2011年9月27日火曜日

23年9月27日(火)ケツを割る





・ 「ケツを割る」という言葉と「穴(けつ)を割る」と言う言葉がある。辞書を改めて調べてみると意味は大きく異なるのが分かる。私の場合は前者の方を良く使うが大阪では後者も多いとあった。

・ 「ケツを割る」とは「欠を割る」というのが語源で江戸時代の職人言葉らしい。「仕事を請けたが難しくて手に負えず途中で依頼主に断ること」である。欠とは仕事を進める上で欠けていた点のこと」でこれを洗いざらし依頼主にぶちまけて請負仕事を途中で放棄すると言う意味だ。

・ もう一つの穴(けつ)を割るとは「隠していた悪事が見つかる、ばれる」ことらしいが私は余り使ったことはない。圧倒的に多いのが「ギブアップ」であるところのケツを割るである。

・ ところで一般に学校の先生と言うのは「ケツを割る」という場面は見た事はない。ケツを割るなどプライドが許さないと言うところだろう。途中で投げ出したほうが良いと思うのだが、最後まで投げずにもう「メロメロ状態」にもかかわらず行き着くところまで行くのが教員の習性みたいな気がする。

・ それはそれで立派なことであるが、私に言わせれば「ケツを割ったらどうですか。楽になりますよ」と言いたい場面が無い訳ではない。横並び社会の教員間で「あの先生は結局出来なかったのよね」などと言われたら死んでも死に切れないと思うのかも知れない。

・ 幾ら教員バッシングが酷くても学校の先生は「自分の職業に高い誇り」を有している。又この誇りがないようだったら教師と言う職業をやってはおられない。「プライドがあればこそ仕事の楽しみも増す」のである。昨日のブログ「ベテラン教員ほど憂鬱で意欲減少」ではないが若い世代ほど誇りで自分を持たせているのだ。

・ 上司から「もう辞めなさい、止めなさい」は職務命令だがら、これはケツを割ったことにはならない。あくまで自分からの自由意志が尊重されるのが「ケツを割る」だ。本校において私は教員がケツを割った場面を一回だけ見たことがある。

・ 実は2年前から例年1月初めの3学期始業式を「新春拝賀始業式」として全校生徒・教職員打ち揃って学院神社に「初詣」みたいにお参りする神事に「女性職員の神楽舞の奉納」をすることとした。

・ それで選りすぐりの女性教員に私はお願いし、神社庁の女性祭式指導の講師の先生に学校に来て貰って指導を受けて貰ったのである。ところがそのうち一人が「ケツを割った」のである。他の二人は見事に習得し目出度く拝賀式で赤の毛氈の敷いた舞台上でそれは美しく見事に舞われた。

・ しかしそのケツを割った女性教員はどうしても「覚えられない」と言ってギブアップしたのである。優秀で仕事の良く出来る先生で期待していたのだが残念なことであった。一度ケツを割った人間は又ケツ割る可能性が高い。それが頭から離れないから重要な仕事はもう任せられない。
・ PTA担当の教員が今年ケツを割りそうになった。彼女はSOSを発信したから救急した。それで彼女は助かった。バスケの顧問で同時に茶道部の顧問も昨年から今年大変だったが「歯を食いしばって」頑張ったのだろう。一皮剥けた。生徒指導で頑張ってくれている女性教諭はどんなことがあってもケツを割るタイプではない。

・ 簡単にケツを割っては自分も辛いだろう。しかしあくまで自分の意思である。そして今年もその時期がやってきて私はメンバーを慎重に選んだのである。勿論ケツを割った教員は外して新たに新人3名を入れて教員は昨年舞ってくれた2人と合わせて5名となった。今年は生徒の希望も多く5名の女生徒が加わったから見ていて壮観である。しかし何名かは厳しい講師の先生の指導についていけず「ケツを割るもの」も出てくるのではないか。


・ 昨日私は高校3年生の成績優秀層を集めて「檄」を飛ばした。後3ヶ月強でセンター試験となる。当に「最後の追い込み」をかけねばならない時であり、叱咤激励をしたのである。本校は予備校に行かなくとも進路については面倒を見ると広言してきた学校である。

・ 私は「特別の一群」を進路指導部長の手にゆだね思い切った方策を取る様に指示をした。これからは英国数だけではなくて理科社会も入れた「全教科のローラー作戦」が必要である。「多聞尚学館を活用」するようにアイデアを出した。

・ 高校3年生の2学期になってもまだ教科書を追っているような学校では国公立などおぼつかない。もうこの時期は「演習、解説、演習、解説の繰り返し」だろう。教員も頭では分かっているにも関らずやろうとしないから私は頭に来るのである。

・ 教員の言うことばかり聞いていたら受験生が全滅する危険性がある。声の大きい数学の教員がこの期に及んでもまだ自分の教科の数学を教えに週末の2拍3日を潰すような学校だ。この教員は前の進路指導部長ですぞ。自分の事しか考えてないのだ。

・ 来年の3年生は最初から「国公立理数と文系合同で一クラス編成」する。そして徹底的に鍛えていく。今日高校教頭に職務命令を出した。教務部長が居なかったから教頭を通じて指示した。これは他のクラスとは一線を画した特別クラスである。

・ 「平日の多聞学習」も計画に入れる。幾ら立派な新校舎が完成しても大学進学実績が伸びて行かなければ「浪速の明日は無い」。この「文理トップクラスは24年度から移行」するがまずは「前哨戦」だ。来年度の3年生から実施する。

・ これはもう「校長の職務命令」で行う。そうでもしなかったら今の民主党と一緒で誰もがワイワイガヤガヤ言うばかりで全く受験指導体制が完成しない。私は昨日の校務運営委員会でも言ったのだ。

・ 大体「入学式において教員代表で挨拶し、卒業式においても代表挨拶するのは学年主任」にも関らず自分の学年の進路問題に無頓着すぎると指導したのである。最近ではこればかりだ。

・ 最も難しいところがあって本校には類長とコース長が学年主任と対等の立場で「ふんぞり返っている」からだ。だから前述した数学ばっかしの「週末スペシャル」がまかり通る。学年主任は一切口を挟まない。黙って見てるだけだ。いや、見ても居ないのではないか。

・ この仕組みを変えなければ駄目だ。前にも書いたが現在これを検討中であり、来年度から実施したい。コース長が偉そうにしている学校など公立のトップ校にはない。あくまで学年のことは学年主任の責任と権限だ。「類長やコース長は学年主任の指揮下」だろう。これが「在るべき組織論」である。


・ 中学校は「所帯が狭い」こともあって「平日多聞の活用が定常化」してきた。今日も中学2年生3クラス120名が合同で多聞で学習合宿だ。合間を見て自分たちの植えた「芋の収穫作業」もある。多聞の良いところはこのような企画が可能なことである。

・ 多聞の活用は中学も高校に負けずドンドンやるべしと私は仕向けてきた。しかし結局これは関大コース長と統括学年主任と言う職位に当て嵌めた教員の熱意に負うところが大きい。

・ それを教務部長などが全教員が連帯しているからで、見る限りは現在中学の受験対応は機能し始めている。今の中学2年生が浪速高校に進学しそして高校3年生になった時にどのような成績となるのか今から楽しみである。

・ しかしそれまでの後4年間、指を加えて待っているわけには行かない。進路別展開、習熟度別展開とはある面「罪あるシステム」でもあるが、これをしないと「全軍が自滅する」ことにもなりかねない。「伸ばせる可能性のあるものは徹底的に伸ばす」という基本から私は「ケツを割る」わけには行かないのだ。私がケツを割ったらこの学校は終わる。