・ 入試業務が一段落して今日は11日の代休日であった。多聞尚学館にも生徒は行っていないから出かける予定もない。1月以来休日はなかったがようやく「ホッ」とした安息日になった。外は寒いしこういう日は出かける気にもならず、どういうわけか無性に料理がしたくなるのである。
・ 今日はカレーを作ることとした。まず近くのスーパーMAX VALUEにて食材を求める。牛肉775円、ジャガイモ(メークイン)3個198円、たまねぎ3個264円、にんじん1本68円、きぬさや128円で合計1433円となった。
・ ルーは買い置きのSBのとろけるカレー辛口があったからこれを使う。昼前に作ってはいたがこれをお昼に食してはいけない。明日まで待つとベストなのだがそれは待てない。とにかくカレーは熟成させると更に美味くなることを私は知っているのである。家で作るととにかく安くすむし、第一美味い。難波にはカレーショップが多くあるがお手製のカレーは何処にも負けない自信がある。
・ ところで「専業主夫 いいじゃない」「男は仕事、薄れる役割」との見出しで、興味ある記事が1月31日の大阪日日に出ていた。主婦ではなくて主夫ですぞ。記事の中身は男性の専業主夫志向が強まっているというものである。
・ 20代、30代の男性の過半数が専業主夫を肯定しているという調査結果もあるらしい。その理由として働く妻が増え、主夫になる選択肢も出来てきたためだというが、激務の末、家事や子育てに新たな活路を求める男性の増加もあると記している。
・ 私などは「エーッ、なんじゃい、それは!」と言いたい気分である。「古いタイプの男なのかなー」と自問自答するがそれでも「専業主夫」というイメージが分からない。記事にもあったが毎日の洗濯、掃除、お片づけ、夕食の買い物、子どものお迎え、ご飯、寝かしつけなどが専業主夫の仕事である。
・ 過労と人間関係の悩みから職場を退職してから主夫業に転じたというのはまだ分かるが「まったく抵抗無く専業主夫になった」と自慢している人もいるらしい。「仕事より今の方が充実しています。子どもの歯が生えてきたとか、寝返りが出来たとか子どもの成長が分かり、今では子どもが妻より自分に懐くのも嬉しい」とあった。またまた「エーッ、なんじゃい、それは!」と思う。
・ 厚生労働省の調査によれば妻に扶養される男性は年々増加し2010年3月末現在全国に11万人と書いてあった。この数値で幾分救われたが全国勤労者6000万人のうちの11万人を多いとみるかどうかだろう。
・ 結婚情報サービス会社オーネットが09年に20歳代、30歳代の男性約1100人に実施した調査でも「男が専業主夫でも構わない」と考える割合は20代で62%、30代では69%に上るという。私はこの数値に声を出して「おい、ちょっと待って!」と叫んだ。幾らなんでも高すぎないか?「外で働く気が無い」だけの話ではないのか。
・ 一方09年の総務省の調査では30歳未満の勤労単身世帯で女性の可処分所得が初めて男性を上回るなど女性の経済力が相対的に上がっていることも背景にあるのだとも書いてある。
・ これは間違いなく言える。完全な男女同権の世界である教員社会では男女間で給与の差は1円の違いもない。加えて相対的に教員は高給だから、女性教員でその恋人が自分の給料よりも相当低いというのは普通ではないかと私は思っている。
・ だからといって教員を妻にした民間会社のサラリーマンがすべて「僕は専業主夫でも良いよ」と言ったら、果たしてどういうような光景が展開するのかこれは僕には分からない。
・ 記事の最後の方はこうした状況について中央大学の山田教授がコメントしているのだが、「男性だけではなくて若い女性だって専業主婦志向も強いのですよ。それは仕事が大変だから。正社員は長時間労働で疲れきり、非正規は将来が見えない状況が影響しているから」と。
・ そうしたら男も女も「外で働くのがいや」といっているのと同じではないか。この国の勤労観は一体全体どうなったのかと悲憤慷慨しても始まらないのであって、現在社会構造が大きく変化している真っ最中にあるのだと思う。
・ はっきり言って「一人の稼ぎで暮らしていくのはしんどい世の中」になっており専業主夫でも専業主婦でもなれる人は限られるとは記事の締めくくりである。結局そういうことなのだろうと私も思う。
・ 「失われた20年」、」デフレの世の中で賃金カーブは低下し、格差は拡大し、大卒の就職が無い時代となった。「昭和元禄」「一億総中流家庭」の時代は遥か昔の物語になったのである。啄木ではないが「働けど働けど我が暮らし楽にならざり じっと手を見る」という時代になったというのか。
・ 私はこういう記事にあたるにつけ、自分の幸せと本校で働く全教職員に「仕事のある幸せ」を感じて貰いたいのである。加えて素晴らしいとは言わないが「上を見ればきりはないが、そこそこに処遇されている自覚」を忘れて欲しくないのである。
・ しかし人間というのは悲しいし弱い動物である。「先生、先生」と社会で言われれば、身を引き締めて頑張るのが普通だが返って反り返って自信過剰、傲慢、うぬぼれ、不遜になってくるものである。それは周囲に比較するものがないからである。余程の自覚が必要だろう。
・ 社会の勤労者に比べて平均的に高い処遇を受けていることを自覚しなければならない。私立学校であり、今までは高い授業料を支払ってくれていた保護者の中には教員よりも低い年収規模のご家庭もある筈だ。
・ 今後授業料無償化になったといえども、天から降ってきたお金ではない。国民府民の税金が回り回っているだけの話である。言いたいことは社会への視点を忘れてはいけないということである。給料は高くて当然だとは言わないがその分良い仕事をするということである。
・ 教師たるもの、専業主婦に納まっていてはいけない。まして専業主夫も有り得ない。社会の為であり国家のためである。我が仕事に誇りを持って家庭に引っ込むのではなくて定年一杯まで教壇に立ち続けて欲しいのである。
