・ 「人材育成・評価システムの22年度結果」がまとまり、熟慮し最終結論を出した。結論が出れば即刻教職員に通知する必要がある。本日午前中に「副校長立会い」で該当教員に部屋に来てもらってお話させて頂いた。
・ 18年度から検討を着手し19年度システムを完成、20年度試行、21年度本番但し50%反映、22年度本番100%反映と手順を踏んできたものである。プロセスの瑕疵はない積りだ。
・ 頑張っている教職員への応援歌として「処遇に反映」する。具体的には「AA,A,B,C.Dの5段階評価」で標準評価はAである。A評価であれば職務に応じて適切な遂行と言う評価である。
・ AAは特に顕著な業績があった人に対するもので、同様にB評価は「もうちょっと」頑張って貰わないと困るという「全体を俯瞰」しての評価である。特に最後は同世代間を横並びして眺めるがあくまで目標に対して成果がどうだったかが第一義的には来る。
・ 「総合特記事項」という欄に業務目標とは異なる業務姿勢、服務等々がくるがこれはあくまで参考である。ただ目標は達成したが「服務はでたらめ」では高い評価にはならない。これは当たり前だろう。
・ いずれにしても公立の教職員が既に常態化している評価システムが私立学校の本校で100%本番化したのは誠に喜ばしい。私としては相当時間をかけてここまで来た。全ての仕事が手早いと言うわけではない。「じっくり構える」ところはこのように構えていくのである。
・ 高い評価を得た先生は当然私の通知に対して「破顔喜び」の雰囲気であったが「頑張った甲斐があった」と思われているに違いない。低い評価が与えられた先生は些か落胆の様子であったが「捲土重来」を期して今年を頑張って欲しい。
・ 今までは教職員の世界は「評価など無い社会」であった。概念さえ無かった。同期、同年齢であれば男女を含めて1円も昇給が違わず、そういう意味では「民主的な社会?」であった。しかしそのことは「本当に正しいことなのか」ということである。
・ 病気で休みがち、仕事のミスが多い、成果は上がらない、プータラ、プータラ文句ばっかり言って、休暇は多く、遅く来て早く帰る人と生徒や学校のために陰日なたなく粉骨砕身頑張ってくれている教職員が全く同じと言うのが「おかしい」のであって戦後60数年日本の教育界はここが問題であった。
・ 23年度は浪速学院にとって「パラダイムチェンジ」の時となった。大袈裟だし不遜だがミニ・ミニ・パラダイムチェンジと言いたい。パラダイムとはご存知のようにその時代や分野において今までは当然、常識と考えられていたことが外的、内的エネルギーによって認識、価値観などが「革新的」「革命的」に「ドラスティックに」変化することを言う。
・ 大震災以降とみにこの言葉が出てきている。パラダイムシフトとも言うがまさしく本校は22年度から23年度が後世「価値観の変わった時代」と言われるだろう。多聞尚学館、ふくろうスタジアム、武道館と「教育トライアングル」が完成し、遂に「新校舎建設へのトリガー」に指がひっかかったのである。
・ そのような「教育施設ハードウエアの劇的変化の中で人事評価というソフトウエア」が回転し始めたのである。又多くのベテラン教員が去り今や半数が勤務3年未満の若い集団に衣替えした。このような時を如何に捉えるかであろう。「昔の浪速は遠くなりにけり」だろう。
・ 東日本の大震災で我々は戦後初めて「計画停電」なるものを突きつけられた。スーパーから物がなくなるということを経験した。駅のコンコースは薄暗くなっている。大自然の前には全く人間は無力だと言うことを知らされた。
・ 政治家がまったく役に立たないということを我々は知った。東大出のエリートは緊急時全く役に立たない人間だとも知った。間違いなく3.11は日本のパラダイムシフトを促すだろう。
・ 大切なことは「認識の仕方」「考え方」「常識」を高めると言うことである。勉強しなければならない。特に学校の教員はそのことが重要である。昨日も書いたが橋下知事は今朝も新聞紙上で叫んでいる。
・ 公務員に「個人の思想信条など関係ない」「起立しない教員は処罰する条例」を作ると意気軒昂である。彼がこの3年間大阪府でやったことは当にパラダイムシフトであろう。良い、悪いの議論ではない。行政府の長の変化で従来の大阪府の常識が一つ一つ覆されているのである。
・ 早速教職員組合は「知事はファッショだ」と言って批判しているがこのファッショと言う言葉さえもう古臭い。こういう感覚だから駄目なのである。よく言われる言葉に「君主専制的リーダー」「ボトムアップ型放任主義リーダー」「民主的リーダー」とか人は様々にリーダー論を展開するがリーダー論などはない。
・ 放任主義リーダーなど有り得ない。皆の意見を聞いて最大公約数の答えを出すリーダー、後は任す、責任は俺が取るなど一見格好良いリーダーなど色々あるがこれらなどはリーダーでもなんでもない。ただ組織の御輿に乗っているだけの人間である。
・ 「リーダーとは一般の組織の人間とは全く別次元で最終決定する人間」のことを言う。成功も失敗も全てを最終決定する人間のことを言うのだ。そこには深く裏づけされた研究と情報と見識と胆力が必要である。孤独な決断をするのがリーダーである。リーダーとはそういうものだ。人の言うことを聞いて決めるなどリーダーではない。
・ 学校社会において果たして真の意味でリーダーが必要なのかどうなのかは分からない。「校長がリーダーたるべし」と言うのも「言うが易く行うが難し」である。一般教員から30年経って「ハイ、校長に成りました。今日からリーダーです。」というのは本当にあり得るのかという疑問もある。
・ しかし社会も地域も組織も学校もこのような変化の中で時に「外部の力でパラダイムシフト」がなされているのであろう。内部エネルギーでパラダイムシフトは起こり得ないのではないか。平成23年のパラダイムシフトは「地震と津波」によってもたらされた。
・ 浪速学院は平成19年から23年にかけて教師出身でない一人の強烈な個性の人間によって「パラダイムチェンジ」がなされているのはほぼ間違いなかろう。浪速の内部の力では何ともならなかったのである。時に組織の変革には「外部の力」が必要である。
・ 18年度から検討を着手し19年度システムを完成、20年度試行、21年度本番但し50%反映、22年度本番100%反映と手順を踏んできたものである。プロセスの瑕疵はない積りだ。
・ 頑張っている教職員への応援歌として「処遇に反映」する。具体的には「AA,A,B,C.Dの5段階評価」で標準評価はAである。A評価であれば職務に応じて適切な遂行と言う評価である。
・ AAは特に顕著な業績があった人に対するもので、同様にB評価は「もうちょっと」頑張って貰わないと困るという「全体を俯瞰」しての評価である。特に最後は同世代間を横並びして眺めるがあくまで目標に対して成果がどうだったかが第一義的には来る。
・ 「総合特記事項」という欄に業務目標とは異なる業務姿勢、服務等々がくるがこれはあくまで参考である。ただ目標は達成したが「服務はでたらめ」では高い評価にはならない。これは当たり前だろう。
・ いずれにしても公立の教職員が既に常態化している評価システムが私立学校の本校で100%本番化したのは誠に喜ばしい。私としては相当時間をかけてここまで来た。全ての仕事が手早いと言うわけではない。「じっくり構える」ところはこのように構えていくのである。
・ 高い評価を得た先生は当然私の通知に対して「破顔喜び」の雰囲気であったが「頑張った甲斐があった」と思われているに違いない。低い評価が与えられた先生は些か落胆の様子であったが「捲土重来」を期して今年を頑張って欲しい。
・ 今までは教職員の世界は「評価など無い社会」であった。概念さえ無かった。同期、同年齢であれば男女を含めて1円も昇給が違わず、そういう意味では「民主的な社会?」であった。しかしそのことは「本当に正しいことなのか」ということである。
・ 病気で休みがち、仕事のミスが多い、成果は上がらない、プータラ、プータラ文句ばっかり言って、休暇は多く、遅く来て早く帰る人と生徒や学校のために陰日なたなく粉骨砕身頑張ってくれている教職員が全く同じと言うのが「おかしい」のであって戦後60数年日本の教育界はここが問題であった。
・ 23年度は浪速学院にとって「パラダイムチェンジ」の時となった。大袈裟だし不遜だがミニ・ミニ・パラダイムチェンジと言いたい。パラダイムとはご存知のようにその時代や分野において今までは当然、常識と考えられていたことが外的、内的エネルギーによって認識、価値観などが「革新的」「革命的」に「ドラスティックに」変化することを言う。
・ 大震災以降とみにこの言葉が出てきている。パラダイムシフトとも言うがまさしく本校は22年度から23年度が後世「価値観の変わった時代」と言われるだろう。多聞尚学館、ふくろうスタジアム、武道館と「教育トライアングル」が完成し、遂に「新校舎建設へのトリガー」に指がひっかかったのである。
・ そのような「教育施設ハードウエアの劇的変化の中で人事評価というソフトウエア」が回転し始めたのである。又多くのベテラン教員が去り今や半数が勤務3年未満の若い集団に衣替えした。このような時を如何に捉えるかであろう。「昔の浪速は遠くなりにけり」だろう。
・ 東日本の大震災で我々は戦後初めて「計画停電」なるものを突きつけられた。スーパーから物がなくなるということを経験した。駅のコンコースは薄暗くなっている。大自然の前には全く人間は無力だと言うことを知らされた。
・ 政治家がまったく役に立たないということを我々は知った。東大出のエリートは緊急時全く役に立たない人間だとも知った。間違いなく3.11は日本のパラダイムシフトを促すだろう。
・ 大切なことは「認識の仕方」「考え方」「常識」を高めると言うことである。勉強しなければならない。特に学校の教員はそのことが重要である。昨日も書いたが橋下知事は今朝も新聞紙上で叫んでいる。
・ 公務員に「個人の思想信条など関係ない」「起立しない教員は処罰する条例」を作ると意気軒昂である。彼がこの3年間大阪府でやったことは当にパラダイムシフトであろう。良い、悪いの議論ではない。行政府の長の変化で従来の大阪府の常識が一つ一つ覆されているのである。
・ 早速教職員組合は「知事はファッショだ」と言って批判しているがこのファッショと言う言葉さえもう古臭い。こういう感覚だから駄目なのである。よく言われる言葉に「君主専制的リーダー」「ボトムアップ型放任主義リーダー」「民主的リーダー」とか人は様々にリーダー論を展開するがリーダー論などはない。
・ 放任主義リーダーなど有り得ない。皆の意見を聞いて最大公約数の答えを出すリーダー、後は任す、責任は俺が取るなど一見格好良いリーダーなど色々あるがこれらなどはリーダーでもなんでもない。ただ組織の御輿に乗っているだけの人間である。
・ 「リーダーとは一般の組織の人間とは全く別次元で最終決定する人間」のことを言う。成功も失敗も全てを最終決定する人間のことを言うのだ。そこには深く裏づけされた研究と情報と見識と胆力が必要である。孤独な決断をするのがリーダーである。リーダーとはそういうものだ。人の言うことを聞いて決めるなどリーダーではない。
・ 学校社会において果たして真の意味でリーダーが必要なのかどうなのかは分からない。「校長がリーダーたるべし」と言うのも「言うが易く行うが難し」である。一般教員から30年経って「ハイ、校長に成りました。今日からリーダーです。」というのは本当にあり得るのかという疑問もある。
・ しかし社会も地域も組織も学校もこのような変化の中で時に「外部の力でパラダイムシフト」がなされているのであろう。内部エネルギーでパラダイムシフトは起こり得ないのではないか。平成23年のパラダイムシフトは「地震と津波」によってもたらされた。
・ 浪速学院は平成19年から23年にかけて教師出身でない一人の強烈な個性の人間によって「パラダイムチェンジ」がなされているのはほぼ間違いなかろう。浪速の内部の力では何ともならなかったのである。時に組織の変革には「外部の力」が必要である。
