2011年9月24日土曜日

23年9月24日(土)落合監督の名言


・ 「契約書通り。この世界はそういう世界」とだけ、振り返りざまに苦笑いをしながら言い放ったそうだ。今季限りで退任を通告された中日の落合監督が記者団に問いかけられて一言喋った言葉である。私は最近では稀に見る「名言」だと思う。

・ 「どじょう宰相」の野田総理が使ったあの相田みつをさんの詩よりも素晴しい。あれは引用だしパクリだ。自分の言葉ではない。それに比べ「契約書通り、この世界はそういう世界」と簡潔明瞭にコメントを出した落合は立派だ。私は少なからず感動した。この「男の生き様」をまさに表現した物言いである。

・ 3年契約の最終年で現在ペナントレースは2位につけている中日が首位のヤクルトに肉薄している。昨夜も勝っているから落合の退任が発表されてからも2連勝、通算4連勝している。そういうタイミングでオーナーから直接に「来期は契約しない」と通告された。

・ 落合監督は「ハイ、分かりました」とだけ言って応じたという。8年間指揮を取って輝かしい戦績を残した落合監督であるが「退任会見」なども行わず、「感傷とか未練」などは一切感じさせなかったというからこれまたすごい。

・ 落合といえば2004年から8年間で3度リーグ優勝を果たし、07年には2位からクライマックスシリーズを勝ち上がって日本シリーズを制した。昨年まですべて3位以上で4位以下は無い。「オリンピクで言えば8年連続のメダル」である。内金メダルが3個だから並大抵の成績ではない。

・ 現在のプロ野球の最強監督であることは間違いない。名将かどうかは定義が不透明だから今は使えない。しかし巨人の原監督や阪神の真弓監督などは足元にも及ばない。楽天の星野も絶対に敵う相手ではない。ところが「解任に近い退任」だからプロの世界も厳しい。

・ 一夜明けた今朝の新聞の続報を期待したが徐々に背景が記事となって出てきている。そのうちにスポーツ紙のみならず週刊誌なども「退任事件」を記事にしていくだろう。早速落合夫人が「何でこの時機に!?」と球団に対して怒りを爆発させていると言う。

・ 間違いなく「オレ流」が要因になった。「勝利至上主義」が必ずしも営業収入に繋がっておらず、球団経営者はこの点を問題視したのである。1試合の平均観客動員数が08年の33720人から昨年は30460人と連続で減少、今年は遂に22日現在で29576人と3万人の大台を割ったという。

・ 落合博満、57歳、秋田県立秋田工業卒、全く練習しないで映画館ばっかり行っていたというが試合になると野球部に戻って4番バター。東洋大に進学するが先輩のタバコに火をつけるなど体育会系になじめず、僅か半年で退部し大学を中退。恩師の配慮で季節工として東芝府中に入社しそれから開花した。この経歴だけを見ても「オレ流」なことが分かる。


・ 後任監督はOBの高木守道氏だというが一度監督をやった人物である。又何しろ70歳の高齢だ。正直言って、面白みも何とも無い「先祖がえり」の様相である。この先祖がえりという言葉がポイントである。

・ この人が次期監督になると言うこと事態、落合の解任が突然だったことが分かる。どうも今朝の記事に拠れば「OBを主軸に」と考えているみたいだ。「古いOB」を持ってきて球団の何処を建て直そうというのか私には分からない。結局中日はド田舎球団だということだろう。

・ 落合は徹底的にOBを排除した。勝つためならどんなことでも理屈は通る、「勝つことがファンサービス」と考えている男だが中日球団とファンは、そこに言いようもない「不満、面白みの無さ」を感じるようになって行ったのだと思う。この辺の心理分析は本当に面白い。

・ 考えても見よ。OBが金を出して呉れるわけでもなくたくさん居る選手の中でOB,「生え抜き」と言うのはごく少数である。OBの重用は時に母体を危うくする。彼らは球団を私物化して物事を考える習性がある。

・ 学校とても同じでOB教員を多く持って来たら間違いなく方向を誤る危険性が高い。私は本当に苦労した。勿論優秀で立派なOBは居るが中には学校が自分のものみたいな考えに囚われ、改革など全く理解できない頭を有した連中が居ることも事実である。学校には出来ればOBは必要最小限の方が良い。


・ 結局日本のプロ野球界は依然として「田舎者丸出し」の「けちな根性」がまかり通ってる「民度の低い世界」なのである。「落合よ、大リーグに行け」、最早貴方はアメリカの大リーグしか舞台は無い。

・ これほどの男がワールドベースボールの日本代表監督にもなれず、オリンッピクの監督にも成れなかった。長島、王、星野、原と続いた日本代表監督には落合や野村の芽は最初から無かったのである。こう書けば分かって貰えるだろう。

・ 勝利至上主義がいけないのか、オレ流がいけないのか?若し落合の戦績が悪ければとっくの昔に首は吹っ飛んでいただろう。今になって「球界の至宝」とか何とか言っているが果たして落合を迎えに走る球団があるかどうか、大変に関心がある。

・ 私はあると思う。「解任されて落合は名実共にスター監督になる」のではないか。日本と言う国は、日本人の感性はそういう面がある。一旦敗者になれば国民は目を注ぐものだ。その時に落合はどのように振舞うであろうか。「オレ流を貫くか」。

・ いっそ阪神の真弓監督を更迭して阪神監督に持って来たらどうか。私はこの落合の解任を見て7月30日のブログ「球界も学歴社会」で書いたことを又感じざるをえないのだ。これは190キロの巨体から繰り出す速球がトレードマークだった「伊良部秀雄」さんが自殺したことに関連して書いたものだった。

・ 報じた日経の記事には球界の「しのぶ声」として楽天の「星野監督」と清原和博氏がコメントを寄せている。私は星野監督のコメントに注目した。「・・・本当は繊細な奴で野球の話をしたら止まらなかった。指導者をやりたかったんだな。・・・」とあった。

・ 特に星野監督の言葉の中の指導者云々という部分だ。このコメントは日本球界では伊良部さんのような「個性派は排除」され、決して野球のコーチや監督などにはなれないということの「裏返しのコメント」ではないか。私はこのように思った。

・ 恵まれた身体と類稀な才能に恵まれ一流の成績を残しているにも関らず日本球界は彼らの才能をコーチや監督として現役選手に活かそうとはせずに完全に放置したままであった。そして伊良部さんは42歳であの世に旅立って行った。

・ 清原和博さんも野球界から追放されたようなものだ。あの大投手「野茂英雄投手」もそうだろう。野茂投手も球団首脳部と大きな軋轢を残して海を渡っていった。更にもう一つ典型的な例を上げよう。「江夏豊」さんもそうだった。この天才が成し遂げたあの「オーススター連続9三振」で有名な大投手である。しかし現役引退後は球界の指導者と言う舞台に立てていないのである。

・ 最近自身が経営する会社の倒産で4億円もの負債を背負った元阪神タイガースの主砲だった「掛布雅之」さんも同じだ。私が言いたいのは「名選手必ずしも良い指導者たらず」ということではない。そんなことは当たり前である。立派な領主や経営者の2代目が「ぼんくら」であるとかは古来から人間社会の常であった。

・ 私が言いたいのは直球で表現すれば「ここに上げている人物はすべて高卒」だと言うことである。「エー、実力勝負のプロ野球の世界に学歴が関係あるの?」と指摘されそうだが私の見方は関係有ると断言したい。

・ 現役時代は中学卒だろうが高卒だろうが関係ない。プロの世界は腕一本の勝負の世界である。ところがだ。現役を引退したらもう腕一本とは言えずにマネージメント、指導技術、後輩から慕われるなどの人間性、何よりそのチームを率いていくだけの能力識見など「トタールとしての人間性が要求されてくる」のではないか。

・ 従って中卒だから駄目、高卒だから駄目とは言わないが、プロ野球チームも一つの会社組織であり、その重要な部門の責任者となるとやはり結果として「学歴がものを言う」ようなことになっているというのが私の視点である。特に監督の場合はそうだ。

・ 落合監督は高卒の監督である。元楽天の野村監督も高卒であった。この二人は高卒でありながら球界の監督に上り詰めた。そして輝かしい成績を上げた。そして野村は楽天を又落合は中日を「非情な形」で首にされた。

・ 二人は頑張ったのだと思う。「頑張り過ぎた」が故に球界エリート社会にこき使われただけで最後まで面倒は見て貰えなかったのである。私はそこに「旧弊体質の球界と頑張りすぎた高卒社員の悲しみ」を感じる。

・ 学歴と言うより学歴に裏づけされた「人間の成長」「人間の味わい」「人間としての蓄積」みたいなものが「エリートが支配する日本球界」に受け入れて貰えないのだ。勿論中卒、高卒でも立派な方は多くられるがプロ野球と言う実力勝負の世界だけに現役を引退した後には大学卒という学歴と大学教養を身につけた人格論が大きくのしかかってくるのだと私は思う。

・ 私は落合という人物は余り好きではない。長島の方が大好きだ。暗くて陰湿な感じがどうにも好きになれない。野村監督にも共通する部分である。それでも監督能力としては高く評価する。長島なんかは監督の器ではなかった。しかし人々は長島監督が好きなのである。

・ 落合よ、オレ流を貫け。それで良いではないか。野村監督も野村流を貫いた。粛々と中日を退団し、堂々と信じる道を行くべし。勝利至上主義こそプロの世界の根本義である。プロが負けてどうなる。営業成績などフロントの考えることだ。現場の指揮官に「懐具合の責任」を負いかぶせても仕方があるまいに。

・ ところで教育界というところは「大学卒ばかりの人間集団の組織」である。学校の先生と言うのは学歴は大学卒ということの認識しかないのではないか。大学卒ばかりで組織を構成するような組織は学校以外には無い、珍しいものである。だから物事の見方が単線であり、およそ「教員間の競争などという概念」は全く無かったのである。

・ だから学校社会は進歩しなかった。教員社会には落合監督タイプの勝利至上主義者は最初から存在し得ない社会である。ただ落合監督に似ているのはオレ流だけでそれも「勝って気ままなオレ流」だけがあったのである。落合のオレ流とは似ても似つかない教員のオレ流が学校を腐らせて行ったのである。