・ 間違いなく「少子化を実感」した。高校は踊り場にあったような気がするが小学校6年生は音を立てて少子化の流れが加速している感じだ。我々は浪速の教育に自信があっても保護者の目や塾の先生方の目は簡単には「はい、そうですね」とは言ってくれない。
・ もう一つは各私立高校がこの期に及んでも「併設中学校」を開校していることである。これは大学の新設や学部の新設が増加している構図を似ている。「メニュー揃え」をしないと学生が集まらないからとにかく目新しい学部を作って高校側に秋波を送ってくるのと似ているのだ。
・ 今年は市内中心部の極めて交通至便なところにある伝統ある私立高校が「中学校の募集を開始」した。又2年前には近隣の強い高校が同じく中学校をスタートした。これらが本校に影響を与えたのは間違いない。
・ それだけに中学校を20年以上に亘って保有し、先行していた浪速中学がこの間「何をしていたのか?!」と歴代の理事職や管理職などに対して私の怒りが収まらなくなってくるのだが、過去を愚痴っても仕方がない。しかし言いたくもなるのである。ゴルフと一緒で「れば、たら」は禁物だが、もし私が居たらと思う「こうはさせなかった」と思うのである。
・ 一方今年の高校募集で現時点で苦戦しているのはデータから読み取れば、女子校である。しかしそのうち「うちも共学に」となったら、少ない生徒の取り合いがますます激しくなってくるのである。上町台地にある男子校が共学に踏み来ったが驚くほど生徒を集めている。男子校、女子校は勝ち組、負け組がはっきりしてきた。
・ 大阪私立中高連は「私学は一つ」というのがキャッチコピーであるが、どこが私学は一つか。授業料も大きな開きがあり、高校も中学も仁義なき戦いで生徒争奪戦にある。しかし私は思うのである。こういう事態は何時かは「迎える日」であったのだ。
・ 橋下知事が誕生しなかったら恐らく過去30年以上に亘って行われてきた公私7:3の割合は焼酎のお湯割りみたいにキープされて大きな変動はなかっただろう。小泉総理が「自民党をぶっ壊す」と言ったように橋下知事は「カルテルだ」と叫んで公立。私立の枠組みをぶっ壊した。
・ 知事の狙い通りに「激しい生徒獲得競争の時代」に入った。この現実から逃げるわけには行かないのだから生き残るには「競争力」を付けるしかない。どう考えても競争力しかない。テレビコマーシャルを流して生徒が来てくれるなら、私は何度でも黄金タイムに流す。浪速のイメージキャラクターも「ごくせんの仲間由紀恵」くらい使ってね。とにかく競争力を付けないと本校の教職員は「路頭に迷う」ことになりかねない。
・ 私は今日の職員会議でこの種の話を展開し、「新人事制度」への踏み込みと「新校舎建設」を急ぐ旨言明した。3月理事会までにある程度の方針をまとめるように施設設備係りに検討を急ぐように手は打っている。
・ はっきり言って日本は、すなわち日本人は「競争力の構成要素」の中で最も重要な「意識の部分で競争力を失ってきている」のではないかと強く思っている。1月30日の日経新聞は「人口減少時代の日本の競争力」として4人の大学教授の私見を東大教授の福田慎一先生が纏められた記事になっている。
・ 残念ながら今まで言われてきたことの繰り返し的な内容なのだがそれでも大学教授らしい分析力で改めて私は教えられたのである。整理してみると以下のようになる。
* 国家と企業の一体性 国が先頭にたって市場を開拓する考え方
「韓国株式会社」に学べ 物作りではなくて、売れるもの作り
自由貿易圏の拡大、法人税の切り下げ、途上国へのインフラの売り込み
* 生産年齢人口は今の8000万人から2050年には5000万人と減少
人口減を嘆くよりも技術革新とイノベーション
人材の質の向上 「日本が生き残る道は専門的職業人を育成する教育」
* そして「意識の問題」
「アニマルスピリットの回復」 「現在よりは将来は良くなって欲しいという強い意識」
・ 特に私はこのアニマルスピリットの部分に同意し共感する。最近の若者は「スピリットを前に出すことに臆病」であり、それは何か恥ずかしいことだというばかりである。自由主義や市場主義を否定的に見る風潮は、実はますます競争力を失って行っていることに気が付かないといけない。
・ 「負けるものか!」「中国何するものぞ!」と闘志を前面に出して戦う意識を持たねばならない。そう、アニマル浜口さんの「気合だ、気合だ、気合だ」である。勝つためには努力が必要である。努力こそ人間を輝かす。その努力は決して無駄にはならない。
・ 記事には大阪大学の大竹文雄教授が言われているように「競争はその当事者が自分の長所を見つけることを可能にし、それによって長所を活かした創意工夫も可能になる」のである。
・ 更に先生は現代社会において社会の市場システムに内在する競争のメリットを享受することなく持続的な成長を実現することは不可能と断じ、「急速な少子高齢化を過度に悲観する前にやりことがあるだろう、それは競争心だ」と言われているのである。
・ 戦後教育の最大の問題はこの競争心を排除するように排除するようにしてきたことである。とにかく平和教育ばかりに特化し、日本人の心から闘争心をなくするような教育をしてきたのではないか。運動会において順位などつけず手を繋いでゴールするという考えられえない光景がその辺にあったのである。
・ 私は徐々に生徒に競争心を有して貰うための方策を導入しつつある。勿論一私立高校の校長の立場だから出来ることは限られているし、手順も慎重であるべきことは分かっている。とりあえず私が「考え方」としてやっていることは「時間を長くする」「結果を明らかにする」ということかも知れない。
・ 「多聞学習合宿は早朝から深夜まで勉強、勉強、勉強」である。何も無かった中学校には「耐寒行事で冬の金剛山登山」を入れた。高校生にはこの17日には14キロを歩いてもらう「山の辺の道」踏破を行う。ちょこちょこやって終わりという風にはしない。「たっぷり」やるのである。持久心、耐久心を養って貰いたい。
・ 学業成績については「成績優秀者を紙に張り出す」ことにした。先週末には遂に中学1年生で行った。何と、何とここに生徒のアンケート結果があるのだが「今回は得点の順位を張り出してくれたのでやる気が上がった」とか「例え名前が載っていなくとも頑張れるんで次からもやって欲しいです」とか歓迎のオンパレードである。
・ 生徒たちは目を輝かせていたと言う。実は競争心を嫌がっていたのは教職員で肝心の生徒は嫌がっていなかったという事実に向き合わねばならない。競争心は人間を成長させる特効薬であると私は考える。勿論処方箋が重要であることは待つまでも無い。しかし何でも良いことは最初は苦しいものである。「良薬は口に苦し」だ。



