・ 先週のNHK総合テレビの大河ドラマ「江」は本能寺の変を放映していた。明智光秀が「敵は本能寺にあり」と叫ぶシーンでは何故だか「老いの坂」とわざわざテッロプを入れていたのは何故だろうか思ってしまった。こういう場合、何か意味があるのかと考えてしまう癖が自分にはある。
・ 「老いの坂」という最近では余り使われなくなった言葉であるが、独特の響きを有した言葉ではないか。「苦難に耐えながら年を取っていくのを、坂道を上るのに例えた言葉」である。「ぼつぼつ老いの坂だな」「老いの坂を越える」とかという風に使う。
・ 現在の京都市と亀岡市の間にあり、現在の国道9号線で山陰道から京都に入る要所の峠である。標高は200メートルという。昨日のテレビにあったように天正10年(1582年)というから今から429年前に明智光秀は居城丹波亀山城を出でて主君織田信長を倒すためにこの老いの坂を越えて京都に攻め入った。爾来この峠は有名である。後世「明智峠」とも言われているらしい。
・ 「時は今、雨がしたしる五月かな」と詠い、光秀は西に向かう備中への道をとらず、東の京都に全軍を向けさせたのである。この瞬間光秀は「主君殺しの汚名」を覚悟して引き返すことの出来ない道に踏み込んだのである。
・ この故事から私はこの「老いの坂」の言葉は「引き返すことの出来ないわが人生の峠を越える」という風に捉えるのである。老いの坂から西に向かえば備中に向かい苦労や苦難はあっただろうが光秀のまだ人生はその後も続いていただろう。
・ しかし光秀は東に向かい「わが敵は本能寺にあり」と叫んで一挙に老いの坂を越えたのである。討たれた信長48歳、しかしその光秀も「三日天下」で55歳の人生を終えた。光秀を打ち倒した秀吉も栄耀栄華ままならず61歳で終わる。その豊臣を滅ぼした家康も73歳で一期とした。人生は流転である。
・ しかし人間の人生にとって老いの坂とは大体どの辺の年をいうのであろうか。勿論人それぞれだから一概には言えないのだが人間の一生において「転身」「転進」「挫折」「倒産」「リストラ」「起業」「創業「帰郷」「病気」等々「大きな人生の節目の年」が誰にでもあるような気がしてならない。
・ 光秀55歳で老いの坂を越えた。実は私も55歳で実業の世界から教育界へ転じた。引き返すことの出来ないまさに老境に差しかかった一大決断の時であった。これは間違いなく私の老いの坂であった。
・ 55歳年齢というのは一体どのような世代なのであろうか。ここはまず一般的な日本の定年が60歳であるということも考慮して考えねばならない。定年前5年間というのは極めて重要な5年間なのである。
・ 多くのサラリーマンは60歳定年後も働きたいと考えている。55歳到達時点で恐らく60歳以降のことも考えている筈である。そのように考えていけば現代の「老いの坂標準年齢」は55歳ということは出来るのではないかと考えるのである。
・ しかし光秀が生きた時代と現代とは異なる。400年以上も開いているのであって光秀55歳と私の55歳大きく異なる。いやそんなに昔と違いは無いという人もいるかも知れないが400年も前の昔の55歳というのはどのような世代であったのだろうか。
・ しかし一つの参考となるものがある。孔子に有名な言がある。「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。(したがう)七十にして心の欲するところに従って、矩を超えず。」である。
・ これからすれば五十歳が「老いの坂の年齢」ではないかと思うのだが識者によれば四十才だという。孔子の生きた時代は紀元前550年であるから今から2600年も前の四十歳代は確かに老いに入る「初老」の時代だったのだろう。
・ 兼好法師も同じようなことを言っている。「命長かれば辱多し。長くとも40に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ」と言っている。四十歳から老いの坂だといわれているのである。最もご本人は70歳を超えても生きておられたが。
・ さて今日のブログの結論は現代における「老いの坂標準年齢」(私の造語)は55歳としたい。そしてそれは教員社会にも当てはまるという気がするのである。どうも私に目では学校の先生も55歳で大きく変化するという風に思えてならないのである。
・ 病理学的に55才という年齢は体のあちこちに加齢に伴う弱体化を自覚する年齢である。私自身も同期の連中も立ち上がるときに「よいしょ」とか無意識に出てきたり、歩行や肩こり、腰痛などが話題になったりする。
・ 加えて大きな状況の変化が55才にやってくる。平均的には子育てが完了し、組織内では役職定年や子会社への出向などという時期に相当する。給与も一般的には「ドンッ」と下がってくるのが55歳である。
・ ところが教員社会は完全なる年功序列であり、55歳になったら処遇がダウンするということにはならない。上がり率は下がるといえども60歳まで給与は上がり続ける。ところが教員社会も55歳でその意識に大きな変化が現れてくるのである。
・ 一般の勤労者と比べて恵まれた処遇を受けているのも関らず何ゆえ55歳前後で「教員意識の変化」が出てくるのか、その理由は別途の機会に考察してみたい。
・ 若くはつらつとした若者はうらやましい。昨日「浪速茶道部の発足式」があった。現高校1年と2年で33名の部員だから大きなクラブとなった。私は部員に対してふくさ入れ、ふくさ、扇子などを一人ひとりに手渡しでプレゼントし前途を祝したのである。もう直ぐお茶室「洗心亭」は完成する。