・ 「お茶席披きの引出物」については全然悩むことも無く当初から「お茶碗」にすることを決めていた。自分が焼き物をやり、特に抹茶茶碗が大好きと言うこともあるが、大体どのお茶席でも引出物はお茶碗が多い。
・ こういう場合は有名な作家とか力量のある陶芸家に依頼して作って貰うのが通り相場であるがこの場合は結構高く付く。しかし金額の問題はさておき、丸投げでは浪速武道館のお茶室らしい、又独立独歩の木村率いる浪速高校のやり方と少し違うと思っていた。
・ それでまだ武道館の工事も本格的に始まっていない段階から私はあることを考えていたのである。それはお茶道具屋さんから購入するのではなくて、「自ら造る」事であった。自ら作ると言ってもこの私が「ろくろ」を回して造るわけではない。
・ 本音を言えばそのようにしたかったが、それは実際問題、時間的に無理であった。大きな窯を持ちろくろは3台も有し大きな私の工房は遠くにある。諦めざるを得なかったのである。従って若いまだ名前の出ていない陶芸家を探し出し、「私のイメージにあった」作品を作って貰う事とした。
・ これからが大変であった。泉州地域で窯を持ち陶芸家を標榜している失礼ながら発展途上の若き芸術家の卵を探すのに担当は相当苦労した。ネットで探りながら候補を絞り込み、私に候補者を提示してくれた。
・ それからは時間を見つけては陶芸家にアポを取って順番に回った。今まで作られた作品を見せてもらい作陶場所を見せて頂く旅が始まったのである。1個や2個を作ってもらうのではない。100個の単位だから当然工房は大きな要因となる。
・ 又陶芸の腕もさり乍ら、大切なことは「やる気」と「品」であった。幾ら技巧的に優れていても作品から品格が感じられないようなものは引出物にはならない。私は注意深く観察したのである。
・ 若き陶芸家からすれば「天から降って湧いたような話」であるから「嬉しい話」であり、「千歳一隅のチャンス」と捉えた筈である。ただ私が陶芸に詳しく目の前でろくろを回したりお茶の作法などを聞いて少し「ドン退いた感じ」もあった。
・ 特に私の条件は二つ、一つは納期であった。もし作品が出来なくてお茶会に間に合わないなどとなれば大変であることと、もう一つは「志野茶碗」に限るとしたことであった。それも相当なレベルを要求した。
・ 理由については、ただ志野茶碗が本校のお茶室に似合うと感じたからである。長石担みの乳白色の志野でも良いし、鬼板が赤く発色する「ねずみ志野」でも良いから、志野に限るとしたのである。
・ 陶芸家のホームページから作品に志野があるかどうかでピックアップさせて頂いたのであるが「湯のみ茶碗」は志野で出来ても茶道に使う志野には程遠いものであった。やはり茶道を知らないとお茶碗は出来ない。
・ 結局直接お会いして、交渉した陶芸家は4名であったが、最終的に2名に絞り込んで具体的な話し合いをしたのである。しかし心配であったから「試作品」を作ってそれを見てから最終的に判断することとした。試作にかかる費用は一切を当方が負担すると言う風にした。
・ 陶芸家のお名前は男性が「天志窯の中西天志さん」であり、女性が「聖窯(きよいがま)の中出聖子さん」と言われる。お二人とも大きな作品展での受賞暦はないがやる気に満ちておられ「挑戦したい」と明言されたのである。
・ 然しそれからが大変だった。試作品が出来たと言うので楽しみに観に行ったがとてもお茶会の引出物には使えそうもないものばかりで私は申し分けなかったが2回目の試作にチャレンジしてもらうこととした。
・ 共通の問題は「形」であり、又致命的なものは「高台のつくり」が形になっていなかったからである。それに茶道そのものを深く勉強した訳ではなかったから後に茶道指導の外部講師の玉永先生からも当初は「使いにくい」などの批判があったりしたのである。
・ しかし私は一生懸命に頑張る二人を見て自分自身も深く意見を述べていった。「手持間感」「たなごころ感」「口縁(こうえん)」「胴」「「茶溜まり部分」「畳み付き」「反り」等々お茶碗には気を使うポイントは多い。
・ 陶芸家は「お茶人に拠って育つ」といわれているように利休は楽を育てた。魯山人はろくろ士に傍で指示してあの有名な作品群を作ったのである。恐れ多いことながら自分もそのような気になって行ったのである。
・ そして今更コンペで一人に絞ると言うことも出来ないので結局二人とも採用した。その背景は当初の一人200個の作製はほぼ不可能と感じたからでもある。一人100個であれば何とか到達するかも知れないと思ったからである。保険である。
・ 納入は桐箱入り、表千家の真田紐を遣い、陶暦を入れても良いが箱の裏書は当方でするので期日までに各100個納入すべしと最終的に発注したのである。それからは本気になって作品作りに取り組んでくれたと思う。箱の「裏書」は私自身が行う。これが記念と思って頂けたら嬉しい。「洗心」と書く積りである。
・ 作品の出来栄えについてはとやかく言わない。ただ前述したような経緯で作った作品であり、素人の域を出てないかも知れないが学校と同じで「学びのプロセスにある人間の作品」である。
・ 学校教育と同じで何時か本校で学んだ生徒が「世に出た時」に「化ける」かもしれない可能性がある。これと同じように有名になった陶芸家の若い頃の作品と言う可能性も無い訳ではない。頂いた方もこのように思って頂ければそれで幸いである。
・ しかし武道館が完成しお茶席披きの日が現実に固まってくると私には一抹の不安が無い訳ではなかった。茶道指導の先生は「校長先生、使ってきたら良い茶碗になってきましたわ」と言って頂いたがやはりこれで飯を食っているプロの域とは若干違うのも事実である。
・ 又本校出入りの堺の茶商のお話しを聞いていくうちにアイデアが固まった。あれほど立派な「洗心亭」の揮毫をお家元から頂いたのだからこの「洗心の字と花押」を何とか活用できないかということであった。
・ あれこれ茶碗の形を考え、「碗型」の茶碗に下絵としてプリントしその上に釉薬をかけて焼き付ける技法の茶碗を作製することにしたのである。これは間違いなく「お茶人」には「大歓迎される」ものであると確信した。
・ 但しこれは誰彼に引出物として差し上げると言うわけには行かないからあくまで学校の引出物は「学校オリジナルの志野茶碗」である。しかし特別なお方には「特別記念品」として差し上げることになろうか。今その判断基準を考えているところである。
・ 箱表書は「浪速武道館洗心亭竣工記念」とのみ書いて貰い「蓋裏」には私が何かを書く積りである。いずれにしても立派な引出物が用意できた。又時節柄学校茶道に関係してるお客様からはご祝儀や「水屋見舞い」は固辞することとしておりそういう方たちには別の記念品を用意している。「乞う、お楽しみ」といったところである。