・ 幾分「玄人受け」する新代表が決まり、今日午後野田佳彦氏が内閣総理大臣に就任した。ここは素直に新総理に大いに期待したい。しかし2年前の「政権交代」から3人目の首班だから民主党もどうしようもない。安部晋三元総理からすれば6年連続の日本のトップ交代である。
・ 日本の中央政界は異常である。今や日本は世界から笑い者にされており、アメリカの新聞記事には「回転木馬」と表される始末である。しかし自分の国だから諦めるわけにはいかない。
・ ここまで政治のレベルが低くなると「政治は国民のレベルを現す」などと嘯いているわけにも行かない。日本国民は第一級の民族であるのに選んだ「選良」がこの体たらくだから政治のシステムが機能しなくなっている現状を改革しないと又この繰り返しになる。いや、もう既になっているのである。・ 今度の総理は前二人に比べて「何か期待出来そう」であるが果たして国会がねじれている中でどうなのだろうか。民主党は二代の総理にわたって、役人を使いこなせず「政治主導」と言いながら政治は漂流し、全く訳の分からない政党になってしまった。私が民主党の政策で感謝しているのは「高校授業料無償化」だけである。
・ しかしこれも自民、公明との3党合意で見直すと言うのだから安心は出来ない。民主党が行った政策で唯一光っている政策だ。これを見直したら大変なことになろう。自民も公明も現場の実態を真面目に考えないといけない。
・ 刑事被告人として裁判中でありながら、あまつさえ党員資格停止処分中の小沢元代表が担ぐ候補者の選挙事務所を出たり入ったりして求心力を行使している状況にもマスコミも含めて声高に誰も何も言わない。
・ しかしこの人の「存在感」には驚くばかりである。この方20年間政界はこの小沢現象で動いていったと思えばすごいことである。この人の力の源泉と人間性とは一体どのようなものだろうか。大変に興味関心がある。
・ 新聞紙上では「小沢神話にかげり」「指導力低下」と書くが、並外れた力即ち「指導力」はあるのだろう。そう考えなければあれほど人は寄るまい。その指導力の源は「数の力」が大きなウエートを占めるだろうが数だけで「寄らば大樹の陰」で人は寄っていくだろうか。数の全く足らない野田さんが代表即ち総理大臣に就任したのが今回の特徴である。
・ 民主党の問題は何であったか?同志社大学教授の浜先生は時々新聞紙上において政治評論などをされているのだが面白いと言うか大変に分かり易い表現をされる。時に辛辣であるが的を射抜いているから私は感心する。・ 過日も大阪日日新聞紙上で「野田新政権を問う」として他の二人の教授と対談されているのだがその中に「次第に民主党の本質が見えてきた。要するに近藤勇も土方歳三もいない新選組で、烏合の衆を結集させる理念や鉄のルールを全面に押し出す力のない新選組みである。この状態を脱することが出来るかどうかがこれから問われていくと思う。」
・ この「烏合の衆を結集させる理念や鉄のルール」という言葉が面白い。およそ組織に理念、目的、目標、そして「組織目標達成のためのルール」がないとこのように組織は「フアフア」と漂流する。従って何も出来ないのである。・ 烏合の衆とは手厳しいが、国会議員だから中には横峰議員みたいな人も居るにしても、大半の議員は大学を出て教養もあれば責任感もある個人なのに、いざ集団となると理解が出来ない行動を取る人間が居るものだ。この点の真底の要因分析と対策が重要である。
・ 要するに「リーダーが居ない」のである。「リーダーが育たなくなっている」のである。言い換えれば「トップの指導力の欠如」というより「指導力を発揮できない」ような状況にあるのである。言ってみれば「どんぐりの背比べ」みたいなものである。
・ 首相の発言が全く権威の無いものになって、次から次へと総理は思いつきで発言する。トップの発言が軽くて浮遊している状態である。加えて補佐すべき政権内部の閣僚や政権与党も勝って気ままに好きなことを言うばかりだから迷走するばかりである。
・ 「政治主導と言う真に青臭い理念」だけで知識も経験も数値の裏づけもない状態でマニフェストなる目標を掲げて調整なしで打ち出すものだから官僚もどう動いて良いのか分からない。にっちもさっちもいかなくなった。
・ トップが補佐役や主だった周辺の人材に意見を答申させ事務局があらゆる面で体系的に整理して最後は決断するというスタイルをすれば役人も従わざるを得ない。優秀な役人を政策決定のプロセスに組み込ませねば生きたものにはならない。
・ 私はこの中央政治のこれらの状況を観察しながら、同時に大阪府のこの4年間の橋下政治を比較した場合にあるべき姿が見えてくるような気がするのである。一国一城の主たる誇り高い国会議員や府会議員を束ねる派閥やリーダーの指導力とは一体何だというテーマの格好の教材たる劇場ドラマを大阪府民は見てきた。
・ 指導力とは一体どういうものか。定義するのが難しい。判断力、決断力、説明能力、発信力、突破力、破壊力、胆力、知性、教養、人間的魅力様々なものが関係してくるだろう。しかも有る程度のグループ化は必須であることも分かった。天上天下ただ1人ではそもそも機会にありつけないからだ。
・ しかし当然前述した新選組ではないが「ご法度」と呼ばれる「鉄のルール」も必要である。民主党の如く「民主的」と言う言葉の影に「反米、親アジア、政治主導、全員野球、何でもあり」などとの理念だけでは政治を前に進めることが出来なった。
・ 西欧から始まった「政治の民主化」は結果として「民主化の失敗」と言う形で我々日本人も知ることになった。高い授業料であったが一度は通る世界史の道だと考えて諦めるしかないのか。・ 野田新政権は「日米同盟が基軸」と明確に述べている。私は彼の「どじょう」発言などから些かの保守性を感じる。案外「したたか」である。最近の総理に比べて「放つ言葉」が面白い。前に進むかも知れない期待を抱かせる。
・ しかし「民主的手続き」と言うのは難しい。世界史では明らかに失敗したと言えるのではないか。上記のことは政治の世界だけではなくてあらゆる分野に当てはまることで特に教育の世界もその通りである。
・ 元々教員は一国一城の主で、人生経験、教師経験も浅い若手や1年契約の常勤講師にも一票を与えて、まさしく民主党の名前と同じく「民主的」に「教員の賛成多数」で物事を決めてきた世界である。リーダーなるものを排除した世界であった。
・ しかしそれでは間尺が合わなくなって教育の結果を厳しく社会から指弾されるようになってきた。「不当な権力の介入を許さない」「忙しいことは嫌だ」「公平均等配分」「子どもの自主性」「ゆとり教育」などと言っている間に教育の現場は荒廃した。
・ 校長も自らが有している権限権威を行使する勇気に欠けていた。「校長は鍋蓋のつまみ」と揶揄されても何も出来なかった。学校のリーダーではなかった。学校が遅れていたと思っていたが、何ともっと遅れた世界が政治の世界だったのである。
・ 最後の縛りとして、橋下知事は「教育基本条例」で骨を入れ「鉄のルール」を導入しようと思っているのだ。これが「抑止力」であり、導入しようとする知事の思いと力、発信力などが「知事の指導力」に繋がっているのである。

