。橋下改革の行く末は大阪維新の会が今進めようとしている「教育基本条例」である。2回連続して最低評価となれば分限免職とあるが、そんなしょうもないことはやめてこの際、府立高校を公設民営化する方向に舵を切ったらどうだ。さすれば一大行政改革にも繋がる。これは面白い。