| 徹底した説明責任を果たす |
・ この学校の校長先生は大変立派な教育者で、私も兼ねてから存じ上げているが、それにしてもここまでフランクに開示して頂くと「私学は一つ」と言う気が本気でしてくる。丁重なお礼状を出すように指示した。それにしても大変立派な設計で見事である。素晴らしい校舎になるだろう。大いに参考になった。
・ 間違いなく大阪の私学は「新校舎建設ラッシュ」となるだろう。次々と出てくるに違いない。その一群にようやく、まさにようやく本校も仲間入り出来そうで、このことが何より嬉しい。他校が新校舎に走っているのに指を食えて見ているほど辛いものはなかろう。
・ 教職員はまずここを抑えておかねばならない。給料は誰でも多ければ多いほど良いのに決まっている。しかし結局のところ給料ばかりに目をやって後で整理解雇や古い汚い校舎で惨めな思いをするようでは結局「たこの脚を自分で食っている」様なものだと知らねばならない。
・ 教員は目先に囚われるのではなくて、もっともっと「先行き」のことを考えねばならない。私立学校は特にそうだ。誰も助けては呉れない。「自分たちで自分の学校を守る」と言う気持ちが必要である。そうすれば目先のことだけに囚われない。
・ 「のど元過ぎれば暑さを忘れる」というが私は絶対に忘れない。あの神経を使った苦しい時代を思い起こせば言い様もない「思い」がこみ上げる。たった4年でここまで来ることが出来た。我ながら信じられない。共に歩んできた教職員と現状を感謝したい。
・ しかしその教職員も大半が新しい人に入れ替わっており、昔、昔と言っても4年前のことだが「浪速が辿った厳しい道」を知らない人が増えてきた。別に知らなくて良いが教員として適切な言動を行う社会人として成長することを祈念するばかりである。
・ 教員の前に一人の大人、一人の社会人、一つの組織に属する一人の組織人としての考えが大切である。それでこそ「生徒の前に立てる」というのが私の基本だ。激しいばかりの出世競争の無い、平等原則の、リストラのない社会はこの世界だけということを知らねばならない。
・ 今日まで社会は教員として立派であれば(実際はそうではないのだが)社会の常識に欠けるところがあっても許してきた面がある。しかし相対的に教員の質のレベルが低下してきていることがあらゆるデータや事象から説明され、社会はここに危機感を有してきているのである。
・ 今日の社会の教員バッシングは全て権力側の横暴が成せるものではない。モンスターペラレンツなどと教員が言っているうちは駄目だ。教育に関る問題事象にも教員や団体も責任を感じて貰わねばならない。まず「自らを振り返れ」と言いたい。
・ 同時に経営側には「徹底した説明責任を果たす義務」がある。公益法人だから基本的に隠すものは一切ないと言う姿勢で教員に対峙する必要がある。繰り返し、繰り返し資料を使って説明することが必要だ。口頭では言った、言わないとなり、駄目だ。
・ 教員側も「何かが隠されているのではないか」とう疑心暗鬼ではいけない。元々教員側には学校文化・風土として「権威・権力には疑いの目で見る」という悲しい歴史的経緯がある。まずこれを払拭するところから話は始まる。
・ そうこうしていたらこれも府内の某私立高校の関係団体から資料が届いた。結構なボリュームである。内容は教員の整理解雇に伴う訴訟の判決が大阪高裁で出て勝利したというものである。
・ 何故私ごときに、ここまでの資料を送付されたのか真意は分かりかねるが、随分昔この件でブログに書いたことがあったからかもしれない。当然学園側は最高裁に上告したという。これは絶対にするものだ。上告断念とはならないのが普通だ。
・ まだまだこれから先この学校は「ケースを抱えた状態」でこの厳しい大阪府下の私立・公立競争に立ち向かっていかなければならないのであり、双方の当事者に対して他人事ながら同情を禁じえない。ただ明日は我が身と改めて気を張っていかねばならないと決意している。
・ 生徒数が減少し学園経営が厳しくなったから5名の教員を「整理解雇」しそれを不服とした教員が地裁に訴え、堺支部では敗北し、高裁では逆転勝訴したものであるが、当然学園は名誉にかけて徹底的に争う姿勢で遂に最高裁に持ち込んだのである。
・ 私宛に来た資料にも言及していたが、最高裁では現在これと同じようなケースを有している。それは「福岡県の私立自由が丘高校事件」といわれるものである。これは二人の原告がいて一人は整理解雇、一人は懲戒解雇である。
・ 整理解雇は学校の生活文化科の廃科を理由に家庭科の先生を解雇したものである。懲戒解雇の方はこの家庭科の先生への支援の目的で教職員組合を設立し権利擁護を主導した組合幹部を様々な理由で懲戒解雇としたものである。事由とかは私には分からない。それは裁判所が判断することだ。
・ しかし今でも日本の教育界には日常的にこのような雇用者側と雇用される側に雇用に関して争いが起きているのが現実である。事由はこのような雇用上の問題だけではなくて「国旗国歌問題」なども多数ある。
・ 私は送られて来た資料を全てに目を通したが、読後感として複雑なものを感じる。原告側の言い分とそれに対した高裁の判決理由は訴訟の論点としては分かるがその深層や背景、その職場の持つ従来からの風土などは当然論述されていないことだ。
・ 私立経営者の苦しい胸のうちをもう少し判って欲しいと言う気もする。「起きたことは全て正しい」と考えれば早晩このような事態になるような風土があったと考えられないか。「法廷闘争で明らかになっていない根や芽」は双方の責任であったとすれば必ずしも経営側を責めるだけでは解決にはならない。常日頃からとことん話し合う土壌はあったのだろうか。
・ 今朝の新聞各紙は例の「大阪維新の会」が府議会に条例案を提案する動きについて記事があった。「教育基本条例案」である。この中に面白い記述があった。“条例が制定されてしまえば訴訟を含めて責任を取るのは我々だ”と言っているらしい。
・ 府教委事務局も訴訟になることを感じているのである。文科省や弁護士に条例案の違法性を問い合わせ「理論武装」を固めているらしいが理論武装というところが面白い。この条例案が通れば間違いなく大阪の公立高校はあちこちで訴訟合戦になるだろう。
・ これは間違いなく公立の体力を落とす。大体校長命令に3回反したからと言って分限免職にするなど少しやり過ぎだろう。特に雇用問題は慎重に対処せねばならない。前述のケースのように私学においては殊更である。
・ 教員の特に雇用問題はまず訴訟になると考え、経営側は「いざという時のための情報や資料の蓄積」が重要である。当然関係する法律知識は私学経営者には絶対的に必要である。それを固めておいて訴えられれば受ければ良い。能天気でやり過ごせるほど教職員団体は甘くは無い。まさに理論武装が必要である。
・ 卓越した経営者として一世を風靡した元GE社のCEO(チーフ・エグゼブティブ・オフィサー)のジャック・ウェルチ氏の言葉に以下のような有名な言がある。「暇になると自分は従業員をクビにする」というものである。
・ その理由は「緊張するから」という。誰をクビにするか、そんなことを考えると自分も緊張するし、クビにならないように緊張する。「生き残った社員はありがたみを感じて一生懸命仕事をする」というのだ。しかしこれはアメリカ実業界での話しだ。
・ しかしこういう世界があることも学校の先生は知っておかねばならない。常勤講師や非常勤講師の先生は来年はどうなるのかと不安な面持ちであるかも知れない。自分は専任教諭だから大丈夫とはならない。私立高校は公立以上に教員の雇用に関しては神経質である。学校を潰すに訳には行かないからである。
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