2011年5月29日日曜日

23年5月29日(日)多聞へ行く

手を振って見送ってくれた付き添いの先生










このスタイルを見てください。ものすごい気迫です。
関大コース長


冷蔵庫が2台になりました

小雨に煙る静寂の多聞尚学館
・ 朝7時に家を出て学校に向かった。新聞に目を通すが最近は記事内容にも面白いものが余りなくてブログの対象が「内向きのもの」になってきている。もっと学校内部の事から離れて「世評評論」をしたいのだが「食欲をそそる記事」が少ない。
・ 大阪府の「国旗国歌起立の条例化」について教育長が明確に「条例化反対」と議会で明言したがその理由は「府教委と校長でしっかりやるから」というものだった。これに対して橋下知事は「2002年からこっち出来て来なかったではないか。そんなことは信じられない」と反論していたのが奇妙な光景だった。
・ 知事と特別職の教育長の間で話がまとまっていないのだから、これではどうしようもない。これで私はこの問題の先行きは「混沌」としてきたと思う。世論も時間が経てばどちらかというと「ウーン、そこまでしなくとも」という雰囲気になってきている。
・ このようにして「社会は一部の教員のでたらめを許していく」のだろう。しかしこれは「寛容」というものではない。実態を知らないから「甘い」だけだ。これは学習指導要領上の法令なのだからコンプライアンス違反として捉えれば良い話である。「職務命令」とか「府教委教育長通達」とか関係ない話ではないのか。
・ とにかく対応が甘い。そういう意味で橋下知事の論点は意味あるのだが知事も教育現場の「どろどろ」している現実をそれほどご存知ではないと私は見ている。だからこれ以上の「理論武装」が出来ていないように見える。
・ 大阪市の平松市長は「大阪市にはこのような教員はいないから条例化は不要」と鼻を膨らませて言っていたがとんでもない話だ。市立の小学校、中学校の実態をまったくご存じない感じである。小学校、中学校の実態を暴きだし、直視せよと申し上げたい。

・ 最近それでも面白かったのは東電福島第一原発での例の「海水注水ストップ55分間の問題」だ。管総理、官房長官、谷垣総裁、経済通産省、原子力保安員会それに東電と多くの関係者が「言った、言わない」と「誰が指示したのか」と犯人探しでこの2ヶ月ほど世間を騒がせてきた。
・ ところが面白いではないか。国会での党首討論が終わった二日後。「実は海水注入は止めていませんでした。現場の所長が自らの判断で継続して注水していたそうです」と東電本社がのうのうと発表したことだ。
・ 私は思わず「づっこけた」のである。国民誰もが55分の注水ストップがあって事態を悪化させたと思い込まされていたのだが「そんなことはなかった」と2ヶ月経って知らされたのである。一国の総理を動かし自社の社長にまで報告せず「ずーっと」黙っていたこの吉田という所長さんは極めて面白い。

・ 新聞を読み終えて8時過ぎに学校車で「多聞尚学館」に向かった。途中風雨の若干激しい所はあったがまあ普通のドライブで9時20分には到着した。慣れた道である。到着した時には生徒は1コマ目の講義を受けていた。
・ 中学1年生の4クラス合同の授業だから4部屋全てを使用していた。多聞を開くときに教室数は3にするか4にするか議論があったが4教室で良かった。付き添いは教頭先生込みで7名の教員が担当してくれた。周辺の様子を見た私は、「保護者参観」は止めて正解だったと思った。
・ 本当であれば300人以上の人間がこの多聞に集結して「にぎやか」だったが「雨に煙る多聞尚学館は静寂で美しかった」。昼食には生徒、保護者、学校合同のバイキング昼食会を計画していたのだが取りやめたので私は給食業者さんにお詫びのために給食室に出向いた。
・ もう顔なじみであり、「全く問題ありません」と言ってくれた。それよりも依頼されていた冷蔵庫が新しく入っておりそのお礼を言われた。生徒が増えたので「用意する食材の料」も増えて冷蔵庫一台では不足だと言われてきたのである。

・ 私は何時も各部屋を回って生徒と先生を激励するのだが、これは大変勉強になる。今まで3年間何時もこのやり方をしてきているので「それぞれの先生の教え方の違いが大変良く分かる」のである。これは私にとって大変重要な情報になっている。
・ 人間個性があるから同じような教え方というのは表面上は有り得ない。しかし問題は「教え方の先にあるもの」である。ポイントは「生徒が理解しているか、教師の指導が伝わっているか」である。教員の独り舞台に陥っていないか、生徒は退屈していないか等々私は観察するのだ。
・ 教師の側も板書が汚い、字が小さい、声が小さい、山場もなければ常に平坦な説明とか「教え方の未熟さ」など見えてくる。特に私は「漫談授業」は大嫌いだ。教員の中には生徒におもねり「漫談で最初の10分を過ごす」などの人がいるがこれはいけない。
・ 教壇に立ったときに生徒が沈黙して先生を凝視し「次に何を言われるのだろうか」と「緊張感を持たせるような腕」を持たねばならないだろう。当然だと思うが概してベテランの先生は上手い。最も何十年もやっているのだから下手な方が逆におかしい。
・ これに対して新人の教員には未熟な面が多く見られる。まず授業が平坦である.リズムがない。またこの反対で必要以上に「甲高く一方的に喋る」だけの先生もいる。若い先生はもっとベテランの「授業が上手いと評判の先生」の授業を観て勉強しなければならない。何での同じだが「蓄積の浅さ」は何処かに出てくるものだ。
・ 私は休日の多聞での先生方の奉仕には「手当て」でもって報いるようにしている。今年もこれだけは減らさなかった。「心から感謝している」からである。何回も書いたが「自分の時間を犠牲にして頑張ってくれている先生」には頭が下がる。
・ 「国旗国歌反対」と叫び「自己の内心に立ち入るな」「思想信条の自由だ」と叫んでいるような教員まがいの連中には「生徒にために自己を犠牲して」頑張ってくれている本校の教師の高い志を知らないだろう。
・ 自分の要望を言う前にまず黙って仕事をしたらどうだ。公務員として高い給料はちゃんと受け取っているのだろうに。社会の人はご存じないと思うが国旗反対国歌反対と具体的に行動に出る教員の中には実は「何でも反対の人」であり、まず「自己犠牲」などしない先生方が多いと私は知っているから厳しいことを言っている。こういう人は教員を辞めて市民活動家にでもなったらどうだ。