・ 卒業生を教師として迎えることは果たして「良いことか」か、はたまた「うーん、良く考えなさいよ」となるのか、「ビミョー」である。私としては「OBだろうと何だろうと良いものは良い」のであって「卒業生だからどうだ」などは考えてはいない。
・ しかし正直言って多くの意見があるのも事実だ。本校で言えば今日までの4年間で「良い思いも、辛い経験」もOB教員から受けてきた。思い出すのも嫌な思い出もある。腹が立って「石を投げたい」くらいな奴もいる。
・ どうも卒業生教員には二つのタイプがいると考える。一つ目は「本当に立派な教師」である。決して彼らは「自分が卒業生だとは自らは言わない」タイプである。お世話になって育てて貰った学校に勤務できるだけで「幸せ」であると感じている。
・ 自分の出来る範囲で「陰日なたなく」仕事をする。そして職場には圧倒的に浪速高校卒でないが、偏差値も自分の出た大学よりも高い教員が多いと言うことも彼らは知っている。それだけに人一倍「謙虚」である。それに見ていると「一芸に秀でている」。
・ 私はこういうタイプであれば文句なしに採用する積りだ。ところがトンでもない「鼻つまみ者」が時に発生する。一言で言えば「自分の学校と勘違い」している輩である。私は良く言うのだが単に3年間ここで学んだだけの話だと。
・ ところがこういうタイプは「私はここの卒業生だ」とすぐに言う。そしてその気持ちが嵩じてきて「精神的な公私混同」をする教員である。こういう連中はあらゆる面で「学校を利用」しようとする。
・ 口では「母校のため」というが実際はそうではなくて母校を利用しようとするのである。金に汚く、何とかせしめようとしたりする。又目の前の生徒は「自分の後輩」になるものだから身内感覚で学びの途中にある対象として見えなくなったりする。
・ 酷いのになったら「生徒を自分のものと錯覚」したりする馬鹿も出たりする。大体管理職に対して「変な目」をする。「私のほうがこの学校のことは良く知っていますよ」といわんばかりにだ。そういえば全く礼儀も知らない卒業生講師もいたな。
・ そう言う時には「お前、何か勘違いしていないか」と私は教える。「君は単に私に雇用されている従業員であってこの学校は君の学校でもなんでもない。その他大勢の一人だ」と。そういう場合でも大体言っていることが分からないから「キョトン」としている。
・ 特にそういう教員上がりが同窓会の役員になったりするともうこれは「悲劇」である。完全に同窓会を私物化する。一度こういう事件があった。それでなくとも少ない同窓会の資金を使って「魚釣り大会」とか「伊勢神宮旅行」とかに多額の金を流用していたことがあった。
・ 高校3年生が卒業すると同窓会入会金として一人当たり相当大きな金額で人数分が同窓会会計に振り込むのだがそれを平気で使っていた。会員を集める目的と言うが参加するのは何時も同じ顔ぶれでそれも60歳を超えた「ええおっさん集団」である。
・ これらの年代は金も持っており「自分の金で旅行に行け」と私は名誉会長の立場で同窓会総会で一発かました。これは多くの会員も疑問に思っていたらしくその場で取り止めになった。万事がこのように「私物化する」のである。
・ 私は過去の出納簿と預金通帳を持ってくるように事務局に言ったら出てきた通帳は更新され残高のみ記載されたものだった。これでは過去どのように支出されたかさっぱり分からないではないか。要は卒業生の入会金で60歳を超えたおっさん連中が好きなようにしていただけの話だ。
・ 今本校には数えてみたら4人の卒業生教員がいる。3人は私が着任した前からこの学校の専任教諭であった。内二人の結婚式にも出席した。4人ともまあまあで教師としてのレベルで言えば比較的高いところにあると思う。
・ 概して厳しい私が評価するのだから間違いないし、この事は皆が認めているのではないか。まず「人間の人柄が良い」。まず全ての出発点はここではないか。とにかく「人間性」が最も大切なファクターだと年を取るに連れて思うようになってきたが、間違いはなかろう。「何といっても最後はお人柄」だ。
・ 一人ひとりについて言及してみる。年長の46歳の教員、この教員は永い間某クラブのナンバー2として「下働き」をしてきた。いい加減な長さではない20年近くであったろう。スターみたいな監督の下でよく頑張ったと思う。ところがだ。驚くことに彼は次の監督には指名されなかった。
・ その辺の理由については容易に想像できる。プロでもあるまいし、あくまでクラブは教育の一環だ。「それはないだろう」と私は思った。結果としてその監督とそのクラブのOBを中心として彼は排除された。この流れに乗った「ユダ」みたいな同僚教員がその教科に居たりした。
・ 私は徹底的にその辺の事情を調査したが、まあ理由は書くまい。そして外部からこれまた卒業生を持ってきて現役の教師を差し置いて監督に据えたのである。この間当時の校長は「傍観者」であった。この校長も卒業生であった。結果的に自分の部下たる現役の教員を差し置いて外部の人間を持ってきたのである。
・ クラブの監督人事に口を出すようなOB会は「分を超えている」と私は厳しく指弾した。「今後一切クラブの監督人事に口を出すな」と申し渡した。このようにOBは人事にまで口を出してくるものである。こうなったらもう学校はお仕舞いである。恐らく陰で私のこともあれこれ言っていたのだと想像に難くない。
・ 私はこの教師を「浪速ふくろうスタジアム」の建設担当にして仕事ぶりを観察した。見事な仕事ぶりであった。スタジアムが完成した後、私は彼を監督にした。「脇の甘い」アホなところはあるが人柄が良い。「育ち」が良いんだと思う。
・ただし5年だ。5年で結果が出ないときは「無能監督として首」だ。彼にはその旨伝えている。その時にはそれこそOB以外の人物を監督に据える積りである。彼も分かっているだろう。彼は私に感謝してる筈だ。監督になって「男が立った」と思っている筈である。未練たらしい男ではないからスパッと止めるだろう。私は今後とも全面的に支援してやる積りである。特待生度まで作ったのは彼の為だ。良い選手を探して来いと何時も言っている。
・ 次の二人の卒業生教師については「人間的に賢い」。だからアホなグループとは交わらず自分の仕事を精一杯頑張るのが役目とそれこそ陰日なたなく頑張ってくれている。二人とも将来有望だがまだまだ勉強が不足している。人間としての修行が足りない。
・年の食ったほうは昨年本当に某事件で痛い目にあった。いいようもない事件があったからである。勿論彼の責任ではなかったが、直接のクラブ担当者として結果的には本人の瑕疵もないわけではない。企業だったら全責任を負わされて「一貫の終わり」だったろうが私はこの教員を護った。良い勉強になったと思う。欠点はすぐ「顔に直ぐ出る」がこれは直さないといけない。
・ 若い方は「パーフェクト」に見えるが少し気にかかっている。最近学校に来るのが遅いので厳しく指導した。この教員は日本でも大変有名で「その道の達人教師」であり、海外出張なども多いし対外試合で学校を留守にすることが多い。
・それだけに学校に居る時は少しでも早く来て、自分が不在の時に他の教師から助けて貰っていることへのお返しでも考えるべきではないかと私は言ったのである。若造教員の癖して「重役出勤」だったのである。この教員の結婚式にも出席しており、夫人もよく存じ上げている。最近第二子が誕生した。自覚して頑張らねばならない。
・ 最後の最も若い教員は昔は酷かった。私は苦労した。この教員の結婚式にも出席し夫人もよく存じ上げている。「組織人としての訓練」が出来ていなかったからだろうと今になって分かるのだが、着任した時には前の卒業生校長から見せられた「解雇リスト」に名前が載っていたのである。
・ 卒業生校長が卒業生教員を首にしようとしたのだ。 しかし私は「理事長人事」の声を張り上げて救済した。理由は簡単、「並外れたコンピューター技術」を有していたからである。又彼を評価する教員も多くいたからである。この点が救いであった。この教員の欠点は一言で言えば「気配り、心配りがない」ことである。
・ 徹底的に私は鍛えに鍛えた。最近少し改善されてきたと思うがまだまだだ。仕事が出来るし何よりIT技術に関してはダントツのナンバーワンであるだけに私は将来を期待している。それだけに「何でも仕事を与え」、厳しく指導しているのである。
・ 今は33歳で教師をさせているが20年後ひょっとしたら事務室に回し「事務長」をさせたいとの考えもあったがその考えも今は消え失せている。さぞかし立派な事務長になるのではないかと思ったが今の状態では駄目だ。
・ 私は教員が学校の事務を司るのも一案だと考えているのである。その場合第一号は彼だと思ったからである。前の3人はスポーツマンだから礼儀などわきまえているがこちらは若干「おたく」に近いから人間関係の基本が出来ていなかったのである。
・以上4人について厳しいことを書いたが私はこの4人が「可愛い」のである。若し「浪速丸が沈没」する時があれば、最後の最後まで船長キャプテンの私の傍で頑張ってくれるのはこの4人だと信じているからである。だって彼らの「母艦」だからである。
・ 昨年10月に常勤講師から専任教諭に採用した若い卒業生教員は今年2月突然学校を去った。自主的に退職したのか、そうでないのか、一時期、生徒が「怪訝な面持ち」で私の部屋まで聞きに来たりして大変だったが今は完全に落ち着いた。しかし「こいつ」には参った。これ以上は書けない。こんな奴は初めてだった。
・ 私は今から3年前に退職して行った一人の卒業生教師を今でも思い出す。立派な先生であった。「絶対に管理職に」と思っていた人材であったが体調を理由に舞台を去っていった。私は着任前、彼のことを知り、天王寺辺りに呼び出して飯を食いながら学校の様子を詳しく聞いた。
・ 最初の管理職人事で彼の考え、判断がどれほど役に立ったか、今でも感謝に耐えない。前のS副校長先生の人事を固めた時に「名人事」と大変喜んでくれたのを思い出す。今居れば私の右腕としてどれだけ本校は助かったことだろうか。
・ 想像するに、退職の理由は体調もあったりお家の事情もあったのだろうが、卒業生校長、並びに他の卒業生教員との軋轢で疲れ果てたのだと聞いた。良く耳に入ってきたものだった。驚くことに社会科の教師でありながら海外英語研修を担当させられていた。
・ これも信じられない話である。英語の教員は30人近くも居たが、このプログラムに誰も関与せず社会科の教員に海外英語研修を振るなど、経緯や理由はあったのだろうが当時の英語科には「骨のある教員」は居なかったのである。
・ しんどいことはイヤだ。英語科は「知りません」と訳の分からない理屈で仕事を放棄したのである。もしその時に私が居れば首謀者は解雇しただろう。英語科の教員の「面汚しだし恥」だ。英語教師など辞めてしまえと言いたい。
・ 本日は23年度の「教育実習生」の着任日であった。今年は11名のOB、OGが久しぶりに学校に戻ってきた。OGと書いたように初めて女性の実習生の登場である。平成17年に共学に移行して遂に女性卒業生が教員を目指して学校に戻ってきたのである。私は「時を感じ歴史の回転」を思わざるを得ない。