2011年10月16日日曜日

23年10月16日(日)道明寺天満宮宮司が能の道明寺を舞う









・ 中学校の第一回目のプレテストも無事終了し今月は今週の中間試験と月末のお茶席披きが残った大きな学校行事である。中間試験は慣れていることであるがお茶会など始めてだから正直大変である。

・ 今日は堺市の大茶会の日で「千利休ゆかりの南宋寺」において指導いただいている玉永先生のご社中が一席設けられており顧問の先生3人と3年生の茶道部員がお茶会の雰囲気を勉強に行った。明日報告を受けることになろう。

・ 引き出物の抹茶茶碗の準備が完了した。「桐箱の裏書」を済ませ、最後の検品をした。裏書の評判がそこそこ良いので一安心である。最も身内から褒めて貰っても何にもならないが・・。

・ 桐箱毎、堺の茶商の小森商店さんに持ち込んだ。「包装」をお願いするためである。「洗心茶碗」と「浪速オリジナル志野茶碗」の2種類がすべて揃ったことになる。包装紙は一種類だから包装が済めば中身がどれなのかさっぱり分からなくなる。

・ そのためしっかりと区分する目印を付けたという。置き場所も区分しなければごちゃごちゃになって大変なことになってしまう。何方にどのお茶碗を差し上げるか職務代理と相談しなければならない。


・ 「点心料理」を過日試食をした。仕出先は「堺宿院 かき豊」さんである。昭和13年から営業をしていう日本料理の名店であり、茶懐石を得意としておられる。お家元も使われるというお店である。一応私は試食をして料理の中身を見させて頂いたのである。

・ 「文句なし」最高の味であった。このお店での点心料理の最も安価な物としたから私は少し気にしていたのである。心配は杞憂に終わった。昼食としてボリュームも丁度良い感じで何しろ味が旨かった。これが一番である。

・ 一つ一つの食材は小さいが吟味して選んでおり、品が良かった。私はそこが特に気に入った。「お造り」については鯛の刺身が主体であったが「昆布締め」と2種類用意してくれていたが私はアドバスのとおり昆布締めの方にした。

・ 又お吸い物が旨かった。大体多くのお店では縁から随分と下の方にあるものだが、かき豊のお吸い物は「たっぷり」でこれも感じが良かった。私は引取りに来た料理長に「料理を賞賛」して正式に発注したのである。有難いことに応援を1名出して下さるという。



・ さて今日は日曜日であったが南坊城理事長職務代理の「お能」の発表会ということで午前中「大槻能楽堂」に赴いた。元々こういう日本文化ものは大好きなものだからお誘いがあれば直ぐ出掛ける。

・ ここ3年くらい鑑賞させていただいているが今日の出しものは「道明寺」であった。「道明寺天満宮の宮司が能の道明寺」だから何かおかしいが舞いは巣晴らしものだった。この3ヶ月くらい練習で大変だったといわれていたが成果は十分にあったと思う。

・ 宮司よりのご案内には今回の舞囃子「道明寺」で「舞い納めにしようと決心した」と書かれてあった。理由は段々と難しい舞になっていき限界を感じたとあったが残念なことだ。何とか続けられたら良いと思うが最後は宮司のご判断だ。

・ 「道明寺」と「道成寺」は似ているようであるが全く異なる。道成寺はご存知のように安珍と清姫伝説をベースにした紀州道成寺の釣鐘にまつわる話であるが「道明寺」はまったく違う。

・ 私は昨夜の内に道明寺を調べていた。その結果、これは上演が非常に稀な作品であり、青山能でも昭和30年以降3回の公演だけというから如何に少ないか分かる。それくらい難しい作品なのである。

・ 能「道明寺」は藤井寺にある道明寺が舞台である。昔境内に中に菅原道真を祀る天満宮があった。天神と救世観音世は同一体というのが神仏習合の考え方であり、道真は大乗教を説いた経巻をこの境内に埋めたところ、その跡から「木げん樹」という木が生えたという。

・ そして道明寺天満宮の官人がシテで脇の僧を木げん樹に案内し菅原道真の縁起を語り自分は道真のお供をした白大夫だったと言って消えていく物語である。従ってこの舞囃子は菅原道真の氏寺道明寺の縁起を説いた脇能である。

・ 恐らく現実に道明寺天満宮の宮司である本校理事長職務代理の南坊城氏は最後の舞をこの「道明寺」に選んで、自らが白大夫にイメージを被らせ、自分自身の舞能の最後にしようと決心されたのだと思う。素晴しい選択と覚悟である。

・ 他に何も出来ないくらい練習に打ち込まれたらしい。舞終わられたツーショットを撮って貰ったが、区切りを付けられた後で何時も以上に大変に穏やかな良いお顔をされていた。


2011年10月15日土曜日

23年10月15日(土)第一回中学入試プレテストの日






・ 今日は「平成23年度中学入試の第1回プレテストの日」であった。中学の入試説明会としては今年3回目である。私は「赤の勝負ネクタイ」締めて臨んだ。それほど今日のプレテストは重要なものである。

・ 受験生心理として本命の学校には一回目からプレテストを受ける傾向がある。従って一回目の受験生の数で傾向が読めると考えているからである。今日を皮切りに来年2月まで浪速高校、浪速中学の正式入学試験までほぼ週末の土曜日が予定で一杯になる。別に土曜日だろうと日曜日だろうと構わないが「神経の張り詰めた日々」が続くことになる。

・ しかしこの「緊張感」はやったものでなければ分からないだろう。頭で考えても駄目だ。皮膚から入ってくる感覚である。全国に学校の先生と言われる人は100万人程度はいるとしてそのうち私立学校勤務の30%程度しかこの感覚は分からないと思う。

・ 30%の中でも近隣で言えば、兵庫県の灘中学高校や、東大寺学園中学高校などは「放っておいても生徒が集まる進学主体の私立」だからこのような「ブランド私立」を除いた私立が別の意味で緊張感溢れるのである。その緊張感がない私立学校はまず「落ち目の三度傘」で学校は敗退に向かう。

・ 世の中は橋下代表率いる大阪維新の会の進める「教育基本条例の話で一杯」であるが、私学はそんなことに気を奪われている暇はない。時間があれば弛まぬ生徒募集に走り回っているのが私立中学であり、私立高校である。元より教育の中味が最も重要と言うのは「言わずもがな」で当然である。

・ 中学入試で言えば「プレテストへ参加してくれる小学校6年生の数」と高校入試で言えば「入試説明会に参加してくれる中学3年生の数」である。多ければ嬉しいし、少なければ少し落ち込むだけの話である。だから私は落ち込まないように常に「何かを提供する」ように入試広報には口癖のように言っている。

・ 「付加価値」だろう。去年と同じで「代わり映えしませんが、今年も来てください」では駄目だ。新たなメニューを追加するとか新たな教育施設を作ったとか新たな奨学制度を整備したとか私立は常に中味を「棚卸し」して埃を払い、また新商品を陳列する努力こそが求められる。

・ 最終的には「入学試験を受験する生徒の数で決まる」から最後の最後まで分からないのであるが、今までの「データの蓄積から傾向は読める」。しかし中学校が関西大学の連携中学となった一昨年、即ち22年度入試から「じわじわ」と変化しつつある。それは現在も進行中である。難しいのは数のみならず質のレベルも変化しつつある。

・ とにかく受験生を徹底的に研究精査しなければならない。学校に段々と力が付いてくると「お試し受験」といって「小手試し」に受験してくる層がある。しかしこれは「嬉しい話」で「あのような優秀な生徒が浪中のプレテストを受けた」という噂はすぐに広まる。

・ 最後は本命の中学に逃げられたとしても浪中はそのような中学になったという塾の先生方の評価は高まる。お験し受験層を本校に引き繋ぐことがテーマであるがこれまたしんどいテーマなのである。そう簡単ではないのだ。

・ 我々は「浪速の教育力に自信がある。」これだけは本校の教員の為にしっかりと書いておきたい。私は本校教員の指導力を信頼している。彼らはやる。これだけは間違いない。しかしそうだからと言って社会はそう簡単に浪速の力を全面的に受け止めてくれるわけではない。

・ 学校とその学校の教育は長い、長い時間をかけて生き続けてきた「生き物」である。数世代の評価がそこにはあるのだ。今の世代が「それは昔のことです」と言っても意思を決定する保護者や親戚や知人はそう簡単には信じてくれるわけではない。

・ 地道な当に地道な努力が求められるのである。「起死回生の一発技」などない。「打出の小槌」などは何処を探してもない。当に血の出るような地道な弛まぬ努力があって初めて話を聞いて貰える、顔を向けて貰えるのである。

・ この部分が私学の辛さであり逆に言えば「教育者としての腕の見せ所」となる。放っておいても生徒が自動的に集まる公立中学とは根本的に違うところだ。特に私立中学は高校に比べて「厳しい」のは間違いない。

・ 何時も感じるのであるが私立中学は「急勾配で右肩上がり」というのはない。高校は義務教育でない分、公立高校、近隣の私立高校との比較で案外「優位に立てる」ケースはある。本校がそうだった。しかしその分「急激に生徒を減らす」学校があるのである。高校は本当に怖いものがある。「一瞬にして地獄行き」となるからだ。今から数年前に本校は「地獄を見た」のである。

・ 違った意味で私立中学は本当に厳しい。「じわっじわっ」という感じだ。しかし私はこの感覚が時に快感に感じる。手ごたえを感じるからだ。様々なことをしてきたが私立中学は高校以上に「勝ち組、負け組み」がはっきりしてきた。本校のポジションは今負け組から勝ち組みにじわっじわっと移動しつつあるのである。しかし時間がかかる。

・ 今日のプレの受験者数を見て正直「一安心」である。間違いなく関西大学との連携効果はある。関大コースの志望者が多くなってきた。しかし1回目のプレだけでは何も分からない。中学で言えば「11月12日(土)の第2回プレテスト、12月17日(土)の最終説明会、そして1月14日(土)の本番試験A,翌日15日(日)の本番試験B」となり、最後のふたを空けるまでは分からない。

・ 学校全体の「勢い」と「入試広報室のメンバーの誠意と努力」が結実したもので私は彼らに感謝している。彼らは彼らの仕事をする。私は私の仕事をする。私が出来ることは大きく分けて以下の三つだ。

・ まず「教育の中味のチェック」「教育環境の整備」「優秀な人材の確保と投入」だ。教育の中味、施設管理権、人事権、全ての権限を理事長・校長は有している。絶対権限で有る。従ってすべての結果責任は私にある。

・ 「教員の評価権限」も私にある。公立教員への教育基本条例などの議論は甘い話である。私学ではそんな悠長なことなど言っておられない。一人のいい加減な教員のために船が沈没するようなことがあってはならないからだ。彼らも分かっている話だ。

・ 公立の教員が校長の職務命令に3回違反したら免職だと維新の会は言っているが大体校長命令に反するような教員が居ることは「想定外の話」である。少なくとも本校ではまったくない。例えあったとしても「痛くも痒くもない」。

・ 今日の冒頭挨拶で私は昨年より二つの点で強調したことがある。一つは本校は「生徒の力を引き伸ばす」ということ。これは関西大学からも評価されている。正直偏差値がそこそこの状態で入学しても本校はそれを引き伸ばしているからである。

・ 中学の中にはかなり高い偏差値で入学した割には中学3年間で伸ばしきっていない例もあるが本校は間違いなく伸ばしている。それは一つには「授業時数の多さと教員の指導力」それに「多聞尚学館という武器」があるからだと思っている。「上げ潮ムード」もあって第一「生徒が燃えている」。

・ 今日私は「新校舎建設宣言」を行った。まだ殆ど決まっていないが「勝負の時」と考え急遽昨夕に追加した。大きなレイアウトと「イメージ図」しかなかったがこれを使って浪速中学に入学したら高校の卒業までに間違いなく新校舎に入れると私は説明したのである。


2011年10月14日金曜日

23年10月14日(金)市内学校巡り


・ 新校舎の「種地」を作る為の既存建物の解体工事が順調である。静かに潜行してくれている感じで騒音もまだ感じない。最も解体ではまだ躯体そのものには手をつけていないからだろうが、中々丁寧な仕事をしてくれている様子で、喜ばしい。

・ 解体建物の周りをぐるりと囲うと「雰囲気が出てくる」。ここに「4階建ての新校舎」が数年以内には聳えることになる。隣地境界の関係で4階建ての建物しか立たないのが残念であるがこればかりは仕方がない。コンプライアンスである。

・ メイン棟は「高層建物」でこの二つがドッキングする「T字配置」となる予定だからこの4階建てが「チョコンとくっついている感じ」は良くないと先に設計会社に伝えた。「屋根を一工夫」するように言ったのである。

・ ほぼ「全体の配置」が固まった。これが現段階ではあらゆる視点で最もよかろうという配置である。原案は全く違った提案が私になされたが私はそれを押し返したのである。ポイントはテニスコートの配置場所であった。

・ テニスコートは運動場の一種でもありグラウンドと離れるのは良くないし、新設したクラブハウス棟から全く異なった動線では授業にもクラブにも良くない。第一グラウンドが狭く見える。一体だと空間が広がって「広々、のびのび」する感じが出てくる。

・ それに折角「3面」も作ったコートである、これにより中学生も市民権を得て楽しんでいるのだ。3面まとまった配置が教員にも喜ばれるはずだ。結局私の意見が通ってこれをべースの配置となった。しかし新校舎の打ち合わせは楽しい。これほど楽しいことはない。夢が膨らむのである。

・ 来週には常翔学園さんにお邪魔して見学させていただくことになっている。この立派な12階建ての高層建物は多くの示唆を我々に与えて頂くに違いない。我々はレイアウト配置が「ボリュームとして決まった」だけでこれからが大変だ。しかし大変だなどと言っている暇はない。頑張って行きたい。
 ・ そういう訳で最近では他の学校の校舎を無性に見たくなって休みにウォーキングするときは意識して「学校巡り」をしている。先週の10日の休日にも上町台地を中心に学校探索を行った。「学校逍遥」である。

・ 大体休日には2時間程度は歩くから多くの学校が目に入った。「こんなに学校があるのか」という感じを持った。正直な感想である。総じて言えばまず「エントランスの雰囲気が建物全体を左右するくらい重要」である。

・ 「こちゃこちゃした狭い門」と「道路沿いにすぐ門柱があるようでは品格に欠ける」感じだ。ゆったりとしなければならない。特に敷地面積が小さいところでは工夫が要る。そして次のポイントは「屋根の形」である。

・ あるいはそれに変る「アイデンティティを示す特徴ある建造物」だろう。それを見ればその学校と言う具合に「イメージ」が重要だ。本校の場合は恐らく「記念講堂」の屋根がそれに該当するだろう。ここは「知恵の出しどころ」である。


・ 難波の自宅を出て日本橋から松茶町筋を横断し「学園坂」の急勾配をテクテク上っていくと左側に「大阪夕陽丘学園」が見えてくる。その昔私が高津高校の校長の時に親しかった府立夕陽丘高校の校長先生が「同じような名前を付けてくるから困った、困った」と嘆いていたことを思い出した。

・ 坂を上りきれば「谷町筋」で「六万体」の交差点に出てくる。ここで少し天王寺方面に戻れば右側に「星光学園」が見えてくる。大阪では名高い進学校で本校には今ここの卒業生で早稲田卒の新卒の常勤講師が体育科に勤務してくれている。

・ ここでキビスを返して赤穂浪士で有名な吉祥寺を参拝する。どうも「忠臣蔵大好き人間」で昔からここを通るとお参りするのだ。谷町筋から上町筋へは「斜め斜め」に進むのが面白い。


・ 真田山公園の横を抜けて上町筋の国際交流センターのところに出てくる。すぐに新しくなった歌舞伎座に至る。昔は近鉄劇場だったが難波の歌舞伎座が昨年移ってきたものだ。隣接して近鉄デパートがあってそこは上本町6丁目の交差点である。大阪人は「上六」と言わねばならない。

・ そこで私は右折して鶴橋方面に下る。5分もすればそこは「小橋」の交差点である。「こばせ」と呼ぶ。昔よく使ったインドカレーのお店とお好み焼き屋さんがまだ健在であった。そこを左折した。

・ この道はついぞ5年前まで毎日歩いて通った道である。創価学会大阪支部の関連の建物が多くある。随分と私は創価学会の幹部の方にはお世話になった。あの方々は今どうされているのだろうと思いながら歩いていくと「思い出の高津高校の正門」にたどり着く。

・ 「あったわ」と小さな声を私は漏らした。通用門横に銅版で或る銘板を私は平成17年、退職する1年前に設置した。5年ぶりの再会である。しかし浪速でも多くの場所に設置してきたが昔からその傾向はあるのだ。
・ とにかく歴史建造物が大好きなのである。校内に「高津の宮址」という歴史的な石碑があって昔は校外にあったものを道路拡幅の時に校内に移したものだった。寂びれていた石碑を整備して小さな小道をつけて「ここに仁徳天皇の宮廷があった場所ですよ」と外部の方に知らしめんと看板をつけたのである。

・ 高津高校に隣接して「明星学園」がある。ここも星光学院と同じくミッション系の進学校である。高津の校長に就任してすぐご挨拶に伺ったら「こんなことは初めてです。高津高校の校長先生がわざわざお越しいただけるなんて」と言われたのを思い出した。

・ 道は餌差町の交差点で左には市立高津中学校がある。ここの卒業式には必ず高津高校の校長は出席しなければならない不文律があって私もそのようにした。コーナーに「鎌八幡」というお寺があって私は参拝して学校の災い絶つべく丁重にお参りした。ここから道は下り坂になっていく。

・ 下りきったところが「空堀の交差点」である。ここから建物は見えるが左に行けば府立清水谷高校である。有名な旧制の女学校で戦後高津高校と結婚してお互いが共学校になった経緯がある。本校には多くの清水谷卒業生がいる。副校長のK、物理O先生、英語のI先生、中学英語のK先生である。
・ 一時期騒がれた有名な料亭の女将も清水谷の卒業生でその昔同窓会会長に招待されてこの料亭に行ったときは女将が現状の母校を嘆かれてひとしきり話題が盛り上がったことを思い出した。廃業されて女将はその後どうされているのだろうか。

・ 交差点を真っ直ぐ行くと右側に「大阪女学院」がある。伝統ある名門校である。それを右に見てほどなく右折すると有名な「カテドラル大阪聖マリアンナ聖堂」が左側から目に入ってくる。今テレビでもやっているNHK大河ドラマ「江」にも出てきた細川ガラシア夫人の大きな像があって私は中に入ってお参りした。
・ マリアンナ聖堂ガラシア夫人像の右側に隣接して「城星学園」がある。白亜の殿堂と言う感じで品のある校舎である。丁度ここで2時間となって今日の私のウォーキングは終了したのである。終わった後の感想は「本校の校舎が最も汚い」ということであった。残念ながら認めざるを得ないと思った。


・ 確かに本日回った学校は市内中心部のそれも上町台地にある。昔は大阪城の内部にある土地に建てた学校である。従って皆さん伝統校であり名門校である。校舎は間違いなくその雰囲気を漂わせていた。

・ 本校は市内と言っても外れも外れ、大和川沿いの、正直言って田舎にある学校である。学校は古く何より旧制中学の伝統を引きつぐ伝統校であり名門校であると自負しているが大きく市内中心部を外れている。また私がブログ「本校の歴史」で記述したように創立当初から借り物の校舎でスタートした学校であった。

・ 私は改めて決意したのである。正真正銘、本物の校舎を建ててみせると。シティスクールを標榜し、IT武装された校舎だ。キーワードは「光と風」である。光は将来であり希望だ。風は改革を表す。

・ ご近所が「度肝を抜く」ような校舎だ。建築雑誌に載り校舎を見せてくれとの依頼が舞い込むような校舎でなければならない。別に「奇をてらう」必要はないが市内最南端に位置する私立学校としてその意地と存在感を見せたいのである。

・ 設計者会社のエンジニアも本校の関係者も覚悟して貰わないといけない。テンスコートの位置程度でぐらぐらするようでは先行き心もとない。「大丈夫か」と言いたい気がする。「もっと真面目にやれ」とこのブログで叫んでおく。さあ、ゼネコンさんをどうするか頭が痛い。思案の真っ最中である。

・ 明日は「関大連携浪速中学校の第1回プレテストの日」である。私は明日の冒頭のプレゼンテーションで「新校舎建設宣言」を行うことを決めた。それで急遽入試広報の担当を呼んでパワーポイントの資料を追加するように指示した。丁度来年入学する中学生が高校に進学する時に新校舎は竣工している可能性が高い。私は腹を括ったのである。もう引き返せない。


2011年10月13日木曜日

23年10月13日(木)高3対象の校長講話














・ 昨日は10月の朝礼の日であった。校長講話の前に表彰伝達があったのだが、中でも圧巻は高校2年生の女生徒のIさんの英語スピーチであった。浪速中学からの内部進学生であるが英語力が素晴らしいのだ。

・ 彼女はこの度、斯界では大きな権威がある姫路独協大学が主催する第24回英語スピーチコンテストの決勝に進出する15名に選ばれた。関西地区英語使いの達人高校生100人以上の応募者から最後の15人に選ばれたのだからすごい。

・ 教員の考案で「朝礼の席で全校生徒の前でスピーチ」をして貰ったのだが私が驚くほどの力であった。中学生の頃から英語が好きで先般高校3年と2年の合同TOEIC試験では3年生を抜いて学校トップの得点であった。

・ 中学生の時には英検2級を軽く取っているから「今後恐るべし」である。このように「本校の教育力は高い」ものがある。才能と努力をするも者に指導と支援を惜しまない。私は素直に本校教師の力を賞賛したいと思う。


・ 今浪速中学の力は「驚愕的な学力の伸長」を示している。過日も某中学校から「どのようにしているのか」との問い合わせがあった。浪速中学は確かに出遅れたが関西大学連携校となって以来「一皮剥けた」感じだ。

・ 正直私立中学を考えている保護者の意識は保守的な部分があるが今や「浪速中学は買い!」だと手前味噌ながら自信を持って言いたい。本校に入学したら間違いなく他校よりは力を伸ばせる自信がある。

・ この週末には大きな節目である「第1回浪速中学校プレテストの日」である。私は今の浪速中学校の実力と将来性を声を大にして叫びたいと思う。府内では私立中学で「募集を停止する学校名がちらほら出て来ている」が何としても関大連携浪速中学校は今の「上昇気流」を右肩上がりの勾配で今後とも高めて行きたいと思うのだ。


・ 今日は「高校3年生への校長講話」の日であった。各学年に一回行っているもので3年前から実施している。言ってみれば「校長の授業」である。「世の中の現実を知る」とのテーマによる特別授業と考えている。もうこれで卒業式まで彼らにはまとまった話は出来ない。

・ 月に一度の一斉参拝や朝礼、時に校内放送を使った臨時校長講話などがあるが年に一度改まって私の話をする機会と言うわけである。昨年までは「レジュメ」を使って説明していた。今日も作っていたが今朝になって今回は資料配布をやめて口頭で「パンチある言い方」にしようと考えた。

・ 又今年は止めようと思ったが昨日の夕方になってやはり用意して置くように学年主任に連絡した。松山千春の歌である「大空と大地の中で」のCDである。この歌詞に私が生徒に伝えたかった心がある。まあ冒頭の「掴みの部分」である。

・ どういうわけかこの歌に行き着く。私が生徒に伝えたかったのは最後の歌詞である「力の限り生きてやれ」というただこの一点だ。「ごちゃごちゃ」「あれこれ」言っても生徒の頭には残らない。

・ 今の子どもは人の話を聞く訓練ができていない。どうも学力レベルと担任の腕による。総じて担任は甘いところがあって「生徒に媚を売っている」と思うような甘さが時に感じられる。トンでもない話である。それでは生徒は本質のところ真剣になれない。

・ 今日は一年に一度の校長講話に日だ。それなりに聞かせる態度というものがあろう。教員には真剣勝負と言う感覚が分かっていない。推薦入学の面接試験だったら本当に生徒は真剣に人の話を聞く。ところが全体が集まったら聞けないクラスが出てくるがそれは担任の指導が現れているのだと思っている。

・ 日頃教員にとっても聞けない校長の社会一般の話である。自分が聞くという姿勢が無いから聞こうとしない問題生徒も出てくる。教員出身の校長からは決して聞けない中身である。
・ 一般の教員であれば英語とか数学とか様々な専門分野がある。しかし校長というのは生徒へ伝える究極の話は「これから先何があってもしっかり生き抜いていけ」という「大人のメッセージ」しかない。「民間出身校長の大切なミッション」だと私は思って真剣に教員と生徒に対峙しているのだ。


・ この学年は私にとって当に共に過ごした生徒たちである最初の学年であり、思い入れの多い生徒ばかりであった。学校改革の進展と共に進んできた学年である。主だったものでもまず「多聞尚学館」「ふくろうスタジアム」「海外修学旅行」「最古の道山の辺の道の踏破」など学校改革の成果をすべて享受した学年だったと思うが・・・。

・ 素直で優しい生徒ばかりであったような気がするが勉強は今一しなかったような気もする。しかし後半年でお別れとなる。私は今彼らの「卒業アルバム」を従来のものと体裁を変える様に進めているがこれについても言及しようと思ったが言うのを忘れてしまった。

・ 今日彼らに話したことは「私の人生」を冒頭軽く述べた。そして理系出身だけに科学技術分野における自分の「技術屋人生」とタイタニック号、および福島原発の事故のついて「考えるべき視点」を話した。視点の広がりの重要さが必要だということを言いたかったのである。

・ 又ぐっと砕けて、昨日ほぼセリーグの優勝を決めた中日の落合監督のことにも触れた。
「人生は実力だけでは上手くいかない部分もある」がそこには「必ず原因がある」ということも言いたかったのである。「なぜ日本人は落合監督が嫌いなのか」というテーマ出しである。

・ しかし逆境の時こそ「人間の真価が問われる」と言いたかった。自分の力だけではどうにもならない局面があるがその時に「どのように身を処するかが人間の価値である」と強調した。校長にも何回もそのような場面があったと話した。

・ 今日的若者に必要なことは「忍耐力」だと思うだけに私は「耐える」ということを強調した。そしてただ耐えるだけでは駄目でそこには「新たな展開を待つ、機会に巡る合う努力が必要」とも説いた。「努力とはやはり学習」だということ。

・ 「人生の痛み」を忘れることなく、「起きた事は全て正しい」と受け留めて自分を戒め、初心や屈辱や忘れず血の出るような努力をせよと述べた。そうすれば必ずチャンスは来ると述べたのである。「臥薪嘗胆」である。

・ 「今に見ていろ」「何時かは・・」と思う心がエネルギーだと話した。心が強くなければならない。「捲土重来」という言葉がある。「七転び八起き」と言う言葉もある。「隠忍自重」「雌伏十年」と言う言葉もある。「勉励刻苦」「神よ、われに艱難辛苦を与え賜え」という言葉もあると続けた。

・ そして最後の決め手はその人の持つ「歴史観」だと言った。歴史観を持つにはやはり勉強であり、書物を読むことだと話した。見るものも記憶には残るが脳細胞に焼き付けることが出来るにはやはり読書である。新聞でも何でも良いから人の書いたものを読めと言った。それが思考力に繋がるのだと話した。


・ そして「最後は人柄」だと言った。正しい歴史観を有した人間は「謙虚」であると話した。「謙虚であるが故に歴史と他人に学ぶことが出来る」のである。こういう人が多くの機会にめぐり合うことが出来ると言って話を終えたのである。

2011年10月12日水曜日

23年10月12日(水)浪速オリジナル志野茶碗






・ 昨日のブログで「洗心茶碗」について記録に留めたが当然のことながら別途作製した「オリジナル志野茶碗」についても記録に留めておかねばならない。これは「洗心茶碗物語」よりもより生々しい歴史がある。「浪速武道館洗心亭お茶室披き記念オリジナル作品 志野茶碗物語」とでも言うか。

・ 書けばA4サイズ10枚にはなろうが、そうもいかない為苦労して2枚に纏めた。従って桐箱に入る「由緒書き」は異例の2枚になるが仕方が無い。洗心茶碗はこれ以上はない別格中の別格作品である。それはお家元の揮毫より頂いた「洗心の字焼付け作品」だからである。

・ しかしこのオリジナル茶碗もこれ又悪くはない。誇りを持って引出物に出せる。私は一品ずつ検品し桐箱の蓋裏に「洗心の字」を書き入れた。本当はもっと立派なお方が書くべきかも知れないとは思ったが「教育トライアングル」の完成の最終章のお茶室披きであり、浪速改革をリードしてきた私の責務と考えたからである。

・ 又浪速武道館正面玄関に入った真正面に飾っている「武」の字を写し取った「焼き鏝」で「武の焼印」を押している。これで本校の指導方針「文武両道」が表現できたと思っている。洗心の墨の色と武の焼印はそれなりの記念の品物になったと自負しているのだ。

・ 志野茶碗、一つは「ろくろ」を使った作品群と一個一個「手びねり」で作った作品群があり、二人の作者で製作された。先の洗心茶碗と合わせてどのような基準でお客様に差し上げるのか現在検討中であるが、悩ましい。

・ コストもかかっており誰彼に差し上げると言うわけにもいくまい。学校関係者には「ご祝儀の儀固くご辞退」としており、このような方には別途ささやかな「記念品」を考えている。詳細今は書けないが「一工夫」したもので喜ばれるに違いない。



 浪速武道館お茶室「洗心亭」お茶席披き記念品
           「浪速オリジナル作品志野茶碗物語」

 ・  平成23年は我国とっても本校にとっても忘れられない日となりました。3月11日東日本大震災が発生したこの日、私は2日後の3月13日に控えた浪速武道館の竣工祭の準備の為にお茶室「洗心亭」で関係者や茶道部の生徒と共に受け入れの準備中に床の間の軸が小さく揺れるのを感じました。

・ 後刻東日本において、その被害の甚大なことを知り、式典は予定通り行うが夕刻に予定されていた完成祝賀会と5月の連休明けに計画していた「お茶席披き」は自粛することと致しました。このようにこの浪速武道館は我国にとって未曾有の国難をもたらした大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の年に竣工されたものであります。

・ 一方本校では平成19年から始まった「学校改革の最終章がこのお茶室披き」でありました。平成20年、千早赤阪村に開設した校外学習合宿施設「多聞尚学館」、そして平成22年の堺市に建設した総合球技場「浪速ふくろうスタジアム」そして今回の「浪速武道館」の竣工を持って「教育トライアングル」の完成と称しています。理事会や全教職員が一致協力して推進した浪速改革の具体的な成果なのです。

・ そして遂に平成23年10月29日(土)にご関係の皆様のご理解とご支援を頂き「お茶室披き」を挙行することが出来ました。この間玉永清枝先生のご社中と南坊城康子先生ご社中には格別のご指導とご支援を頂き感謝に耐えません。

・ 和室全体を表して「洗心亭」としていますが、「洗心」は本校理事長職務代理で道明寺天満宮の南坊城充興宮司に名付けて頂き、それに表千家千宗左お家元が「亭」の字を与えて下さり洗心亭となったものであります。お家元には有り難くも「洗心亭の揮毫」も頂戴致し、お茶会当日にはご名代として木村雅其宗匠を派遣して頂きました。

・ 「お茶席披きの引出物」については全然悩むことも無く当初から「お茶碗」にすることを決めていました。自分が焼き物をやり、特に抹茶茶碗が大好きと言うこともありますが、大体どのお茶席でも引出物はお茶碗が多いと考えたからです。

・ こういう場合は有名な陶芸家に依頼して作って貰うのが一般的だと思いますが、私は異なる方法を選択しました。それは発展途上の若き陶芸家に作陶を依頼することでした。その方が学びの途中に有る学校茶道のお茶席披きの記念品により合致すると思ったからです。

・ 但し、「私のイメージにあった」作品を作って貰う事としました。しかしこれからが大変で、泉州地域で窯を持っている若き芸術家の卵を探すのに担当者は相当苦労しました。ネットで探りながら候補を絞り込み、私に候補者を提示してくれたのです。

・ そして複数の陶芸家に連絡を入れ、順番に回り、今まで作られた作品を見せて頂きました。又作陶の腕もさり乍ら、大切なことは「やる気」と「品」であり、幾ら技巧的に優れていても作品から品格が感じられないようなものは引出物にはなりません。私は注意深く陶芸家の作品を観察しました。

・ 私は自らが目の前でろくろを回したり茶道のご経験などもお聞きしました。お茶を知らない人には「茶陶」は難しいものです。当初から形は「志野茶碗」に限ると考えておりました。理由については、ただ志野茶碗が本校のお茶室に似合うと感じたからですが長石単味の乳白色の志野でも良いし、鬼板が赤く発色する「ねずみ志野」でも良いから、志野に限るとしたのであります。

・ そして最終的に2名に絞り込んで具体的な話し合いをしたのですが、まだ不安残り、まず「試作品」を作って頂き、それを見てから最終的に判断することとしたのです。試作にかかる費用は一切を当方が負担すると申し上げました。

・ 陶芸家のお名前は男性が「天志窯の中西天志さん」であり、女性が「聖窯(きよいがま)の中出聖子さん」です。試作品が出来たと言うので楽しみに観に行きましたが、2回目、3回目の試作にチャレンジしてもらった経緯もあります。そのようにして約1年が経過しました。

・ 陶芸家は「お茶人に拠って育つ」といわれているように利休は楽を育てました。魯山人はろくろ師に傍で指示してあの有名な作品群を作ったのであります。恐れ多いことながら自分もそのような気になって行き、最後は必死でした。

・ 作品の出来栄えについてはとやかく言いません。ただ前述したような経緯で作った作品であり、学校と同じで「学びのプロセスにある人間の作品」として評価いただければ有り難いと思っています。

・ お茶室洗心亭は様々な思い込めた設計としております。我国は「神々の国」であり、本校は大正12年に神社神道の根本儀を建学の精神に持つ学校であります。森羅万象すべてに神が宿り、「五穀豊穣」を祝い自然の持つ力に感謝することが日本人の心であります。

・ お茶室洗心亭は武道館の中にある「精神的な真髄の場所」という捉え方で設計段階から最重要として位置づけてきました。そこに和室とお茶室を設け、「日本の歴史の原点である古事記の世界」と神社界では極めて重要なものである罪穢れを消滅するための祈りの言葉「祝詞」であるところの「大祓詞(おおはらえのことば)」の具現化が茶室の杉板戸に描かれたものです。

・ 私は頑張って頂いた陶芸家の為に桐箱の「蓋の裏書」は自ら書かせて頂きました。「洗心」と書き、浪速武道館正面玄関の武の額を写した焼き鏝で「武」の一字を焼き付けました。このような経緯でお茶室洗心亭お席披きの引出物オリジナルの志野茶碗は出来上がりました。心からお二人の陶芸家に感謝しております。

・ このお茶室披きにより表千家学校茶道部の正式な一員として認定され多くの部員を誇る浪速茶道部として順調に門出をすることが出来ました。生徒には茶道を学ぶことでこの武道館に流れる「清冽」と「品格」の中、茶道の心「和敬静寂」の精神を身に付けて欲しいと念願しています。

平成23年10月29日(土)  学校法人浪速学院
                  浪速高等学校長、関西大学連携浪速中学校長
                     木村 智彦






2011年10月11日火曜日

23年10月11日(火)「洗心茶碗」




・ 10月29日に予定されている「洗心亭お茶室披きの引出物」であるお茶碗の準備が順調に進んでいる。「洗心茶碗」も窯元から堺の出入りの茶商に届いたと言う知らせがあった。今検品中とのことである。

・ この茶碗は何と言っても価値ある一品となる。何故なら表千家千宗左お家元から揮毫して頂いた「洗心亭+花押」の内洗心の文字と花押」を茶碗に焼き付けたものである。瀬戸の窯元に依頼して作製して貰った。

・ お茶碗は所謂「碗型」と言われるもので最も一般的な扱い易い品格のある茶碗らしい茶碗である。お茶碗には様々な形があって「井戸型」「熊川型」「志野型」「楽型」「筒型」「半筒型」「沓型」等々数え上げれば切が無い。別途書くがこの洗心茶碗とは異なる「オリジナル茶碗」は志野型にした。

・ 担当からは箱に入れる「お茶室とお茶碗の由来を書いた小文」を書くように言われていたのだがついつい手が届かず一向に書く気にならなかったのであるが、本日茶商の社長さんが「お祝い金」を持参され学校に見えられた。

・ わざわざお越し頂いて恐縮したのだが、この時に社長さんから「なるべく早く」と言われたのである。これでようやく重い腰があがった。どうもブログを書くようになって文章が長くなった。長いのは詳細が記録されているから分かり易いのだが読む方には辛い話である。

・ あれもこれも伝えたいと思うから最初の文章はやはりA2枚になった。しかしお茶碗の入った桐箱に入れるものだから2枚は多い。せいぜいA4サイズ一枚にすべきであり、私は削っていったのである。

・ 戦国時代のお茶碗が今に残っているようにこういう物は代々その家庭で伝承されていく。もしくは古道具屋に売り飛ばされるだけだ。その時にお茶碗の由来と茶碗の銘などを書いた箱裏書があれば伝承は明確となる。

・ お分かりになる方はお家元の花押だけで「わー、12代千宗左お家元の字だー」となるのだが一般には分かりにくい。それに私としたら浪速武道館があってこの茶碗があるわけでこの辺の経緯も記しておきたいと思うのである。

・ そういう訳で一応作った文章は以下の通りである。最もまだ手が入ると思うが。・・・。:


  浪速武道館お茶室「洗心亭」茶席席披き記念

             「洗心お茶碗について」

・  平成23年は我国とっても本校にとっても忘れられない日となりました。3月11日東日本大震災が発生したこの日、私は2日後の3月13日に控えた浪速武道館の竣工祭の準備の為にお茶室「洗心亭」で関係者や茶道部の生徒と共に受け入れの準備中に床の間の軸が小さく揺れるのを感じました。明確に覚えています。

・ 後刻その被害の甚大なことを知り、式典は予定通り行うが夕刻に予定されていた完成祝賀会と5月の連休明けに計画していた「お茶席披き」は自粛することと致しました。このようにこの浪速武道館は我国にとって未曾有の国難をもたらした大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の年に竣工されたものであります。

・ 一方本校では平成19年から始まった「学校改革の最終章がこのお茶室披き」でありました。平成20年、千早赤阪村に開設した校外学習合宿施設「多聞尚学館」、そして平成22年の堺市に建設した総合球技場「浪速ふくろうスタジアム」そして今回の「浪速武道館」の竣工を持って「教育トライアングル」の完成と称しています。理事会や全教職員が一致協力して推進した浪速改革の具体的な成果なのです。

・ そして遂に平成23年10月29日(土)にご関係の皆様のご理解とご支援を頂き「お茶室披き」を挙行することが出来ました。和室全体を表して「洗心亭」としていますが、「洗心」は本校名誉理事長で道明寺天満宮の南坊城充興宮司に名付けて頂き、それに表千家千宗左お家元から「亭」の字を頂き洗心亭となったものであります。お家元には有り難くも「洗心亭の揮毫」を頂戴致しました。

・ この「洗心」茶碗はこの扁額からお家元の字を頂いて瀬戸の窯元に依頼して作られたものであります。お茶室洗心亭は様々な思い込めた設計としております。我国は「神々の国」であり、本校は大正12年に神社神道の根本儀を建学の精神に持つ学校であります。森羅万象すべてに神が宿り、「五穀豊穣」を祝い自然の持つ力に感謝することが日本人の心であります。

・ お茶室洗心亭は武道館の中にある「精神的な真髄の場所」という捉え方で設計段階から最重要として位置づけてきました。そこに和室とお茶室を設け、「日本の歴史の原点である古事記の世界」と神社界では極めて重要なものである罪穢れを消滅するための祈りの言葉「祝詞」であるところの「大祓詞(おおはらえのことば)」の具現化が茶室の杉の板目に描かれたものです。

・ 表千家学校茶道部の正式な一員として認定され多くの部員を誇る浪速茶道部として順調に門出をすることが出来ました。生徒には茶道を学ぶことでこの武道館に流れる「清冽」と「品格」の中、お茶の心「和敬静寂」の精神を身に付けて欲しいと念願しています。

・ お家元のご懇篤なるご配慮でお家元ご名代の木村雄其宗匠のご臨席を得、又玉永ご社中南坊城ご社中のご支援で記念すべきお茶室披きが行われるようになったことはこの上ない喜びであります。この洗心茶碗が未来永劫この一文と共に永らえることを念願しております。

平成23年10月29日(土)  学校法人浪速学院
                 浪速高等学校長、関西大学連携浪速中学校長
                     木村 智彦






2011年10月9日日曜日

23年10月9日(日)「事もなく」








・ 毎週なのか、月に一回なのか定かではないが産経新聞の日曜版に「一服どうぞ」のコラムで「裏千家前家元の千玄室氏」が一文を寄せられている。千利休に最も似ておられるとされている茶道の第一人者である。さすが求道者であり素晴らしい内容と表現の文章で私は毎回楽しみにして読んでいる。私はもう思想家として尊敬している。

・ 今朝の書き出しは「楽しみは国内家内(くにうちやうち)事もなく、無病息災静かなる時」というものであった。幕末維新の越前藩主の松平春嶽が詠んだものとあった。これでこの一文は自分のものとして何かの時に引用できる。

・ 「事もなく」と言うのが味わい深い。まさに事も無く学校が、生徒が、教職員が静かに進んでくれているのが一番良い。いったん事があればトップは自ら先頭に経って処置しなければならないが、事も無くそのような事が起きない方が良いに決まっている。 私の場合は「安らぎは校内校外、事も無く、生徒落ち着き、授業静かなる時」だ。
 ・ 無病息災とあるが昨日の大阪日日は大阪府の職員の精神疾患職員が「急増」していると報じていた。2010年に精神的病気で7日以上休業した人が職員全体の1.7%となり、10年前の約2倍だと言う。数で179名とあった。

・ 理由は「職場環境の要因の一つ」とあったが何のことかさっぱり分からない。記事の見出しは「職員基本条例」の影響があるとあった。「厳しい評価制度」を導入すればますます追い込まれる職員が少なからずいると民主党の府会議員が維新の会を牽制したともあった。

・ しかしだ。たかが職員基本条例の制定前の議論の段階で精神疾患に罹るなどは信じられない話だ。行政に対する府民の目が厳しくなって又、一人当たりの仕事量が増えたことも原因とあったが、私はため息を付く。「弱い、甘い」と言わざるを得ない。

・ 現代社会だ。誰でもストレスに囲まれている。厳しい評価と言うが評価は元々厳しいものである。甘い評価など聞いたことが無い。それに自分の力でまず打ち勝っていかねばならない。仕事は甘いものではないという「覚悟」がまず必要だ。

・ 大体世の中が自分の希望するように行くわけが無い。考え方と姿勢の問題だと思う。個人を特定して狙い撃ちしているのではない。最大公約数的な網を仕掛けられたからと言っていちいち病気になっていてはどうしようもない。

 
・ 昨夜はPTA役員との浪速祭打ち上げ会であった。心斎橋のレストランを借り切っての大パーティであった。今まではホテルを使っていたがこのような場所も面白い。「飲み放題」で会費5000円だから安い。会費はPTAも学校も均一に同額である。当たり前だ。

・ 大いに盛り上がった。話題は何と言っても「10月29日の洗心亭お茶席披き」のことであったが女性の皆さん、「着ていくものに困る」というものであった。私は平服で結構です、ただ白い靴下だけは持参されたがよろしかろうと申し上げた。

・ 自分で和服を良く着ないのだ。結婚の時に持参した着物は「たんすの肥やし」のなっており、長い間着た事はないとおっしゃる。しかし着て見たい様子も伺えるのである。それに頭髪のセットとか言われるので私は次のように述べたのである。

・ 洋服は明治後だからまだ200年も経っていない。和服は平安時代の昔から着ている日本のスタイルだ。そのDNAは皆さんに流れており着物が自分で着れない筈が無い。それに昔の人は一々美容院になど行かなかった。

・ 人間やる気になれば何でも出来るからやる前に勉強しようとしない心がけがいけないと幾分調子に乗ってお説教したのである。私など5分も有れば簡単に着られる。最初は本で勉強したが簡単だった。ただ着た後のたたみは苦手である。それで今日も和服にした。



・ 今日はかねてから予定されていたふくろうスタジアムで硬式野球部への「ピッチングマシン」の贈呈式があった。先ごろ本校の野球部を献身的に応援してくれていた篤実お方が亡くなられた。何時も試合には応援に出かけて頂いていた。

・ 私もお家を訪問したことがあって良く存じ上げている。過日奥様が学校に見えられ、金一封を持参されたのである。「亡くなった故人の意思でささやかですが・・・」と言われたのである。

・ 本当に有り難いことで私は何に使うか野球部保護者会とも相談していたのだが結局ピッチングマシンとなったと言う具合である。最近硬式野球部の戦績が悪いので私は勧めた経緯もある。

・ かなり高価なもので最新鋭だからこれを使って腕を上げて欲しいと思うのである。結局保護者会や同窓会も応援するということで今日は関係者が集まって贈呈式ということなのである。選手が多いため練習のバッティングゲージは3箇所設置して練習していたのだがマシンは2台しかなかった。これで3台揃うから効率よい練習が出来るだろう。


・ 贈呈式が11時30分、その後私は門真市民文化会館に向かった。ここで実施される「第25回大阪私立中学校高等学校の芸術文化祭典」に参加する本校雅楽部の激励訪問である。

・ ポスターには雅楽部の部員が小さいが載っていた。運動部は大体派手だから保護者やOBなど応援が多いのだがこのような文化部は相対的に少ない。それだけに校長は応援してやりたいのである。

・ それに雅楽というのは一般には馴染みが薄い。雅楽部があるのは大阪広しといえども本校だけだから、部員が正装束に身を固めて出演すると大体客席からどよめきが出る。神社神道の学校だと言うことを知らしめるにはこれほどの媒体はないと思っている。

・ 当然指導者は大阪の神社界でもトップの方々ばかりだからやはり上達のスピードが違う。楽器もほぼ揃えているから見ていてバランスが大変良くなった。本校の代表クラブとして育ってきたことが嬉しい。

・ 今日で3年生は引退となる。この3学年は本当に素晴しかった。ここまで雅楽部を高めてくれた。地域でも演奏してくれ本校雅楽部の名を広めてくれた。演奏後目を腫らしていた女生徒もいた。私は「良く頑張ってくれた」と慰労し、記念に竜笛をプレゼントすると言ったのである。