2011年9月19日月曜日

23年9月19日(月)お茶室披きの準備



結局この配置は変更した。人数が多いと大混乱を起こす可能性があるから







・ 10月29日に行う予定の「洗心亭お茶室披き」についてはこれを単なる学校単独の行事としてはならないと当初から私は考えていた。一私立学校が茶室披きを手前勝手に「チョコチョコ」とやるものではないというのが私の考えだ。

・ その為に京都の表千家に赴いて「学校茶道の同門会」に入れて頂いたのである。あくまで学校茶道の枠内であるが、本格的に「茶道を通じて、その精神性を学ぶ」には権威とか到達レベルとか知っておくことが必要である。

・ 茶道部の生徒が「お茶人」になるのではないし、そのように仕向けるものでもない。「お手前」とか「一服戴く作法」を通じて「茶の心」を知ることが茶道部と言うクラブ活動の目的である。

・ 従って外部指導者の玉永先生が主導するお席披きでもない。あくまで表千家同門会学校茶道部門の「浪速高校茶道部が実施する席披き」であるというのがこの場合正しい考え方である。私はこの点には拘った。「席亭」は私である。

・ とにかくその為には何らかの形でお家元の関与が頂きたいと念願していた。当初はお家元直々のご来校を望んでいたがそれは無理と言うことで諦めたのである。しかし何時かは「お忍び」であのお茶室をご覧頂きたいと言う思いは消えない。

・ 学校のリフレッシュ休暇が終わったお盆明け、猛暑の8月23日に私は京阪電車を使って京都表千家を訪問した。当方の考えを申し述べ、ご理解とご支援を賜るお願いの為であった。

・ 元より事務局も異論は有ろうはずはない。表千家の勢力に繋がる話なのだから「良い話」であるのだが、この世界も「手順」が有ってそう簡単に「はいはい」と済むような感じではなかった。一歩筋を間違えると大変なのである。

・ この日は堺の茶商である小森商店さんも同道して頂き、事務局を訪ね、資料や写真集を使って計画を具体的にご説明したが、これは「学校代表者から正式な依頼が成された」ということである。

・ 私の依頼はお家元のご意向を受けて何方か「宗匠を派遣」して頂きたいということと学校茶道に付き表千家所属の学校茶道に加入している学校の名簿の提出か閲覧をお願いしたのである。

・ 依頼に対するその場のご返答は9月2日に事務局プロジェクト会議があるからその席において浪速高校さんの要望について話し合い、しっかりとお家元にもご意向をお伝えする。9月上旬にその結果を当方に連絡するからそれまで待って欲しいとのご返事を頂いて私は大阪に戻った。しかし400年を超える伝統の世界はコミニュケーションを取るについても一種独特のものがあった。

・ 手ごたえを感じた私は本校の関係者に諸準備に入るように指示した。案内文の作成や送付先リストの整理である。この日から具体的な準備に入ったことになる。そう言う意味で8月23日は記念日である。

・ そして9月7日表千家から連絡があってお家元の名代として「木村宗匠の派遣」が正式に決まったのである。お家元は学校茶道を重視する云々の言葉があったやに聞いた。実は10月29日は京都大徳寺において大茶会があって三千家揃ってそちらへの対応があるからひょっとしたら宗匠の派遣は難しいと事前に聞いていたからである。

・ この連絡を受けて私は大阪同門会を9月9日に訪ね、今までの経緯とご協力を会長,事務長さんに正式にお願いしたのである。喜んで協力する旨の温かいお言葉があって後日大阪同門会のリストを頂いた。手順である。

・ これにより浪速高等学校武道館内お茶室「洗心亭」は名称と揮毫を頂いた千利休居士から数えて12代目の直系千宗左お家元の直々の傘下のお茶室という名誉が本校の茶道部生徒に与えられることになった。

・ 何より私の話がお家元までこの話が届き、お家元名代として大阪では第一人者とも言うべき木村雅其宗匠が派遣されることになったのである。これで我々のお茶席披きは相当格の高いものになったと思う。

・ 一般の「お茶会」は何時でも出来るが「お茶席披き」はたった一回しか出来ないものである。今生で一回こっきりのものであるだけにその精神性からお茶席披きは大変重要であり、それだけにいい加減なお席披きにしてはならないと私の思いは益々強くなった。

・ 諸準備は一気に加速することとなった。8月29日には玉永先生と南坊城先生のご社中が会場の下見に来られた。南坊城先生は始めての本校訪問であった。浪速武道館をご覧になって、感慨を深められたのか、私は誉めて頂いた。

・ 南坊城家は浪高さんとは長い関係があって一時期辛い時もあったが今このように立派な建物とお茶室を拝見して感無量だと言われるのである。私はお気持ちが大変良く分かる。そして南坊城先生はご担当される立礼席について明快にご意見を申され「お席のあつらえ」が決まったのである。

・ しかし玉永先生と南坊城先生とお二人並んだ合計年齢170歳を超える迫力はものすごい。流石の私も「たじたじ」であった。動線、即ち移動のルートは結構難しいが、後日玉永先生から自ら考えられた手書きの配置図も届いた。

・ それを担当がパソコン図面に起こして現在は諸準備に入っているのである。豊臣秀吉の実施した大茶会ではないが一世一代の大茶会にすべく予算も計上し順調に準備に入っている。

・ しかし私はこのお席の配置は実際には難しいのではないかと言う思いが消えなかった。それで折角準備に入ったのであるが昨日のブログに書いたように立礼席を弓道場の玄武館に移動することとした。絶対にこのほうが良い。

・ 本席は玉名ご社中、立礼席は南坊城ご社中と2席立て、私は本校茶道部の手で「点心席」も設けることとした。おいでくださるお客様の為に「心づくしのおもてなし」をすることがお茶の心である。小森商店さんのご紹介で利休居士の生地堺市の仕出し懐石では名をとどろかせている「かき豊」さんにお願いすることとした。

・ ご案内状も完成した。この文章は茶道部顧問の先生が基本を作成した。一両日中に発送される手筈になっている。ご案内先は表千家大阪同門会、学校の茶道部、本校理事者、評議員、PTA実行委員会、本校の関係先が主体である。

・ 都合800人程度の数になろうが出席の回答率を20%として160人規模のお茶会になる筈である。この人には出した、あの人には出していないでは折角のお茶会に傷が残る。時節柄出席あたわずと言うケースが大半かも知れないがそれでも良いと考えている。

・ 一方教職員には「教育トライアングルの完成」ということで今まで全員が祝ったことの無かったので「お祝い弁当」を出し希望者には茶席にご案内することとした。前回の職員会議でそれらを話したのである。