2011年2月15日火曜日

23年2月15日(火)倭(やまと)は国のまほろば・・・

・ 昨日が振り替え休日で今日は15日、月半ばで「朝礼の日」であった。何時もなら学院神社前の中庭で行うのだが今日は「17日の耐寒行事」についてある程度詳しく説明する必要もあって場所を体育館とした。高校1年生と2年生だけだが会場は満杯である。床に座らせて話を進めた。
                                                                                         
・ 一連の対外試合の表彰が終わった後、引き続いて「耐寒行事;山の辺の道」踏破について私から話を切り出したのである。これは本校歴史始まって以来の学校行事である。それだけに慎重に検討を進め、ようやく明後日に決行することになったのである。
・ 私は冒頭「倭は 国のまほろば たたなずく青垣 山こもれる 倭しうるわし」の歌の紹介から始めたのである。この歌の作者は日本神話の英雄「ヤマトタケルノミコト」で「日本武尊」とも「倭建命」とも漢字で表記する。

・ 本校は神社神道を建学の精神に持つ学校である。それだけに私は本校の生徒たちに「日本の歴史」を伝えて行きたいのである。「日本という国の国柄」は好もうと嫌がろうと2600年以上に亘って「古事記・日本書紀の神話の世界から国作り」がなされてきた国家である。

・ 私は思うのだが古事記ほど面白いが難しい読み物は無いと思っている。まず漫画本から入るのも一つの手である。書店に行けば結構ある。日本誕生から天照大御神、まさに日本は「神々の国」であることが良く分かる。昔某総理大臣が日本は神の国と言って物議を醸したがこの人は教養がないのであって「神々の国」と言わねばならない。
 
      

















・ 森羅万象すべてに神が宿り、「自然の持つ力に感謝することが日本人の心」である。日本人は春には豊作のお祈りをして秋には「収穫への感謝のお祭り」をしてきた。誰もが氏神様を持って「鎮守の森の神社」にお祈りを捧げてきたのである。その原点は古事記の「天照大御神」である。伊勢神宮に祭られている神様である。
・ その祈りと感謝の中心に天皇がおられた。確かに一時期天皇の名の下に不幸な戦争への突入と敗戦という時代はあったがそれをすべて天皇制からくるものとして過去の歴史をすべて否定し、自虐史観から思考するのでは明日を担う生徒たちへの教育とはならない。

・ 物事の事実には科学的事実と歴史的事実がある。全てを科学的根拠で証明せよなどといっていたら無色透明、感情のないアイデンティティ非存の国民ばかり出来てしまう。とにかく日本は古事記・日本書紀の時代から存在しているのである。紀元前660年初代の「神武天皇」から我国は国家としての歩みを進めたのである。

・ 私の小さかったころは「因幡の白兎」とか「ヤマタノオロチ伝説」とか「ヤマトタケルの東国平定」の話を聞かされて育った。しかし今日では生徒は全く神話の世界の事など知らない。知らないのは当たり前で学校で教えないし、親も教えないというかご存じないのである。

・ 私は本日の生徒向けの話で、ヤマトタケルは「明後日君たちが歩く山の辺の道にある第12代景行天皇の子で、父の命で九州の熊襲や東国平定に乗り出し、今の東北方面まで行ったが、戦で疲れ果てて“わが足三重の匂り(まかり)なして いと疲れたり」と述べ、故郷の奈良を思いやりながら力尽きたタケルが詠んだ歌が先ほどの倭は国のまほろば・・・」である。これからこの地が現在の三重県の三重とよばれるようになったと説明した。

・ ヤマトタケルの尊は現在の羽曳野市にいた「オトタチバナヒメ」と結ばれ、亡くなったタケルの魂は白鳥となって舞い上がり今の古市の白鳥稜に降り立ったという。亡くなられたのは今の鈴鹿山脈ふもとに墳墓があると説明したのである。

・ 古事記の世界でも第10代崇神天皇からは書物に記載されている天皇で間違いなくその存在が確認されており、今の樫原神宮において祭られておられる。この崇神天皇陵の傍を君たちは歩く。山の辺の道周辺には1000以上もの古墳があり、卑弥呼の墓といわれている箸墓古墳や卑弥呼の宮殿といわ巻向遺跡、すなわち邪馬台国のあった可能性高い日本最古の古道を歩くのだと私は一生懸命に語ったのである。
・ 今から1300年以上も前に藤原京から遷都1300年で湧いた「平城京」を近似して桜井市の三輪神社から天理市の石神神宮まで15キロを約5~6時間かけて「日本最古の古道」を歩くことで「何かを感じて欲しい」と私は訴えたのである。
・ 生徒は静かに聴いてくれていた。最後に私は「山の辺の道踏破記念」にかっこよいキーホルダーをプレゼントすると誘ったが、これは笑いは取れなかった。とにかく私は誘い水という禁じ手みたいなものまで用意して生徒を引きずり出すのに必死なのである。
・ ヤマトタケルは東国平定に出かけるときにスサノウの尊が出雲で倒したヤマタノオロチの尾っぽから出てきた「天叢雲(あめのむらくも)の剣」を使って、危うく難を逃れた。この時にタケルはこの剣を「草薙の剣」と改名した。この地が今の静岡県清水市にある草薙神社でこの地を「日本平」というようになったのである。
・ このように日本の地名と古事記日本書紀の関係は深いのである。本校の生徒が制服につけるエンブレムはこの「草薙の剣」と勾玉他三種の神器をモチーフとしているのである。こういうことを生徒に語っていかねばならない。これは私の仕事と思っているのである。
本校の制服エンブレム
三種の神器をモチーフ
・ 我々は今「武道館」を建設中である。その和室の一角には「古事記の神話の世界」を杉戸の襖絵に書くのである。まさに「武を尊ぶ」ヤマトタケルの時代を描いて後世にこの学校のアイデンティティを伝えて行きたいのである。
・ 果たして今回の試みはどのような結果を生むか。神道科と体育科の合同行事であり、先生方は何回も現地を踏破して準備に当たってくれた。後は天気に恵まれ、誰一人事故無く学校に戻ってくることを祈念するばかりである。勿論私も生徒と一緒に歩く。