| 多聞尚学館高3受験生を激励 |
・ 木村は建物ばかり建てて「学校改革」などと言っているのではないかと言われたことは無いが、言われる前に先んじて反論しておこう。私が業務執行している学校運営の中で「教育環境の整備」はほんの一部である。まさにごく一部である。
・ 私の仕事の大部分は「教育の中味にくさび」を打ち込んでいることだ。これだけは間違いない。しかしこれが私にとって最も消耗する仕事であることも間違いない。建物の建設にはお金がありさいすれば業者に発注するだけの話であるが、実際の教育の中身となると簡単ではない。相手は教員である。ここが大変である。
・ 学校教育法は第28条に「教育は教員が司る」と明確に書いているがこれが実は「曲者」で教員の一部勢力はこの文言を金科玉条の如く振りかざして「教育委員会や校長などの現場管理職の介入」を強く警戒する。最も本校には今やこのような教員は居ないが。
・ しかしこの姿勢に負けたら管理職ではない。教員は基本的に幅が狭い。決して悪い人間ではないが考え方の幅が狭い。高校などになってくると専門性がより高まるだけに益々そのような傾向になってくる。要は自分の事しか基本的に考えないのだ。
・ そこをしっかりと観察し「くさびを打ち込まないと」教育の中味は低下するか変質する。基本的に教員は自分の世界(ワールド)に閉じこもろうとするからそこを観察して「タイムリーに是正することが校長の仕事」だ。
・ 教員は時々勘違いしているのではないかと思うことがある。「教えることが目的化」してしまって生徒に教えた後の成果や結果について無頓着な面がある。教員は「やった」という満足だけで喜んでいるが、生徒の方は結果が出なくて悲しんでいるという構図である。実はここが学校現場の最大の問題である。
・ 学校教育法は「校長は教職員を監督し,校務を司る」としているのはこの為である。私に言わせればこの条文だけで「校長のリーダーシップ」による学校改革は十分前に進めることが出来ると思っているが実態はそうなっていないから問題なのである。
・ その原因は様々に考えられるが一言で言えば校長自身にその自覚が無いか薄いのだと思う。長い間教員をやってきてその教員の延長線上の校長では「むべなるかな」と思う。新しい発想が出来ないし改革の意義・目的が掴めないのだと思う。
・ 卒業式の国旗国歌問題だって、自分が教員時代は先頭切って「反対,断固反対」と叫んでいたのだから教員に言ってもパンチはない。教員から「貴方から昔、反対を教えて貰いました」などと言われたらそれで先には進めないないだろう。
・ もう一つは予算請求権や人事権など教育委員会が握っており、空手では戦争できないと言って鼻から校長も諦めているふしがある。だから橋下知事は予算請求権や人事権も教育基本条例に入れようと言っている。別に教員を辞めさせるだけの条例ではない。
・ 教育委員会の姿勢も最近は幾分変ってきているが、今までの立場は一方では校長に学校改革を急かすが一方では「現場の混乱」を極端に嫌う。マッチとポンプを両方の手に持っているのだ。これではやる方の校長からすれば「何時、はしごを外されるか」と思って「平穏無事」な毎日を過ごすだけとなる。
・ くさびを打ち込む意義は「土壌を締める」ことである。基礎の固めでもある。ある一面では「鉄槌」の意味も有るが「ぐずぐずしてきた台地」を締める目的である。大体放っておけば風土や文化は「液状化現象でぐずぐず」になり腐敗してくるものだ。元来組織とはそういうものである。
・ 私立学校には教育委員会が無い。学校管理規則がないのだから余計に理事会がしっかりしないと校長以下の流れに押し流されてしまう。校長と教員が一緒になって既得権益の主張でもしようものなら改革など進む筈がない。大体問題を起こしている私立高校は理事会が機能していないと言うのが私の観察だ。
・ しっかりした私立は理事会の目が厳しいところであるか、あるいは理事長か専務理事が校長兼務で「2足のわらじ」を履いているところだ。大体理事長が「ワイン通」だったり、宴会ばかりしている理事会の学校が危ない。
・ 最近私が実施した教育の中味についてのくさびは二つある。一つは「高校の音楽教育」だ。本校の芸術教科は美術だけで書道も音楽も無い恥ずかしいような学校であった。だから今年から音楽教育を導入した。書道は新校舎が完成してから導入する。
・ 「歌声のこだまする学校は良い学校」である。音楽教育は生徒生活指導でも効果が大きい。ところが音楽の先生は「器楽演奏」も必要だと言う。私は優先順位があるだろうと言って器楽演奏の導入を当初は逡巡した。
・ しかし教育は教員が司るのだからここは「受けとめよう」と考えを改め、「クラッシクギター」を一クラス分購入した。結構高いものであったが教員の言い分を聞いたのである。
・ 一向に歌声がこだましないのはまず風土からということで「クラス対抗のコーラス大会」を年度末に実施してくれると教員が考えてくれた。私はそれで了としたのである。特に男子が恥ずかしかって歌わないと聞いたが、音楽教育が軌道に乗るにはもう少し時間がかかろう。しかし徐々に進みつつある。これも私が前に進めた。
・ もう一つは「多聞尚学館の使い方」である。先週末多聞合宿中の3年生の受験生の様子を見に行ったがまだこの期に及んで数学の単元講習を90人を3クラスの分けて行っていた。これなど典型的な「教員の習性」である。自分の教科だけしか関心がないのだ。
・ 今朝報告に来た数学の教員に厳しく私は考えを述べた。進路指導部長にも厳しく指導した。又校務運営委員会でも総括した。後3ヵ月半でセンター試験にも関らず未だに数学単元でそれ以外の国語、英語、社会、理科などの科目をどうするのか?数学だけで大学に入れるのならそれで良いが国公立は8科目、場合によっては9科目である。
・ 集めた90名全てがすべて国公立に行けるのか。ごく一部のトップクラスで合格可能性の高い生徒へ君たちは「酷なこと」をしていると言うことが分からないのか。この週末、これらの一部のトップクラスは英語も古文も化学も物理も日本史も世界史も何も勉強させず君たちは貴重な彼らの残り少ない時間を数学を教えることだけで奪った。」これは本校のトップクラスへの犯罪行為であるとまで私は言ったのである。
・ 主担当の教員は理数科とⅠ類長であるにも関わらず数学の教員だから数学だけやっておれば満足で手当ても入ってくるのだ。11月頃に又数学単元で2拍3日の合宿をやるというからそれは蹴飛ばした。多聞講習指導に尋常ではない手当てを支払っているが「多聞手当て稼ぎ」と言われないようにせよとまで私は言った。
・ 校務運営委員の教員と言うのは「全体最適」を考えることが仕事である。平教諭ではないのだから自分の教科や自分のことばかり考えているのは絶対にいけない。そのための運営委員だ。
・ 私はごく上層の一群を選んで徹底した「各教科ローラー作戦を展開」するよう進路指導部長に指示した。本校は「予備校へ行かなくとも学校が責任を持つ」と言ってきている。それが「売り」の学校である。
・ 多聞は高3の受験生にとっては予備校である。中学と高校1年、2年には学校の補助機関である。高校3年で国公立を狙っているトップ層が卒業まで後4ヶ月の段階であるにも関らず「貴重な週末」を未だに数学単元で他に何も教えないと言うことではどうしようもない。私は頭に来ているのである。